第一話 バトルロイヤル、開催④ ~VS 森の賢者~

『えーそれではゴリ美選手の課金の結果、今回の対戦内容は……』


 ゴクリ、と固唾を呑む観客。




『腕相撲だーーーーーーーーーーっ!』




 対してクリス、あこれ負けたなと心が折れる。腕も折れそうである。


「クリス様、危なくなったらタオルを投げる役は任せてください」


 セコンド役を任されて満面の笑みを浮かべるメリルだったが、から回っておりその手に持っているのは雑巾だった。けれどクリスはそれを指摘しない、血で床が汚れるかもと思えたから。


『それでは両者……前へ!』


 お誂え向けのステージの上で、約2メートルのゴリラと改めて対峙するクリス。


「ウホホッ……そんな細腕、ジャングルでは通用しないわよ」

「ウキーッ、ウキキーーッ!」


 物理的に上から目線で語ってくるゴリ美と、なんか手を叩いている取り巻きのチンパンジー。


 いやそっちは喋れないのかよという言葉を飲み込み、思いついた啖呵を切る。


「ご忠告どうも。けれど今のところジャングルに行く予定はないわ」

「そうです! クリス様はその辺の森で枯れ木を拾って薪にするぐらいしかしません!」


 メリルのフォローに何も言い返せないクリス。




『それでは両選手……位置について』




 机の上にドンッと置かれたゴリラの腕。それに合わせたクリスの腕は、丸太と小枝ぐらい違う。




 ――勝てるわけが無い。




 握った掌から伝わる、鉄のような筋肉と毛並み。もはや人間が勝てる相手じゃないなんて事は誰の目にも明らかだ。


 会場から聞こえてくるのは、クスクスという嘲笑の声。




『レディ……』




 けれど。





『GO!!!』




 クリスは勝負を、捨ててはいない。






 動かない、ビクともしない。


 クリスがその細腕にどれだけ力を入れようが、全体重を乗せたところでゴリ美の腕は動かない。




 ――筋力。




 それが人類とゴリラの決定的な違いだ。


「あなた……やる気あるのかしら?」


 パフォーマンスのあくびをしながら、ゴリ美が余裕綽々の声を上げる。


「あるわよ悪い? こっちはね……あんたみたいにクソガチャに10万突っ込む余裕もないのよ」


 動かない、それでも彼女は。




 ――金だ、金が欲しかった。




 それはクリスにとって、理不尽の象徴だった。


 幼い頃から溢れていたそれを、彼女は湯水のように使った。ユースに対する下らない悪戯の全部は、無駄遣いと言い切れる。財布に残った小銭の価値を理解してなどいなかった。




 それでもある日突然、奪われて良い物ではなかった。




 わかっている、あの父親が悪いのだと。お話に出て来る悪徳貴族のような事でもしたのだと、足りない頭ですぐ思いつく。




 だからどうした、それが何だ。どうして自分の人生を、他人に狂わされたのか。




 その一心で彼女は腕に力を入れる。それでも動かない、相手はゴリラだ。


「あらそうなの、小鳥でも止まっているかと思ったわ」


 煽ってくるゴリ美、歯をくいしばるクリス。力を、気合を入れる程に、減らず口を挟む余裕は消える。




 力を込める、動かない。


 歯をくいしばる、どうにもならない。




 ――必死に、必死に、必死に。


 動かない、彼女の腕は。




「あなた、棄権しなさい」




 クリスは汗ばんだ瞼を上げ、ゴリ美の目を静かに睨む。なるほどこれが森の賢者、少しだけ慈悲の篭った色をしている。


「はっきり言うわ、あなたは勝てない。少し力を込めるだけで、その腕は二度と使えなくなるわよ」


 その通りだ。それぐらい彼女は知っていた。




 ――けど、だからこそ。




「……やってみなさいよメスゴリラ」


 減らず口が戻ってきた。


 こんな絶望的な状況でも、たった一つの勝機があった。




 ――諦めない。




「あんたはお情けのつもりかも知れないけどね」


 それが、それだけが彼女に出来るたった一つの冴えないやり方。汗にまみれ歯を食いしばり、減らず口を動かして、ようやく使える唯一の戦法。


「この程度で挫けるなら」




 ――大丈夫、大丈夫。


 折れそうな腕と心を気休めの言葉で紛らわす。




「恥ずかしくて……悪役なんて名乗れないわよ!」


 やれる事はやってきた。金を地位を名誉を、全てを失って残ったのは、過ごした時間と安い根性。


 大丈夫、何度も自分に言い聞かせた。残ったものだけは、理不尽に奪わせない。



「なるウホホッ……覚悟は十分って訳ね。いいわそれなら、全力で!」


 ゴリ美の握力が手に伝わる。骨が軋み痛みが伝わる。


 そしてゴリ美は体勢を整え、地面を強く。


「……粉砕するっ!」




 強く、強く。


 踏んだのだ。




「ウホホホイいったーーーーーーーーーい!」




 ――その、画鋲入りのトゥシューズで。




 今だ。




「ッシャオラ森に帰れメスゴリラアああああああああああっ!」




 体勢を崩したゴリ美の腕に、今度こそ全体重をかけるクリス。


 崩れ落ちるゴリ美、砕け散る机に、静まり返った会場。




 ひどいとしか言いようのない光景だった。尻餅をついて泣くゴリラ、心配そうに手を叩くチンパンジー、ポカンとする全校生徒。




 ――けれど、立っていたのは。




「ほら実況、さっさと勝者を称えなさい」

『あ、その、えーっと……』


 クリスは右腕を真っ直ぐと天に突き出す。細く、腫れて、痛ましく。




『勝者! 元祖悪役令嬢……クリスティア・R・ダイヤモンド!!!』




 何よりも、誇らしく。

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