十一(第二章完)

「どうして、あなたが追いかけてくるのよ!?」

 歪屋家を抜けて、玄常寺の本堂の脇で、祈子さんの怒声が鳴った。境内の砂利を踏んで追いかけていると、暗がりで祈子さんが立ち止まっていた。そして、僕を確認するやいなや、盛大にがっかりした祈子さんの顔を見た。

「銀将さんに追いかけてもらいたかったのに!」

「ごめんなさい。僕で」

 どうして、僕が怒られ、謝らなくてはいけないのだ。

「まさか、あの女と銀将さんが一緒にいるんじゃないでしょうね!?」

「いいえ! 違いますよ! 雫さんは、真君を追って行きましたから」

 祈子さんは、安堵したような表情を見せ、大きく息を吐いた。

「何なの!? あの女は!? 絶対わざとでしょ!? あれ! そう何度も、畳に足を取られる訳ないわ!」

「い、いや、別にわざとでは、ないと思いますけど・・・畳って、不慣れな人には、歩きにくいと思いますし」

「そうよね!? 時君は、あの女の味方ですものね? それとも、わざとだと、認めたくないのでしょ?」

「え? ど、どうして、そうなるんですか?」

 図星を付かれて、僕はしどろもどろに答える。

「だって、時君は、あの女のことが、好きなんでしょ?」

「ええ!?」

 どうして、ばれているのだろう? まさか、祈子さんには、刃物を使った戦闘能力以外にも、心を読む能力があるのだろうか?

「見ていたら、分かるわよ! 時君がしっかりしないから、あの女が図に乗るのよ!」

 しっかりするとは、どうするのだろうか? それにしても、祈子さんには、ばれている。そんな素振りは見せないように、細心の注意を払っていたつもりだ。九十九さんならまだしも、響介さんにバレた日には、格好の餌食だ。酒のアテにされてしまう。何よりも、半人前以下の『もののけもの』の僕が、女性にうつつを抜かしている訳にもいくまい。

「祈子さんは、どうして、銀将君を好きになったんですか?」

「ど! どうして、それを知っているの!? まさか時君は、エスパーなの!?」

 祈子さんは、あからさまに狼狽えている。あんなにも分かり易い、態度を取っていて、どうしてバレていないと思えるのか、不思議であった。もしかしたら、僕も祈子さんと同様に、隠しているつもりで、丸出しだったのだろうか。本人には、気が付かないことがあるようだ。自然と笑みが零れてきた。

「何がおかしいのよ?」

「いえ、僕達似た者同士だな、と思いまして」

 しかし、祈子さんは、やや俯いて、顔を小さく左右に振った。『えっ?』と、思わず声が漏れてしまった。僕は、てっきり、これを機に仲良くなって、互いを隔てる壁が、崩壊するものだと思っていた。想像とは、違う方へと進んでいく。なかなか、想い通りには、いかないものだ。

「時君と私は違うわ」

「どうして、ですか?」

「簡単よ。私は『もののけ』で、君は『もののけもの』つまり、人間だもの」

 首を傾げた。確かに、ある意味種族の差異は、存在するだろう。でも、一緒に暮らしていて、『もののけ』だからと言って、迷惑や不快に感じたことなど一度もない。何よりも、僕は、祈子さんが、『もののけ』であることをつい最近知ったくらいだ。日常生活に支障をきたすことなど、あるとは思えない。すなわち、それは恋愛でも、同じのように思える。

 すると、祈子さんが、ゆっくりと歩み寄ってきた。僕の前で立ち止まると、顔を急接近させてきた。鼻が当たりそうな距離だ。そして、髪の毛を耳にかけ、マスクを外す。僕は、目を大きく見開いた。祈子さんの口が、耳元まで裂けていた。

「ビックリした!」

「ね? 驚いたでしょ? こんな、気味の悪い顔」

「違いますよ!? 女性に、急に顔を寄せられたら、誰だって驚きますよ!」

「・・・え?」

 僕は、二・三歩後ろに下がって、左胸を押さえた。まったく、心臓に悪い。あまり、女性に対して免疫のない僕には、刺激が強すぎる。深呼吸を繰り返し、暴れる心臓を宥める。

「からかっているんですか? もう、勘弁してくださいよ」

 僕が大きく溜息をつくと、祈子さんが、クスクスと笑い出した。祈子さんも九十九さんと同じで、人を驚かせて楽しむ性質を持っているのだろうか? 目を細めて、怪訝は表情を見せる。

「ごめんなさいね。私の顔を見て、驚かなかった男性は、三人いるの」

「三人?」

「ええ。銀将さん、響介さん、そして、時君。私、玄常寺に来られて本当に、良かったわ」

 そのお二人と並べられると、非常に居心地が悪い。

「それは、買い被り過ぎですよ。僕は、祈子さんのことは、前から知っていたし、何よりも九十九さんの顔を見て、ある程度免疫がありましたから。現に、僕は、九十九さんの素顔を見て、盛大に悲鳴を上げましたよ」

「そうね。あれは、傑作だったわ! でも、九十九君は、幸せそうだった!」

 祈子さんは、元同僚を想っているのか、嬉しそうに目を細めている。僕は、祈子さんの顔を見て、笑みが零れてきた。

「あの、祈子さん。変なことを言っても良いですか?」

「何?」

 祈子さんは、笑みを消し、真っ直ぐに僕を見つめた。ああ、やっぱりそうだ。

「あの、怒らないで下さいね? 祈子さんの口が耳まで裂けているから、無表情でも自然と口角が上がっているんですよ。だから、常に笑みを浮かべているように見えます。何が言いたいかっていうと、いつもニコニコしている女性は、とても魅力的です」

「ば、ば、馬鹿じゃないの!? そ、そんなの、別に嬉しくないんだからね!?」

 祈子さんは、そっぽを向いてしまった。でも、怒っている訳では、なさそうだ。前々から、思っていたのだが、祈子さんは『ツンデレ』というものなのだろう。

「時君って本当に変な子ね。時君は、もっと頑張りなさいよ! 恋も仕事も」

「仕事は、勿論頑張ります。でも、恋は・・・」

「そんなんじゃダメ! 君は、人間同士なんだからね。可能性は、十分にあるわ!」

「それを言ったら、祈子さんだって・・・」

 祈子さんは、髪の毛を揺らし、顔を振った。

「私はね、今のままで充分なの。『もののけ』と『もののけもの』との間には、目に見えない大きな壁があるのよ」

 僕には、祈子さんが言う『大きな壁』というものが、いまいち理解できなかった。その壁というものは、祈子さんが自分で勝手に築いているのではないだろうか? だからこそ、同種同士で、踏ん切りがつかない僕や古杉さんに、ヤキモキしてしまうのかもしれない。そんな古杉さんに、悲しくあり、人一倍に怒りを覚えたのかもしれない。

 同種同士で恋をしておいて、自らそれを放棄するなんて許せない。

 僕は人間同士、古杉さんは『もののけ』同士だ。祈子さんの想いは、古杉さんに届かなかった。そう思うと、僕も無性に腹立たしく思えた。

 『もののけもの』として半人前で、それ故に『もののけ』のこともまだ、理解できるとは言えない。

 祈子さんではないけれど、そんなことは口が裂けても言えない。知った風なことは、言えないのだ。

 そのことを踏まえて、雫さんに敵意を剥き出しにするのかもしれない。銀将君とは、今のままで充分幸せだ。でも、銀将君を誰かに取られるのは、我慢ならない。今の幸せが壊れてしまうから。なかなかに、複雑で非常に面倒臭い。

「でも、祈子さん。それって、悲しくないですか? 何とか、ならないものなんですかね?」

「それは、仕方のないことなのよ。私は、存在自体が『悲しい』のだから。今、こうして、銀将さんや玄常寺の皆と楽しく過ごせていることが、奇跡なのだから」

 『存在自体が悲しい』とは、どういうことなのだろう? 僕が、疑問符を浮かべて、祈子さんを見つめていると、話を進めてくれた。

 祈子さんは、女性の『悲しみ』の集合体だそうだ。しかも、男性への未練の塊だ。それは、良い意味でも悪い意味でも。男性を想う気持ちや、男性から受けた屈辱の念が集まって生まれた。

 大昔は、女性が男性に会いに行っていた。険しい山道を明かりがない状態で、越えなければならなかった。夜道を女性が一人で出歩くのは、非常に危険であった為、襲われないように奇抜な格好をしていた。額に布を巻いて、そこに蝋燭を差し込む。そして、人参などを口に咥えていた。想い人に会いたい一心で、山を越えるのだ。しかし、事故にあったり、それでも襲われたりして、女性の未練が膨らんでいった。

「だからね、私は、そんな女性達の未練の塊として生を受け、無差別に男性を襲っていたの。銀将さんに出会うまでは・・・・。私も古杉さんと同じ穴の狢なの。積年の恨みを見知らぬ男性で、晴らしていたのだから。でも、だからこそ、許せなかったの。同族嫌悪と言うものね。私が言えた義理ではないけど、彼に教えてあげたかった。『きっと、楽しいことがあるよ』って。『きっと、理解して、許して、受け入れてくれる人はいるよ』って。そんな陳腐な言葉しか、出てこないけどね」

「それは、違いますよ。響介さんが言っていたじゃないですか? 祈子さんの熱意は、きっといつか届きます。古杉さんは、ここにいるのだから、まだ間に合います。祈子さんが更生したように、古杉さんもいつか分かってくれますよ。一度失敗したから終了って、そんな無慈悲な社会は嫌です」

「・・・ありがと。やっぱり、時君のことは、嫌いじゃないわ」

「ははは、ありがとうございます」

 少し、遠回りしたけれど、僕と祈子さんの間にある壁は、少しは壊れたように思えた。だからこそ、銀将君との壁も・・・いや、『もののけ』と『もののけもの』を隔てる壁も壊れたらと切に願う。『もののけ』に近しい人間を『もののけもの』と呼ぶのだから、祈子さんが言う壁もそこまでは、分厚くないように思えた。

「さあ! 私は、大丈夫だから。早くあの子のところに行ってきなさいよ」

 祈子さんは、マスクを装着し、歪屋家を指さした。

「あ、やっぱり、マスクは着けるんですね?」

「この方が、落ち着くのよ。そんなことより、早く行きなさいよ。ついでに、あのちびっ子の様子も見てきてあげなさいよ」

 僕は、笑みを浮かべ、頷いた。真君のことも気になるようだ。

 祈子さんに挨拶をして、僕は踵を返し、歪屋家へと走り出した。

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