思い出 第二部

 目の前にいる坂波さんは綾さんの幼少期を知る数少ない人。そんな人がこうして自分からやって来てくれたことは何かの機会かもしれない。ここで綾さんのことを聞く以外の選択肢はなかった。


「坂波さんと綾さんは何年生の時、一緒だったんですか?」

「私と綾ちゃんは三年生から卒業まで同じクラスになりました」


 坂波さんは綾さんの変わらない表情を見ながらそう話しかける。それはまるで、俺ではなく綾さんに話しかけているかのように。


「当時の私は臆病で、友達という友達がいませんでした。でも、三年生の春。綾ちゃんに話しかけられてから、変わることができました。それからは友達も何人もでき、楽しい学校生活を送れました」


 友継さんたちの話からも出ていた綾さんの自主性の高さというのは小学校中学年から発揮されていたのかと俺は感じる。

 小学生なんて、最終学年である六年生にしても社会から見れば全くの子供だ。中学に入る前にそういった何かをまとめる力が少し備わっていればいいはずなのに、それに近しいものを綾さんは小学年の時に発揮していたと考えると、綾さんの能力の高さに驚かされる。


 もしかすると、その時の綾さんにそんな考えはなく、ただ坂波さんという女の子と仲良くなりたかっただけかもしれないが、それでも、誰も友達のいなさそうな、引っ込み思案の女の子に話しかけるということは容易にできることではない。


「でも、やっぱり当時の私の一番の友達は綾ちゃんで、休み時間になったらいつもいっしょにいた。綾ちゃんといる毎日は楽しくて、楽しくて……。今でも、私の中に強く残っているの」


 胸の前で両手を握りしめながらそう語る坂波さんの姿は見ていて、悲しくなって来る。

 全てのことが過去で、もう過ぎた栄光であったから。

 その幻想とも呼べる過去は二度と来ないように思えたから。


「中学校は違ったんですか?」

「えぇ。私、小学校を卒業したと同時に引っ越したので」


 目元に浮かんでいた涙を左手でさっと拭い、髪を耳にかける。


「私と綾ちゃんの関係はその四年間だけ。綾ちゃんにとってはなんでもない小学生の頃の記憶かもしれないけど、私にとっては今日までの学生人生の中で一番の思い出であり、友達でした」


 小学二年生の時の彼女と、小学三年生の時の彼女とではそれだけ明確な差があったのだろう。彼女のことを知らないとはいえ、友達がいない学校生活と、友達のいる学校生活。その言葉だけで考えるのならば、有意義に思える学校生活が後者であることは容易に想像がつく。

 そんな大きな変化をもたらした綾さんが坂波さんの学生生活の中の記憶の中で一番となっていてもおかしくないだろう。


「今の高校生活のことを考えても、そう思いますか?」


 俺の質問に、坂波さんは少し驚いた表情を見せる。

 それもそのはず、俺の今の質問は見方によれば、挑発的な質問にも聞こえるのだから。「本当にその記憶は一番だと言えるのか?」という風に。

 でも、学生の頃の記憶でよく語られる時代は高校時代が多い気がする。

 だから、俺は聞いてみたくなってしまった。

 坂波さんにとって、綾さんという存在がどれだけの存在かを。


「綾ちゃんとの記憶が一番です」


 坂波さんの瞳はまっすぐ俺のことを見ていた。

 それは、疑いようのない真実だと言わんばかりに。


「私はまだ高校生だから、今から十年。二十年経った後に高校生活を通して懐かしく思うことはなんどもあるでしょう。ですが、学生生活を通して一番の思い出は綾ちゃんとの四年間です」


 彼女のその言葉に迷いは一切なかった。心の底に確かなものがあった。

 それは、友達と遊びに行ったことや、修学旅行が楽しかったなどや、学園祭がどうとかではない。

 園田綾という一人の親友と出逢えたという運命が彼女の心に深く突き刺さっていた。


「素敵な友達に逢えましたね」

「えぇ、ほんとに」


 寝息すらほとんど聞こえて来ない、彼女の親友を二人で見ながら、そう語りかける。

 それぞれの想いを巡らせながら。


「そういえば、緑川くんと綾ちゃんは……」

「えぇ、命の恩人のことですね。説明します」


 それから、俺はあの日の事故のこと。その事故で俺が助けてもらったことだけを説明した。そして、綾さんのことを知っていきたいという思いがありここにいるということ。


「ということです」

「そうだったんですね……」


 俺の話を聞いて、少し声色が下がってしまう坂波さん。


「すみません。先に話しておくべきでしたね。綾さんにとって、僕はいわば事故にあった原因ですから。そんな人と話していたと思うと嫌な気持ちになりますよね」

「いえ、そんなことないですよ」


 俺のことをまたまっすぐ見てくれる坂波さん。

 その瞳はさきほど綾さんのことを話していたものと同じ瞳であった。


「綾ちゃんらしいなって思ったんです」


 俺のことを知って、今までにここまでまっすぐに見てくれた人はいただろうか。

 誰しもが少なからず、俺に対して少し嫌な視線を送っていたように感じていたのに、目の前の彼女からはそんな気持ちは一切しなかった。


 もしかしたら、勝手に俺の中でそう作り上げていただけかもしれない。

 しかし、有沙さんたちの一件もあることから、そう考えるにはいささか早計すぎるだろう。


「こんなこと言うとダメなのかもしれませんが、緑川くんじゃなくても、誰かがそういう立場にあったら、綾ちゃんなら飛び込んで行くと思うから。かつての私の元へ来た時のように」


 友継さんたちが思うように。坂波さんが思うように、どこまでも綾さんという人は優しく、行動力のある人なんだと感じる。

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