第12話 水無月

 放課後。

 生徒が疎らになった教室で躍斗は携帯を手に渋い顔をしていた。

「なに? また分からないの?」

 美空が背後から覗き込むように声をかける。

「んー。知り合いから来てくれってメールが来たんだけど。住所だけ送られてもなあ」

 家に帰ってパソコンで地図を調べて、覚えるなり書き写すなりして現地を探す。

 地図が苦手な躍斗にとってこの上なく面倒だ。

 しかも相手は真遊海。

 少年の事はケリが着いている。今更話す事はない。

 断りたいのだが、スマホの液晶画面相手にポチポチと長文を打たないといけないのか? とゲンナリしていた。

「あら。ナビアプリ使えばいいじゃない」

 聞いた事はあるが……と逡巡していると、

「やったげるよ。かして」

 承諾もしていないのに美空は勝手に携帯を取る。

「まずはアプリをダウンロードして……、住所は?」

 いや。メールに書いてあるけど覚えてない、というような事を言う。

「メールに切り替えて……、これね。コピーして、行き先に貼り付け……、っと」

 手際よく携帯を操作するが、今時の子は人のメールを勝手に見るのか? と半ば呆気に取られたようにその様子を眺めた。

「ほら出た。後はスマホの指示に従って進めばいいよ」

 ありがとう、と言いながらも内心余計な事を、という気持ちがなくもない。

 携帯を手に歩き出すが、校舎を出た所で足を止めて渋い顔をする。

「なに? また分かんないの?」

 美空が躍斗の視界に割って入ってくる。

「いや、地図が小さすぎてよく分からない」

「地図を拡大すればいいじゃない。指でこう」

 美空の指の動きを真似してみる。

「もう。ほらかして」

 美空は慣れた手つきで地図を拡大した。

 見易くなった地図を片手に少し歩き、立ち止まって回れ右をする。

 まずどっちに進めばいいのか分からない、という様子の躍斗に美空はランドマークを見つけるように指示する。

 そんなやり取りをしばらく続けた。

「ほら、そのゴールのマークが目的地だよ」

 これか、とマークを正面に捉らえ、真っ直ぐに歩く。

 ゴールのマークと現在位置を示すマークが重なりそうになる。

 ここか、と躍斗は顔を上げた。

 そこは三階くらいのオフィスビルで、一階の前面がほぼガラス張りだ。

 何の建物なのかは看板を見ても分からないが、庶民的なポスターが貼ってあり誰でも気安く入れそうな雰囲気は作ってある。

 その大きなガラス戸の向こうから、ワンピース姿の少女が走ってくると、扉は勢いよく開く。

 飛び出してきた少女、真遊海は顔を引きつらせていた。

「利賀……くん? そ、その人は?」

 無事真遊海の指定する場所に着いたようだ……と安心もしたが、真遊海の様子に少したじろいで横の女の子を見た。

 何だかんだで美空もここまで着いてきたのか、とやっと気が付いたように彼女を見る。

「クラスメートだよ。たまたま帰りが一緒になって。携帯の使い方を教えてもらったんだ」

 帰り道が同じかどうかまでは知らないが、帰りがけが一緒だったのだ。間違ってはいないはずだ。

 後は物珍しい携帯に夢中になって、女の子と一緒に帰路に着いているという事も忘れていた。

「そ、そう。どうぞ。折角なんだから、お茶くらい飲んでってよ」

 あ、いや私は……、と物怖じする美空に構わず真遊海が手で合図すると、中にいた男達がさっと外へ出てきて美空を連行するように中へと促す。

「ささ、利賀くんも」

 ああ……、と何か悪い事をしたのかと釈然としないながらも大人しく躍斗も建物に入る。

 フロアは開けていて、天井も高く明るい。

 正面には大きなテレビ。マガジンラックやコーヒーメーカーなど、打ち合わせを目的とした接客スペースのようだった。

 お洒落な丸テーブルを三人で囲む。

 突然こんな所に座らされ、一体何なのかと動揺する美空に真遊海は姿勢を正し向き直る。

「先程は失礼。わたくし、利賀くんと親しくさせて頂いています。『水無月』真遊海です」

 心なし水無月という苗字を強調したように聞こえた。

「わたくしの手製なので、お口に合うか分かりませんが」

 と御付の男が持ってきたティーカップと皿に盛られたクッキーを差し出す。

「利賀くんは、コーヒーにミルク、お砂糖は4つだったわよね?」

 真遊海は優雅な手つきでコーヒーに砂糖とミルクを入れた。

 そんな事を教えた事はないが……、と思いつつも躍斗は曖昧に頷く。

 真遊海の前でコーヒーくらい飲んだ事はあるかもしれないが、それをしっかりと見ていたのか。

 真遊海は手を添えながら音を立てずにスプーンでかき混ぜる。

 そして自分のカップをこれまた優雅な手つきで取り上げるとそっと口を付けた。

「ルイボスティーは美容と健康にいいんですのよ。カフェインも入ってなくて若返り効果がありますの。わたくしも若く見えるかもしれませんが、あなたより一つ年上かな?」

「学校行ってないだろ。学年関係ないんじゃないか?」

「あら失礼ね。これでもわたくし大卒の資格を持ってますのよ」

 それは知らなかった、と内心少し驚く。

「利賀くんってステキだもの。お近づきになりたい気持ちはよく分かるわ。でも彼ってクールで、ちょっぴりワイルドなトコがあるから。普通の女の子じゃ、荷が勝ちすぎると思うのよねぇ」

 真遊海は、口元に指を当てて何やら考え込む仕草をする。

「彼には力がある。それに耐えられるだけの強さと力量を持った子じゃないと。彼女の方がかわいそうだと思うの」

 躍斗は露骨に「何の話をしてるんだ」という顔になったが、そこへ男の通る声が割って入る。

「逆に普通の女の子の方が、彼には合うかもしれませんよ。強い男ほど、普通の安心を求めたりするものです」

 と言って、桐谷がチョコレートの盛られたグラスをテーブルに置く。

 真遊海がギリッと歯を鳴らしたが、桐谷を睨みつける事はしなかった。

「いやあ、僕も大人の中で仕事をしているからね。こんな若い子を見るのは久しぶりだ。いやあ可愛い。若さというのはそれだけで素晴らしい価値がある。躍斗くん、奥手だと思ってたのに案外隅に置けないじゃないか」

 友達のように話しかけられて躍斗は内心ゲンナリし、真遊海は美空に見えないように桐谷の足を踏んづけた。

「いや、そんなんじゃないし。美空さんもついでに案内してくれただけだ。戸惑ってると思うんだが……」

 さすがに美空に悪いと思うのでフォローする。

 美空も「ホントにそんなんじゃ……、家がすぐ近くなので……」としどろもどろになりながらも何とか「用があるので帰らないと」という事を伝える。

 真遊海は、まーすっかりお引き止めしちゃって、と大袈裟に手を合わせ、

「利賀くんとはこれから込み入った話があるものね。一般の人の身に危険が及んでは大変」

 そのまま背後に向かって合図をすると、付き人の一人が美空を促す。

 はあ……、と美空は訳が分からないというままそれに従った。

「またいつでもいらしてくださいね」

 二度と来ないと思うが、と思いながらも軽く手を振って美空を見送る。

 なぜか満足気な真遊海に少々呆れながら、当面の疑問を投げ掛ける。

「ここは何なんだ?」

 さっきまでの姿勢を崩して足を組んだ真遊海は「ん?」と眉を動かす。

「ああ。水無月の調査員の詰め所。よーするに探偵社よ。一応わたしの管轄」

 パリ、と自分の作ったクッキーをかじる。

 桐谷が書類の束を持ってきた。

 それで少年の事なんだけど……、話を切り出す真遊海に、躍斗は言葉を割り込ませる。

「あ、いや。その事はもういいんだ。そいつにはもう会ったよ。不思議な力なんて持ってなかった。ただやたらケンカが強いだけの子供だったよ」

 真遊海は呆けた、桐谷は怪訝な顔をしたが、躍斗は言葉を続ける。

「隠し武器とか使って、ケンカ慣れしてたから能力者みたいに見えたんじゃないの?」

 真遊海はしばし呆気に取られていたが、吹き出すように笑うと書類を取り上げて桐谷に突き返した。

「なあんだ。そうだったの? 神無月の連中も、そんな子供にいいようにやられるなんてだらし無いわね」

 書類を押し付けられた桐谷は、納得いかない表情で書類と真遊海を交互に見比べる。

「でも神無月が数人で手こずる奴を一人でやっつけちゃったんでしょ? さすがよねえ」

 矢継ぎ早に躍斗を褒めちぎる真遊海に桐谷は「あの……その」と口を挟もうとするが、真遊海の饒舌にその機会を見出せないでいた。

「なによ、さっきからウザいわね。言いたい事があるんならハッキリ言いなさい!」

 真遊海が溜まり兼ねたように叱咤する。

「デタラメ……あ、いや。証拠はあるのか?」

 桐谷は真遊海の手前、少し控えめに問う。

 しかし証拠と言われても……と黙るしかない。

「なにそれ。彼がそんなウソついて何の得があるって言うのよ」

 桐谷は露骨に「は!?」という顔をする。

 事実、嘘なので躍斗は少し気まずいが、拓馬を守る為には仕方がない。

 さすがねー、とまた話の頭に戻る真遊海に、桐谷は資料の一枚を取り出す。

 それは更なる調査によって手に入れた、拓馬にやられた神無月の黒服のカルテのコピーだ。

 包帯を巻き、ベッドに伏せる大人達の写真とその怪我の度合いが記されている。

「仮にも戦闘訓練を積んだ大の大人が数人がかりで……。ただケンカの強いだけの子供に、ここまでやられるとは思えませんが」

「そこが結構穴だったりするんだよ。まさかこんな子供が……って舐めてかかってやられたんだ。最近は子供でもネットで簡単に武器を買えるんだし」

「そうよ。しかも相手は神無月よ。戦闘訓練って、ロクに実戦経験も無いような連中でしょ。ただ金に任せて高い武器を仕入れただけでウチと対等になったつもりでいるような奴らよ。ここは日本。武器が使えなかったらただのチンピラよ」

 小バカにしたように茶を飲む真遊海に桐谷は納得いかない様子だ。

 いやしかし、と続ける桐谷に、

「うるさいわね。そんなに言うなら自分の目で確かめればいいでしょ」

 その言葉に狼狽するだけだった桐谷の動きがピタリと止まる。

「つまり私に任せて頂けるという事で?」

 勝手になさい、と真遊海は興味無さそうに見もしない。

「いや、あの……。もうケンカはしないって約束したんだ。ただの子供だから、あまり手荒な事は……」

 桐谷に向かって言うも、耳に入ってないようにさっさと退室して行った。

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