三学期

 家のリビングには体育祭の氷姫の時の大きなパネル写真が飾ってある。体育祭の後に写真部が小島とウチのコスプレ写真を、


『三大美人のコスプレ』


 こう題して売り出したもの。三大なのに二人しかないのは、写真部には加納が入部しており、入部条件が加納のグッズを売らない事だったから。加納は賢いと思った。もっとも売れたのは殆ど小島で、ウチのは殆ど売れなかった。五組の連中は悔しがっていたけど、ウチが見てもあの目は怖いわ。

 伯父夫婦はわざわざ高校のキャラクター・グッズ・ショップに行って買って来た。恥しいからやめてくれと言ったけど、取り外されずに飾ったままになってる。外そうとしたら伯父夫婦がとっても悲しそうな顔するものだから、それ以上は出来んかった。

 年が空けて三学期もそのまま委員長。この調子だったら、卒業まで委員長になりそうだけど、ま、いっか。別にイヤではない。冬休みぐらいから図書館通いする連中が増えた。そうこの学校の恐怖の自主性が試される学年末試験が迫っているから。

 とにかく他人の成績は筒抜け状態なんだけど、今年の一年の成績は史上最悪ってぐらい良くないとの評価になってる。とくに三組と四組が悪そう。理由は明白で、加納と小島にあれだけ追っかけが休み時間のたびに乗り込んで来られたら、落ち着いて勉強なんて出来ないのは良くわかる。

 五組は悪くない。そりゃ、ウチが睨んで追っ払うから静かなもの。これも今となっては感謝されてる。委員長を代えないのもそれが理由の一つらしい。もっともテルミやサチコ、クルミやモモコは悔しがっていて、


「委員長が微笑んでくれたら、女神様や天使にだって負けないのに」


 正直なところ加納と小島には勝てそうな気がしない。それを悔しいとも思わない。ウチは男にチヤホヤされるのは興味がない。ウチが興味があるのはあの人だけ。でも、あの人を振り向かせるには笑わないといけないとは思ってる。

 どうやったら笑えるんだろう。心はこの一年で笑えるようになったのよ。面白がったり、楽しんだりも出来るようになってる。言葉だって内心で考える時には、変わって来てる。でも、でも、外に映し出されることはない。やっぱり小学校時代の影響は大きいわ。無意識のうちに表情に出すのにブレーキがかかってしまう。おかげで氷姫以外の呼び名まで付いてしまった。


『笑わん姫君』


 笑ったことがないのはウソじゃないから間違いとはいえないけど、今のウチには付いて欲しくなかった呼び名。ウチだって加納や小島、とくに小島のように笑いたいし、微笑みたい。うん、小島の微笑みは超一級やと思う。アイツがいるだけで周囲が自然に笑顔になるぐらい。あの微笑みが出来たら、あの人だってきっと振り向いてくれるはず。


 学年末試験も終り、今日はいつもの四人と図書館でダベってる。ウチの一番大切な時間になってる。この四人には本当に感謝している。いくら個性を面白がるこの学校でも、ウチ一人やったら殻にこもって過ごしていたに違いないもの。そんな頑ななウチの心に入り込み、凍った心を溶かせてくれた恩人、いや初めてできたお友だち。ふとクルミが、


「ところで委員長、聞きたいことがあるの」

「今から勉強するのか」

「違うわよ。体育祭の時の事だけど、委員長は最後の最後に台本無視したでしょう」

「ちゃんと台本通りにやった」

「ウソ」

「ウソじゃない。わたしはウソはつかない」

「じゃあ、台本の最後に何が書いてあったか覚えてる」


 あの時の演出はひたすらウチが怖い顔をして睨むだったが、最後に最高の笑顔を見せると書いてあった。


「あの個所は出来ないと言った」


 そしたらクルミの表情が変わった、


「委員長はそう言ったけど、誰も了承していないよ。クルミだって、モモコだって、テルミだって、サチコだって、クラスの他の子も誰一人了承なんかするもんか。たとえ委員長の怖い目で睨まれても絶対了承しないって誓ってたんだ」

「どういう意味だ」


 あれクルミの目から涙が、


「見たかったのよ、委員長の笑顔が。どうしても見たかったの。見たかったから、嫌がるだろう委員長を氷姫に担ぎ出したのよ。最初に口火切った和田君なんてオシッコちびってたと言ってた。でも委員長の笑顔を見たいから死ぬ気で頑張ったって」


 あの時のホームルームは嵌められた感じがあったけど、やっぱりそうだったんだ。


「委員長が了承してくれて、みんな燃えたのよ。あの台本だけど、最初に書かれたのが最高の笑顔を見せるだったの。すべての演出は最高の笑顔を引き立たせるためのもの。最高の笑顔までが怖ければ怖いほど、最高の笑顔は極限にまで引き立つはずだって。それなのに、それなのに・・・」


 あれクルミが泣き崩れてしまった。そしたらサチコが、


「木村さんは春の時に、ここ十年間笑ったことはないって言ったやん。あれは冗談と思ててん。でもウソやないってよくわかったのよ。ニコリともしないって思い知らされたわ。でもね、でもね、木村さんが心優しい人だってのもわかったのよ。こんなに心優しい人が笑えないなんて信じられないぐらい。実はね・・・」


 サチコの話は初耳だった。夏休みにこの四人の家庭教師みたいなことをやったし、親御さんがお礼に訪ねて来たのも知ってたけど、伯父夫婦はこの四人を招いてたんだ。


「お父さんと思ってたら伯父さんだったんだ。伯父さんのことは、ちょっと知ってたの。兄貴の高校の時の担任で、兄貴はバカやってたこともあったから、すっごいお世話になってるの。あの兄貴が立ち直って大学に行けたのは伯父さんのお蔭なのよ」

「・・・」

「伯父さんは何回も家庭訪問に来てたから、サチコも顔馴染みだったの。それは、それは立派な先生だったのよ。兄貴に怪我させられて入院したこともあったけど、兄貴に怪我させられたなんて一言もいわなかったの。兄貴は口癖のように、


『木村先生はオレの人生の大恩人』


 恩返しするには、木村先生にも認めてもらえる人間になるんだって。今は教師目指して頑張ってる。そうそう兄貴が教育学部に行けたのも木村先生が付きっきりで教えてくれたお蔭よ」


 伯父は入院したことがある。学校の階段を転げ落ちたと言ってたが、あれはサチコの兄に突き落とされたのかもしれない。


「そんな伯父さんが言うのよ。木村さんの笑顔を一度でも見てから死にたいって。それが生きがいだって」


 伯父さん話しちゃったんだ、ウチの生い立ち。話してしまったものは仕方ないけど、


「サチコも聞きながら耳を疑うような話だったの。そんなことはテレビとか、映画とか、小説とか、マンガの中の話だと思ってたもの・・・」


 こういう状況は苦手なんだけど、サチコも涙ぐんで話せなくなってしまった。そしたら話を引き継ぐようにテルミが、


「だから決めたの。木村さんに最高の笑顔をしてもらおうって。みんな大賛成だった」

「みなに話したのか」

「ほんのサワリだけよ。全部は話してないから安心して。わたし達はそこまでバカじゃないつもり。でもそれだけでみんなが大賛成だったのは信じて。木村さんは怖いけど、みんな慕ってるんだよ。それに本当は怖くない事も。だから、絶対に木村さんに最高の笑顔をしてもらおうって」


 準備の時の盛り上がりは、この高校だからだけじゃなかったんだ。そういえば、衣裳を決める時に雪女の白装束から和服ベースのドレス風に変えるのにウチは反対したんだ。シンプルな和服の方がああいう場合に調達しやすいってのがあったから。そうしたら、デザイン担当と製作担当が、


『必ず委員長が映えるドレスを作って見せます』


 あのドレスへの注文は異様なぐらい多くて厳しかった。それこそ縫い目がほんの少しでも乱れてたら、


『やり直し』


 デザインだって、何度も何度も変更が繰り返され、製作担当なんて毎晩徹夜じゃないかと思ってたぐらい。そこまではやり過ぎだと思って、これで十分って言ったんだけど、


『委員長は黙っていて下さい』


 それこそクラス中から睨まれた、睨んだことは数えきれないぐらいあるけど、あれだけ睨まれたのはそれこそ初体験。その中で一番睨まれたのがデザイン担当と製作担当。


『最高の演出のためには最高の衣裳が必要なんです』


 体育祭当日にウチが衣装に着替えて出てきたら、デザイン担当と製作担当が土下座して待ってた。それこそ目を真っ赤にして肩を震わせながら、


『委員長ゴメン、大きな口を叩いたけど、ここまでしか出来へんかった』


 ウチはどうしてそこまで口惜しがるか最後のところがわからへんかってんけど、そこまで頑張ったのは、まさかウチの最高の笑顔を見たかったためとか。


「テルミはね、テルミはね、別に怖い顔もしてもらわなくても良かったんだ、睨んでもらわなくても良かったの。氷姫の演出なんてぶち壊しで、全部笑顔でも構わなかった。それなのに、それなのに・・・」


 おいおいテルミまで・・・


「モモコもそうだった。なのに委員長は台本の期待以上の怖さで睨んで回るんだもの。でも、でも、その分だけ最後の最後の最高の笑顔がムチャクチャ映えるって、ずっと固唾を飲んで見守ってた。そして最後の最後・・・」


 あの時のウチは振り返って台本には書いていない一睨みをして退場したんだ。


「どうして最高の笑顔を見せてくれなかったのよ。怖かったから審査員特別賞がもらえたけど、モモコもみんなもあんな賞はいらなかった。欲しかったのは最高の笑顔、いやただの笑顔でも良かったの。それが見たいばっかりに・・・」

「台本の訂正の確認が不十分だったのは手落ちだったと認める。ただな、笑顔は無理だ」

「どうしてなの、どうして笑顔が出来ないの」

「どんなに頑張っても笑えないんだ。わたしだって笑顔になりたいし、なるために努力もしてる。でも今は無理だ」


 みんな黙り込んでしまった。しばらくしてから、


「ところで、よくそんな演出を思いついたものだ」

「あ、それ、山本君に相談したらアドバイスくれたんだ。あいつ勉強はイマイチだけど、演出とか漫才台本書かせたらなかなかやねん」

「山本って一組の山本か」

「そうだよ、体育祭の時のコントの台本書いたのも山本君よ」


 これが今日の話の中で一番ショックだったかもしれない。あの人がウチのために、ウチの笑顔を見るために考えてくれた演出に応えられなかったこと。自分がアドバイスした演出だから、ウチが最後に笑顔を見せるはずと期待していたはずなのに、あったのは一睨み。うちの知らないところでドラマは動き、終わってたみたい。

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