第11話

 アースが指さす方向では、フラウが、華やかな夜会用のドレスを纏ったまま猛然と塔の門にむかってやってくる。


 金の巻毛が乱れるのもかまわずに、姫君にしてはありえないスピードで近づくと、門を警護する兵士たちに一喝をした。


「アースを出しなさい!」


「こ、これは姫様……ですが、アース様はイシュラ王子のご命令で今は……」


 あたふたとなんとか姫の進撃を止めようとする兵士たちの言葉に、少しも耳を貸す様子はない。


「私が命じているのよ! それとも何⁉ 同じ父王と母から生まれている兄様の命令は聞けても私の命令は聞けないっていうの!? 兄様と私、どっちの処刑能力が高いか、身をもって判定したいってわけ!?」


 ひいーっと兵士たちの叫んでいる声が聞こえてくるかのようだ。


「相変わらずめちゃくちゃな姫さんだぜ」


 ふわんと空中に浮いたままヒイロが笑った。


「フラウ」


 この時を逃すまいと体を潜めていた生垣の奥から身を起こし、がさがさと藪をかき分けてアースは進み出る。


「まあ、うまくやれよ」


 そう耳元で呟くと、ヒイロは空中に溶けるようにふわりと消えた。


「来てくれたんだね」


 穏やかな笑顔で、ゆっくりと進み出ると、フラウの眼差しが更につり上がったものに変わっていく。


「どういうことよ!? この手紙! 『やっぱり求婚が復活しそうです』って! オリスデン皇帝は男色に目覚めて、アースを連れ帰って花嫁にする気じゃなかったの!?」


 周りにいた兵士たちが、一斉に目をどんぐりのように丸くしてアースの姿を見つめている。


「あー……それが、僕がここから出してもらえそうにないから……」


「だったら、私が今連れて行ってあげるわよ! だから不埒にも二度と妙齢の女性に結婚を申し込もうなんて気が起きないように、徹底的に初恋のどろ甘さを味あわせてあげなさい!」


 言うやいなや、強引にアースの腕を引っ張り連れて行こうとするのに、周りにいた兵士たちが慌てて止めようとする。


「ひ、姫! ですが、アース様は決して出すなとのご命令が」


「それに十賢は特別な許可がない限り塔を出れない決まりなので……」


「特別な許可?」


 ふんとフラウは手に持った扇の影で優雅に笑った。


「私を誰だと思っているの? 十賢を呼び出すのに、王族の姫では足りないとでも言うのかしら?」


「い、いえ、とんでもありません!」


「ならば、お兄様にはアースはフラウの命令で呼び出されたとおっしゃい。だいたいお兄様は、アースを独占したがりすぎよ! 平手で二十発ほど叩いてやっても気がすまないわ!」


 ――あれ?


 兵士たちの制止も聞かずに、アースの手を引いて歩き始めたフラウにアースはふと今気になったことを尋ねた。


「フラウ、ひょっとして知っていた?」


「何を?」


 けれども、フラウは王城への道をどんどんと歩いていく。


「僕宛てのシリオンからの手紙を邪魔されていたって――」


 フラウは昔イシュラ王子にシリオンのことを話した時に、側で自分に勉強を教えてもらっていた。覚えていてもおかしくはない。


 けれども、フラウは振り向いてはっきりと答えた。


「知らないわ」


「え、ああ、そう――」


 自分の方を真っ直ぐ見つめる大きな瞳に拍子抜けする。


「でも、お兄様が妨害している手紙の中に一番たくさんオリスデン皇帝からのものがあるのは知っていたわ。だから、何かあるかなと思っただけ!」


「つまり当てずっぽう……」


 ――それで命中させるのが、フラウだよなあ……。


「だから僕に女装させてまで皇帝と会わせてくれたのか?」


「それは、あー……――――――――」


 右に移動した眼球が、またゆっくりと左へと戻ってくる。


「うん、そう!」


「それはまた別だったとわかってすっきりしたよ」


 溜息を吐いて納得したアースにフラウは、腰に手を当てて見つめる。


「なによ! 結果良ければ、全て良しでしょ!」


「僕は君の当てずっぽうの命中率にびっくりする……」


 思いきり諦めを含んでいったのに、フラウはそれを良い意味にとらえたらしい。


「運も実力の内よ!」


「君を見てるとつくづくそう思うよ……」


 片手に顔を思わず埋める。けれど、慌ただしくやってくる足音にふと気がついて顔を上げた。


「アース!」


 その声に夜の闇の中に視線を合わせると、華やかな赤金の髪が黒い闇さえも弾きながらこちらに駆けてくる。


「シリオン!」


 思わず喜んだ声が出てしまった。


 それなのに、シー・リオンはそんなアースの姿を見た瞬間、体を強張らせたように動きを止めたのだ。


 ――なに?


 明らかに近づくことを躊躇っている。


「シリオン?」


 もう一度呼びかけると、それに気がついたフラウが振り向いた。


「シリオン?」


 その瞬間、はっきりとシリオンの眉がきつく寄せられた。


 そして急にカツカツと歩み寄って来たかと思うと、アースの前に立つ。


「なぜ、すぐに戻ってくると言ったのに女と逢っているんだ?」


「え?」


 一瞬何のことを言われたのかわからなかった。


 でも、シリオンが何かひどく苛立っているのはその表情からも伝わってくる。


「最初は塔の仲間との別れの挨拶もあるんだろうと思って、出てくるまで待っていようと思った。だが、塔にはそんなドレス姿の女性はいない筈だ。それなのに別れを惜しんでいるって――まさか、お前……」


 ――あ、そういうこと。


 すぐに納得して、アースはさっとフラウの方に手を差し出した。


「こちら僕が教育係をしていたフラウ姫」


「お前まさか――って、え、フラウ姫?」


 その名前を聞いた瞬間、つり上がっていた眉が面白いほどに下がった。


「初めまして、オリスデン皇帝陛下。この度はアースに身代わりをしてもらい失礼しました。けれども、どうやら本命の花嫁を迎えられたご様子。ここではアースは頭しか役に立ちませんけれど、貴方ならは彼の全身を必要とされましょう。どうかお幸せにお暮らしくださいな」


 ――なんて挨拶をしてくれるんだ……。


 笑顔で手を差し出しているフラウに突っ込みたいのは山々だが、その手をシー・リオンはぎゅっと握り返している。


「貴方がお噂のフラウ姫でしたか。もちろん、求婚をお受けいただけなければ、貴国への武力も辞さないつもりでしたが、彼を迎え入れた今、あなたご自身の幸せも願うつもりでおります。どうかお望みの人生を手に入れてください」


「まあ、ありがとうございます。でも、是非アースの幸せを願ってやってくださいませ。蕩ける様な愛情を与えるのも殿方次第ですわ」


「もちろんです。彼に自分を選んで後悔させるようなことはしません」


 ――今、ちょっと後悔したい……。


 二人の会話を聞いての率直な反応はこれだ。


 ――蕩ける様な愛情ってなんだ! 


 フラウは自分に皇帝を押し付けようと絶賛焚き付け中だ。皇帝に自分を売り込んでいるように見えるが、本音は逆。絶対にほかに目をやるなよと政略結婚ぶち壊しを実行中だ。


「ほほほ、アースはちよっと奥手で慎重すぎますの。だから良識や常識で臆病になるかもしれませんけど、恋の力で導いてやってくださいませ」


 ――何を導かせるつもりだ……。


「彼は昔からそうです。だが、俺の側でなら、安心できるようにしたい。そう思っています」


 ――うん、多分、シリオンが言っているのは普通に日常生活を含めてだろうなあ……。


「ええ! もう一緒にいないと不安になるぐらい四六時中一緒をお勧めしますわ!」


 ――フラウ、さりげなくさっさと夜も一緒にいろと姫君が進めるのは品位としてどうなんだ……。


 やっぱり自分の教育方針が悪かったのかと頭を抱えたくなったが、後ろの方で話す衛兵の声にはっと我に返った。


 そして、さっとシリオンの方に近づく。


「シリオン……」


「ん? 用意ができたのか? 姫の姿も素晴らしく美しかったけれど――これでやっとアースに戻ったな」


 神話のような美貌でふわりと笑いかけてくる。


「綺麗だ。俺が思い描いていた成長したお前の姿より、ずっと綺麗でびっくりした」


 ――だから、ここで今そんなタイミングで告白するな!


 どうしてこの恋愛音痴は、いらない場面では告白や求婚をさらっとしてしまうのだろうか。


 ――ああ、もうっ!


 赤面するとうまく話せなくなってしまうのに!


「……ごめん、シリオン」


 やっと紡いだ単語に、シリオンはふとその笑顔をしまった。


「僕、今すぐこの王城を出る。先に行って悪いけど、必ず帝国で君を待っているから……」


「アース!?」


 突然の言葉に、シー・リオンは驚いたようにアースの肩を掴んだ。だけど、アースは待つことができない。


「ごめん。わけはあとで話すから……今すぐに出ないと、多分君の所に行くことができないんだ」


 だからとむ歩き出そうとした腕を、素早く握られた。


「待て!」


 振り返った先では、碧の瞳が大きく開き星光りに鮮烈に輝いている。


「それは俺と生きるためなんだな?」


 理由も訊かず、そう問われたのに、アースはただこくりと頷く。するとシー・リオンは腕を掴んだままにっと笑った。


「だったらいい。俺もお前と一緒に行く」

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