あの子の髪色が変わる理由

天瀬智

あの子の髪色が変わる理由

 私――筑波桜つくばさくらは、花ヶ咲はながさき高校に通う三年生だ。

 十月に開催される文化祭では、美術部として特別な作品をしている。

 文化祭は三日間。

 私は、控えめに言って友達が少ない。

 いや、いるにはいるが、文化祭を一緒に回るような仲の友達はいない。

 だから、過去二年間も美術室にこもっていた。

 今年もそうしていた。少なくとも最初の二日間は。

 だけど、最終日の三日目は違った。

「今度は、あっちの喫茶店に行きませんか?」

 私の手を引っ張る少女。

 まったくの赤の他人。

 年下で、中学生くらいだろうか。

 今日出会い、その強引さをもって引っ張られる私の目の前に映る少女の姿は、そう――コスプレ姿なのだ。

 六年前に放送された、花をコンセプトとした魔法少女もののアニメ番組『カローラ・ガールズ』の三人娘のひとり――ホワイトリリーそのもの。

 真っ白なストレートヘアーを首の後ろで二つに結んでいる。服装は変身後で、名前のとおり百合を模し、白を基調としている。

 引っ張られるたびに、ポニーテールとセーラー服のスカートが揺れる。

 辿り着いた喫茶店は、私のクラスが催しているもので、中に入るなり、「妹さん? 可愛い~」「全然似てないね」「妹さん可愛すぎ!」とメイド服を着るクラスメイトたちからの集中砲火を浴びた。

 否定したい気持ちもあったが、それも面倒なので、曖昧に笑って早々に席に着いた。

「私、桜さんの妹だって思われてるようですね」

 少女はまるで、キャラそのもののような満面の笑みを浮かべていた。

「そうね。誰かさんが否定しないから」

「さて、誰のことでしょう?」

 肘をつき、目の前の少女を睨むも、まったく効果がない。

 ちなみに、どうして私の名前を知っているのか聞いても笑顔で流される始末だ。

 注文したメニューが来るのを待つ間、私は目の前のコスプレ少女を問い詰めた。

「で、キミは一体どこの誰で、何の目的で私を連れ回すのよ」

「私はリリーですよ」

 その言葉だけで頭を抱えて突っ伏してしまう。

 なりきるのはいいが、こういう時までキャラを演じられると、正直困る。

「私が桜さんの前に現れたのは、あなたが呼び出してくれたからです」

「へ?」

「桜さんは、私たちを描いてくれたじゃないですか」

「あー、あれね」

 そう言われて思い浮かぶのは、美術部としての自分の作品だ。

「あれが、私に勇気をくれたんです」

 勇気? とは何のことだろうかと思ったが、どうせはぐらかされるだろうし、もう問い詰める気も失せていた。

「お待たせしました」

 目の前に運ばれてきたパンケーキと紅茶のセット。

 クラスメイトのメイド服を見ると、まぁ安物なのだろう、見るからに作りがちゃちだ。だけど、それに比べて少女のコスプレ衣装は、本物のようで、結構な値段がしたんだろうな、と思った。

「それ、手作りなの?」

 あ~ん、と大きく切り分けたパンケーキを小さな口いっぱいに押し込もうとする少女に向かって、顎でコスプレ衣装をさして見せた。

「あっ、これは手作りですよ」

 まるで当たり前のように言い、少女が頬張る。

「へぇ、すっごいね~。その衣装といいウィッグといい、ひと目見たときは驚いたわよ。本当に、私が描いた絵から出てきたんじゃないかって思ったから」

「ほ、本当ですか?」

「うん」

「嬉しいです」

 その時ばかりはキャラを忘れてしまったのか、少女は頬を赤くし、もじもじしていた。

 正直、その姿でそんな仕草をされると、抱きしめたい衝動に駆られてしまう。入店する時にクラスメイトの子たちも言っていたが、可愛すぎるのだ。

「将来は、服飾関係なんていいんじゃない?」

「そう……ですね」

 乗る気ではなかったのか、少女の笑顔が陰る。

 何となく、そんな顔を見たくなくて、私は自分のパンケーキを切り分け、少女に向けた。

「はい、あ~ん」

「え、あ、あの……」

 戸惑う少女に、私はそれでも「あ~ん」と言い続けた。

 やがて少女は観念したのか、ぱくっと食いついた。

「どう? 美味しい?」

「はい」

 ニッと笑って見せると、少女も笑顔を浮かべてくれた。

「桜さんは、リリーが思った通り、優しい人ですね」

「おだてたって何も出ないわよ」

「残念です」

 少女が舌をちろっと出しておどけて見せる。

「まっ、ここは奢ってあげるけどね!」

「わぁ、ありがとうございます。桜さん、大好き!」

 立ち上がった私の腕に抱きついてくる少女に、周りのクラスメイトがクスクスと微笑ましく見つめてくる。

 そうして喫茶店を出ると、

「桜さん。私、ちょっとトレイに行ってきます」

「その格好でトイレなんて言われると、急に現実味が……」

「それ以上は、めっ! ですよ」

 人差し指を唇に宛がわれ、口を塞がれた私に、少女が笑む。

「ここで待っててもらえますか?」

「ん? 乗りかかった舟よ。最後までキミに付き合ってあげる」

 そう言うと、少女は安心したのか、笑顔で廊下を走り去っていった。

 人の行き来の邪魔にならないよう、廊下の窓際に移動すると、そこから外を見つめた。

 校舎裏側の道を挟んだ向かい側に巨大な建物が見える。

 花ヶ咲総合病院だ。

 花ヶ咲高校は、その病院と提携しており、色んなイベントで協力体制を取っているのだ。今回の文化祭はその尤もたるもので、入院患者も招待しているのだ。とは言っても、一般客も来ているため特別というわけではない。それでも、入院患者は三日目に限定されている。

 美術部もその病院とのコラボで、一年を通して活動を行っている。

「ちょっと、どこ見てるのよ!」

 すぐ後ろで聞こえた声に振り返り――ぎょっとした。

 目の前に立っていたのは、真っ赤な髪のポニーテールに、赤を基調とした薔薇を模した衣装を纏い、勝ち気な目つきをした少女だった。

「え、もしかして、今度は別のコスプレ?」

「はぁ? コスプレとか意味わかんないんだけど」

「でも、それ――今度は、レッドローズでしょ?」

「そう。私はローズよ」

 胸を張り、腕を組む少女と向き合うこと十秒。

 折れたのは私の方だった。

「分かった。付き合うよ」

「分かればいいのよ」

 この、さきほどまでのホワイトリリーとは真逆の、生意気そうな態度と口調の少女は、今度はレッドローズというキャラになっていた。

 ローズは、目の前の少女が忠実に再現している通り、勝ち気な性格で、態度も生意気、当然、他の二人とも最初は息が合わず、お互いにいがみ合っていた。

 それでも、話が進むにつれ、友情が芽生え、態度も軟化した途端に、その可愛さが溢れ出すキャラなのだ。

 尤も、目の前のローズが、そこまでの変化を見せてくれるかは不明だが。

「で、次はどこにいくのかしら?」

「え? 次?」

 早速、設定が崩れているように聞こえたが……

「な、何よ!」

 その事に気がついたのか、少女が顔を赤くして捲し立てる。

「い~え~、なんでもありません。じゃあ、次はお化け屋敷に行こっか!」

 言うなり少女の手を掴む。

「え?!」

 そんな少女の表情が一瞬さっと青ざめるも、自分のキャラを思い出したのか、大げさに頭を振って、

「い、いいわよ。あなたのことは、私が守ってあげるわ」

「それはそれは、頼りにしてますよ」

 むふふ、と笑う私に、少女が引っ張るようにして早歩きで廊下を進む。

 きっと、今は顔を見られたくないんだろうな、と想像しながら、お化け屋敷に向かった。

 そしてお化け屋敷の催しを行っているクラスに着くなり、

「いざ行かん! お化け屋敷!」

 と私がわざと引っ張ると、

「え、あ、ちょ――」

 と少女が両足でブレーキをかけてきた。

 肩越しに振り返ると、少女は胸に手を当て、すーはーすーはーと深呼吸をし、そして、表情をキリッとさせた。

「さぁ、行くわよ」

 と堂々した態度で、だけど私の背中を押しながら入り口の暖簾をくぐるのだった。

 中は当然暗く、ぱっと見た限りは、段ボールを黒く塗っているのを壁にしているようだ。まぁ、文化祭なんてこんなもんだろう。

 手を繋いで並んで歩いているのだが、少女の手から伝わってくる震えが尋常ではない。

 微笑ましくもあるが、少し可哀そうにも感じてしまう。

「あっ!」

 つまづいたのか、少女がびたんと顔面から倒れた。少女はすぐに髪を押さえたが、恐らくウィッグが外れるのを心配したのだろう。

「大丈夫?」

「あ、はい」

 少女が冷静であれば、その声が私ではなく、少女の前からしたことを不審に思い、あまつさえ差し出された手を掴むなんてこともなかっただろう。

「立てる?」

 掴んだ手に引っ張られ、起き上がる少女が目にしたのは、

 まっすぐに伸びた黒髪に白い肌、そして死装束を着た女幽霊だった。

「きゃーーーっ!」

 少女が絶叫すると、すぐに踵を返し、私に抱きついてきた。

「お化け! お化け! お化けぇぇぇ!」

 泣き叫ぶ少女を前にわたわたする幽霊役の女生徒に、私は大丈夫と微笑みかけ、

「しっかりしなさい。ローズはこういう時、率先して前に出てたでしょ?」

 そう言うと、少女は頑張って涙を止め、私のスカートで(おいっ!)涙をぬぐうと、振り返り、そして幽霊に向かって言った。

「さ、桜は私が守る! ゆ、ゆゆ、幽霊なんて、怖くないわ!」

「偉い! よく言った!」

 その頭を撫でてあげると、

「あとは私に任せなさい」

 そう言って、少女を抱き上げ、そのままお化け屋敷を駆け抜けたのだった。

「ほら、もう大丈夫よ」

 廊下に出て少女を下ろすと、周りが明るいことに安心したのか、少女が再びキャラを演じ始めた。

「お化け屋敷なんて大したことなかったわね」

 腰に手を当て、胸を張って威張る少女。

「じゃあ、もう一周する?」

「それよりも、私は他の遊びもしたい」

「確か、グラウンドの方に、そういうのがあったような」

「じゃあ、さっさと行くわよ」

 それからグラウンドに出てみると、射的に輪投げなど、縁日かよ! とつっこみたくなるような店が並んでいた。だけど、それを楽しむ少女を見ていては、何も文句など出るはずもなく、私はとことん付き合ってあげた。

「今度はあれよ!」

 そう言って少女が指さしたのは、アイスクリーム店だった。

 これは、学校側ではなく、ちゃんとした業者を呼んだもののようで、販売側も大人が運営していた。

 客も並んでおり、少女はメニューを先に見て、注文してほしいアイスを私に告げると、「トイレ!」と言ってまた走り去っていった。

 また着替えるのかと思い、待っている間、「カローラ・ガールズ」の三人目を思い浮かべた。

 白、赤ときて、たしか三人目は……

「お待たせしましたー!」

 元気な声に振りけると、そこには大きく手を振る青色の髪をした少女がいた。長いツインテールを振りながら、駆け寄ってくる。

「おおー! ブルースターちゃんかぁ」

「はい、ブルースターです!」

 目の前でにっこりと微笑む少女は、ちょうど注文したアイスが差し出されてきた。

 私はチョコレート味だが、立ち去る前にローズが注文したのは、バニラ、ストロベリー、ブルーハワイの三段重ねのスペシャルアイスだった。

「これ、私たちと同じですね」

「ああ、そうだね」

 少女に手渡したアイスを見ると、たしかにカローラ・ガールズの三人と同じ色だ。

 アイスを舐めながら店を離れ、座る場所を探した。

「あそこがよさそうだね」

 私が指さした先にあるのは、野外ステージだった。

 今は、カラオケをやっている。

 人もまばらで、ステージ目的というよりも、私たちと同じように休憩がてらに座っている人がほとんどだった。

「美味しい?」

「ん~~~! 美味しいです!」

 一番上のバニラをちろちろと舐める少女が、いつの間にか妹のように思えて、気がつけば頭を撫でていた。

「桜さん?」

「ん? ああ、ごめんね」

 とっさに手を引っ込めようとすると、

「もっと……お願いします」

 そう言って、しおらしく頭をさしだす少女に、引っ込めようとした手をそのままに、本物とは質感の違う青いウィッグを撫でる。

 こうしていると、いつまでも撫で続けてしまいそうだと思った私は、

「ほら、早く食べないと、アイスが溶けちゃうよ」

「わわっ!」

 少女が慌てたように、アイスを横から舐め上げる。

「あははっ!」

 ようやく食べ終わると、口の周りをべとべとにした少女に、思わず笑ってしまった。

 アニメのブルースターはしっかり者で、おっとり系のホワイトリリーとあまのじゃくなレッドローズ――二人のまとめ役だ。

 だが、いま目の前にいるのは、やっぱりコスプレしている年端のいかない少女だ。

 この子が誰で、どうして私を誘って一緒に文化祭を回ろうなんて言ってきたのか分からない。だけど、こうして楽しんでいるのを見ると、詮索するもの野暮だと思ってしまう。

「口の周りがベトベトだよ」

 桜色のハンカチを取り出し、少女の口を拭いてあげる。

「ありがとうございます」

 拭き終わったハンカチをしまおうとすると、「それ、洗って返します」と言われ、何か言う前に奪われてしまった。

「桜さんは、本当に優しい人ですね」

「なに? 急に……」

「いえ、ずっと前から思ってたことです」

 その含みのある言い方に、だけど少女の雰囲気が、追及はしないでくれと言っているようで、桜は何も聞かなかった。

「ずっと、恩返ししたいと思っていたんです。でも、私には何もできなくて、ずっと与えてもらうばかりで……」

 少女が顔を伏せると、ツインテールで横顔が隠れる。

「そんなことないよ」

 そう言うと、少女がわずかに顔を上げた。

「私はさ、高校に入ってずっと文化祭は美術室にいた。一緒に回る友達もいないし、かと言ってひとりで回る気もしなかった。で、今年もそうするはずだった」

 少女の方を見ると、悪いことをしたかのように顔を伏せていた。

「でも、キミが私を連れ回してくれた。最後の最後で、文化祭を楽しめた。キミのおかげだよ。おかげでいい思い出ができた。ありがとう」

「そんな……私の方こそ……」

「じゃあ、お互い様だ」

 本当は抱きしめたい気持ちでいっぱいだったが、お互い様である以上、それでは一方的であり、気がつけば手を差し出していた。

「はい」

 少女も手を差し出し、握手をした。

 そうしてお互いに笑い合っていると、

「誰か! 歌いたい人はいませんか! 飛び入り参加オッケーですよ!」

 その言葉に、少女が笑み、私はまさかと顔をわざと歪めると、

「はいっ!」

 と、握手したままの手を上げさせられた。

「では、そこのお二方、ステージまで!」

 スピーカー越しの大音量に、周りの目が一気に集まる。

「行きましょう、桜さん」

 立ち上がり、引っ張ってくる少女に、

「まったく、今日のブルースターは強引だね」

 そう言いながらも、私は腰を上げて、少女に引っ張られるまま、ステージに向かった。

 本来の私は、人前で歌うなど絶対にしない。

 だけど、今日だけは、いや――この瞬間だけは、歌いたいと思った。

「それじゃあ、曲を選んでください」

 カラオケに見かけるタブレット端末を渡された少女が、迷うことなく選曲する。

 そして、見せられた曲名に、私は頷いて見せると、少女がタップした。

 マイクが手渡され、しばらくすると曲が流れだす。

 それは、カローラ・ガールズのオープニング曲だった。

 『また花は咲く』――花は咲き、枯れる。だけど種を撒き、また新しい花が咲く。その一生を咲き誇れ。今を精いっぱい生きて、そして次の世代へ。

 この歌は、何度も何度も歌った。だから、今でも覚えている。

 そして、私と少女は熱唱した。

 少女がその歌のアニメのコスプレをしていたこともあり、客席のテンションも上がり、思わぬ盛り上がりを見せた。歌い終わった後は拍手の嵐が吹き荒れ、私と少女はハイタッチをしたのだった。


「最後に、行きたいところがあるんです」

 そう言われて辿り着いた場所は、校舎裏だった。

 そこにあるのは、私の美術部としての作品だった。

「やっぱり、桜さんの作品は、すごいです」

 少女がこれ以上首が曲がらないほどに上を見上げる。

「いや~それほどでも」

 自分の作品を見るのは、思っている以上に恥ずかしいものがある。だけど、やっぱりこれは最後の作品だから、ちゃんと見ておきたかった。

 顔を上げた視線の先にあるもの。

 校舎裏の壁一面に広がる三つの垂れ幕。

 そこに描かれていたのは、カローラ・ガールズのキャラクターと、その名前に記されている花だった。

 ホワイトリリーと白百合。

 レッドローズと薔薇。

 ブルースターと瑠璃唐綿るりとうわた

「ここって、元々は壁に実際に花の絵を描いていたんですよね」

「そう。病院が新棟を建てた際、それが日を遮って、校舎裏に日光が当たらなくなって、ここにあった花壇で花を育てられなくなったの。と言っても、昔の話だけど」

「それで、病院と提携を?」

「病院は花壇を移し替えるための費用を出してくれて、今はもっと日の当たる場所に花壇はあるの。だけど、病院の患者さんが、そこに咲いていた花を見て楽しんでいたことが分かって、どうにかできなかって話をしたの。そこで白羽の矢が立ったのが美術部ってわけ」

「園芸部ではなく?」

「ではなく。うちの美術部って、活動がほとんど自主性で、美術の時間で使うスケッチブックにみんなで絵を描き合ったり、美術部の向かいにあるバルコニーでずっとおしゃべりしてたり、すっごくゆるゆるな部だったの」

「それはそれで、楽しそうです」

「そうかもね。でも、それを見かねた先生が、病院側の提案に『ぜひ美術部を』って推薦して、それで、一年を通して季節の花を校舎裏の壁に描くことにしたの。私が、一年と二年の時もそうしてた。病院の患者さんから毎月手紙が来て、それも励みになったかな。本当に見てくれている人がいて、励まされてる人がいるんだって」

「でも、今年から中止になったはず、だったんですよね」

「うん。校舎の壁の塗り直しを機に、中止を言い渡された。それに、三年になって部員も私ひとりで、それが後押しになっちゃって。でも、私は中止になんてしたくなかった。少なくとも、私がいる間は絶対に描きたかった」

「それで、このアイデアなんですね」

「そう。『どうだ見たか!』って、中止を言い渡した大人たちに言ってやりたかった。でも、この垂れ幕とか画材とかのお金を出してくれたのも大人で、私なんてそれがなきゃ何にもできない、しがない美術部員。だからこそ、ひとりだろうと全力でやったよ。この絵が、誰かひとりにでも届いてればいいかな。特に……」

「特に?」

「……私の絵を楽しみにしてくれてた子がいてね。一年のときにその子からの手紙を見て、こっちからも返事を書けるから返して、そうやって二年間、文通みたいなことをしてたの。向こうでも中止の知らせが張り出されて、すごく落ち込んでた。だから、どうにかしたいって思ったの。その子も、カローラ・ガールズが好きだったから」

 自然と、お互いに向き合い、見つめ合う。

 もう、何となくだけど、この子が誰なのか、私には分かっていた。

 だけど、少女の方から名乗らない以上、私には聞くことができなかった。

「きっと、その子も喜んでます。勇気をもらえたって、覚悟ができたはずです」

「そうだといいな。これが、見た人たちの生きる希望になってくれれば」

「生きる……希望……」

「実はね、私のお母さんは昔、心臓が悪くて、入退院を繰り返してたの。そこで、学校の校舎裏に見える花壇の花に、生きる気力をもらったんだって。そのおかげで病気も治って、ここ花ヶ咲高校に入学して、それで園芸部に入って……今でも時々、園芸部の先輩と一緒に飲んでるって言ってた」

「ちなみに、桜さんのお母さんって今は……」

「あの病院で働いてるよ」

 親指を立て、後ろの総合病院をさす。

「私のお母さんは、学校の先生をしてます」

 もうすでに、少女は演じるのを止めているようで、いつの間にか素になっていた。

「私はお母さんからその話を聞いて、それが憧れになっちゃったんだよね。小さいころから絵が好きだった。その『好き』で、誰かを励ましたりできるならって」

「叶いましたね」

「うん。私の美術部員としての三年間はここで終わる。だけど、いつかきっと、誰かが受け継いでくれると信じている」

 いつの間にか、日も暮れ、スピーカーから文化祭の終わりを告げる放送が聞こえた。

 生徒以外の人たちは、ここから出なければならない。

「改めて、桜さん」

 少女が正面を向き、私もまた自然と体を正面に向けた。

「今日は、ありがとうございました」

「いいよ。私も楽しかった」

「じゃあ、ここでお別れですね」

 少女が前を向きながら後ろに下がる。

「その衣装、最高だったよ。リリーとローズにも伝えて」

「は、はい!」

 最後は笑顔で見送りたくて、無理やりにでも口角を釣り上げて、これから先、一生しないであろう満面の笑顔を見せた。

「本当に、ありがとうございました」

 両手をスカートの前で合わせて、頭を下げる。青いツインテールが揺れ、顔を上げた少女の目尻には、見間違いでなければ涙が浮かんでいた。

 だけど、それを吹き飛ばすように、少女は最後まで笑って見せ、手を振りながら走り去っていた。

 私も手を振り、少女が校舎の角に姿を消すまで、手を振り続けていた。


 文化祭の閉会式が行われている間、私は屋上に来ていた。

 柵越しに見えるのは、総合病院だ。

 足下には、あの垂れ幕がかけられている。

 なんとなく、ここに来たい気持ちになった。

 こうやって私が病院を見ているように、病院から私の絵を見てくれている人がいる。そう思うだけで、不思議な気持ちになる。

「ここにいたのね」

 その声に振り返ると、美術部顧問の皆月桜子先生が立っていた。

「おつかれさま」

「いえ」

 先生が隣で立ち止まり、一緒に病院を見つめていた。

「今日はあなたに、先生としてではなく、私個人として伝えたいことがあったの」

「先生個人として、ですか?」

「ええ」

 顔を見合わせる。

「ありがとう」

「え?」

 それがどういう意味なのか聞く前に、先生は踵を返して立ち去って行った。


 そうして、私の高校最後の文化祭は終わった。


 ちなみに、家に帰ると、総合病院から母――筑波桃花ももかが帰ってくるなり、

「あんたの今年の絵、最高だったわよ。あのキャラクター、あんたが昔好きだったアニメのやつよね。うちの患者にも一人、あのアニメが好きな子がいてね。毎日タブレットで見てたわ。その子、本当にそのキャラクターが大好きで、コスプレ? の衣装まで病室で自作してたのよ。ウィッグはさすがに買ったやつだったけど、『髪の毛がないから、ウィッグをつけるのも簡単です』って……本当に明るくて、前向きな子だったわ」

 それを聞いていた私は、椅子に座ったまま動けなくて、そんな私に、お母さんは労いに肩に手を置き、「三年間、おつかれさま」と言い、リビングを出て行った。

 私は、椅子の上で自分を抱きしめるように三角座りをすると、顔を隠すようにしてひとり、むせび泣いた。


 後日、花ヶ咲高校文化祭に現れたカローラ・ガールズのコスプレをした少女が話題となった。

 このご時世、誰もがスマホで撮影、録画ができ、発信もできる。

 誰かが野外ステージでのカラオケをSNSに上げ、それが全国に拡散されたのだ。

 それと同時に、校舎を歩く姿を撮った写真も上げられ、まるで座敷童子のようだと話題になった。

 それと同時に、校舎裏の私の絵も話題に取り上げられたのだ。

 そして、これまでの学校と病院の連携で行われていた美術部の伝統行事と、それが中止になりながらもどうにかして成功させた話も持ち上がり、病院側が学校を説得し、来年から再び校舎裏の壁に直接、絵を描いていいことになった。

 だが、来年の美術部に私はおらず、新入部員が入ることを祈るしかなかった。

 私という花は芽吹き、咲き誇り、そして一生を終えた。その私と、あの少女が撒いた種が、誰かひとりにでも届けば、また花は咲くだろう。 


 それから月日はめまぐるしく、私は志望校の大学に受かり、花ヶ咲高校を卒業した。


 四月。

 私は着慣れないリクルートスーツを着て、大学までの道を歩いていた。

 今日は入学式だ。

 今年は例年よりも平均気温が低く、まだ桜も咲いていない。

 できれば大学の入学式を満開の桜で迎えたかったが、こればかりは仕方がない。

 そうして歩いていると、風が吹き、花の香りがした。

 立ち止まり、顔を上げると、そこには――

「わぁ~!」

 満開の桜が咲いていた。

 まさに圧巻。

 壁一面に、桜が咲き誇っていたのだ。

 そこは、卒業したばかりの高校の校舎裏の壁で――

 そして、その桜の木の下に、一人の少女が立っていた。

 桜色の三角巾にベリーショートの髪。

 美術部の見慣れたエプロンに、描いている最中なのか、両手には刷毛とペンキの缶。

 少女は、私に気づいたのか、フェンス前まで駆け寄ってきた。

「どうですか?」

「すごい。キミ、美術部員なの?」

「はい。今日から一年生です」

「え、でも、これ……」

「私、ここの美術部員になりたくて、花ヶ咲を志望してたんです。それで、春休みからずっと描いてたんです。みんなの門出をお祝いしたくって……」

「そっか……ありがとう。キミ、名前は?」

 そう訊ねると、少女は照れ臭そうにはにかみながら、

「皆月……皆月花子です」

 そう名乗り、笑顔の花を咲かせるのだった。

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あの子の髪色が変わる理由 天瀬智 @tomoamase

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