第一章 始まり ~運命の出会い~

第1話 出会い

「はぁ、はぁ、はぁ……」


 薄暗い森の中、息を切らせながら全力で走っている男がいる。見た目は十代半ばの青年、短髪の黒髪で顔にはまだ少年らしい幼さも残っている。年相応にしっかりと筋肉はついている。走っている最中に木の枝や藪に引っかけてしまったのだろうか服のあちこちが破れ、足元は土や泥で汚れている。彼の名前はカイ。リック村という小さな村に住む農民の息子だ。


(疲れた……)


 一心不乱に走り続けているために疲労が肉体に溜まっていく。


(……普段から家の手伝いもしてるし、そこそこ体力だってあるけど……。こんな薄暗い森の中を延々と走ればどんなタフな奴だって……)


 全速力で走り続けながら、カイはまるで他人事のように走っている現状を考える


(……前はよく見えないし、道もでこぼこしてる。ところどころ地面はぬかるんで油断をすると足をとられる。普通に走る以上に疲れる……)


 疲労を誤魔化すように状況を分析しながらもカイは走る速度を緩める気配をみせない。


(足に力が入らなくなってきた……。身体もふらつく……。もう止まってもいいんじゃないか? これだけ走れば大丈夫だろう?)


 楽観的な考えが、カイの頭の中に響く。


 しかし、そんな考えとは裏腹にカイは走ることを止めない。


 カイは一心不乱に走り続ける。


(アレが……。きっと追って来てる。追いつかれたら死んでしまう! 絶対に死んでしまう! ただの村人の俺なんかが勝てるわけがない!)


 見えない恐怖を感じながら、カイはただ全力で走り続ける。


 その時、突如として足がよろめき泥に足をとられると視界が暗転して冷たい感触が襲う。カイは転倒して頭から地面に激突していた。運良くか運悪くか……、地面がぬかるんでいたおかげでほとんど怪我はしていない。だが、派手に転んでしまい全身が泥だらけになってしまう。転倒した原因を考えるよりも、カイはすぐに後ろを警戒する。


(……あれだけ走ったんだ。もう振り切ったはずだ……)


 淡い期待を抱いて後ろを振り向く。


 しかし、振り向いた先にはいた。見た目は約一メートル程の薄汚れた緑の塊、大きな野菜に見えなくもないが……。それは小刻みに動き、沼の上を歩くような音を立て近づいてくる。


 その正体は粘液怪物スライム


 人々から魔物と呼ばれている存在だ。


 ◇◇◇◇◇◇


 時間を、その日の朝まで遡る。


 朝日が窓から漏れ、鳥の鳴き声がかすかに聞こえる。目覚めかけの頭はまだはっきりとしていないが「朝だ……。起きなければ」と認識をする。


「ふぁー、もう朝か……」


 いつも起きている時間より少し遅いと頭が理解する。カイは寝坊したことを確信した。寝坊したことを後悔していると誰かの声が聞こえてくる。


「カイ! 早く起きなさい!」


 黒髪が肩まで伸び、茶色の大きな瞳をした女性、怒っているせいと歳のせいで顔には薄いしわが見える。大きな声でカイを怒鳴りつけているのは母親のケリーだ。


 怒鳴られたカイはケリーの言葉に反応して即座に飛び起きる。


「わ、わかってるって……。起きるよ。母さん」

「もう! わかっているなら自分で起きなさいって、いつも言ってるでしょう!」

「……ごめんって。父さんはもう畑に行ってるの?」


 カイの言葉を耳にしたケリーは目を吊り上げ睨む。


「あたりまえでしょう! あんたみたいに寝坊してたら、頭から水をぶっかけてるわよ!」

「ははは……」


 カイは誤魔化すように笑い、朝食をとるため自分の椅子へと座る。


「いっただきまーす!」


 テーブルに置いているふかした芋を食べて水を飲む、流し込むような早さで食事をとり終えると出かける準備をする。普段の服から、汚れても差し支えのない作業着へ着替える。


「よし、準備できた。じゃあ、いってきまーす!」


 急いだ様子でカイが家を飛び出そうとした時、ケリーが呼び止める。


「あっ! 待ってカイ! 畑に行く前に、この煮物をゴンさんの家に持っていってよ」

「うん? 別にいいけど、何で?」


 小さな村のため、住民は全員が顔見知りだ。お互いに助け合いや協力をして生活をしている。当然だが食料を交換したり譲ることは珍しいことではない。しかし、朝早くから届けるのはあまりないことだ。


「お父さんから聞いたんだけど、ゴンさん。昨日、仕事中に腰を痛めたらしいのよ。しばらくは安静にしてないといけないって話よ。だから、お見舞いも兼ねてこれを持っていって欲しいのよ」

「なるほど……。でもさー。ゴンさんには、ニーナおばさんもアイもいるんだから大丈夫だよ」

「いいのよ。困った時はお互い様でしょう? それに――」


 ケリーは一呼吸置いて意地の悪い笑みを浮かべるとからかうように話を続ける。


「――朝からアイちゃんに会えるのよー?」


 ケリーからの思いがけない「アイちゃんい会える」という言葉でカイの顔面は一瞬で夕日よりも朱色に染まる。


「べ、別に、あいつに会うからなんなんだよ!」


 慌てた様子で否定をするカイを見たケリーは煮物が入っている袋をわざとらしく遠ざける。


「あー、そうなんだ? ふーん。じゃあ、あとで私が持っていくかなぁー?」


 ケリーが袋を遠ざけるとカイは焦りながら袋を受け取り早口でまくしたてる。


「ま、まぁ、ゴンさんの家は畑に行く途中にあるんだし。ゴンさんも心配だから俺が届けるよ。じゃあ、いってきまーす!」


 カイは顔を赤らめながら早足で家を飛び出ていく。ケリーは、そんな息子の姿を微笑ましく思い手を振りながら「いってらっしゃーい!」と見送る。


(くっそー、俺がアイに惚れてるの母さんにはバレバレかよー!)


 自宅から出たカイを温かい日の光が迎える。今日は天気も良く雲ひとつない快晴だ。さわやかな風と温かな日差しを一身に感じながらカイは何気なしに村を見渡す。


 このリック村は特別に何かあるわけではない。周囲は平原、村の裏手には鬱蒼うっそうとした森が広がる。住民のほとんどが畑仕事や狩猟などで自給自足の生活を行っている。時折、畑の野菜や狩猟で獲った動物を街まで売りに行くこともあるが、近い街でも馬車を使って最低でも一日がかりになってしまうため、基本的には収穫期などまとまった物があるときのみ街まで行くことにしている。 


(良くも悪くも何もない村だよなぁー。……まぁ、静かで落ち着く感じが俺は好きなんだけど。……特別不便は感じないけど、きっと何もないというのが不便という人もいるんだろうなぁー)


 村を見渡しながら少し物思いにふけていると目的の一つであるゴンの家が見えてくる。家の前には洗濯物を干している中年の女性がいる。中年の女性に気がついたカイは迷うことなく挨拶をする。


「おはよう。ニーナおばさん」


 ニーナと呼ばれた女性はカイを見ると満面の笑顔で挨拶を返す。


「あら、おはよう。カイくん。今日もお父さんのお手伝いかしら?」


 優しい微笑みでカイを見ている女性はゴンの妻であるニーナだ。カイの母親と同年代だが、顔に目立ったしわはなく茶色の光沢が鮮やかな髪をしている女性。瞳は栗色だが細目のためによく見ないと目を閉じているように見える。


「はい! でも、ゴンさんが怪我をしたって聞いたから……。これをどうぞ。差し入れです。母さんが作った煮物です」


 カイが煮物をニーナに手渡すとニーナは少し驚いたような申し訳ないような表情になりながら感謝を伝える。


「あらー……。ごめんなさいね。気をつかわせちゃって……」

「いいえ、気にしないで下さい。困った時はお互い様ですよ」

「そーお? わざわざありがとうね。……そうだ! せっかくだからお茶でも飲んでいって!」


 思いがけないニーナの誘いをカイは手を横に振りながら丁寧に断る。


「いえ、これから畑に行かなきゃあいけないんです。父さんが待ってますから」

「あー、そうよね。じゃあ、良ければ帰りにでも寄って。ねぇ?」


 お礼がしたいというニーナの気持を理解したカイは苦笑しながら首を縦に振り了承する。


「えーっと。迷惑でなければ……」

「迷惑なわけないじゃない。じゃあ、待ってるわね! あっ! そうだ。アイー!」


 ニーナが思い出したかのようにアイという名前を自宅へ向かって呼び始める。すると、ニーナの呼び声に応えるように家の扉が開きカイと同じ年頃の女性が出てくる。


 栗色の髪をショートカットにして赤いリボンを飾り、ドングリのようなつぶらな瞳、頬に少しそばかすが薄く見える。カイの幼馴染アイだ。


「なーに? お母さん。大きな声を出して……って。あれ? カイじゃない。朝からどうしたの?」


 扉から出てきたアイはカイを見つけると不思議そうに首を軽く傾げる。アイを見た瞬間にカイの鼓動が少し早まる。また、アイが行う動作の一つ一つにいちいち可愛らしいとカイは感じてしまう。そんな自分に言い聞かせるようにカイは気づかれないよう胸の高鳴りを抑え込む。カイがアイに対する淡い恋心を抑え込む一方でニーナとアイは話を続けていた。


「これよ! カイ君が届けてくれたの。ケリーの煮物ですって。ほら、お父さんが怪我をしたから気をつかってくれたのよ」

「えっ? 本当! やったー! 私、ケリーおばさんの煮物大好き! あっ! じゃなかった。ありがとうね。カイ。せっかくだし、朝ご飯食べてく?」


 アイは表情をころころと変えてカイに提案する。魅力的な誘いにカイの心は揺れ動くが畑に行くべきと提案を断る。


「いや、朝は食べてきたし……。おばさんにも言ったけど、これから畑に行かなきゃいけないんだよ」

「あー。そうだよね。でも、あんたもちゃんと働いてるのね。感心感心」


 アイの小馬鹿にしたような態度にニーナが軽く注意をする。


「アイ! カイくんはお父さんのために、わざわざ仕事の前に届けてくれたのよ? そういう言い方をしちゃだめでしょ!」

「あはは、そうでした」


 母親にたしなめられたアイは可愛らしく軽く舌を出しながら両腕を頭の後ろで組み反省する。二人のやりとりを見ていたカイが少し意地悪な言い方でアイをからかう。


「ニーナおばさん。気にしないでよ。アイがこういう奴だって長い付き合いで知ってますから」

「ちょっとー、こういう奴ってどういうことよ!」

「おいおい、今までの全部を俺に説明させる気かよ」

「むぅ! カイのくせに生意気!」


 言い争いを始めたカイとアイの二人をニーナは嬉しそうな笑顔で眺める。


「ふふふ、アイとカイ君は本当にいつも仲がいいわねー」


 ニーナからの声でお互い我に返り、二人同時に顔を赤くした。


「い、いや、そ、そんなんじゃないですよ!」

「そ、そうよ、お母さん。変な勘違いはしないでよ! こいつとは、ただの腐れ縁なだけなんだから!」


 カイとアイからの抗議を聞きながらニーナは楽しそうに頷く。


「はいはい。お母さんはわかってますから大丈夫よ」


 なんとも言えない気恥かさを感じたカイは畑へ向かうため、二人に別れを告げる。


「じゃ、じゃあ、すみませんが俺は畑に行ってきます。アイ。お前も家の手伝い頑張れよ。あと、ゴンさんに優しくしてやれよ!」

「言われなくてもわかってるわよ。あんたも頑張ってね。いってらっしゃーい!」


 アイは手を振りながらカイを見送った。


 ◇


 アイ、ニーナと別れたカイは畑へと急いだ。畑に到着するとすぐに男性から声がかかる。


「おー、遅かったな。カイ」


 無精ひげを生やして、ぼさぼさの髪、軽く日焼けした肌、がっしりとした身体の男性が声をかけてくる。カイの父親ダインだ。


「ごめん。父さん。寝坊しちゃって。あっ! あと、アイの家に届け物があって。えーっと、ゴンさんが怪我をしてたらしくて、それでお見舞いの……」


 カイの説明を聞いていたダインが途中で口を挟む。


「わかってるよ。家を出る前に母さんからお前に届けてもらうって聞いてたからな」

「そっか。ははは」

「それで、ゴンはどんな様子だった?」

「いや、家の前でニーナおばさんがいたから家には入らなかったんだ。そのときにアイは出てきたけど、ゴンさんには会ってないよ。でも、今日の帰りに寄ることになってるから、そのときに様子をみてくるよ」


 ダインは「仕方がない」と言いたげに肩をすくませる。


「そうか。まぁ、昨日の今日だからな、すぐには治らないだろう――」


 一呼吸を置くと、ダインは軽く笑いながらカイに話しかける。


「でも、アイちゃんに会えたのは良かったんじゃないか?」


 カイは顔を赤らめながらもため息まじりに呟く。


「父さんもそういうことをいうのかよ……」


 カイの呟きを耳にしたダインは「何を今さら」という表情になる。


「お前たちのことなんて村の人みんなが知ってるよ。こんな小さな村で隠しごとなんかできるわけがないだろう?」


 ダインに指摘されたカイは少し思い返してみる。


(確かにマイティおじさんとタニーおばさんが夫婦喧嘩したとか、ウルばあちゃんの家の猫が子猫を産んだとか、ボルノの奴が寝小便したとか、すぐに知れ渡ったなぁ……)


「小さな村の不便なところあったなぁ……」


 一人呟くカイを見てダインはフォローを入れる。


「気にするな。お前たちも年頃だ。それに、カイ。お前は先週十七歳になっただろう? もう結婚を考える年なんだしな」


 突然の結婚という言葉にカイは盛大にむせ込む。


「ごほ、ごほ。……そ、それは、は、話が飛躍し過ぎじゃないの?」

「別にお互い好き同士ならおかしなことじゃないだろう? それに悠長なことを言ってると誰かにとられちまうぞ?」


 カイは顔を真っ赤にして、しどろもどろに言い訳をする。


「とるとか、どうとか、あいつは物じゃないし……。それに、付き合ってもないし……。そもそも、好きっていうか、なんていうか……」


 たわいのない会話をしながらカイとダインは畑仕事を続ける。途中休憩も挟み仕事を行っているとダインがカイに声をかける。


「よし! 少し早いが今日はここまでだな」


 日が少し落ちたが周囲はまだ明るい。カイはいつもより早く仕事を切り上げようとするダインに疑問を投げかける。


「もういいの? いつもより早いでしょう? まだ、そこまで日は落ちてないよ?」


 ダインは畑道具を指さす。


「あぁ、そろそろ道具の手入れをしようと思ってたんだ。それにお前、ゴンのところに呼ばれてるんだろう? 早めに行ってこい」


 ダインの言葉にカイは笑顔になり感謝を伝える。


「そっか。父さん。ありがとう!」


 ◇


 アイの家に到着したカイは扉をノックする。


(まぁ、勝手に入っても誰も怒らないだろうけど……。俺の家もそうだし)


 田舎特有の事情について考えていると扉が開いてアイが顔を出す。


「はーい。あれ? カイ。もう仕事は終わったの? ちょっと早いんじゃない? まさか……、仕事をさぼったんじゃないでしょうね?」

「そんなわけあるか! 今日は早めに終わったんだよ!」

「ふーん。まぁ、それならいいんだけど。じゃあ、お疲れさま。上がっていくんでしょう?」

「おう。おじゃましまーす!」


 家に入るなり笑顔でニーナがカイに朝のお礼と仕事の労をねぎらってくる。アイが時折茶々をいれてくるが、カイにとっては逆にありがたかった。実際に仕事の中心はダインであってカイではない。カイはダインの指示で動いているだけだからだ。もちろんニーナもカイが手伝い程度と理解はしているが、人の良いニーナはカイのことを褒めちぎってくる。カイもニーナの性格は理解しているが、どうにも気恥ずかしくなってしまう。


 ニーナの褒めちぎりが一段落ついたとろでカイが本題を切り出した。


「と、ところで、ゴンさんは大丈夫ですか?」

「あの人? 全然元気よ! 本人はもう動けるなんて言ってるけど、ちゃんと治るまでは安静にしてもらっているの」


 するとニーナは手を叩いてカイに提案する。


「そうだわ! カイ君。あの人に会ってあげて! いつもみたいに話を聞いてもらえると、きっとあの人も喜ぶわ!」


 ニーナの提案にカイは笑顔で頷き、アイは表情を少し曇らせる。


 ニーナはカイとアイ連れゴンの寝ている二階へ案内する。ベッドで横になり休んでいるゴンへニーナが声をかける。


「あなたー、カイ君がお見舞いに来てくれたわよー。じゃあ、カイ君。あとはよろしくね。アイはお父さんが無茶をしないかちゃんと見ててね」

「はーい」


 カイは下へ降りるニーナへお辞儀をして見送る。二人はゴンのベッドの近くに座る。


 そこには、ずんぐりむっくりというのがぴったりな坊主頭の男性がベッドに横になっていた。傍から見るとドワーフのような風貌だが彼はれっきとした人間でありアイの父親であるゴンだ。


「どうも、ゴンさん。腰の具合はどうですか?」

「おう、カイくん。悪いね。まぁ、そんなたいしたことねぇんだよ。ほらよ。っと」


 ゴンは突然立ち上がりベッドの上を飛び跳ね始める。怪我をしているはずなのに無理な動きをする父親を見たアイが注意をするがゴンは「問題ない」とさらに動きを加速させる。しかし、無茶が祟り痛みが走りゴンは腰を押さえる。


「あっ! 痛って! ……あっ、母ちゃん……」


 いつの間にかまた戻ってきていたニーナが笑顔でゴンを睨んでいる。


「あらあら、ダメでしょう? あなた?」

「……はい」


 もともと小さい体格のゴンが余計に小さくなる。ニーナの静かな怒りを感じてゴンだけでなくカイとアイも小さくなる。ニーナは三人分のお茶を置いてすぐに下へ戻るがゴンの動揺は続いていた。


「い、いやぁ……。ゴホン。で、でも、本当によく来てくれたね。ありがとう」

「いえ、俺は何も……。お見舞いの品を届けただけですよ」

「そうかも知れないけど感謝してるよ。おっ! そうだ。せっかく来たんだし。また話を聞いていってくれないかい?」

「ぜひ、お願いします!」


 カイとゴンの目が輝き始めるが、アイは「またか」と呆れ顔だ。


 ゴンの趣味はいろいろな民話、逸話、神話、伝説、英雄譚などを人に聞かせること。カイもゴンの話を聞くのが好きなのだ。カイとしては、ほとんど村から出たことがないので英雄や勇者の話に憧れを抱いていた。アイにしてみると小さいころから聞かされていること。また、英雄や勇者の話をされても女性であるが故か特別に憧れを感じていなかった。そのため、カイとアイの反応は全く異なっている。


「今日はどんな話ですか?」

「そうだな。雷の戦士、光の勇者……。あっ! 古代文明の伝説はどうだ?」


 次々と提案される題材にカイは胸を高鳴らせるが、聞きたい話があったことを思い出したのでゴンに提案をする。


「面白そうですね。あっ! でも、あの勇者様の話が途中で終わってましたよね? あの話を聞かせて下さい!」


 ゴンは少し頭を傾けると思い出したと言わんばかりに手を叩く。


「あの勇者様……? あぁ! 百年程前にいた勇者様の話かい?」

「はい!」

「よし! じゃあ、話そうか。あれは――」


 ゴンは姿勢を正して話を始める。


 かつて勇者がいた。人の身でありながら信じられない力を持ち、剣の一振りで海を裂くとも大岩を一刀両断するともいわれていた。また、剣術以外にも魔法も使いこなして数多くの人々を魔物から救っていた。多くの苦難を乗り越えた勇者はついに魔王と直接対決をすることになる。その戦いは熾烈を極める……大地が裂け、天が唸るほどの激しい戦いが行われる。激闘の果てに勇者は魔王を打ち滅ぼすことに成功する。しかし、勇者もまた魔王に致命傷を負わされる。そう、勇者は魔王を倒したが魔王も勇者を倒していた。相打ちとなり両者は倒れ伏す……。けれど、勇者が魔王を打ち滅ぼしたことにより魔物たちは数を減らし世界に平和が戻った。人々はこの平和をもたらした勇者に感謝し祈りを捧げる。いつまでも、この平和が続くようにと……。


 話を聞いた後、アイが眉をひそめて疑問を口にする。


「ふーん。勇者様が魔王を倒して終わりじゃないんだ? 珍しいわねー。ねぇ? カイ……って。あんた、何泣いてんのよ!」

「にゃんでって、ぞら、じゅうしゃざまががっごびいから(なんでって、そりゃ、勇者さまがかっこいいから)」


 呆れた表情でカイを眺めるアイは面倒そうに相槌を打つ。


「はいはい。それはようございましたね」

「わかるぞ! カイ君。ワシもこの話を初めて聞いた時は君のように涙を流したもんじゃ。勇者様は己の命も顧みずにみんなを……人々を助けるために戦われたんじゃ!」


 ゴンの言葉にカイは大きく頷く。興奮する二人を尻目にアイは冷めた視線で眺める。


「そうですよね! 勇者様はみんなのために命をかけて戦ったんですよね!」

「うむうむ。その通りじゃ!」


 カイとゴンは堅い握手を交わすが、ついていけないアイはため息をつきながら手を叩き終了を告げる。


「はいはーい。じゃあ、話は終了ね? お父さんは休んで! カイもそろそろ帰らないと駄目なんじゃない?」

「何を言っとる! ワシはまだまだ話し足りんぞ!」

「あー、そう……。じゃあ、お母さんを呼ぼうかしら?」


 アイがニーナを呼ぼうと立ち上がる――すると、ゴンはすぐさまベッドへと横になる。


「すまん。カイ君。ワシはそろそろ休む。良ければまた来てくれ」

「……あ、はい……」


 急変したゴンの態度を見たカイは少し呆気にとられるが状況を察して小さく頷き了承する。


 話を終えたカイとアイは一階にいるニーナのもとへ向かう。


「じゃあ、ニーナおばさん。おじゃましました。そろそろ帰ります」

「あら? もう帰っちゃうの? うふふ、いつでも来てね。お父さんも喜ぶし。もう一人も喜ぶから」


 妙な視線を感じたアイはニーナを軽く睨みながら問いただす。


「ちょっとお母さん。もう一人って誰かしら?」

「さーて。誰なんでしょうね?」


 意味深な言い回しにアイは少し頬を膨らませてふてくされるが、あることを思い出すとカイに声をかける。


「もう……。あっ! そうだ。カイ。私も途中まで一緒に行くね」

「うん? なんでだよ」

「ウルおばあちゃんのところに用事があるのよ」

「あっそ」


 カイとアイはニーナへ挨拶をして外に出る。


「じゃあ、お母さん。いってくるね」

「おじゃましました」

「はい、いってらっしゃい。カイ君。またね」


 二人が外に出るとほとんど日が傾き冷たい風が吹き始めていた。あと一時間も経過すれば日は完全に落ちてしまうだろう。


「あれ? 結構時間が経ってたんだなぁ」

「お父さんの話は長いからねー」


 先程の話を思い出したカイは興奮したようにアイへ語り出す。


「でも、かっこいいよなー! 勇者様! 俺もあんな伝説に残るような偉業を成し遂げたいなぁー!」

「ちょっと! 魔物と戦いたいとか言うのは止めてよね!」

「わかってるよ。ただの憧れだって。でも、アイは勇者様の話を聞いても憧れとか持たないのかよ?」


 カイの質問にアイは少し上を向いて考える。


「うーん。すごいことをしたんだなぁー。って思うし。格好いいとは思うわ。でも……」

「でも? なんだよ?」

「……怖いって思った」

「うん? 魔王が?」


 カイの返答にアイは首を横に振りながら否定をする。


「違うよ。死んじゃうことが……。みんなのために勇者様は戦って死んだ。立派なことよ? すごいことだって理解もできる。……でも、勇者様の両親や友達、恋人はきっと悲しかったはずよ……。そう思ったらね。怖いなって……」

「そりゃ、そうだけど。……でも、誰かが戦って魔王を倒さなきゃあみんな死んでたんだぜ?」

「うん。そうだね。でも、私は……。もし……、カイが死んだら嫌だよ……」

「えっ?」


 二人は沈黙する。


 暫く無言の時が続く。そんな微妙な空気に我慢ができなくなったカイがアイに何か言おうと思った瞬間。カイの頬に柔らかい感触が……。


 何の前触れもなくアイがカイの頬にキスをしていた。


「――ッ!」


「さってと。じゃあ、私はウルおばあちゃんのところに行くから。カイ。またね!」


 少し照れくさそうにしながらアイはカイの元から足早に去って行く。


 頭の整理が追い付かないカイはアイの背中を呆然と眺める。だが、状況を理解すると意識を取り戻したかの如く顔面を紅潮させる。


(ななななな、いいいいいい、今、キス? 俺、キスされたのか?)


 驚きもあったが何よりも喜びが勝っていたカイは自然と拳を握り天に向かって何度も振り上げ喜びを表現した。


 カイの表情は緩みきり、天にも昇る気持ちで家路に着こうと歩く。途中で他の村人から声をかけられていたことにすらカイは気がつかない。それほどカイは浮かれてしまっていた。そうこうしていると自宅の近くまで到着する。


(ふふふ。おっと! そろそろ家に着くな……。こんな顔をしてたら絶対になんか言われる) 


 カイは表情の緩みを直すため、自分の頬を両手で軽く叩き「よし!」と気合を入れる。カイが再び歩き始めようとしたとき――


 遠くで木の枝か藪が大きく揺れるような音を耳にする。


「ん?」


 周囲を見渡した後、カイは呟く。


「何か……。音がしなかったか?」


 違和感を感じたカイは裏手の森を注意して見る。


「もうすぐ日も暮れるのに……誰か森に入ったのかな?」


 裏手の森は明るいうちには子供でも遊びに行くことはよくあるが、暗くなれば大人も滅多には入らない。理由は二つ、暗くなればさすがに迷ってしまう可能性があること。また、夜になれば夜行性の獣が活発になり危険だということ。カイは少し考えると森の方へと歩き出す。森の入り口に仁王立ちするようにしてから森へと大声で呼び掛ける。


「おーい! 誰かいるのかー?」


 しかし、返事はない。


「……空耳だったのかな?」


 「気のせい」とカイが踵を返そうとした時、また遠くの方で音が聞こえる。人や動物が草をかきわけるような音が……。


「――ッ!」 


 確実に音を拾ったカイは森へ向かって再度呼びかける。


「誰かいるんだろう? もうすぐ日が落ちるから戻ってこいよ!」


 しかし、返事はない。カイは腕を組んで考える。


(うーん。やっぱり誰もいないのかな? 風の音……? いや、ただの風の音にしては変な音だ。それに風の音なら今だって聞こえるはずだし……。普通に考えれば動物の可能性が高いけど、……ボルノあたりが遊んでいるってこともあるよなぁー。どうする? 日が完全に落ちるまでもう三十分もないだろうし。誰かが動けなくなってる可能性もゼロじゃない。……しょうがない。行くか……)


 意を決したカイは森の中へと入っていく。声をかけながら周囲を注意深く見渡しながら移動をする。数分ほど森を探索するが、草木が風に煽られている音のみで誰かがいる感じも動物がいる様子もない。


(やっぱり気のせいかな? しょうがない……。村に帰ったら村長さんに説明して村の人が全員いるのか確認をしてもらうか……)


 当てもなく探しても意味がないと結論づけ村へ引き返そうとした……次の瞬間。


「うん?」


 突如としてカイがいる近くの藪が大きく揺れ始める。


「誰だ? 誰かいるんだろう? ボルノか? まさかとは思うけど……。猛獣じゃないよなぁ……」


 獣の場合はすぐさま村に引き返せるよう足に力を入れて音の方に注目する。注視していた藪から出て来たのは……。


「はぁ?」


 カイの口から間の抜けた声が出る。いや、カイは理解ができなかった。人間や動物が出てくれば……。いや、最悪猛獣が出てくれば先程のような声は出さなかっただろう。しかし、カイの目の前に現れたのは全く予想だにしない存在だった。


「何だ……これ……?」


 疑問に答える者はいない。なぜなら、目の前に現れたものは人の言葉を発することができない存在だからだ。


 緑粘液怪物グリーンスライム


 人々が魔物と呼ぶ存在がカイの目の前に出現した。緑粘液怪物グリーンスライムは、カイを認識すると全身から「ジュワジュワ」と液体が染み出す様な音を立てる。緑粘液怪物グリーンスライムの身体から粘液を滲み出すのを見ていたカイは、今までに感じたことのない悪寒を感じてすぐに踵を返し村へ戻ろうとする。


「なっ!」


 踵を返した瞬間、信じられないものをカイは見た。村へと戻る道に緑粘液怪物グリーンスライムが最低でも五体以上も存在していたのだ。


(なんで!? さっきまで何もいなかったじゃないか。こいつら、どっから出てきた?)


 そんな疑問は、次の光景を見て吹き飛んだ。木の実や果物が落ちるかのように上から緑粘液怪物グリーンスライムが落ちてきた。緑粘液怪物グリーンスライムは木の上を移動しているのだ。


(上にもまだいるのか? というか村に帰れない。どうすれば……痛って!)


 どうするか考えていると、後ろの緑粘液怪物グリーンスライムが粘液を飛ばしてきた。粘液は右腕の服に当たると、服を溶かしてカイの皮膚を軽く焼いていた。


(これ、……溶けてる。嘘だろ! こいつ……、俺を溶かすつもりなのか?)


 緑粘液怪物グリーンスライムがまた粘液を飛ばすが、カイはその場から全速力で離れ森の中へ逃げ込んでいた。


(とにかく逃げよう! 動きは鈍そうだ……。この森は小さいころから遊んでたから、ある程度なら奥まで行っても戻ってこられる)


 これからの行動を決定させたカイは走りながらも後方へと視線を向ける。すると緑粘液怪物グリーンスライムは身体をカメレオンの舌のように伸ばし器用に周囲の木に巻きつけ移動してくる。


「……くっそ!」


 カイは愕然としていた見るからに動きの鈍そうな緑粘液怪物グリーンスライムが、まるで猿のような機敏さで木の枝から木の枝へ身体を伸ばしながら移動して追いかけてきている。


 一般的に粘液怪物スライムは動きが鈍いとされているが、それは誤った認識だ。彼らは液体状の身体をある程度は自由に変化をさせることが可能である。粘液状の酸を作る。一部肉体の硬質化。今回のように、自身の肉体を弾力性のあるゴムとすることで機敏な移動をする。このように粘液怪物スライムの肉体変化は多岐に渡る。しかし、それらの情報はあまり伝わらずに弱い魔物と一般的には言われている。理由は単純で魔物の中でも下級の粘液怪物スライムは弱い部類にいること。また、見た目の印象だ。確かに熟練の戦士や魔術師からみれば特に苦戦することなく倒せるだろうが、新人戦士や一般人が何の予備知識もなく対峙すれば危険な魔物といえる。実際に粘液怪物スライム如きと侮り死亡する新人戦士はあとを絶たないほどだ。


 カイはとにかく走って逃げることにする。


 ただ走る。


 全力で走る。


 一身不乱に走る。


 ◇◇◇◇◇◇


 ――現在


「あ、ぁ」


 掠れた声が知らずに漏れる。


 今にも襲いかかろうとする雰囲気の緑粘液怪物グリーンスライムが身体を小刻みに揺らしている。


 緑粘液怪物グリーンスライムは「グシュグシュ」と嫌な音を立てカイへ襲いかかる。


 襲い迫ろうとする緑粘液怪物グリーンスライムはカイの目前で――


 ――トマトがつぶれるような音を立て霧散する。


「えっ?」


 カイは信じられず瞬きを繰り返す。目の前まで迫って来ていた緑粘液怪物グリーンスライムが、なぜ消えたのか理解ができないカイは意味がわからず呆然とする。


「大丈夫か?」

「――ッ!」


 突如として後ろから声をかけられたカイは驚いて声の方を向く。そこには、紅い鎧を纏い、黒い剣を携える女戦士がいた。

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