6-2


 M市に入り暫く走行した誘導車がハザードランプを点灯させ停車したその場所の外見は予想していた暴力団事務所ではなさそうだった。


セダン同士が擦れ違うのに気を遣う程の道幅が交差する角に茶色の斑点が表面に点在する塀で囲まれた邸宅前でライトを消した車から降りた沢口にいざなわれてエンジンを切る。

その指示は周囲の住民に迷惑を掛けない決まりを厳守する振る舞いに見えた。

走り去った車の後で入口付近にバイクを停め、同窓生に顎でしゃくられた方へとついて行く。

交差点の一隅を落とした所に建てられた和風で屋根付きの門構えには『柴原』と表札が埋め込まれていて、会社の年配者からの無駄話に付き合わされたせいで名称と形状が記憶に残っていたイヌツゲの玉散らし仕立てや、端正に刈り込まれたモチノキが植えられた庭を抜けると、木目柄で欄間付きの玄関前で止められた。

「失礼します」

一声を掛けてから戸を引いた先に見えた三和土たたきには複数の革靴やスニーカーが並んでいて、この場所は若い衆が部屋住みをしているのだと推し測る。

中に入って式台を踏み、上がりかまちを跨いで奥行きが深いフローリングの廊下に上がった沢口は、左手の広縁ひろえんには進まずに右側の洋風扉をノックし、その向こうから聞こえた「おう」の合図でドアを開け、入口で正座し五指を立て、

「失礼します」と室内にお辞儀をする。

そうしてからでないと入室が認められない礼儀を遂行したのであろう。

「連れてきました」

「呼べ」

ドスの利いた声質から中堅幹部以上の地位を持つと思われる人物の指示の後で沢口がこちらに向き、命令染みた「上がれ」を投げつけてきた。

「お邪魔します」

この台詞を使ったのは最低限の敬意を払いつつ、怯んだ素振りは込めずにへりくだってはいないと最大限の意地を知らせる為。

靴を脱いで段差に乗り、フローリングへ足を掛けた体勢の時に視界の横から室内の景色が入る。

縦長でブラウンの洋風ローテーブルが置かれたその奥に人の気配を感じ、部屋内に正面を向けた時に同色のソファーに待ち構えていた細身の男と視線が合う。


この瞬間に神経がヒリつく。

それと同時に自分の欲求がこれだったと確証を得た。

緊迫感やスリルで快楽へのスイッチが押され、高揚感が興奮を発動させる。

やるかやられるか。

出方次第で無傷のまま済むか、痛みを受けるのか。

これが堪らなくて、これを求めていたのだと断定する。


「よぅ、まぁ座れよ」

菊紋模様が格子に組まれた半袖セットアップジャージでくつろぐ側面を刈り上げる洒落た短髪の人物に手招きをされ、深くはない会釈をし、ドア敷居を跨いで一度立ち止まる。

その際に横並びになった沢口は眉間に皺を寄せて後ろ手に直立していた。

「いいから、座れよ」

その声は若中に対するトーンと違って軽やかに聞こえ、表情も砕けている。

「ほら」

仕舞いには自らの左手で三人掛けのソファーを二つ叩いた。

これに拍子抜けしたが、緊張と緩和を巧みに使い分ける猛者だと読み取る。

「では、失礼します」

警戒心に敬いを含めて腰掛けた俺の背筋は自然と伸び、軽輩によってドアが内側から閉められた。

「俺は柴原、柴原政晴だ」

無駄に肩書を持ち出さない身分の明かし方から結構な役職なのだと受け取れ、その声量や言い回しから歳は四十前後だと踏んだ。

「お前の事は色々聞いてるから自己紹介はいいや」

沢口か。

「あそこで何していた」

痛くもない腹を探られる。いや、痛んでいた腹なのかも知れない。

「で、何が知りたい」

これには戸惑った。

間に髪を容れずとはいかなかったが、ここでの駆け引きは危険だと感じた俺は率直に答える。

「家族ごと失踪してませんか?」

ここで空気が変わった。

「そう来たか」

上席者は姿勢を右に倒し、肘掛けに頬杖を突いて薄ら笑いを浮かべ、こちらの核心を探る様に冷ややかな眼を浴びせる。

(しくじったか……)

徐々に太腿の上で握った拳に力が込められ、汗が滲み出す。

「やっぱり俺の嗅ぎ分けには狂いが無かったな、な?」

今度は仰け反り微笑んで子分に同意を求めた相手に戸惑い、思わず目が行った沢口は愛想笑いで応じていた。

視線を元に戻すと、今以て柔和な笑みのままでこちらを見ている。

(この人にはどう伝わり、どう映ったのか。

自分がヤクザに興味を持たれたのは何時、何処からなのだろうか)

「で、怪しんだ切っ掛けとは」

ゆったりと構えて問う言葉には先程までの遊びが感じられなかった。

(試されているのか、それとも心当たりがあるのか)

「ある墓で説明つかない代物を見かけました」

「ほぅ」

(この相槌はどっちだ)

「それは、タケさ……小島剛さんのライターです」

「なるほどねぇ」

(なるほど?……)

この返しに引っ掛かった俺は自分の立場をわきまえずに予想をぶつける。

「あの、柴原さん。呼び名これでもいいっすか?」

「おぅ、構わねぇ」

「じゃあ、柴原さんは小島剛の家族がどこに居るか知ってますよね」

「ふっ」

にやけた。俺の推察は当たったのか。

しかし、凝視した先の表情が締まる。

「いや、知らねぇ」

首も振らずに否定した真顔からは虚実も真実も読み取れなかった。

古強者ふるつわものに軽くいなされるのは織り込み済みだったが、引くに引けない状況を作り出したからには食い下がるしかない。

「では、どうして沢口はあそこに」

「そうなるわなぁ」

後頭部に両掌を組んで余裕に満ちた言葉を発した相手の視線が妙に優しくなり、

中堅ヤクザは束の間の時を生んだ。


息苦しい。

恫喝や罵倒を浴びていないのに威圧をもろに受ける一刻が長引く。


そのままでやり過ごしていた格上の人物は、腹帯を締めてかかるかの様な声で、

「なら、教えてやる」

と言って居住まいを正し、その後の眼光が鋭くなり口角が下がった。

それに目引き袖引きで呼応する。

「世の中にはな、ぶる奴とか、っぽい人間はいるが、競争に勝ち残り絶対的権力や莫大な金を得るのは一握りの善人か、その道に長けた悪党だ」

本質から逸れた不意の講釈に面食らったが、ここでも少しの間を置いてくる辺りは流石の熟練者だと思いながら次を待つ。

「危険しかない小規模なシャブのシノギは捨てると組長に告げられてな」

ここからはやっと本題に入ったと察してもう一度気を引き締めた。

「使えない馬鹿共を切って下の入れ替えを画策し、奔走し出した矢先にお前の揉め事が耳に入った」

陰謀に取り込まれ、蜥蜴とかげの尻尾切りに巻き込まれた……俺、久賀、タケさんは。


「俺の書いた絵図は、予定より二時間早く小島を呼び出させた所から始まる」

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