未来とは 第五部
「そうだったのかな……」
「えっ……?」
綾さんの口からは俺の考えに対する疑問であった。
その表情はどこか冴えず、まるで文章問題に対して間違った回答を見ているかのような疑心に満ちた表情であった。
「ま、まぁ。事故のことなども忘れていますから、今はおぼろげだと思いますよ」
「それは違う」
「えっ?」
「確かに事故のことはほとんど記憶にない。でも、それまでのことはしっかりと覚えているの。だから、どうして私があんな言葉を言ったかってことは想像できるはず。でも、緑川くんが言ったこととは違う。それだけははっきりとわかる」
俺の考えに対して断固としてノーと突き返す綾さんの言葉にはしっかりとした想いが乗っていた。よくよく考えてみると死のうとしていたなんていう考えが間違いだったのだろう。俺が死のうとしていたばかりに、他人もそうなんだと勝手に決めつけていた。
「そ、そうですよね。死のうとしていたなんてめっそうもないことを言ってしまって。すみませんでした」
いくら自分の考えに自信を持っていたとしても、命からがら救ってくれた人に対していうことではなかった。俺は頭を下げて、綾さんに謝罪する。
「ううん。それは合っているから、顔を上げて緑川くん」
「あ、あってる?」
「うん。私、死のうとしていたのよ」
あまりに軽くそう告げられたので俺は綾さんの言っていることが理解できなかった。
「自分で私が死のうとしていたって断言した割には、驚いた表情をするのね」
綾さんの言う通り俺は驚きを隠せないでいた。その理由はまずは綾さんが死のうとしていた事実を認めたことだった。今まで聞いてきた綾さんなら、そんなことはないなどとはぐらかすと思っていたが、一度は否定したものの、その否定は死のうとしている理由に対してであり、死ぬこと自体への否定ではなかった。
そして、更に驚いていること。それは、自分からその事実を語っていることであった。俺が話し、問い詰めた結果話したのではなく、自分の口から死のうとしていることを話し、その内容について考察を口にした。
今まで正であり続けた綾さんの変化に他ならなかったのだ。
「思っていた私と違った。と言ったところかしら?」
「そう、ですね。何か理由でもあったら教えて欲しいくらいです」
「そうね」
綾さんは俺から視線をそらして、外を眺めながら答えた。
「もう、今までの私をやめようかなって」
「それは、完璧であることをやめる。ということですか?」
「私としては、完璧だなんて思ったことは一度もない。でも、緑川くん的に言えばそういうこと」
つまるところ、人並みに愚痴だって言うし、喜怒哀楽を臆することなく表現すると言うことだろう。そうなれば、今まで抱えていた悩みも解消され、死ぬようなことを考えるほどのストレスも今後はたまらないだろう。
「いいと思いますよ。ただ、僕が言った完璧であることが疲れたからという理由でないのに、今までの自分をやめてしまっていいんですか?」
綾さんは俺が考察した、“完璧すぎるゆえの孤独”を否定した。そうであれば、今の綾さんがこれまでの綾さんであることをやめる理由は一つもないのである。
むしろ、違うのであれば変えない方がいいまである。
「だったら、あなたの前だけ変わるわ。緑川くん」
「僕の前だけですか?」
「そう。あなたがこれまで感じた私。そして、これからの私を見て、思ったことを話して欲しい。あなたは私が死のうとしていたことを知っている。そして、今までの私と、これからの私を客観的に見て、あなたが判断するの」
「なにを判断するんですか?」
「どちらが生きていると言えるかってことよ」
これまで人のため、そしていい人であり続けた園田綾という人物と、これから、思うがままに生きる園田綾。そのどちらが生きていると言えるのか。その判断を俺がしろ。そう綾さんは言ってきた。
「どうして、俺なんですか……」
綾さんのように花のある人生を送っていないし、綾さんほど人間関係だってない。今回のこの一件だって今までの人生の中で一番頑張ったと言っても過言ではないほど頑張ってきた。そして、ようやく見えた終焉。俺個人としても、ここで綾さんが俺の考察を認めれば終わるはずだった。
しかし、綾さんはそれを許さなかった。
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