彼女はロボット

街々かえる

1


「タクミくん! 私と……つ、付き合ってください!」


 高校二年、秋、体育館裏。俺はどうやら告白されたらしい。


 相手は同じクラスの転校生、立花ミカ。身長は低め、胸は小さいがそこそこ可愛く、天然なところがあるのですでにクラスの人気者となっている。だが、彼女は夏休み明け……たった一週間ほど前にやってきたばかりだ。


「……なんで俺? まだろくに話したこともないだろ」

 さっき呼び出された時も、授業の用意に駆り出されたのかと思った。


「あ、待って待って! あともう一つ、言わなきゃいけないことがあるの」

「はあ、なんだ」

 立花はこれを聞けば考えも変わる、といった風に慌てて言う。少し面倒になってきた俺は適当に返す。すると彼女は何でもないことのようにさらりと言ってのけた。


「私、ロボットなの」


「…………はぁ?」


 俺はずいぶん経ってから素っ頓狂な声を上げた。そんな俺に立花は真面目な顔で繰り返した。


「だから、私、ロボットなの」


 どうやら俺は、ロボットに告白されたらしい。


 *


 ロボットは好きだった。いつからか自分でもよく分からないが、それは子供の頃から、ずっとそうだ。俺の記憶にはずっとロボットがある。

 出かけるところといえばロボットの開発展示会、ロボット博物館、ロボット美術館、ロボット公園……。ロボットと名のつくところには全てと言えるほど回ったし、ロボットがあると聞いたところには欠かさず行った。俺は物心ついた時から、ずっとロボットを追いかけていた。それぐらい、ロボットが好きなのだ。

 だが、それはラブではない。ライクだ。決してロボットを恋愛対象として見たりしないのだ。決して。


「タクミくんはロボット好きなんだってね! だったら、付き合ってくれるよね!」

「いやいや、待て待て」

 そんな嘘に騙されるかよ。


「じゃあ何か? お前はロケットパンチでも打てたりするのか」

 首が外れたり、背中にネジが付いてたりするのか。そう言うと立花は首を勢いよく横に振る。


「ううん。私は『最も人間に近いロボット』だからね、そんなことはできないよ。あ、でも記憶力と情報処理なら任せて! 人間よりは得意だよ」

 あくまで、自分はロボットだと言い張るつもりらしい。早々についていけなくなった俺は考えることを放棄した。


「……でもな、俺たちお互いのこと、よく知らないだろ? まだ付き合うとか早いって……」

「私はタクミくんのこと、よーく知ってるよ!」

「何でだよ。こえーよ」

「え……昔会ってたよね? 私のいた研究所に、タクミくんも来てたでしょ……?」

 当たり前のように言うが、俺はそんな研究所なんて知らない。そう告げれば彼女の顔から笑顔が消える。


「ええ……でも、絶対タクミくんなんだよ?」

 間違いない、と繰り返すが、全く記憶にない。


「悪いが知らないし、多分人違いだ」

「ぜったい、ぜったいそうなのに……」

 俯いてぶつぶつと呟く彼女の目には、なぜか涙がたまっている。……なぜ泣く?!


「……あー、分かった分かった、友達からってことで、どうだ」

 見ていられなくなった俺がそう言うと、彼女はこくりと頷く。


「うん……分かったよ。……でも、友達ってことは、ずっと一緒ってことだよね」「……うん?」

 立花は先ほどの涙はどこへやら、笑顔でこちらを見つめている。


「ずっと一緒なら、付き合ってるのと変わらないよね!」

 ちょっと待て。よく分からない理論でこのままだと付き合っていることにされそうだ。


「違う! 友達ってのは、程よく距離をとってだな……」

 言い終わる前に腕を掴まれる。


「これからよろしくね! タクミくん!」

 すり寄って来た柔らかい感触に、俺は思う。

 確かにこの計算高さは、ロボットかもしれない、と。


 *


 立花に先に教室に行くように言ってから、俺は体育館横のトイレに立ち寄る。古めかしいタイル張りのトイレには、人の気配はない。ここは授業時間の合間は混み合うが、昼休みにわざわざ来る生徒などほとんどいないのだ。俺は胸ポケットからスマートフォンを取り出すと、イヤホンを差し、それに話しかけた。


「アナ、どうだった?」

『どうだった、とは?』

 イヤホンの向こうから聞こえてくるのは機械質な声だ。


「とぼけるなよ。見てくれたんだろ、あいつがほんとにロボットかどうか……」

『見くびらないでください。彼女が本当にロボットか、なんて……分かるわけないじゃないですか』

「分からないのかよ」

 呆れたように漏らせば機械質な声が少し憤慨した様子で返ってくる。


『サーモセンサーが搭載されているならまだしも、ただの携帯ですからね。しかも一昔前の7型です。今は10型が出てるんでしたっけ?』

「あー……、最新型に買い換えないのは悪いと思ってるよ。ただ、金がねえんだ金が」

 俺の言い訳に『分かってますよ』とそっけなく返すアナは、いつものように俺をおちょくっただけなのだろう。


「それで? アナさんの見解はどうなんだ。分からないなりに何か気づいたことは?」

『どちらとも言えませんが、それなりに可能性はある、といったところです』

 可能性はある。微妙な言い回しだが、こいつは嘘はつかないし、どんな時だって的確な判断を下す奴なのだ。


「……なぜそう思うんだ?」

『彼女の歩き方ですよ』

「歩き方?」

 聞き返せば、アナは淡々と続ける。


『彼女の歩幅です。測ったように一歩が同じなんですよ』

 人間の場合、一歩一歩の長さはどうやってもずれるものだ。だが、立花の場合それが全てぴったり一緒だという。


『歩幅は身長から一〇〇センチを引いた数値という説があります。身長一五五センチの人間の場合、歩幅は五五センチ……彼女は歩幅が全てぴったり五五センチなんですよ』

 本当に立花はロボットなのか。信じがたいことではあるが、ないことはないと思っている自分もいる。現に、会話のできるAIが俺の目の前にいる。


『人間でも歩幅が同じという人はいるようですし、断定はできませんがね……』

「……分かった、ありがとな、アナ」

 彼女が本当にロボットなのか、今はまだ分からない。ただ、彼女という存在に興味が湧いてきたことは確かだ。


『あと……今のうちに忠告しておきますが、あまり他の人にこのことを言いふらさない方がいいと思いますよ』

「なんでだ?」

『あなたが私を他の人に教えない理由と同じですよ』

 アナは淡々とした様子で続けた。


『物珍しいものは、尊敬の眼差しで見られることもあれば、忌避の視線で見られることもあるんです』

 俺はそれを十分、分かっているはずだった。


『あなたは、目立つのが嫌なんでしょう?』

「まあ……そうだな」

 トイレ奥の小窓からはテニスコートが見える。昼休みも練習に励むテニス部員の姿を、俺はぼんやりと眺めた。


『あと、私のことを彼女に言わないでくださいね』

「まあ言うつもりはねえけど……なんでまた」

『彼女とは、仲良くやれなさそうなので』

「あ、そう……」

 最近アナはわがままを言うことが増えた気がする。


「じゃあ、また何かあったら頼む」

『……最後にもう一つ、いいですか?』

 通信を切ろうとしたところで声がかかる。続く言葉に俺は眉をひそめた。


 *


 教室に戻り、それから放課後までの間、何事もなく日程は進んでいく。その間、俺と立花は一言も言葉を交わさなかった。席が離れているのでそれも当然ではあるが。

 放課後のホームルームも終了し、皆が下校や部活などに向けて動き出し騒がしい中、一際騒がしい奴が声をかけて来た。


「なあなあ、転校生ちゃんに告白されたってほんとかよ!」

 俺は内心ため息をつく。いずれ来るとは思っていたが……まさかその日のうちに来るとは思わなかった。

 奴は高校一年から同じクラスの中沢だ。以前席が近かったこともあって、それなりに会話する方ではある。


「あー……まあ、な。けど断っ……」

「ひゅーー! なんだよお前、案外やるじゃねーか! それで、放課後デートするのか?」

「最後まで話を聞け! 断ったんだよ!」

「ええ! なんだよそれ、もったいねえな」

 全く、こいつのペースにはいつもついていけない。


「てか、なんでそんなこと知ってんだ」

「転校生ちゃんが話してたってよ。女子が言ってた」

 あいつ、何考えてんだ。女子に話したということはもうこのクラス中が知っているも同然じゃないか。俺は大きなため息をついた。


「へえ、あの噂、本当だったのね」

 会話に入ってきたのは俺の隣の席の女子……クラス委員長の樋口仁美だ。態度が少し高圧的なところもあるが、容姿端麗、文武両道と、完璧を絵に描いたような人間だ。


「貴方みたいな冴えない男子が、まさかとは思ってたけど……本当にねえ」

「全くほんとだよな、一体こいつのどこがいいんだ?」

 樋口が、そうねえ……と少し考える仕草を見せる。


「高橋クンといったら……」

「基本根暗で」

「顔が特にいいってわけでもなく」

「おまけにロボットバカだな」

「よほど物好きなのね……」

「お前ら、目の前に本人がいるんだからな」

 ふと樋口が思い出したように口を開く。


「ああ、そういえば高橋クン。河森先生が呼んでたわよ。明日の授業の準備を手伝ってほしいって」

「はあ? なんで俺が」

「貴方、日直でしょう? 当然じゃない」

 そういやそうだった。全く忘れていた。


「十七時半に二階の準備室ですって。忘れずに行きなさいよ」

 河森は俺たちのクラスの担任だ。まだ二十代後半くらいと若いが、教え方が上手いとかで他クラスの生徒にも人気だ。ただ、俺は扱いやすいと思われているのか、時々使い走りにされるのが気に入らない。


「おっと、そう言ってるうちにお迎えだぜ」

「タクミくん! お待たせ!」

 それはまごうことなき立花の声である。いや、待ってはいないんだが……。


「おーおー、お熱いことで。お邪魔虫は帰りますよっと」

「あ、私も生徒会の仕事があるんだった」

 中沢と樋口はそう言い捨て、そそくさと教室から出て行ってしまう。なんだかひどい勘違いをされているような気がする。


「タクミくん、これからどこに行く?」

 これから一緒に行動することはもう確定らしい。


「あー、そうだな……」

 時計を見るとまだ言われた時間には余裕があった。俺は覚悟を決めて立ち上がる。


「分かった、ついてこい」

 いきなり立ち上がった俺を、立花はきょとんとした顔で見つめる。


「俺のお気に入りの場所を教えてやるよ」

 そう言うと立花は目を輝かせ、実に嬉しそうにうなずいた。


 *


 階段を最後まで登ったその先、その場所への扉は開いていた。警備員のおっちゃんが閉めに来てしまうともう入れないのだが、今日は運がいい。

 扉を開けると風が吹き抜ける。目の前に広がるのは誰もいない屋上だ。休み時間に外の空気を吸いたくなった時には、よくここに来る。まあこれといって何かがあるわけでもないが。


「ここなら誰もこないし、話せるだろ」

 そう言って俺は銀色の手すりに寄り掛かる。金属製の手すりは冷たいが、我慢できないほどじゃない。今の時期は暑くもなく寒くもない、屋上で過ごすにはちょうどいい季節だ。

 俺の隣に同じように寄り掛かった立花は、少し戸惑ったようにこちらを見つめている。


「……悪いけど、自分のことを話すとか、俺はそういうの、得意じゃないんだ」

 お前がロボットっていうのも、半信半疑だしな、と言うと彼女は分かりやすく落ち込んだ顔をする。


「お前が話してくれよ、聞くくらいはできるから」

 そう言うと、彼女は目を輝かせ、話し始めた。




 そうやって、俺は立花の説明を聞いていた。しかしそれは、皮膚が人工皮膚だとか、動力は電気だが食べたものを燃料にして腹の中で火力発電をしており、それで一部をまかなっているだとか、嘘とも本当ともつかない話ばかりだ。やはり疑いの気持ちはぬぐえない。それに気づいたのか、立花は頬を膨らませこう続けた。


「じゃあ、研究所の話をするよ!」

「研究所……って、立花がいたって言う研究所か」

「そう。あと、タクミくんと会った研究所だよ」

 研究所は、大きなビルの中にあるらしい。何人も研究者がいて、その中で自分の担当の人が面倒を見てくれていた、と言う。


「その人にいろいろ教わって、日常生活ができるくらいになったんだよ! それでやっと、研究所から家出してきたってわけ!」

「家出って、それ脱走って言うんじゃ……」

「ううん、家出! 独り立ち!」

「はあ。……で、その研究所はどこにあるんだよ」

「えっ……と、それは分からないな!」


 嘘だな、と俺は直感的に分かった。立花がその研究所から来たのなら、分からないはずがない。言わないのは、俺がそこに連絡して、連れ戻されるのを恐れているから……、もしくは、そんな研究所なんて存在しないから、か。

 しかし、どうも腑に落ちないところがある。本当に彼女のようなロボットがいるとしたら、大ニュースものだ。なのに、それが発表されていないのはなぜだ? そう考えると、その研究所の存在も怪しいところだ。

 隣の立花の顔を見る。……そこで、あることに気付き、俺は手すりの向こう、町の方に目をやった。真似するようにして町の方を見た立花は、目を見開く。その町は、夕焼けで赤く染まっていた。


「綺麗……」

 思わず呟いたような立花の声が夕暮れに溶けていく。


「ここは何もないけど……景色はいいだろ」

 柔らかな風が肌を撫でる。中庭の木々がさわさわとそよぎ、数羽の鳥が飛び立つ。空には何匹ものトンボが気ままに飛び交っていた。


「……私、タクミくんのこと、つい最近思い出したんだ」

 立花はふとそんなことを漏らした。


「それでさ、どうしても会いたくなっちゃって……飛び出してきたんだよね」

 俺は何も答えなかった。答えることができなかった。


「タクミくんは……やっぱり、覚えてないんだよね」

「……悪い」

「ううん、いいの」




 俺は、今日の昼休みにアナと話したことを思い出していた。


『貴方は、本当に彼女のことを覚えていないんですか?』

 会話の終わり際にアナが聞いてきたのは、そんな質問だった。


「……言ったろ、覚えてないって……人違いだとしか思えない」

『私は貴方が嘘を言うようには思えません……ですが、彼女が嘘をついているようにも思えません』

「……なんでそこまで言える?」

『ロボットなら、一度会った人の顔を間違えるなんてことはありえないからです』


 いくら私が旧式スマートフォンでも、カメラ機能があればそのくらいは可能だ、とアナは言う。


『私ができて、彼女ができないはずはありません』


 アナが間違っていなかったとして、どうして俺は彼女……立花ミカのことを覚えていないのか?

 自分の記憶力はそんなに乏しかったか、と俺は考える。本当に俺は、彼女のことを知らないのだろうか。




 夕焼けが依然として辺りを深い赤に染め上げる中、どこからか冷たい風が吹いてきて、体温を奪っていく。


「立花はさ……」

「ミカ」

「え?」

 横を向けばこちらを見つめる彼女がいる。


「ミカって呼んでよ! その方がしっくりくるんだ」

「……分かった。じゃあ、ミカ」

「うん」

「……なんだったか忘れちまった」


 俺は実を言うと、彼女の言うことをほとんど信じてはいなかった。しかし、アナの話や、真剣に語る立花の様子から、簡単に嘘だと決めつけることもできなかった。

 ミカ、そう呼ぶその言葉が、口になじんでいるようなそんな気がしたのは、おそらく気のせいだと俺はそう思うことにした。


 *


 河森に言われた十七時半。俺はミカをつれてほぼ時間通りに準備室にやってきた。


「あれ、河森まだいないのか」

 がらりと横開きの戸を開けるが、薄暗い準備室には誰もいなかった。教室の三分の一ほどしかない狭い部屋には、授業に使うものが山ほど詰め込まれている。奥に窓はあるが、日焼け防止のためか厚いカーテンがかかっており、室内への光を遮断していた。


「ここはなんの部屋?」

「準備室だ。授業関連のものが置いてある……まあ倉庫だな」

 ダンボールなどが多いが、壁際には小さな黒板と、黒板用と思われる大きな三角定規やコンパスが取り付けられている。もう一方の壁際にはもう使われていないのだろう、金属製のロッカーが立てかけてあり、紐でくくりつけられている。


「数学の教材ばっかりだね」

 そう言うミカは入口すぐ横の段ボールの中身を覗いている。

「数学教師の研究室が同じ階にあるからな……数学関連のものは一度はここに運ばれるんだよ」

 奥の方に入っていけば、無造作に置かれた机の上に数学の問題集が山になっていた。さては、これを運ばされるに違いない。


「まあ、河森が来るまで待つしかないな……」

 入口の方で黒板を見ていたミカの方に振り向き、戻ろうとしたその時だ。

 ぶちり、と音がして、俺のすぐ右隣のロッカーがぐらりと揺れた。

 何事かと理解する前に、ポケットに入れていた携帯が激しく震える。


『逃げてください! 倒れます!』


「タクミくん!」


 ロッカーが倒れてきたのと、ミカがこちらに飛びこんできたのは、ほぼ同時だった。


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