Ⅴ
遠くで玄関のベルが鳴る音がする。
きっと先輩が到着したのだろうと簡単に予想がつく。というのもさっきからわずかな使用人たちがバタバタとしているのが廊下から聞こえてくるからだ。ウチはそんな凄い家でもないのに、先輩は毎年押しかけてくる。その度に使用人たちは大騒ぎをする。
その騒がしさも例年に比べれば大したことではない。どうやら今年は先輩も、ロミュ家からも手伝いの使用人を連れてきたそうだ。
タイミング悪くウィレムが腰を悪くしたので、例年の迷惑料代わりというかそんな感じで両家の奥方同士、つまりは母と先輩の母上の間で先日決まったそうだ。
ああ紅茶が美味しい。僕はお茶菓子のチョコチップが入ったクッキーを一つとった。まるで黒マダラ模様のワンコロのようなクッキー。その中には何か愛嬌というか、可愛らしさというか、どこか憎めない様子がその中には見られる。僕はそのままそのチョコチップクッキーを少し齧る。そしてそのまま紅茶のカップをとって、紅茶を一口。紅茶の高貴な香り、人間の血のように高貴な色合いと共にそのお湯の中にある芳醇な香りとチョコチップクッキーの小麦粉の味、砂糖の味、そしてちょっぴりとだけ感じるカカオの香り。それが化学反応のようなものを起こして、残念ながら僕の貧弱な語彙力ではこれはなんの香りだと1単語で言い表すことはできないが、それぞれが決して主張は強くないがそれでも混じり合わぬ味を僕に感じさせる。
うん、おいし。やはり400文字近くを味の表現だけに使う価値のある味だ。
暖炉の炎はまるで母親に抱かれているかのような感覚を僕にあたえる。
そんな僕の感傷を破壊するかのように大きな足音が近づいてくる。そしてその足音をなだめる聞いたことのないメイドの声。
突然……というほどでもないが、ある程度は予想していたことだが、大きな音をたてて扉が開かれた。
「シャル君! 先輩に対する礼儀がなってないよ!」
もう聞くまでもなく分かる先輩の声。
「なんなんですか? 先輩、はしたないですよ? そんな大きな足音立てては」
「ウチの使用人たちみたいなことを言わない! そんなことよりもシャル君!」
「だから何ですか? なんなんですか、さっきから。異様にイクスクラメーションマークが多いですよ?」
「そういう問題じゃないの! なんで表で待っててくれないの! 自分だけ一人で呑気に暖炉の前でチョコチップクッキーを食べながらお茶なんか飲んでんのよ!」
「……先輩の本音は?」
「シャル君だけずるい! 私もチョコチップクッキー欲しい」
大方そんなことだろうと思ってました。
「リザ」
「あ? はいなんでしょう、シャルル様」
僕は先輩を追って入ってきたリザに声をかける。
素が出てるよ。
「カップ追加。先輩仕様の大きいやつ。お茶も補充、あとクッキーも追加で持ってきて。それと、自分のも持ってきていいよ」
「かしこまりました。ところでシャルル様」
「何か?」
「灰皿は置いてもいいでしょうか?」
「「……ダメ」」
「……承知しました」
リザはションボリとしながら部屋を出て行った。
リザが追加のセットを持ってきた。もう慣れた手つきでお茶の準備をする。最初ウチに来たときはそれはもう反抗しまくって、指導していたウィレムも相当手を焼いていた。
それが今となっては動作に迷いなくお茶を淹れていくのだからもう人間凄いもんだ。
それに比べて自分はどうなんだろうとも思ってしまう。
リザが淹れたお茶を先輩は一口。
「あら、美味しいじゃない」
「ありがとうございます」
恭しく一礼してからリザは携帯灰皿を取り出そうとして、そのまま先輩に携帯灰皿を没収されていた。
そんなに吸いたい?
「っ……旦那様も喫煙者でございます。ロミュ家の旦那様も喫煙者と伺っております。なぜアタシだけ吸わせていただけないのでしょうか」
ねぇ、今舌打ちしようとしたよね?
リザはションボリとした顔と少しうるんだ瞳で先輩の方を見る。
「私が……! 嫌いなの! 分かる! あんたの事情なんて聞いてないのよ! リザッ!」
先輩は立ち上がってリザをビシッと指差す。
「そんな……ジャンヌ様にアタシの名前を覚えていただけたなんて……一生の悦びでございます」
なんだか文字がおかしいような気もするがそんな滅多に見られない恍惚としたリザの態度に呆気を取られた先輩はそのまま椅子にすわってしまった。
あれ? リザってこんな子だったっけ?
「ねぇ、シャル君、ところでさ」
「はいなんでしょう?」
「あの……いや、何でもない。大した話じゃないから今じゃなくていいや」
「はぁ……ああ、それと、今年もそろそろ冬野菜の季節ですが、今年はどうしますか? 隊の方に持っていきますか?」
「ん? ええっ!? ああ、うん、よろしく」
先輩は今度はあからさまに狼狽した様子を見せた。
「はい、分かりました。リザ、聞いていたね? 今年は隊の方にも送っておいて」
「かしこまりました」
リザはカップを一気に傾けてからにしてから、自分のを持って去っていった。
「ねぇ、ごめんね? 今年早くて」
「どうしたんですか? 先輩、らしくないですね」
「いや、今年は応援ということで私の専属のメイドの子を連れては来たけど迷惑だったら申し訳ないなぁと思ってさ」
「少なくとも、僕は別に困っていません」
「ひょっとして照れてるとか?」
む? 先輩が図に乗りはじめたか? これはいかんな。
「それはないです!」
「あっそうなの」
そう先輩は答えてから紅茶を一口口に含んでから目の前に置かれているチョコチップクッキーを少しかじった。
「ん♪ やっぱりこの味よね〜」
個人的にはもっと味わって食べて欲しいものだが。
「あそうそう、それでね? シャル君。本題なんだけれども」
「はい、なんでしょうか、先輩」
先輩が本題などと言うので僕は居住まいを正した。
「シャル君も行くでしょう? 樹海」
「ええ、もちろん。行きましょう」
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