第2話 8月14日


 8月14日 金曜日 晴



 空を茜色に染めた太陽がゆるりと群青色の空に変わる頃、僕と彼女は並んで畦道あぜみちを歩いていた。

 先程まで賑やかしく鳴いていた蝉達は鳴りを潜め、替わりに夜の羽虫達が合唱を奏で始める。


「もうすぐ……秋なんだね」

「お盆が明けたらあっという間だろうね」


 都会に住んでいた頃は、こんな風にして満天の夜空の下をゆっくり歩くなんてことはなかった。

 毎日齷齪あくせく働いて疲れて帰るだけの日常。

 空を見上げても、そこに映るのは真っ暗な闇だった。


 綺麗だな、綺麗ね。僕と彼女はどちらからともなく同じ感想を言い合い顔を見合わせて、くすりと笑う。


 空を遮るものは何もなく、ただただ見上げたそこには色とりどりの金平糖を撒き散らしたような煌きが浮かんでいる。


 そんな空を見上げていた僕達の耳に山間から太鼓の音と祭囃子が風に乗り運ばれてくる。


「明日お祭りだ」

「うん、昔に比べると随分と人も減っちゃったけど今年も何とか出来るんだって」

「夏祭りしか出来ないんでしょ?」

「そうだね、秋は……ほら、やっぱりちょっと……ね」


 この村ではこのお盆の15日と16日に夏祭りをするのが習わしになっている。

 僕がここに来るずっとずっと前からだそうだ。

 そしてそれはきっとこれからも変わらないだろう、この村がある限りは。


「学校はどうなったの?」

「ああ……さっきも言ったけど随分と人が減っちゃったからさ。6年生まで合わせても7人しかいないからね。教師の方が多いくらいだよ」

「そっか……寂しいね」

「うん」


 僕と彼女が通っていた頃は、大勢の生徒で賑わっていた校舎も今では使われている教室はたったのふたつ。

 高齢化と過疎化が進んだ村からは若者は都市部へと出て行ってしまう。

 時代の流れに取り残された様な錯覚を覚えるようになったのはいつの頃からだろうか。


 夏祭りの季節になっても新年を迎えるにあたってもそれは変わることなく、ただ時間だけが静かに流れていく。




 縁側に座った僕らをしょんぼりと下を向いた向日葵が首を傾げたように眺めていた。

 日が沈み羽虫の合唱を聴いてかどうか、夕顔が夜目にも鮮やかな紫の大輪を首を傾げた向日葵に見せている。


「寒くない?」

「平気」


 僕の膝に頭を乗せて夜空を見上げていた彼女はそう答えて何故だか嬉しそうに笑った。

 そんな彼女につられて、僕も頬をほころばせる。

 白く細い手がそんな僕の顔を愛おしげに撫で、それに応えるように僕も彼女の艶やかな髪を透く。 


「ねえ」

「うん?」

「好き?」

「ああ、もちろん」

「ちゃんと言葉にして」

「愛してる」

「ふふっありがと」

「何だよ、それ」


 僕を見上げる彼女はほんのりと頬を染め僕の首に手を回して僕を引き寄せ……

 雪のように真っ白な肌の中その唇だけが赤く、まるで別の生き物のように僕を求める。


 僕を求める彼女と彼女を求める僕。


 彼女から少しだけ向日葵の香りがした。



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