第12話

 夜道に二頭の馬を並べて走ると、頬にあたる風が冷たい。


 もともと騎乗は得意ではない。人並にアースも乗馬はできるが、乗った機会そのものが少ないし、夜道は尚更経験がなかった。


 それなのにどうにか王城から遠く離れた森にまで来ることができたのは、一緒に走るシー・リオンが夜の騎乗も手馴れていたからだろう。


 月と星の明かりだけなのに、道を失うことなく、的確に北を目指している。


 前の町を出てからどれくらい過ぎたのか。


 ――多分、今の地形からするとヨルドランの森の辺りだな……。


 走り抜ける景色を馬上から見つめ、アースは黒い影になって浮かぶ周囲の様子から見当をつけた。


 この後、帝国に入るまでは辺境の町や村ばかりで大きな街はない。


「シリオン」


 馬の手綱を引きながら声をかけると、シー・リオンも馬を驚かせないように手綱を引いて速度を緩める。


「今夜はこの辺りで休もう」


 アースの言葉にシー・リオンは不思議そうに振り返った。


「もう少し行って、次の町で休んだほうがよくはないか? お前の体のこともあるし」


「ここから先の町は小さいものばかりだ。夜遅くに入れば人目につくし、追手が来たら探されやすくなってしまう」


「――なるほど」


 ――シリオンのその容姿がすごく人目を引くって自覚はないんだろうなあ……。


 アースの言葉をあっさりと納得したシリオンは、赤金の髪を揺らして馬をおりるとその整った顔に微笑みを浮かべながら、労わるように馬の鼻づらを撫でている。


「アースの顔は目立つからな。人目につかない方が安全だ」


 ――しまった……。自覚がないのはお互い様だった……。


「確かに僕はよく女顔だって言われるけど……母親に似たんだから仕方がないよ」


「お前のを女顔の一言で済ませたら、世の中の女はみんなヒステリーを起こすぞ。強いて言うなら、傾城? 傾国? の美女か?」


「いや、それ女性限定だから」


 ――本当に僕が男だってわかっているのかな?


 いくら女顔でも、服を脱げば女のように体は柔らかくないし、胸の膨らみだってない。顔は確かに女に間違われることが多いが、体は決して女のそれではないのに。


 ――ひょっとして、シリオン。僕が男だってよくわかっていないんじゃないかな?


 よく考えれば、シリオンに前に会ったのは八歳の時で、子供の頭の中ではまだ男も女もなかっただろう。


 初恋だからとその面影を思い続けても、大人になった自分と同じ体を見れば幻滅するのはありえそうな話だ。


「シリオン……」


 けれども、探るように呼びかけると、シー・リオンは屈託のない笑顔をむけてくる。


「うん?」


 少し考えた。


「――――いや。馬に水を飲ませた方がいいかな? 近くに川があるみたいだけど」


 躊躇った挙句に言い出せず、森の闇の方を見ると、白い靄が薄く湧いている場所がある。頭の中に知の塔の地図を思い浮かべて、この森の中にいくつか流れていた小川の一本を思い出すと話した。


「そうだな、水を飲ませるついでに、俺たちも汲んできて食事にしよう。お前昼から何も食べていないんだろう?」


「うん」


 頭に浮かんだ疑念を奥に押し込んで、川の側に行くと、鼻を鳴らしてついてきた馬に水を飲ませてやった。シー・リオンの護衛の一人から借りた馬なのに、不慣れなアースに逆らいもせずによく走ってくれる。だから、せめてお礼に水ぐらいはゆっくりと飲ませてやりたい。


 だから、馬が川にかがみこんでいる間に周りに落ちていた古い枯れ枝を集めて、水辺から少し離れたところにたき火を作った。枯れて乾いた枝に、拾った落ち葉をかけて火をつけると、明るい炎はあっという間に暗い森の一角を照らし出して燃えあがる。


 ぱちぱちと爆ぜる暖かい炎の側に座ると、自分の体が思っていたよりも強張っていたことに気づく。


「ふう」


 頭から灰色の外套を外すのと一緒に、長い黒髪がばさりと前に流れ落ちた。


「ごめん、前に借りた外套を塔に忘れてしまって……」


「そんなのは軍への支給品だからいくらでも予備がある。気にするな」


 新しく借りた外套を脱いで横に置くと、馬から袋をおろしたシー・リオンが笑いながら横に座った。


「とにかく腹ごしらえをしよう。ガルディが持たせてくれたものだから、味は二の次の軍用食だが、空腹よりはましだろう」


 そう言うと、シー・リオンは革の袋の中から大きなパンとチーズを取り出し、さっとナイフでそれを切り分けた。


「ほら」


 とそれをアースに渡し、少し炙って食べるように勧める。


「おいしい」


「まあ、腹が減っている時は、こんな固いパンでも悪くないだろう?」


 笑いながら、袋から干し肉を取り出すと、それを枝の先に突き刺してたき火であぶり出す。


 夜の闇の中で、塩水につけて干しただけの肉から香ばしい匂いが辺りに立ち上ってくる。


「悪いね、こんな目につきあわせてしまって……」


「俺は戦いで慣れているからむしろ楽しい。なにしろ今回はお前が一緒だからな」


 笑いながら、炙ったパンを口でちぎって話すシー・リオンに、アースは少し目を細めた。


「なんで逃げ出したのか訊かないんだね」


「まあ、あれだけ手紙が妨害されていればな。十賢を辞めるのを許さないとでも言われたとかか?」


「うん……辞められないように、閉じ込められそうになった」


「閉じ込める?」


 さすがに、シー・リオンの瞳がきょとんとした。


「塔からもう少しで外に出してもらえなくなるところだった。フラウが来て出してくれたけど、さすがにあそこまでされるとは思わなかった」


 たき火の炎を見つめながら、思わず苦笑が出てきてしまう。


「フラウに王と長に十賢を辞める辞任表を書いて渡したから、無事に受理されているといいんだけどね」


「なんで、そこまでお前にこだわるんだ?」


「それは――」


 脳裏にイシュラ王子の姿が思い浮かび、同時にこれまでの色々が瞬いたが、アースはそれを全部押さえつけて鮮やかに笑った。


「――さあ? 僕がいないとフラウを止められる役がいなくなるからじゃない?」


 ――我ながら十賢にしては、なんて歯切れの悪い推察……。


 自分でもそう思わないでもなかったが、シー・リオンは誤魔化されてくれなかったようだ。


「それはないだろう。それなら、問題の姫をさっさと嫁に行かせて伴侶をお目付け役に据えるはずだ」


 ぱくと飲み込んだチーズが熱かったのだろうか。突然シリオンは目を開くとそのままの勢いでアースの両肩を掴んだ。


「まさか! お前、フラウ姫の伴侶候補に名前が挙がっているとかじゃないだろうな⁉」


「そんな地獄人生送るくらいならとっくにフラウに頼まれた惚れ薬を作って恋の成就を手伝っている!」


「やっぱり! 彼女はお前に恋をしていたのか!?」


「僕はまだそこまで爺さんじゃない!」


「――――――え?」


 碧の瞳が自分の側で真ん丸に見開いている。


「あ、そっか。知らないだっけ。フラウは老け専なんだよ」


 宮廷の中では有名な話だったから、ついその勢いで話してしまっていた。


「老け専?」


 シー・リオンは意味がわからないように、綺麗な碧の瞳を真ん丸に見開いたまま聞き慣れない単語を繰り返している。


「枯れ専でもいいかな。とにかく彼女の好みは、渋い年配の男性。年は最低でも十五は年上で、三十ぐらい上が理想ライン。疲れ果てた顔に刻まれた、人生の苦汁を感じさせる皺にこよなく女心が打ち震えるらしい」


「…………変わった趣味だな……」


「いやいや、フラウの中では数少ない普通の好みだよ。なんと言っても、人口比率で百人に一人ぐらいはいそうだからね」


 屈託なく言うと、シー・リオンが頭を抱え込んでしまった。


「俺の知り合いにも個性的な女はいるが、さすがにそこまでの年の差婚は嫌だと言っていたのに……女という人種は時々よくわからん」


「シリオンにも、女性の友人がいるんだ?」


 ――へえ、あんなに女心に疎いのに。


 なんか意外な気がして、思わずその言葉を尋ね返してしまった。


「ああ、兵舎で知り合ってな。女なのに男らしい。最高の戦士だ」


「男らしい? え、それって褒め言葉?」


「当たり前だ。そこらの男よりよっぽど男らしいぞ。彼女にかかれば、並の男なら十人や二十人瞬殺だ」


「それはまた豪傑な……」


 ――あー……やっぱり女性観狂っていそうだな……。


 そんな猛者の女性が近くにいれば、知の塔でろくに鍛えられてもいない自分はさぞや女性的に見えることだろう。


 ましてや、普通の女性より髪も長い。


「切ろうかな」


 思わず、地面に流れ落ちている自分の黒髪を見つめて、アースは呟いた。


 ――そうすれば、少しは男らしく見えるかもしれない。


 シー・リオンがもし幼い頃の淡い気持ちで、今のアースの性別をよくわかっていないのなら、今なら気づけばお互いに笑い話で引き返せる。


 ――むしろ、その方がありがたい。


 自分の膝まで届く長い髪を掴みながら、アースはじっとそれを見つめた。


「うん、切ろう!」


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