第3話 8月15日


 8月15日 土曜日 晴のち小雨


 昨日までけたゝましく鳴いていた油蝉の声が小さくなったせいか僕と彼女はお日様が真上に来るまで惰眠を貪った。


 わざわざ布団を敷いたわけでもなかった為、僕の顔についた畳の後を一頻ひとしきり笑った彼女。

 庭に面した八畳の部屋で寝転がり、抱き合ったまま風鈴を揺らす風に身を任せる。

 頬にかかる彼女の髪がくすぐったくて身をよじる僕を見てはまたおかしそうに笑う彼女。


 そんな姿も愛おしくて仕方ない。


 互いの唇をついばむような口付けを交わし僕は今、この時を実感する。


「愛してる」

「うん、知ってる」


 部屋に入ってくる風が僕と彼女の言葉をさらっていく。

 それでも僕はありったけの気持ちを込めて彼女に愛を囁き続けた。

 僕がどれだけ愛しているのかを、どれだけ愛していたのかをもっともっと知って欲しかったから。



 縁側に入る日差しが陰りだした頃、遠くの方で鳴る祭囃子が聞こえてくる。

 ぼーんぼーんと柱時計が六時を知らせる。


「あ、お祭り」

「行こうか」

「うん」


 僕達は隣の部屋の箪笥から浴衣を取り出す。

 去年、一昨年と同じように。

 僕は藍色の浴衣を、彼女は薄い桃色に真っ赤な彼岸花が描かれたのを。

 雪の肌に真っ赤な彼岸花がよく映える。


 彼女が化粧をしに奥の部屋にいっている間、僕は縁側に座り祭囃子に耳を傾けていると生垣の向こうを人々が賑やかしく通り過ぎていく。


 からんからんと下駄の音と笑い声が遠ざかり暫くするとまた人が行き過ぎていく。


「おまたせ」


 化粧を済ました彼女が僕の隣へ座る。


「綺麗だ」

「ふふっありがと」

「きっと村一番だね」


 ほんのりと頬を染めた彼女の照れ笑いも本当に綺麗だった。

 ほら、行きましょうと彼女に手を引かれ僕達は祭りに向かう。



 僕の家から見える山の麓にある神社はこの日ばかりは大勢の人で賑わっていた。

 麓を流れる河沿いには夜店が並び色とりどりの提灯が軒を連ねている。

 普段は閑散としていて滅多に人が訪れることのない境内もしかり。

 彼女と一緒に夜店を冷やかして回っていても、久しぶりに見る顔を多く見かける。

 よかった……今年も皆んな帰って来て。

 隣で嬉しそうに林檎飴を齧る彼女を見て僕は心底そう思った。


「あ、ほら見て!蛍!」

「本当だ……」


 林檎飴を片手に河辺の石に腰掛けていた彼女の浴衣の彼岸花に淡く光る蛍が一匹。

 振り返ると河辺を無数の光が舞っていた。


「うわぁぁ……」


 都会では決して見ることが出来ない様な幻想的な景色がそこに広がっていた。

 月明かりに舞う光が川面を煌めかせ、いつまでもずっと眺めていたくなる。


 見渡せば河辺に多くの人が集まりその光景をじっと眺めていた。

 彼女は僕の肩に頭を預けうっとりとした顔をしている。

 祭囃子が遠くに聞こえるような時の中、僕達は何も言わずそんな光景を眺めていた。




「綺麗だったね」

「うん」


 祭りがお開きになり僕と彼女は昨日と同じく畳に寝転がり縁側から見える月を見ていた。


「お祭り……明日で終わっちゃうんだね」

「そうだね、また来年かな」

「来年も一緒に行けるよね?」

「もちろん」

「そっか……良かった」


 彼女が帰ってくるなら僕はいつまでも一緒に行く、来年も再来年も…….その先もずっと。



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