第2話 白いごはんと紅鮭(2)

 丸盆の上に、土を焼いてできた飯茶碗があり、そこには白いごはんが盛り付けられている。白いごはんからは穀物を炒ったような香りがするが、表面をきれいに洗い流し、水分調整を完璧にして炊き上げられていて、一粒一粒が崩れることなく艶々とその表面を輝かせている。

 マルコの目から見れば、白いごはんは、米のようだが彼らの国の米とは粒の形状が異なる。この国の米は細長い形状をしており、ここまで艶のある炊きあがりになることはない。また、この国では野菜としてサラダに使われることが多い。

 マルコはフォークを手に取ると、その白いごはんを口に運ぶ。

 炊き立ての白いごはんは、穀物を炒ったような香りが鼻へと抜ける。


 ――やはり米に似ているが違う穀物だろう。


 その後もしばらく噛み続けていると、甘みがでてきたので、マルコはそう思った。


 米の右隣には木をくりぬいて作ったと思われる食器に茶色い味噌汁が注がれていて、豆腐と刻んだ青ネギ、ワカメが浮かんでいる。そしてその奥には土を焼いて作った茶色い四角い皿に、程よい厚みに切られた紅鮭の切り身が、皮をパリッと焼かれて横たわっている。横には汁を絞った大根おろしが円錐状に積まれており、葉生姜の酢漬けが添えられている。

 マルコは、木椀の味噌汁を飲むために添えられていた木匙を手に持つ。

 金属の匙では唇に触れたとき、金属の香りや味がして不快に感じることがあるので、なかなか気配りのきく店主だとマルコは思った。


「さて……」


 マルコはひと呼吸おいて、木匙で豆腐とワカメを一緒に掬って口に運ぶと、その味に目を見開いた。

 魚と海藻の味が溶けだした味噌汁に加え、植物性のタンパク質の二種類の味が舌に重なる。淡白だが、甘みと素材の香りが口の中に広がるその味の一つは、味噌汁に浮かぶ豆腐だ。残る一つは味噌汁に溶けだしたワカメの味。そういえば、魚の味と香りがするのだが、味噌汁には魚らしきものは見当たらない。マルコにとってはとても不思議なスープだが、単に美味であるというだけでなく、空腹の胃袋から優しく身体に染み込んでいくように感じる。


「ああ、うまい……」


 味噌汁は初めて口にするというのに、身体が欲していたものはこれだと感じ、マルコは自然と声にでてしまった。

 その様子を見ていた料理人と少女は満足そうな笑顔を互いに見せる。


 次に、焼いた紅鮭の切り身に目を向ける。

 土色の皿の上に焼けた赤い紅鮭の身がとても美しく、それを飾る大根おろしと葉生姜も、充分に配置を考えて置かれていることがわかる。食べる前に目も楽しませようとする心遣いに、マルコはまた驚いた。

 そして、フォークで魚の身を解していくとわかることがある。

 皮の部分は完全に水分を失っているが、焦げているわけではなく、パリッと焼けている。この大陸で魚料理を食べるとなると、多くはフライパンを使うポアレ、ソテーという調理手法になる。ポアレやソテーは牛乳から採った乳脂を固めたバターや、オリーブの実を絞って採った油で煮るような感じになる。他には、鉄板や網の上で焼くグリルという料理法もある。グリルは下からの直火で焼き上げるので、炭火を使うのであれば皮もパリッと焼き上げられるが、多くは肉を焼くのに使ってしまう。だから、このようにパリッと皮が焼けた魚料理というのは見ることはない。

 マルコはフォークの腹に紅鮭の身を乗せ、口に入れて咀嚼する。

 先ずは舌に直接的に訴えてくる塩分だ。岩塩ではなく海水塩を使っているのか、角のとれたまるい塩味がする。そして、海を泳ぐ紅鮭の筋肉質な身がもつたんぱく質の味と腹の周りにある脂身の味がじゅわりと口に広がる。

 塩を振ることのメリットはいくつかある。第一に保存、第二は味付けなのだが、臭みをとるという効果もある。紅鮭は塩漬けにされることで、長期の保存に耐えるだけでなく、臭みを身の外に出すと、塩分を身に吸収してその美味しさを高めているのだ。


「これもうまい……」


 また無意識のうちに声が出る。

 それを聞いた二人は、厨房の奥でハイタッチをしている。よほど褒められたのが嬉しいのだろう。


 そして、マルコは次に白いごはんを口に含んで驚愕する。

 まだ温かい白いごはんを口に入れることで、口内に残った紅鮭の味、香りが白い穀物の味と一体となり、余韻を楽しませてくれる。咀嚼をすれば、白い穀物が甘みを出し、少しずつ紅鮭の余韻が薄れてくるが、嚥下する頃には舌も鼻もリセットされており、また紅鮭を口に入れたいと思ってしまう。


「これは……やばい……」


 気が付くと夢中で味噌汁を啜り、白いごはんを食べる。紅鮭を齧っては、白いごはんを食べ、漬物を食べて白いごはんを食べる。


「やばい……やばい……とまらない……」


 白いごはんは紅鮭だけでなく、味噌汁や漬物でも余韻を楽しませ、舌と鼻をリセットさせてくれる。これが硬くて平たい黒パンではこうならない。店員の少女が「主食」と言っていたが、その本当の意味をマルコは理解し、気が付けば「やばい」を連呼しながら食べている。

 当然、白いごはんは足りない。飯茶碗に入っていたごはんはあっという間に胃袋へと吸い込まれ、無くなってしまう。だが、気が付くと隣に木でできた蓋つきの桶のようなものが置かれている。そこにはマルコ一人では食べきれないほどの白いごはんが入っていた。


「ごはんのおかわりは自由ですので、存分にお楽しみくださいね」


 少女はマルコに向かってそういうと、また厨房へと戻っていった。

 この白い穀物は「ごはん」というのか……と考えながら、自分の手でおかわりを装う。

 そして、またさっきのごはんを中心とした味噌汁、紅鮭、漬物のサイクルが始まるのだが、やはり最初に無くなるのは紅鮭だった。

 残ったのは皮だけという状況で、味噌汁があと三口程度、漬物も五切れ程度だ。

 できるものなら、もう少し紅鮭を堪能したかったとマルコが思っていると、今度は料理人の方が近づいてくる。


「お客さん、紅鮭の皮は脂が乗っているし、芳ばしく焼けているから、それだけでも充分なおかずになりますよ。

 それでも足りなければ、ごはんに味噌汁をかけたり、お茶をかけて茶漬けしたりするというのも面白いです。是非試してみてください」


 そういわれると、マルコにやらない理由はない。


 まずは、紅鮭の皮を齧ると、芳ばしい香りが口の中いっぱいに広がり、身についていた部分からは脂の旨味が一気に広がる。


「おお、これはなんと!」


 マルコは気が付いた。この紅鮭で一番美味しいところは、皮だったのだと……。


「鮭の皮って美味いでしょ?」


 コクコクッと頷き、次の一切れに手を伸ばすマルコを見ながら、シュウは目を細める。

 鮭の皮も食べ終えたマルコは、シュウが言ったとおり、ごはんを味噌汁の中に入れて混ぜて食べる。

 残った味噌汁は少しだったのだが、ごはんが汁を吸ってとてもうまい。海藻と魚の味が詰まった味噌汁をごはんと別々に味わうのとは違った美味しさがある。

 これもマルコは気に入ったようで、汁椀から味噌汁を吸ったごはんを黙々と口へと運ぶ。


 最後に、ごはんを飯茶碗に装い、お茶をかけて漬物を食べる。

 茶葉の香り、渋み、甘さがごはんと絡む。


 ごはんと漬物は相性がいい

 お茶と漬物の相性もいい

 まずいわけがないじゃないか


 マルコは心の中でそう呟くと、自然と溜息をついた。


 空腹は最大の調味料であるという諺があるが、この店の料理は別格で、例えどこかで食事をしてきた後でも楽しめそうな、それほど美味しい料理であった。

 マルコは心からこの店の朝食を堪能した。


 食後にもう一杯、お茶を入れてもらったマルコは、気になっていたことを少女と料理人に尋ねることにした。


「いやあ、最初はあまりに街の雰囲気に合わない店なので警戒していたのですが、こんなに美味しい食事が食べられるとは思いもしませんでした。

 知人にも紹介したいと思うのですが、お店の名前を教えてもらえませんか?」


 その一言に料理人シュウと、少女は言葉を失った。


「すみません、暖簾にも「めし」としか書いてなくて、店の名前を決めていないんですよ」


 ポリポリと後頭部を掻きながら、シュウが答える。


「もう、シュウさんったら、説明が足りてないですよ!

 お客さん、暖簾というのは、お店の前に掛けてある布のことですからね」


 なるほど、あの布には「めし」と書いてあるのかなどと考えたマルコであるが、今度は「めし」の意味がわからない。まあ、この店のことは気に入ったので明日もくることにしよう。いや、夕食もここで楽しみたい。


「すみません、何せこっちは全然慣れてないもんで……

 この店も今日から営業をはじめたところで、お客さんが最初のお客様なんすよ」


 店内が清潔で明るい雰囲気を持っていたのは、今日からの営業だったからなのだ。

 だが、これほど美味しい料理を出す店は王都に行っても見当たらない。


「おお、そうだったのですね!

 旅の行商人ですが、この街にいる間は毎日通わせてもらいますよ」

「「ありがとうございます」」


 シュウと、少女は揃って頭を下げる。


「わたしは、行商人のマルコ・キャンベルと申します。

 この大陸中を旅して歩いていますので、珍しい食材など買い付けが必要でしたらご用命ください」


 マルコはこの大陸を何か月もかけて周回し、それぞれの地方で見つける特産品を集めては領都や王都で売りさばくことを生業としている。特に珍しい食材などの仕入れ先になれるのであれば、これからの付き合いはながくなることは間違いない。この領都マルゲリットに来る楽しみも増えるというものだ。


「俺は生田秀一、シュウって呼んでください」

「シュウさんはわけあって、遠いところから来た人なの。

 わたしはクリスティーヌ・F・アスカ……イクタ……シュウさんの妻です。

 クリスと呼んでくださいね」


 アスカという姓は、この領都の主であることを示しているが、マルコは聞き逃してしまった。

 何よりも、この二人の仲が気になったからだ。


「いや、結婚してないだろうが……」


 シュウもまんざらでもないようで、照れ隠し程度にクリスのことを小突く。

 とんでもない甘さのデザートを出された気分になり、マルコは席を立つことにした。


「ごちそうさまでした」

「お会計は五十ルダールです」


 料理は何を選んでも五十ルダールだ。日本円なら五百円というところだろう。


「うちは昼と夜は他で仕事があるものですから、また明日の朝、お待ちしております」


 そういうと、クリスは店の前までマルコを送り出し、深々と頭を下げる。


「これほどの料理を出す店は、酒と共に夜にも楽しみたいと思ったが残念だ。他にも仕事をしているのであれば仕方がないな……」


 マルコはそう呟くと、宿屋の方に向かって歩き出す。


 しばらく歩いても、振り返ると頭を下げているシュウさんとクリスが見える。


「こりゃ、宣伝しすぎると、客が殺到して食べられなくなるかもな……」


 などと一人ごちるマルコであった。


 だが、とても美味しい朝食が食べられたことに心から満足したマルコは、行く先々で今朝の食事を褒めて歩いたのであった。

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