第2話

 夜になると、このデパートは途端に賑やかになる。元魔法使いらしいデパートの支配人が、終業後は自由に喋れるようにしてくれているからだ。皆思い思いにその日あった出来事を語り始める。

 しかし、そんな談笑もショーウィンドウの中までは届かない。ざわめきのようなものが、くぐもって聞こえるだけである。

 皆、あくまで動くのは口だけ。なんでも、昔試しに自由にさせてみたら自分の店まで戻れなくなる物が続出したらしく、それ以来口だけを動かすだけにしたのだそうだ。以前、支配人の相棒のお喋りなオウムのパパがそう教えてくれた。

「今日も来てたわね、彼」

 そう茶化してきたのは、私と一緒にこのショーウィンドウで看板娘をしているマネキンのユリア。大人で美人な造りの彼女は、今季流行りのロングコートにブーツを合わせて決めている。

 私はユリアの言葉に恥ずかしさでいっぱいになった。同じ場所に配置されている関係もあって、彼女には色々と筒抜けなのだ。マネキンの私じゃ叶うべくもない恋だけど、ユリアはよく私の話を聞いてくれる大事な友人である。

「もうユリアったら……からかわないでよ」

「あら、いいじゃない。私は好きよ、あなたの彼を見てるときの顔。場所を変えてあげられたらなお良いんだけどね」

 たしかにユリアの立ち位置のほうがよく見えるが、そんなことになったら私は挙動不審になってしまいそうなので遠慮する。マネキンが挙動不審というのは妙な例えだけれど、内心はてんやわんやするに違いない。

「もう、アンネはほんと欲がないわね」

 苦笑混じりにユリアが言ったその時だった。彼女の背後にある、店内に通じる小さなドアがコンコンとノックされる。続いてそこから顔をのぞかせたのはスーツを着こなした男性―――デパート『シュヴァリエ』の支配人であるシュタインさんだった。

「今日もおつかれさま、2人とも。楽しそうなお話の途中だけど、少しいいかね?」

「もちろんです、何ですか?支配人」

 支配人は初老とは思えないほど洗練された身のこなしでショーウィンドウの中に入ってくると、ふふ、と笑った。綺麗に整えられた口髭が、生き物みたいに口の動きに合わせて揺れるのが面白かった。

「いや、もうすぐ今年もクリスマスだろう?プレゼントは何がいいか聞きに来たのだよ」

 それを聞いたユリアはにっこりと笑った。

「来ました、毎年恒例の!私は今年も、人間と同じように映画が見たいわ。デパートの中のキネマは快適だから好きよ」

「はは、後で今年のおすすめを教えてあげよう。君が気に入りそうなものは何作か出ているからね」

「ありがとう、支配人」

 どういたしまして、と口髭をひと撫ですると支配人の視線は私に移った。私は少し躊躇ったあと、結局いつもと同じように小さく笑った。

「私は、いつもみたいにショッピングがしたいです。クリスマスの街の空気は好きだから」

 すると、隣でユリアが堪らないといった調子で声を上げた。

「アンネったら……またそれ?じれったくなっちゃうわ!思い切ってデートでも頼んだら?」

「ちょ、ユリア……!」

 いきなり話がそちらに向いてしまって動揺する私と、いい加減腹括りなさいよとむしろ発破をかけてくるユリアをしばし交互に見た支配人は、最後にまた私に視線を戻して訊いてきた。

「デート?アンネは好きな人でもいるのかい?」

「あ、え、えっと……実は……」

「仕立て屋の彼ですよ!いつもいい服を卸してくれる彼!」

 もごもごとはっきりしない私に代わってユリアがどんどん先に話を進めてしまう。これくらい押しが強かったら苦労しなかったかな、とはもうずっと前から思っているが、生憎まだ到底真似できそうにない。ユリアの言葉に支配人はすぐに合点がいったようで、ぱちん、と手を鳴らすとにっこりと笑った。

「ああ、ヴィクター君か!」

 私はこのとき、初めてあの人の名前を知った。このあたりじゃありふれた名前だったけれど、心の中で反芻すればそれはとても特別な響きに思えた。支配人は少し高いところにある私の顔を見上げると、人好きのする笑みを深める。

「よしわかった。今年は、とびきりのプレゼントを用意してあげよう!」

「え!?あ、あの……」

 大いに乗り気の支配人に戸惑っていると、不意に支配人が真面目な表情をして私の手に触れた。樹脂材の無機質な手には当然神経など通ってはいなかったけれど、支配人が時折こうやって触れてくれると不思議と指先がほんのり温かくて、私はいつもこのときだけは人間になれた気がした。

「……女の子は皆一度は恋はするものだよ、アンネ。そうして皆、綺麗になるんだ。それは人間でもマネキンでも、大した違いは無いと思うがね」

「さすが支配人、いいこと言うわね」

 手が動けばきっとぱちんと両手を合わせていたのであろうユリアは、そこでふと嬉しそうな声音から一転して穏やかな声で、アンネ、と私を呼んだ。

「恋しい相手に会えるチャンスなんて私たちにとっては奇跡に等しいものだと思うわ。つかの間の夢でもいいじゃない。神様だって怒らないわ。私、あなたには映画のシナリオじゃない、あなただけの幸せな思い出をつくってほしいと思ってるのよ」

 言葉にしないだけで、ユリアだって本当は外の世界に憧れて、恋をしたいと思っている。でも私たちはマネキンだから、そんな気持ちを映画で疑似体験するくらいが関の山で。でも焦がれる世界を夢見ることは諦めきれないくて。

 それがユリアが映画見続けている理由なのだと、私は思いがけず友人の強い想いに触れて二の句が継げなくなる。そんな私の次の言葉を、ユリアも支配人も待っていてくれて、しばらくショーウィンドウの中には開店前のひっそりとした静けさが戻る。

「……私は」

 やがて自分の口から零れた声は、どうしてかとても震えていた。自分の望みを口にするのが怖いと思う日が来るなんて、思わなかった。

「私は……会って、彼と話がしてみたいです。わがまま、かもしれないけど……1度きりでいいから」

 支配人は、ただ優しく私の手を少し強めに握ってくれた。まるで温もりを伝えようとしているみたいだった。

「……うん、わかったとも。自慢の看板娘の、初めてのわがままだ。叶えない親はいるまいよ」

 人間だったら、多分泣いてしまったかもしれない。でも涙は生憎出ないから、私は代わりに笑った。ショーウィンドウに薄らと映った私の顔は、マネキンらしくない不器用な笑みを浮かべていた。

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恋する人形のクリスマス 懐中時計 @hngm

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