5-2


「だが、俺は和泉組で下っ端の人間だ。一連の計画に口出しできる立場じゃない。

 黙って加担するしかなかった」

この時の俺は、替え玉として言い包められた男の行動や言動の端々に見受けられる心のざわめきを感じながらもコイツの近辺が起こした凶行を理解する気には到底及ばず、只々沸々と湧き上がる苛立ちに呑み込まれるのを歯ぎしりで和らげる真似事に徹していた。

「それと、アニキはお前に恩を着せて組に入れたいと言ってたよ」

この一件の揉め事をダシに使われ、鬼畜龍を消滅させた暁にはその手柄を足枷にしようってのか?

挙句に奴等と一緒に仲良しこよしになれってのか?

お門違いも甚だしいぜ。


「……俺はな……」

ここに至るまで数回の然も一瞬しか目が合わなかった久賀の囁きに耳を貸す。

「……偉くなりたくてな」

沈んだ口調で語り出したヤツの眼からは生気が失われていく様に感じた。

「それが叶わなくなってよ」

中身が端折られて出てくるのはそれだけ混乱が内に渦巻いているのだろう。

きっとコイツなりの言い分があるらしいと判断し、急かす事はせずに背もたれから上半身を離して高圧的な態度を止めた。

座ってからの姿勢を崩さず微かにしか揺れなかった久賀がこれに呼応したのか、静かに語り出す。

「高校入試の前の事だ。俺が希望したのは私立W高校でさ、それを親に報告したんだよ。そしたら学費の問題で両親が揉めた。

『私立は掛かる』ってな。仕方なく公立に進学したが腑抜けな学校生活にしかならなかった」

ここで指に挟まれていた煙草の火が何時の間にかフィルターに達して消えていたのに気付いた俺はソレを灰皿に捨て、続きが引き出される時に備え敢えて視線を逸らす。

窓の外を眺めて待ったのは数秒だったのか、それとも数分だったのか、久賀の声が聞こえた。

「長くは持たなかった、半年だ。自主退学。辞めて直ぐだ、お前を思い出したんよ。

あの頃は羨ましいなんて微塵も思っていなかったが、路頭に迷っていた自分には気楽そうに好き勝手生きていたお前みたいな人生を送りたくなった」

当時の周り皆がそう捉えていたのかは定かではないが、少なくともコイツはそう変換したのか。

だが高校デビューを通り越して暴力団に成り下がったお前の結論は飛躍しすぎだ。


小せぇよ。お前が感じた不幸なんて埃にも満たない。


「けどな、自分はケンカが弱いと即刻分からされて甘かった考えだと知ったよ。結局どんな状況からでも勝たなければならない世界なんだと。伸し上がる術を知らなかった俺は手っ取り早く自分の立場がひっくり返る数式を求めた。金も力も手中に収められる法則と共に。それではじき出されたのがヤクザだった」

圧倒的な力に憧れたから、その力が欲しくなったからヤクザになる。

そんな些細な理由で周囲から一目置かれる立派な極道なんかになれる訳無い。


お前は未だに甘いんだよ。


「『負けて強くなる』って言うだろ、あれは嘘だ。例えば思い付く格闘技のチャンピオンを想像してみろ。生涯成績に比例して神の様に崇められる。負けなきゃ負けないだけ恐れられるんだ」

理詰めで自論を展開する辺りは根っからの勤勉さが窺える。

そして向上心が悪い方に転がったな。


でも、そういうモンじゃないんだぜ。上に立つとか強いとかってのは。


「反発には恫喝を使えばいい。服従させるには恐怖を用いればいい。人を押さえつけるには腕力となる肩書でどうにかなっちまうもんなんだからな」

それが欲しくて代紋や看板を貰いに裏道を走ったのか。


手前てめぇは誰に、何に勝ちたかったんだ。


「……お前、向いて無ぇよ」

皆迄は言わずの言葉を感情を込めずの表情で相手に向け、抑揚なく愚か者に浴びせる。

「……そうかもな」

間を置いた割には聞き分けの良いトーンで久賀が反応し、ゆっくりと首を上げる。

その何処を捉えるでもない眼をした哀れな男に対して、身から出た錆だとか、悲劇の主人公だとか思えなかった。

『痛みを分かつ』

どうしてかこの文言が頭に浮かぶ。


「なぁ、バックレちまえよ」

自身から出た台詞を言い終えて錯乱する。

こんなのが自分とコイツの苦痛を鎮火させる最善策になり得るのだろうか。

己が今やりたい事、するべき振る舞い、やらなきゃいけない行動は何だ?

コイツが何事からも逃げて何になる?

俺の周辺から久賀が消えたからってどうなる?


「それも考えた」

小さく届いた声によって我に返る。

「けど、そうはいかない」

そう発して俯いた相手には妙な落ち着きがあった。

「俺が出頭しなければ、小島という人物の姿が見られないのは失踪だと決めつけられ殺人は暴走族の奴等が吹いて撒く眉唾物の話として片づけられ、噂だけがまことしやかに囁かれるだけで闇に葬られる」

(確かにそりゃそうだけどよ)

「そんなコトしなくたってあの場所での殺しは警察に知れるぜ」

(バレるに決まっている)

「だろうな。けど廃パチンコ屋に乗り付けていた小島の自家用車は既に族の奴等の誰かがこっちの指定したスクラップ工場に届けさせている。今頃はもう解体されているだろう」

(だとしても)

「それでも近い将来そいつ等から話が漏れるだろ」

(上手くいく訳が無い)

「その心配はない。アニキと柳田さんが散々脅してから『車運んで証拠隠滅だから共犯だ』とか『バレたらアイツの様に殺す』とか『黙ってりゃ何もしない』って念を押していたよ」

(ガキがヤクザに凄まれたら頑なに口をつぐむ筈。

更に脅迫をされる側の心理を巧みに利用してやがる……)

「ハジキの取引はアニキから金を預かって或る場所で仕入れたんだが、仮にパクられそうになったら『久賀信宏が不法入国者相手の売買をどこからか知ったもんで単独で買った』の一点張りで通すと口裏を合わせてある。警察なんてもんは、誰が誰に売って何処から仕入れたかが分かれば経緯なんか重要視しないんだとさ」

殺人隠避の工作を冗談染みた薄笑いで締めた相手に怒りをぶつけるのも情けを掛ける気も失せていた。

それは腕を伸ばせば届く距離で溺れる人を見捨てるつもりでもないが手を差し伸べるのを躊躇っている者の心境とでも言おうか……

何れにしても、自分には処理し切れないと判断するしかない。

「自分を含めた三人の間では誰に何を聞かれても、生涯知らぬ存ぜぬでかわすとして計画は終わっている」

そうだろう。それが人を殺めた奴が先ず取る常套手段なんだろうな。

「だけどな」

この瞬間に久賀の言葉の毛色が変化した。

「だけど、アニキ達と企んだシナリオには

“自首”は無いんだよ」

突如の再会から始まった会話に矛盾が生じていた事をここに来て初めて気付かされる。


これもあの違和感だったのか。


言葉から受ける印象の変化は実行犯と首謀者に対しての裏切りから来るものだと知ったのだが、コイツの思惑が読めない。

「じゃあ、何故警察に出頭するんだ」

洗いざらい喋るつもりか?

死ぬまで口を割らないと誓ったんじゃないのか?

「動かなくなった人間を運搬して埋める作業は今朝俺一人でやった。場所は俺が警察に喋らなければ捜索されずに発見されない」


まだ隠されていた事実に息を呑む。


シャブで頭の壊れた人間は、子分に手を汚させ、罪の意識を植え付け、秘密の暴露を抱え込ませた。


だが、脳の溶けた奴がこれ程の巧みな隠蔽を閃くだろうか。

知恵を吹き込んだ人物が他にも居るに違いない。

久賀はきっとまだ何かを知らない。

だとしても、自分にはどうすることも出来ない。

歯痒い。虚しい。不甲斐ない。苛立たしい。

そしてこんな事も俺の脳裏を過ぎった。

消え去りたい、と。


「で」

今の俺にはこれしか出て来なかった。

「最悪の場合を見越した筋書きを警察で話す」

(チッ)

この期に及んでも尚クソ共を庇おうとする発言に舌打ちが出る。

しかし、この行為で我を取り戻した。

「全部正直には話さないってコトか」

「あぁ」

ヤツは床を見つめたままそう答える。

何だ、そのちっぽけな見栄やプライドは。

「でもパクられに行くのか」

誠実でも不誠実でもない行いに理解しかねる疑問をぶつけた。

そうか、罪悪感に押し潰されたか。

「償いだ」

久賀は囁きにも呟きにも聞こえる一言を発する。

お前、改心するのが遅ぇよ。

亡骸なきがらは家族に返してやりたい」

次の言葉も聞き取るのが容易ではなく、掠れている。

勘違いするな、それは良心じゃねぇぞ。


小島剛という男は帰って来ないし、お前の罪は無かった事にはならない。

いっそのこと、まとめて死んで詫びる方が残された人々の為になるかもな。

十代がまだ終わらない同級生の前で醜態を無様に晒すのに勇気が要っただろうが、その心意気を買うつもりも悪態をつき罵倒する気も無い。


「言いたい事は言ったか」

突き放す。自分にはこれしか出来ない。

「消えろ」

消滅してくれ。人の死に関係した奴等も。廃墟で起こった出来事も。


引導を渡した俺は、視界に俯く相手を捉えるのを拒んで瞼を閉じ顔を伏せる。

そこに存在する気配が窺えない程に沈黙した久賀は、それでも立ち去らずに居座っていた。


辛いか……かもな。

怖いか……だろうな。

苦しいか……けれど、もう終わりだ。


この話、お前との関係、手前てめぇの人生。


「失せろ」

自然と語尾が強まる。

「そうするよ」

久賀のそれには場を離れる為の踏ん切りをつける勢いが籠っていた。


足音が遠ざかる。

その音色は重くも取れ、軽くもあった。

ヤツの影、音、匂いが感じられなくなるまで固まっていた俺の様は、最後に見た久賀の姿勢とほぼ変わらないトレースをしていたが、アイツと決定的に違っていたのは心中が虚しさと腹立たしさで覆いつくされていた事だ。

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