思い出 第三部


「本当に、すごい人ですね。綾さんは」


「えぇ、ほんとうに。小学生の頃から、全く変わっていない」



 坂波さんのその口ぶりに少し違和感を覚えた俺は坂波さんに問いかける。



「坂波さんは綾さんとは小学生以来、会っていたりしないのですか?」



 坂波さんは俺の質問に対して、首を横に振ってみせる。



「実は、今日があれ以来初めての再会なんです」


「小学校卒業以来ってことですか?」


「そう。卒業以来」



 これまでの話を聞いている限り、二人はとても仲がいいはずなのに、坂波さんが引っ越して以来会っていないと言うのは妙なことだ。


 仲が良ければ、一度や二度くらいは会っていてもおかしくないなろうが……。



「家が遠かったりするんですか?」


「まぁ、そんなところかな……」



 坂波さんは俺の質問に対して、力のない返事をしてくれる。


 今の返事が会っていない本当の理由ではないことはわかるが、その言葉の覇気のなさには、そもそも、坂波さん自身が会わない理由をわかっていないようにも思えた。



「いつか、綾ちゃんに会おう。会おうと思っていたらね。今日まで踏み出せなかった」



 坂波さんの膝の上で強く握りしめられた拳は力の行き場をなくしていた。



「家が遠い以外にも、何か会えない理由でもあったんですか?」


「やっぱり、そう思うかな?」


「はい」



 坂波さんは握りしめていた拳を開き、開いた手を両の手で交じ合わせ、再び一つの拳を作る。



「今の自分じゃ、綾ちゃんに釣り合わない気がしたの」


「釣り合わない、ですか?」


「そう。綾ちゃんと別れてから、次に会うときには誇れる何かを持って再会しようって考えていたの。小学生の頃は綾ちゃんにいつも色々なものをもらってばかりだったから、今度は私一人でがんばって、なにかその頑張りを見せられたらなってね」


「その、僕にはその考えがよくわからないのですが……」



 俺は綾さんのように、また坂波さんのように友達という友達を持ったことがないため、坂波さんの話す内容の意味が掴めないでいた。


 友達というものはそんな託けて会うものなのだろうか。


 もっと、「暇だったから電話した」とか「目の前にいたから話しかけた」その程度の関係だと思っていた。



「確かにそうかもしれない。でも、私の中で目の前から姿を消した綾ちゃんという存在はいつしか、友達というものから、尊敬する何かになっていたの。例えになっているかわからないけど、今まで友達だった子がアイドルになった。というべき感覚かしら」


「そんなにですか?」


「えぇ。卒業以降の綾ちゃんについてほとんど知らないと言っても過言でもないのに、過去の栄光っていうのは恐ろしいものだと、今では感じる。そのせいで、ずっと綾ちゃんにふさわしい自分にならないといけないなって思っていたから」



 坂波さんは立ち上がり、眠っている綾さんのそばまで歩み寄り、綾さんの髪をそっと、軽く撫でる。



「だから、今日もどんなことを話せばいいかわからなかった。それに、綾ちゃんは私のことを覚えていないかもしれない。そう思うと昨日は眠れなかった」



 綾さんの安らかに眠っている顔を見ながら、ふっと微笑む。



「不謹慎だけど、眠ってくれていてよかったと思う。もしも、起きていたら綾ちゃんの第一声を考えるだけで怖いもの」



 綾さんに対する坂波さんの想いというものは大きいものであり、かつて友達と思っていたその立ち位置は、いつしか変わっており、綾さんの存在を遥か上に捉えていた。


 坂波さんが人並み以上に謙虚な人柄であることは、これまでの会話からどことなく感じていたが、それ以上に俺は綾さんの存在の大きさに驚かされてしまう。


 知れば知るほど。綾さんについて知っている人の言葉を聞けば聞くほど、彼女のすごさを俺は認識させられてしまう。



「少し話し込んでしまいましたね……」



 坂波さんはそう言いながら、床に置いてあった自分のカバンを手に取り、こちらを向いてくる。


 俺も話の潮時を感じ、席から立ち上がり、坂波さんと向かい合う。



「今日はありがとうございました」



 俺が感謝の言葉を言おうとした時、坂波さんの方から先に感謝の言葉が飛んでくる。



「いえいえ、それはこちらのお言葉です」



 俺は「ありがとうございます」と言って、頭を下げる。



「久しぶりに綾ちゃんの話ができて、とても嬉しかったんです。新しい学校だと綾ちゃんを知っている生徒はいませんから」



 誰かの話をするときに、その人のことを一から教えて、話してもいいのだろうが、話すもの同士がそれぞれ、その人のことを知っていれば話しやすいし、何よりも会話に華が咲くというものだ。


 坂波さんのことならなおさらだろう。


 自分の人生において、一番の友達を無下に扱いたくはないだろう。だから、綾さんの話となればそれだけ熱く、長くなることを考えれば、相手が困るのは目に見えている。


 そう考えると、これまで誰にも綾さんの会話ができなかったことは想像できる。



「私はこの辺で」



 最後に俺に対して一礼をしてくる坂波さん。


 そんな坂波さんに対し、最後まで聞くことを悩んでいたが、今日、この場に来るのにもかなりの決意を持って臨んでいた彼女のことを考えると、このままでは坂波さんとは今後二度と会うことはないかも知れない。



 だから、俺は覚悟を決めて彼女に最後の質問を投げかける。



「坂波さんに最後に聞きたいことがあるんですが……」


「なんでしょうか?」



 窓に当たる雨の音はいつしか消えており、病室には俺が訪れていた頃の静寂が戻っていた。


 その静けさの中、俺の声がこだまする。



「綾さんを一言で表すとなんですか?」



 有沙さんの話。そして今日の坂波さんの話。


 それらを聞いて、其の全てを通して、俺の中で一つの仮説がたちかけていた。


 その仮説か、仮説になり得るかどうか。


 それを確かめるために、俺は坂波さんにこの質問を投げかけた。



「難しいですね。少し時間をもらっても?」


「どうぞ」



 それから、しばらくの時が経った。それが数十秒、数分かはわからなかったが、坂波さんの返答までにそれほど時は要らなかった。


 再び、坂波さんが口を開き、俺の質問に答えた。



「一番星。ですかね」


「理由を聞いてもいいですか?」



「あくまでイメージの話ですが、綾ちゃんは行動力があって、小学校だった時。常に先頭を立っているような女の子でした。きっとそんな綾ちゃんなら中学校。高校でもリーダーシップのある女の子だったと思います。そしてなによりも、私の中で常に輝きを放ち、道を切り開いてくれた。というところでしょうか」



「なるほど、わかりました。突然の質問にありがとうございます」



 俺は頭を下げながら、坂波さんの言葉を聞いて、自分の考えに自信を持つ。



「えっと……。私からも少しいいですか?」


「どうぞ?」


「もしも、綾ちゃんが目覚めた時。私のことを聞いてくれませんか?」



 もじもじしながら、そっと囁くようにして俺に問いかけて来る坂波さん。



「緑川君が綾ちゃんのことを調べている過程でたまたま私と知り合って、それで聞いてみたという風に……。私がここに来たことはふせて……」


「分かりました」


「あ、ありがとうございます!」



 坂波さんは嬉しそうにしながら、俺に対して携帯を向けて、「これ、私の連絡先です」と連絡先を示して来た。


 俺はその連絡先を登録して、確認のメッセージを送り、すぐに坂波さんからも返事が来る。



「それでは」



 そして、連絡先の交換を終えてまもなくして坂波さんは病室を後にした。


 俺もそんな彼女を見送ってから、自分のカバンを持って外に目をやる。


 まだ、雨は降っていたが弱くなっており、帰るなら今だと言わんばかりのタイミングであった。



「また来ます。綾さん」



 そう一言残して、俺は綾さんのいる病室を後にした。

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