第五話 『メリル』① ~三分の一~

 ざわつく会場。


 それはこの場所には珍しく、戸惑いによるものだった。突然現れた敗者に、消えた筈の記録に。どう対処していいかわからずそうする事しか出来なかった。


 会場の雰囲気を察した彼は、マイク越しに叫んだ。持ち前の気楽さと軽さで、何事も無くなるようにと願いながら。


『なんという事でしょうか!? 第一試合の敗者が復活だーーーっ! どうするバトルロイヤル、どうなるバトルロイヤル! さぁ盛り上がって』

「待てハリー」


 だが止められた。実況席の隣でふんぞり返る彼には、そうするだけの理由があった。


「あ、王子……どうしました?」

「どうしました、じゃないだろう……とぼけているのか? あいつはもう負けているんだろう、戻った所で覆らん」


 王子の言葉は事実だった。


 敗者復活戦など予定しておらず、それを認める気は毛頭ない。彼にとって一度負けた人間というのは、もう無価値な物だった。


「あー、いや、ほら! まぁそうっすけどこうあそこから這い上がって来るのは何か事情が」

「事情? 大方地下通路でも歩いてきたんだろう、それがどうした?」

「まぁ、そういう扱いっすよね……」


 ハリーは肩を竦めながらも、王子に聞こえないよう小さな舌打ちを一つした。


 この男は、事情など知らないのだ。


 ここが何で、この大会が何なのか。


 フリード・K・コンクエストにとってここは聖ベルナディオ学園であり、この大会はユースの当て馬を決めるためだけのものだった。


 王子の親友役や悪役令嬢とは違い、彼は初めから予定されていたキャラクターだった。サブキャラの苦悩など知り得る機会はどこにも無い。


「いやでもほら、最強を決める戦いでしょう!? 一回負けても這い上がってきたのはある意味最強っていうか」

「知らん、負けは負けだ」


 頑なな王子の態度につい声を荒げそうになるハリー。




 彼は違った。




 兄を、沢山の友人を失ってこの場所に立っていた。犠牲にする非情さがあるならまだ良かったが、彼の場合は違った。


 他の候補達は皆、ハリーを勝たせるために消えた。端的に言えばハリーを除いた彼らは全員自殺したのだ。


 たった一人、彼を舞台に上がらせるために。


「あー……まぁ王子的にはそうでしょうけど」


 頭を切り替えるハリー。彼は知っている、王子はあくまで、王子役でしかない事を。


 この世界は、この茶番は。


 全て、彼女のためにあった。


「ユースちゃんは……どう思うかな」


 ユースは動かない。中身のない主役に意見など答えられるはずもない。


「彼女に意見を聞くなど……」


 王子は知っている、理由もなく自分が惚れたこの女は、物言わぬ性格だと。ただあくまで、そういう人という認識止まりだ。


 ハリーは覚えている。メリルと三人でクリスを探したあの日の事を。本当に短い時間で、取るに足らない出来事だけど。


 きっと、そういう事のために、彼は生きていた。


「どうかな、ユースちゃん。クリスちゃんが戦うところ見たくないかい?」


 ハリーが指した先にいるのは、煙に紛れた金髪のツインテール。


「もう一度、ね」

「……」


 無言。彼女は相も変わらず、虚ろな目でクリスを見る。何を思ったのか、誰にもわからない。




 けれど確かに彼女は小さく、小さく頷いた。




「ユース」

「おっしゃ、お姫様の許可は貰った!」


 驚く王子をよそに、ハリーは実況のマイクを握りしめた。


『さぁ盛り上がって参りました第二試合! まさかまさかのワイルドカード!』


 意気揚々と声高らかに、自信満々の虚勢を張って。


『軍人悪役令嬢VS元祖悪役令嬢の……試合開始だ!』


 叫んだ。







 ハリーの言葉を聞いて、会場が再び沸いた。戸惑いが全て消えた訳ではない。ただ新しい見世物が始まったという喜びが無責任な彼らをそうさせた。


「ま、そういう訳でお相手よろしく」


 煙が晴れ、クリスがようやくまともに相手の顔を見た。白く伸びた長髪に、真っ黒な軍服。金色の装飾が眩しいが、腰から下げた軍刀が何よりも威圧的だった。


「……解せんな」


 エレオノーラはクリスの顔を一瞥した。知識としてその名前を思い出すも、直接的な面識は無い。


「何が?」

「あそこから這い上がってきたという事さ。負けたらどうなるかはある人から聞いていてね、だから解せないのだ」

「アスカ?」

「さぁどうだろうか」


 肩を竦めるエレオノーラ。彼女にとってその手の話題はどうでもいい事だった。


「まぁいいさ、どのみち自分の目的は戦う事だけなのだから」


 彼女の存在意義はそれだけだった。衝撃の事実など井戸端会議以下の価値しかない。もう一度クリスを見て、その力量を図る。


 強いようには見えない。それでもこの騒動を起こした相手を見誤る事はしない。


「戦闘……開始だ!」


 その軍刀を迷わず引き抜き、クリスに真っ直ぐ突き付けた。


 




 一方クリスは無策だった。ここに戻る算段はあっても、戦う術は付け焼刃だ。


「とおりゃああああああ」


 とりあえず走るクリス。作戦はこうだ。




 ――真正面から殴る。




 等という甘い考えは、文字通り打ち砕かれた。


「あああぁ!?」


 破裂音、間髪入れず足元に穴が空いた。顔を上げればクリスは見たこともない武器を突き付けられていた。


「何だ、銃を見るのは初めてか?」


 右手に軍刀を、左手に銃を持つエレオノーラ。一発目は当てるつもりだったが、避けられた事に思わず口角が上がってしまう。それなり以上の反射神経はどうやらあるらしい、と。


「初めて見たけど人に向けたら危ない事はわかるわ」

「それは良かった。これから何発も撃つからな」

「え」


 引き金を引くたびに破裂音が響く。二発、三発。シリンダーが回転し次々に次弾が発射されていく。クリスはみっともなく走り、何とか瓦礫のような遮蔽物に身を隠す。


「連射できるのね」

「最新式だからな。まぁ何を以て最新とするかは……ここでは無意味か」

「まぁね、あれの方がよっほど兵器になりそうだわ」

「言えてるな」


 クリスが顎で乗ってきたスクーターを指す。また爆発するかどうかクリスにはわからないが、少なくとも金属製のタンクは鈍器として使えそうだった。




 武器が必要だった。




 それで勝てるかどうか等わからないが、少なくとも素手で勝機があるような相手ではない。


 だからクリスは走った。スクーターに向けてがむしゃらに、視線をエレオノーラに合わせながら。


「ほらほらどうした! 這い上がって来たんだろう少しは人を楽しませろ!」


 四発、五発。足元を掠めた最後の弾丸が彼女の皮膚を切り裂いた。思わずよろける、だがそのまま走り続ける。


「ったく好き勝手……言うわね」


 恐る恐るクリスは顔を上げる、だが銃弾は飛んでこない。見ればエレオノーラは弾を取り出し銃に弾を込めていた。


 五発。足のかすり傷一つで装弾数を把握できたのはクリスにとって幸いだった。


「どうした? そいつを兵器にするんじゃなかったのか?」

「うっさいわね、今やろうとしてる所よ」


 平然と嘘をつく。エレオノーラにこれが危険物だと思わせるのは得策だった。


 クリスは一度深呼吸をして周囲を見回す。幸い前回の戦いの地形なのか、遮蔽物のようにいくつも瓦礫が置かれていた。これを利用しない手はない、が。


「考え事は終わったか?」


 クリスは思わず顔を上げた。何てことは無い、エレオノーラはただ歩いてきただけだった。


「こいつが兵器だとしても……この距離だと使えないだろう?」

「どうかしら……ねっ!」


 クリスはスクーターのキーを捻った。何てことは無い、ただエンジンがかかっただけの話。それでもエレオノーラが驚くには十分すぎる隙を作った。


「何を!?」


 クリスは外れていたパイプを手にし、そのままエレオノーラに殴り掛かる。が、避けられる。だから追撃せずにクリスはひたすら走り去った。


 大きなため息を持つ。が、手にしたのは鉄パイプ一本だけという話。


「はっ、また逃げたか……非戦闘員の浅知恵はもう終わりか?」

「あのねぇ、悪役令嬢に戦闘員ってカテゴリがあるのがおかしいのよ。作品間違えてんじゃないの」


 答えて、それが下策だったとクリスは気づいた。不意打ちしようとしてるのに喋るなど間抜けでしかないだろう。


「作品、と来たか……まぁ仕方ないな、自分でもそう思うな」


 だが同時に、自分の足音が意外に煩い事に気付いた。目と耳を封じなければその可能性は生まれない。


「なら棄権でもしてくれない?」

「そのつもりは……無いな!」


 銃弾が飛んできた。一発、二発。


「滅茶苦茶ね」


 クリスは深呼吸して、鉄パイプを握りしめる。隙、あるのかこの軍人に。クリスはこの短い時間を思い出し、記憶の中から模索した。


 それは案外すぐに気付けた。しかし幸運というよりは不幸な事実。


 チャンスと言うには余りに危険で些細な物だった。


「けどっ!」


 クリスは走った。


 真正面、エレオノーラに向けてジグザグに。


 ――狙うは一瞬、弾切れの瞬間。


 武器を剣に持ち帰るその時だけが、クリスに残された勝機だった。


「いいぞいいぞ、もっと足掻け!」


 三発、四発。距離が縮まるごとに銃弾の精度は上がっていく。


 心臓の音がうるさい。クリスの口の中が一気に乾く。


 五発目、来る。クリスは賭けに出た。


 スライディング。


 エレオノーラが胴を狙う事に賭けた。姿勢を低くし距離を詰める。鉄パイプの先端が届く限界の距離まで。



 ――クリスは賭けに買った。五発目が頭上を掠め、そのまま思い切り振り回す。


「もらった!」


 勝利を確信した、その瞬間。




「六発」




 エレオノーラは口元を歪め、その引き金を引いた。


 宣言通り六発目の弾丸がクリスの太ももを打ち抜いた。


 激痛が走る。


 掠めた時とは比較にならない痛みがクリスを襲い、その場で顔を歪めのたうち回った。


 空になった薬莢をシリンダーから地面に落とすエレオノーラ。


 その数、六。


 口角は少し上がり、どこか満足そうな表情を浮かべていた。


「弾切れを狙う所までは良かったがな……」


 新しい弾丸をエレオノーラは悠長に詰め始めた。一発、二発。全弾詰めないと気が済まないのか、指先には残り四発の弾丸があった。


 クリスはとっさに鉄パイプに手を伸ばし、乱暴に振り回した。そうするたびに太ももから血が流れ、痛みが脳を支配する。


「おっと危ない」


 エレオノーラは避けようと一歩だけ後ろに下がる。が、運よく銃の先端に当たり、それが地面に落ちていく。


「チッ」


 一瞬舌打ちだけして、すぐに頭を切り替えるエレオノーラ。腰から下げた剣を引き抜き、その先端をクリスに伸ばす。


 クリスは必死だった。零れ落ちた銃を拾い、シリンダーを装填する。使い方などわからないが、それでも彼女はそれを突き付ける。




 ――会場が息を呑む。




 剣を突き付けるエレオノーラに、銃口を向けるクリス。勝負の終わりはもうそこまで迫っていた。


「弾は二発……確率は三分の一か」


 エレオノーラの言葉は正しい。確実に弾が出るという保証はどこにもない。


 それでも。


「勝率にしては上出来ね」

「ハッ……違いないな!」


 エレオノーラは剣を突き出し、クリスは引き金を絞る。その結果がどうなったか。




 ――会場はその行方を、目ではなく耳で知った。




 響き渡る銃声が、勝利者を確かに告げた。

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