「シャルル、カスノーン少佐のところへ行って来なさい。お世話になったんだろう?」

「この2人は私に任せといて構わないから」


 ジャンヌ先輩とリュシーが眠りに落ちた後、レオノール少佐に言われた僕は、魔法科ソルシエ棟の廊下を歩いている。廊下は僕が卒業してから何も変わっていない。相変わらず途中の部屋の中からは怪しげな呪文を唱える声がする。伝統魔法の研究をしているオランド中佐の部屋だ。その隣にあるのがカスノーン少佐の部屋だ。昔、よくぼやいていた、隣の部屋から怪しげな呪文が聞こえていて怖いと。

 まだ部屋の場所は変わっていないらしい。

 僕はノックをする。一見重厚そうに見えても実際は薄く、安っぽい扉からは安物の軽い音が響く。

「失礼します。シャルル=アルノースです」

「入って構わんよ」

 許しを得て「失礼します」と中に入ってみると、カスノーン少佐がこれまた重厚で高級そうだが、よくよく見ると安物のデスクで書類仕事をしていた。

「どうしたんだ突然に。来るなら先に言ってくれれば菓子の一つ位用意しておいたのに」

 顔を上げずに老齢の少佐は重厚な声で僕に訊いてくる。

「たまたまここに用があったので、ご挨拶位はしておこうと。事前に連絡できれば良かったのですが、何せ急に来ることが決まったので」

 僕は答える。半分本当だ。

「まぁ、その辺座れや」

「それでは、失礼します」

 僕は本や服に埋もれて座る場所のない古びたソファーに無理矢理座る場所を作って座った。

「元気にしてたか?」

 カスノーン少佐が聞いてくる。

「ええ、まぁ、それなりには」

「そうか、まぁ、ロミュの娘がいるところだしな」

 これは意外、カスノーン少佐がジャンヌ先輩のことを知っているとは。

「ジャンヌ先輩のことをご存知で?」

「ん? 言ってなかったか? ジャンヌ=ロミュも教えてたし、その姉のイレーヌ=ロミュもそうだ」

 イレーヌ姉もそうだったのか。少し僕は驚いた。

「イレーヌさんは? 今何を?」

 最近イレーヌ姉を見かけていない。領地が近いと割と付き合いがあるのにここ2、3年見かけていない。

「さあ、俺も知らん。知らんということは情報本部にでもいるんだろ」

「そうですか……」

「ところで、今日は何をしにわざわざブレスティアまで来たんだ?」

「今度の魔法科ソルシエのガイダンスの打ち合わせでベルティエ少佐に会いに来ました」

「とかこつけて、本当はただお前に会いたかったってところだろう?」

 カスノーン少佐は聞いてくる。だからどうして分かる。

「昔っからベルティエはそうだ。絶対に何か別のことにかこつけて行動する。昔教えてた時もそうだった。なんなら父親も俺の後輩だがベルティエは親子でそんな感じだ。何にも変わっとらんな」

 そしてカスノーン少佐は僕の方に向き直って聞いてきた。

「大方、ベルティエの小娘にでも行ってこいって言われたんだろう?」

 図星だ。僕はこの人の前で隠し事は出来ないと改めて感じた。どうしてだろう、これも経験からの勘だろうか。

「ええ、まぁ、そうです」

 僕は正直に答える。

「そういえば何の話は聞いているか?」

 カスノーン少佐は更に続ける。この簡潔さがこの人の特徴だ。

「いえ? 何のことでしょう? 何も聞いていませんが」

 すると、カスノーン少佐は手を止めて、大きくのけ反った。まだ新しそうな安物のチェアーがギシギシと音を立て、すでに悲鳴を上げている。

「何だよ、説明すらしてねぇのかよ! 俺ひょっとしていじめられてんの?」

 カスノーン少佐が叫ぶ。叫んでもいいと思いますよ、僕は。

「そもそもどれほど隣がうるさいと抗議してもうるさいままで、部屋を変えてくれって言っても変えてくれない時点でもういじめられていると言っても過言ではないと思いますが」

 僕はカスノーン少佐に同調した。



 その後、叫ぶだけ叫んだ後にカスノーン少佐は真面目な表情をして僕に告げた。

「んでさ、リュシー=グリモのことなんだけどさ」

 リュシーがどうかしたのだろうか。

「ちょっとあいつの相談に乗って欲しいんだ。無理に時間つくって話を聞く必要はないんだけど、今度のガイダンスの時にあいつの話しを聞いて欲しくて、あいつさ、どうも公安情報庁が欲しがっているらしいんだ。それで勧誘なんかも来ているらしい。でもウチのルールとしてそれは認めてないから見つけ次第追い払ってはいるけど、まぁしつこい勧誘でね、参っちゃっていると思うんだ。それで、まぁ、グリモにアドバイスをした欲しいわけだよ。俺らは立場上公安情報庁に行ってもいいとは言えなくてさ、だから学校関係者じゃないお前にグリモの進むべき道を照らして欲しいんだ」

 カスノーン少佐は僕に口を挟む余裕すら与えず、一息に用件を述べた。きっと僕に断られたくないのだろう。

「それで? 僕の口からは何を伝えればいいのですか?」

 僕が尋ねると、カスノーン少佐は僕が受けてくれたような反応を見せたのが嬉しいのか、少し表情を柔らかくして「いや? あいつの話を聞くだけでいい。ほら、『王様の耳はロバの耳』って童話があるだろう? あれと一緒だ。誰か親しい人が話を聞いてくれるってのは物凄く安心感を与えるんだ。そしてそういう人がいることだけでも安心できるんだ。まあ、アドバイスするに越したことはないが」と言った。

 うん、決めた。

 僕はある確信を持ってカスノーン少佐に尋ねた。

「少佐は、リュシーを公安情報庁に行かせたいのですね? 違いますか?」

 僕が尋ねると、カスノーン少佐はあからさまに目を逸らした。やはり図星だったか。

「いや、そういうのじゃなくてね? 俺はどっちでもいい思っている。でも、ほら……」

  カスノーン少佐の歯切れは悪くなる一方だ。ならば僕が言うことは一つだけだ。

「もし少佐がリュシーに公安情報庁に行った方がいいと思っているのなら、それは思い違いですよ? もしそういう風に誘導して欲しいって、僕に依頼をしているのなら僕はお断りしますよ?」

 僕がきっぱりと言うと、カスノーン少佐が縋り付いてきた。

「な、何で? あいつが悩んでいるのは本当だ。せめて話だけでも……」

 必死に僕を説得しようとしているが、無駄だ。問題はそこじゃない。

「あなたもリュシーに教えているから分かるでしょう?」

「ああ、分かるさ。あいつには諜報員の才能がある。あいつの人形術は極秘裏の情報収集にもってこいだ」

 カスノーン少佐が勝手に口を挟んで、そして自滅した。

「何言ってるんですか? あいつには全くスパイとか、そういうのの才能はないですよ?」

 カスノーン少佐は僕の言葉を飲み込めていないようだが、僕は構わず続ける。

「確かにリュシーの人形術は素晴らしいですが、もし情報を得られたとしても……それを正しく他人に伝えるセンスが致命的に有りません。要するに、リュシーにスパイなんてやらせたら大変なことになってしまうんですよ。正しく情報が伝わらなくなる訳ですから、リュシーを公安情報庁にやるわけにはいきません」

 僕はきっぱりと断った。カスノーン少佐はここまではっきりと断られると思っていなかったのか、未だ茫然としている。

「まぁ、リュシーが悩んでいるのなら、相談に乗るのは僕の仕事だとは思いますが」

 若干、カスノーン少佐が可哀想な余り、フォローしているような言い方になってしまったが、これは僕の本心だ。

「……そうか、それはありがたい」

 カスノーン少佐は残念そうな表情を隠さない。

「それでは失礼します」

 僕はカスノーン少佐の部屋から退出する。

「じゃあ、グリモのこと、頼んだぞ」

 僕が扉を閉める時、カスノーン少佐はそう言った。

 頼まれたも何も、「リュシーに公安情報庁に行くように言って欲しい」という一番重要な以来を僕は断ったのだけど。

 カスノーン少佐の部屋にいたほんの数分の間に廊下は冷え切ってしまっていた。

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