寒い廊下を戻り、再びレオノール少佐の部屋に入る。

「何やってるんですか? 少佐」

 扉を開けると少佐は纏められたリュシーの髪を顔に当てていた。

 ……まさかね?

「いや、なんでもない、綺麗だったからつい」

「それで、行ってきたか?」

 レオノール少佐は少し罰が悪そうに聞いてきた。顔も少し赤い。

「ええ、断って来ました。あと、少佐とは少しお話ししないといけないかもしれません」

 僕は答える。

 そうなのだ。この人なら本来止められるはずなのだ。リュシーが悩む必要をなくす事ができるのだ。

「そうか、断ったか……何で私が止めなかったのか、多分怒ってるだろう? 私がきっと彼女の一番近くにいるのに……でも、私じゃダメだったんだ。私には……出来なかったんだ」

 レオノール少佐のこんな表情を見るのは初めてだ。酷く悩んだ表情だ。だが、その目には、ある固まった気持ち……決意とは少し違うニュアンスを持つ何かが映っていた。

「少佐がどうであろうと僕には関係ありません。仮にも教える側の人間なんだから自分でなんとかしてください」

「すまない」

「ところで、そろそろこの2人を起こしませんか?」

 僕はレオノール少佐に聞いてみる。リュシーも先輩もそろそろ反省しただろう。

「いや、まだいいだろう」

「こうして会うのは久しぶりなんだ。あとでリュシーに『何で私も混ぜなかったんだ』って怒られるかも知れないがな」

 レオノール少佐は懐かしそうに言った。

「そうですね」

 僕も同意した。

「最後に会った時は泣いちゃいましたしね」

「それもそうだな」

 レオノール少佐は小さく笑った。

「コーヒー淹れ直してくる。ウィンナーでいいか?」

 先輩が僕のカップを取って聞いてくる。

「コーヒーくらい、自分で淹れますよ」

「いや、今日は客人なんだからな、客人に淹れさせる訳にもいかん」

「じゃ、ウィンナーで」

 僕はレオノール少佐の言葉に甘えることにした。自分の意志も弱いもんだと思いはしたが、まぁいいか。

 レオノール少佐はカップを2つ持ってミニキッチンへと向かっていった。

 僕は一方でレオノール少佐のデスクの後ろにある窓から雪が舞うのを見ていた。粉雪はいつの間にかぼた雪に変わっていた。空は少し前よりも雲が厚くなり、あたりは暗くなっていた。


「シャルルって空見る人だったっけ?」

 そのまま暫く窓の外を見ていると、コーヒーが入ったカップを持ってレオノール少佐が戻ってきた。

「あ、ありがとうございます」

 僕は窓のそばからソファーへと戻った。

 レオノール少佐はやはりコーヒーに砂糖を大量に入れている。

「そんなに砂糖を入れて、よく体を壊しませんね」

 僕はレオノール少佐に聞いた。

「これでも少しずつ砂糖を減らしてはいるんだがな」

 そうだったのか。全く減っているようには見えなかった。

「ところで、ローランは元気にしているか?」

「ええ、元気ですよ。今度娘さんのプレゼントを買いに行くそうですね」

「相変わらずだな。昔っからそうだった」

「少佐とは同期……とか?」

 そんな筈はないと思いながらも聞いてみた。

「流石に……そんなに若作りとかはしてないし、ただ昔からちょっと恩を売っただけだ」

 何それ、気になる。僕は「何ですか? それ、教えて下さい」という顔でレオノール少佐の顔をじーっと見つめる。

「いや、教えないぞ? 守秘義務もあるしな」

「僕、少佐がたまに『守秘義務』という言葉を方便として使っていたこと、隊長から聞いてますからね?」

 僕が問い詰めると、一瞬でレオノール少佐は焦ったような顔をして、

「は? エミリアン裏切った訳? 酷っ!」

 と叫び出した。声も上ずっていた。

 てか、隊長のことエミリアンって……





 楽しい時間は過ぎるのは早い。訓練や書類仕事の1時間とラジオの音楽番組を聴いている1時間は2倍くらいの差があるのと同様に、レオノール少佐と久しぶりに2人きりで話す時間もあっという間に過ぎてしまった。

「じゃあ、そろそろ帰らないとですね」

「もう帰るのか?」

 時間が経って落ち着きを取り戻したレオノール少佐は残念そうに聞いてくる。





「そうか……じゃ、この2人を起こさないとな」

 僕が何も答えずにいると、レオノール少佐はリュシーを起こしにかかった。

 僕も先輩を起こす。

「起きてください、先輩。そろそろ帰りますよ」

「んあ? シャル? どしたの?」

 先輩は割とすんなりと目を覚ました。これ、起きてたんではなくって?

「なんでベルティエの部屋で寝てるの?」

 先輩の口調がなんとなく懐かしいものになっている。

「王都からブレスティアまでは遠いですから、きっと疲れてしまったのですよ」

「ふーん、そうかあ」

 まだ先輩は目が覚め切ってはいないようだ。僕の適当な言葉にもそのまま納得してしまっている。

「おい、リュシー、起きろ。頼む……起きてくれ」

 リュシーはかなり朝に弱いタイプだから1度寝てしまうとなかなか起きない。レオノール少佐も苦労しているようだ。

「なぁ、起きてくれ、お願いだから……裏切ったのは済まなかったって、つい言っちゃったんだよ。ごめんて」

 レオノール少佐……酔っ払ってる? そう思わせるような起こし方である。

「少佐、こういう時はですね……こうしてやるんですよ」

 僕は杖を取り出して、リュシーの首元を少し冷やした。すると、リュシーはむくっと起き上がった。

「冷たい……」

 まだ寝ぼけた様子であたりを見渡している。 

「あ、シャーさん、どうしました?」

「シャルル達がそろそろ帰る。だから車を回して来い」

 僕の代わりに少佐が答えて、車のキーを投げた。

「あ、はーい」

 リュシーは素直に従い、部屋を出た。

「先輩も、出ますよ」

 僕の後ろに先輩が続いて、最後にレオノール少佐が電気を消した。

 その後、魔法科棟の前で、リュシーが車を回して来るのを待っていると、レオノール少佐が、先輩に話しかけた。

「シャルルのこと、頼んだぞ」

 突然話しかけられた先輩は少しびっくりした様子で「な、何よ……」と言うが、レオノール少佐は先輩に構わず続ける。

「まぁ、一応親戚である君に言うのも釈迦に説法かも知れないがな、ちゃんと、目をかけてやってほしいんだ。シャルルはかなり優秀だったし、今の国家憲兵ジャン=ダルムリーに最も必要な人間だからな。最も、もうシャルルは私の目の届かないところにいて、少し寂しいだけなんだが……」

 先輩はレオノール少佐の言葉を、落ち着きを取り戻しながら、黙って聞いていた。

「それ、私の時にも思ってくれたの?」

 先輩が尋ねた。

「……ああ」

 レオノール少佐が答えると先輩は罰が悪そうに黙ってしまった。

 いよいよ地面には雪がうっすらと積もり始めた。

 車の魔導機関の音が聞こえる。リュシーが車を回して来てくれたのだ。

「寒いので〜早く乗っちゃって下さい」

 リュシーに声をかけられた僕たちは車に乗る。まず僕が後ろのドアを開けて、先輩を乗せてから乗り、レオノール少佐は自分で助手席のドアを開けて乗った。

 車は雪がうっすら積もったブレスティアの街を進んでゆく。

「ブレスティアで雪なんて珍しいわね」

 先輩が窓の外を眺めながら言う。

「そうですね、やけに寒いような気もします」

 僕は答えた。

 レオノール少佐とリュシーは先日市役所の近くに出来たらしいワッフル屋の話をしている。この2人の仲の良さはベクトルが少し違うような感じもするが、元々僕も含めてレオノール少佐やリュシー、先輩は人間関係が希薄なタイプなので自然と距離が近くなりがちなのかも知れない。

 

 僕と先輩が別れの挨拶を交わしたのち、車から降りる、僕が先に降りて、先輩が降りるのを待つ。すると先輩は後ろから助手席のレオノール少佐の方に身をのりだした。

「さっきの話、そのワッフルで乗ったわ」

「ああ、分かった」

「じゃあ、また今度来るわね、そこの後輩も、首を洗って待ってなさい」

「来週までに敬語が使えるようにしとけ」

「首を洗うべきは〜銀髪さんの方です。次こそ、もぎます」

 先輩も、レオノール少佐も、リュシーも、みんな笑っていた。

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