秘められた過去
虫垂炎から退院したら、伯父夫婦は退院祝いをしてくれた。毎度毎度、ここまで大げさにしなくてもと思うけどしてくれた。だってさ、テルミたちまで呼んでの盛大な物だったのには参った。テルミたちが帰り、家の中が静かになった頃に伯父が話があるって言いだしたの。
「由紀恵さんも高校二年だし、卒業したら大学に行って家にはいなくだろうから、ちょっと話しておきたいことがある」
伯父はウチを引き取ってから一度たりとも『由紀恵』って呼びつけで呼んだことはないの。伯母さんも同じ。
「宿泊訓練でのスタンツの話は聞いた。そこまで由紀恵さんの心が戻ってくれたのなら、もう話しても良いと思ってる」
これほど真剣な顔をする伯父を初めて見た気がする。伯父は学校では謹厳実直で強面だそうで、サチコにも実際にもそうだと聞いたことがあるけど、家では大笑いしたり、大喜びしたりのひたすら陽気な人。でも、この真剣な顔こそ伯父の本当の素顔かもしれない。
話はウチの生い立ちに関するものだった。生い立ちと言っても継母にイジメられて、実父に置き去りにされただけんだけど、話は奇怪なものだった。実父は継母が来てから二人の仲こそ良かったものの、何をやっても上手くいかず、そのうえ勤務先が倒産し、再就職も出来ず失業者になっていた。あれはウチが小学校四年に上がる前ぐらいだったけど、考えてみればどうやって食べてたんだろう。
「幸次郎は教団から由紀恵さんの養育費を受け取ってたんだ」
『幸次郎』とは実父の名前。で、教団ってなんだ。
「恵みの教えだ。由紀恵さんは大聖歓喜天院家の血筋を引いている」
なんじゃ、そのオドロオドロしい苗字は。そういえば実母の旧姓がそんな感じだったような。
「それも血筋を引いてるだけじゃない、能力者の正統後継者の血筋を引いている」
恵みの教えは明治の頃に出来た新興宗教なのは現代用語の基礎知識に書いてあったのは知ってる。ある種の観音信仰で、特徴的なのは教主が生き仏の観音として崇められる。伯父の話ではウチの五代前が教祖らしい。
「伯父さんも木村の一族なんだ。木村の一族は大聖歓喜天院家の分家みたいなもので、代々本家である大聖歓喜天院家を支えてきた。もっとも、伯父さんは木村の一族といっても末の末で、今はほとんど無関係だけどね」
聞けば聞くほど奇怪やったけど、本家である大聖歓喜天家は完全な女系で当主は伯父が言う能力者であったそうだ。
「能力者とは」
「うむ、心清ければ人に恵みをもたらし、心邪ならば人に災厄をもたらす能力とされている」
この能力者は一代に一人されてるらしいけど、どうやら先代の能力者が亡くなった時に次代の能力者が出現する関係になってるらしいと伯父は言ってた。ただ、この辺は教団どころか大聖歓喜天院家の秘密になっていて詳しいことは知らないとしていた。
話はひたすら複雑なんだけど、教祖の次代の時に大聖歓喜天家は教主家となった長女の家と、三女の家に分裂したそうで、能力者の血筋は三女の家に伝わったそう。
「そうなれば、今の教主家の当主はタダの人か」
「そうだ、恵みの教えの教主家には能力者の血筋はない。能力者の継承は由紀恵さんの母の由紀子さんに伝わり、由紀恵さんに伝わっている」
ウチが能力者ってことは、
「わたしがその大聖歓喜天院家の当主なのか?」
「本来ならばな」
やっとウチにもわかってきた。教主家というか教団は能力者の血筋を取り戻そうとしていたんだ。おそらく養女ぐらいにして教主家に迎え入れる計画を立て、その代わりに実父にウチの養育費を渡していた関係ぐらいやろ。だから失業しても食べて行けたし、あれだけウチを蔑ろにしながらも、決して手放そうとしなかったのもわかる。
「なぜわたしが置き去りにされた時に、どうして教団は引き取らなかったのか」
「それはな、能力者が邪なる心を持った時には災厄がもたらされるからだよ」
伯父は言いにくそうだったが、実父の生活が行き詰ったのも、最後に破綻して夜逃げに追い込まれたのもウチの能力のためだと見ていた。それだけじゃなく、恵みの教え教団にも様々な災厄が降り注ぎ、一時は教団存続の危機にも陥ったとしていた。
「由紀恵さんが置き去りされた時にも教団関係者は来てたんだよ。でも、由紀恵さんの姿を見て震え上がってしまったんだ。ひたすら災厄のみをもたらす能力者であるのは一目でわかったってところかな。だから私が引き取った」
「そんなことしたら伯父さん夫婦が・・・」
ウチはいきなり思い出した。伯父さんはウチを引き取った頃に何回も何回もこう言ってた。
『恨みがあればすべてこの伯父にぶつけてくれ。な~に、由紀恵さんに殺されたって本望だ』
ウチは何を言われてるのか、わからんかった。どうして伯父さんを殺さなければならないのか理由すら思いつかなかった。でも本気だったんだ、氷姫だったウチが本気になれば、伯父さんだって殺しかねない能力者だってことを知った上で言ってたんだ。本当に命懸けでウチを引き取ってくれてたんだ。
「どうして、そこまでした」
「由紀恵さんは可愛い姪じゃないか」
「可愛いって・・・」
ウチは絶句してしまった。今でさえ家ではほぼ無表情。愛想なしの会話しかしないウチが可愛いって冗談もエエところじゃないの。
「由紀恵さんが明文館に進学したのは賭けみたいなものだった。あそこは特殊すぎる学校だから。でもヒョットしたら、由紀恵さんに心が取り戻せる学校かもしれないと思っていた。由紀恵さんはもう大丈夫だと伯父さんは思う」
思い当たるところは確実にあるの。例のウチの睨み。今でも怖がられるけど、力は確実に落ちてると思うの。小学校・中学時代なら本気で睨みつけたら、睨みつけた相手はタダでは済まなかった。ホントに病気や事故に遭っていた。でも今は違う。単に怖いだけ。だって小学校・中学時代並みの威力があれば、今ごろ明文館は大変なことになっていたはずだから。
「それにしてもテルミさんも、サチコさんも、クルミさんも、モモコさんも良いお友だちだ。由紀恵さんにあれだけの友だちが出来るのならもう心配する事は何もない」
「話したそうだが」
「あえて話してみた。みんな泣いてたよ。体育祭の時にどんなことをしても由紀恵さんを笑顔にして見せるって張り切って帰ってくれた。あの時はダメだったが、由紀恵さんは確実に変わった」
「でもそうなれば、教団の教主になるのか」
「ならない、そう約束させた。私が由紀恵さんを引き取る条件だ」
なんか茫然としていたら、
「由紀恵さんは嫌だろうけど普通の人間ではない。人に恵みももたらすし、災厄ももたらす能力も一生ついて回る。でもそれはコントロールも可能だ。コントロールが出来るようになるには温かい心が必要らしいと聞いたことがある。そしてコントロールできれば、由紀恵さんにとって決して悪い能力ではない。ここまでになってくれたから伯父さんは大満足だ」
伯父夫婦はウチのためにここまでしてくれてたんだ。ウチの中で確実に何かが溶けた気がする。これは言わなければならないって、いや本当ならもっと、もっと前に言わなきゃならなかったんだ。
「由紀恵って呼んで欲しい」
「どういうことだ?」
「そうじゃなきゃ『お父さん』って呼べないじゃない」
この家に来てから初めて涙を流した。それも止め処なく流れるのをどうしようもなかった。そう、ウチは泣いている。ごく自然に泣いている。こうなれたのは伯父さん夫婦の命懸けの努力の賜物。ううん、もう伯父さんでもない、伯母さんでもない、お父さん、お母さんだ。泣きじゃくるウチを伯母さん、違うお母さんがそっと抱きしめてくれた。
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