第9話:正解も不正解もないが、多分不正解。

 宣戦布告を告げたその日の夜。

 私は山田君に言われた通り、思い切って佐伯君にメールをすることにした。


『佐伯君がいなくて寂しいです』


 あわわわわっ!? 私ったら何を送ろうとしているんでしょうか!?

 文字を消していき、


『佐伯君が好きです』


 あばばばばっ!? 

 落ち着いて、落ち着け私! 気持ちだけが先走ってますよ!

 ふぅーっと深呼吸して、文字をもう一度消していく。消すのも惜しいくらいだけど、こんな事を急に言われても困るよね……。


 いざ、メールをするとなると、難しいものです。やっぱり恋愛の本を買うべきでした。そんな後悔が頭に中を過る。

 山田君はお風呂に入っていますし、何を送ればいいのか聞きたくても聞けない。

 腹を括りメールを打ち込む。


『今、大丈夫ですか?』


 こんなのでいいのかな……。そもそも返ってくるのだろうか。返って来なかったらどうしよう。

 送ると決心したはずなのに、すぐにそれは自壊してしまう。

 またスマホに打たれた文字を消していく。


 打っては消して、打っては消して。

 そんな繰り返し。些かも進まない。


「メ、メールがこんなに難しいとは思いませんでした……」


 まるで誰かに話しかけるように、そんな独り言が出る。スマホをスリープさせ、また意味もなく深呼吸した。


 進まない、いや、進めない自分が惨めだ。不安、先行き、先走り……。

 そんな事ばかり。私が私の邪魔をする。煩わしいくらいに。

 返信が来たとして、そこから私は話を続けることが出来るのだろうか。などと送ってもいないのに、不必要に考えている。


『花宮先輩の気持ちがあれば伝わりますよ』


 山田君に言われたこの言葉。


 私の気持ち。


 私は佐伯君が好き。会いたい、隣で一緒にご飯を作っていたい、テレビを一緒に見て笑いたい、食後のコーヒーを飲みながらまったりしたい、名前を呼んでほしい、声が聞きたい。とにかく一緒にいたい。

 時間を共有したい。その瞬間、瞬間の場面に私が隣にいたい。知っていたいし、もっと知りたい。


 止まらない。溢れ出してくる。

 これまでの生活が全て嘘のように。

 いなくなって実感する。こんなにも私は佐伯君が好きなんだと。

 心模様はいつからここまで変わったのだろうか。

 伝え方が分からなくても、悩んでも、進まないのには変わらない。不器用だっていい。今自分がどうしたいか。


 もう決まっている————


「も、もしもし!」

『はい、佐伯です』


 電話。それは合成音声でしかない。似た声、作られた声だけど、でもこの声を聞きたかった。


「あ、あの! 花宮です」

『知ってますよ。電話番号登録してありますから』

「そうですよね! あははは……」

『どうかしましたか?』


 受話器の向こう側から、水の音が聞こえる。……もしかしてお風呂?


「お風呂に入ってますか?」

『正解です。湯船に浸かってますよ』

「お風呂に携帯持ち込んで、壊れないですか?」

『最近のスマホは防水機能付いてますから問題ありませんよ』


 他愛のない、中身のない会話すら、私は満たされてしまう。好きな人が自分に与える効能は、麻薬並みに狂わしている気がする。

 話を続けたいのに、会話に詰まってしまい言葉が出てこない。


『花宮さん? どうしたんですか?』

「い、いえ、特に用があったわけじゃないですけど……ただ」

『ただ?』


「少し声が聞きたくて……寂しいです」


『えっ……どういう……』

「なっ! なんでもありません……」

『びっくりした……』


「ごめんなさい。嘘です。正直、佐伯君に会いたいです」


『なんで!? 急にどうしたの花宮さん!?』


 バシャンと大きな音が聞こえてくる。

 私は何を言っているんだろう。こんな事を言っても佐伯君が困るだけなのに。蓮水さんとの生活に水を差すように。


「ごめんなさい。なんでもないです……じゃあ私はこれで」

『ちょっ————』


 電話を切った。

 何か言いかけてたのにも関わらず、それすら拒否するように。

 ペタンと腰が抜け、手に握っていたスマホは大きな音を立てて、転がり落ちた。


「結局、こうなっちゃう……」


 自然と涙が零れる。

 泣きたいわけでもない、泣く理由すらないのに。

 手で顔を覆うと、なんでか涙が大量に溢れ出てきて、拭っても拭っても、止まらない。


「止まってよぉ……なんでっ……なんでこんなに……」


 あんな事言っても、会えないと分かっているのに、会わないと一緒にいないと蓮水さんに負けてしまいそうで。




 弱い————そうか、私は自分の不甲斐なさにこうなっているんだ。




 あれからどのくらいの時間が経っただろうか、いつまでもこうしていられない。ご飯を作らないと。

 唇を噛みしめ、立ち上がった。


「お先でした……ってどうしたんです!?」

「あ、山田君。今からご飯用意しますね。ごめんなさい」

「それどころじゃないでしょ!? なんで泣いてるんですか!? 佐伯ですか!? 佐伯ですね!」


 急に呼び捨てにし、シュッシュッと拳を伸ばしては引いてを繰り返していた。


「あはははっ! 大丈夫ですよ。佐伯君は関係ありませんから」

「そうですか。あ、今のは佐伯先輩には秘密でお願いしますね?」

「言いませんよ」

「花宮先輩、携帯落ちてますよ。しかも鳴ってる」


 画面を確認すると、山田君はそのままボタンをタップし、耳元に携帯を持っていき応答した。


「タダイマデンパノトドカナイトコロ——すいません代わります。はい、佐伯先輩です」


 携帯を渡され、耳に当てる。


「……はい。もしもし」

『今、家に居ますか?』


「いますけど……」

『じゃあちょっと山田には聞かれたくはないんで、そのまま外に出て話しましょうか』


「廊下でじゃ、だめなんですか?」

『はい、だめです』


「わかりました。そんなに聞かれたくないなら外に出ます」

『山田は怖いんでね。お願いします』


 佐伯君に言われ、外に出て、玄関口で座る。


「出ましたよ。それで……なんですか?」


「何ですかはこっちのセリフだと思うんですけど」


「え……何で……」


 目の前に、佐伯君がいる。玄関の門扉を開けて、入って来た。


「何でって……それは何でだろう。心配になったし、会いたいって言ってたから会いに来たんですよ」

「……でも蓮水さんは?」


「ああ、それは煙草切れたから買ってくるって言って出てきました」


 だめだよ。嬉しいけど……そんな事したら付け上がっちゃいますよ。


「じゃあもう帰らないと。わざわざありがとうございます」

「めっちゃ冷たいじゃないですか。急いで来たのに」


「蓮水さんに怒られちゃいますよ。私も怒られそうなんで早く帰ってください」

「まあそうですね。煙草買うのにどんだけ時間かかってんだって怒られそうですし……もう本当に大丈夫ですか?」


「はい。ごめんなさい」


 頭を下げ、謝った。


「花宮さんが大丈夫ならそれでいいんですよ。じゃあ俺はこれで」


 時間にして、3分。

 私はせっかく来てくれた佐伯君を追い返すように帰した。本当はこんな事したくないのに、やっぱり最後は自分が邪魔をする。素直になれなくて、どこかで遠慮をして。



 ————嫌だ。私はこんな事がしたいんじゃない!



 何時しか、私の足は動き出していた。彼の遠のいていく背中を追って。

 あと少し。あと少しで届く。

 手を伸ばし、後ろからいつの日かしたように。彼の背中を掴み、顔を預ける。


「えっ……花宮さん?」

「本当は……本当はすごく会いたかったんです」

「……はい」

「私、どうかしちゃってますよね……初めての経験なので分からない事ばかりで」


 佐伯君は動かず、そのまま私の話を聞いてくれている。


「どうかしてますね……本当に」

「ごめんなさい————私、佐伯君に恋をしちゃったみたいです」


 私は不器用だから、初めてだから、何も知らないから。

 ただ真っすぐな気持ちを伝える事しか出来なくて。

 ぎゅっと握りしめた手は、段々と気持ちが高ぶって強くなっていく。


「花宮さん、ごめん。それに答える事は、今の俺にはできません」


 でもそれも、この一言ですぐに離される。


「ですよね……急にそんな事言われても困りますよね。ごめんなさい、今のは忘れてください」

「じゃあ、会社で……また明日」



 彼は車に乗り込み、帰って行った。



「ははは……馬鹿だな私……」



 その場に崩れ落ち、ボタボタと雨粒が降ってくるように、地面を濡らした。


 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る