サンタクロースの缶詰

雪車町地蔵

サンタクロースの缶詰

墨名となはけっきょく、失敗することを恐れているのよ」


 さも当たり前、自信満々の正解と言った具合に、和来かずらいひじりは、そんな言葉を吐き出した。

 雪が降る直前のような、澄み切った冬の夜空の下でのことだった。


「もうすこし突き詰めて言えば、怒られることを嫌っている。テストで悪い点を取ったり、簡単な問題をケアレスミスで間違えたら怒られると思っているのよ」


 塾からの帰り道。

 ガードレールに背を預けて、缶スープのプルタブを「かち、かち」と鳴らしながら、和来は続ける。


「問題に正解すればなにも言われない。けれど、不正解だとお説教をされる。そんな固定観念が源流にあるのね。でも、これって、おかしな事だと思わない? 不正解なら次に正解すればいいし。間違ったなら、次に正しいことをすればいい。足を引っ張るタイミングを心待ちにしてましたーって、しゃしゃり出てくる必要なんてないわ」


 そこまで一息に喋って、彼女はようやくスチール缶のプルタブを開けた。

 カシュッ! という音ともに、内容物が少しだけ吹き出す。


「そう、たった一回の失敗で世界が滅ぶって訳じゃないんだから、世の中はもっと寛容であるべきなのよね。誰も明日を怯える必要なんてないのよ」


 私──海塚かいづか墨名となには親友がいる。

 いま目の前で喋り倒している和来だ。

 彼女はたいへんな夢想家で、いつだって話は本筋を離れて、明後日の方向へと飛び去ってしまう。


 いまだって本当は、自販機で何を買うか私が迷った事について話していたはずなのだ。

 だというのに、彼女はいまや、世界の容赦のなさについて熱弁をふるっている。とても忙しそうにだ。


「『あー世界なんて滅びないかなー』って思ってる人、イッパイいるはずなのよ。それなのに──いいえ、それでもなお、このしょーもない世界が存続している理由が、墨名にはわかる?」


 解らないと首を振れば、彼女は勝ち誇ったように鼻を鳴らし、


「『どーでもいい』と、思っているひとが一番多いからよ」


 と、断言して見せた。


「世の中ってのは多数決なの。それで、過半数が同じ方向を向けば、世界は変わるんだけど、みんな不平不満とか、あと怠惰な気持ちとかがバラバラの方向を向いているから、いつまでも変革は訪れないのね」


 などと、革命家じみた言説を一席ぶってみせる。

 彼女は塾でも指折りの秀才で、全国模試でも上から数えた方が早い順位だったりするが、日頃の物言いはトンチンカンなものばかりだ。


 頭の構造がもとから違うのだろうけど、私も含めて、彼女の言葉を理解できる人間なんて、大人にだってほぼいない。

 正直、こいつは頭のいいバカだとすら思っている。


 そんな私と和来のなれそめは、じつに奇妙なものだ。


 たまたま同じ塾に通っていただけで、接点なんてなかった私たち。

 だけれど、塾の帰り道、空腹にたえかねて入った牛丼屋で、私と彼女はたまたま遭遇した。


 塾で浮きに浮いていた和来と。

 落ちこぼれだった私。

 偶さか隣の席に座って、同じ豚丼を注文して、一言二言形式的な挨拶をして。


 それだけだったはずだけれど。

 それだけじゃなくなっていた。

 私はなにもしないつもりだったのに、翌日から和来は、やけに絡んでくるようになったのだ。


 はじめこそ宗教の勧誘でも考えているのかと疑ったが──そのぐらい、私にはうま味というか魅力がなかった──どうやらそう言うことでもなくて。

 こうやって帰り道で、いつの間にか仲良く喋るような仲になっていた。


「それで、墨名はさ。サンタクロースの缶詰って、知ってる?」


 ほらまた。

 会話は唐突に角度を変える。

 呆れながら、私は答える。


「なによ、それ。流行の動画かなんか?」

「ちがうちがう、えっとね……それは人生で一番つらい冬の夜、北風みたいに吹き付けてくる寒いものなんだけど」

「なんの役にも立たないじゃない、それ」

「まぁ、便利グッズとかじゃないからね。でも、すごくあったかい物なんだよ」


 えっと。

 つまり。


「あんたは私に、それを買ってほしいってこと?」

「まさか!」


 彼女は手を突き出して大げさなまでに否定してみせた。


「冗談よ。反応が大仰すぎてマジなんじゃないかってひくわ……」

「墨名が言うと冗談に聞こえないんだよね」

「こっちのセリフだ」

「いや、ほらさ。墨名は来月誕生日でしょ? クリスマスイブ」


 ……なんだ?

 どうやらこの親友、私の誕生日なんかを無駄に覚えているらしい。


「へー、プレゼントでもしてくれるってわけ?」

「まあ、そんな感じかな」

「わっかんないわね。ていうか、いらないわよ、役立たずの贈り物なんて」

「まあまあ、そう言わないで。ちゃんと準備しとくからさ! こういうのって、たぶん大事なんだよね」

「はいはい」


 抱きついてくる彼女を適当にいなして。

 その日はそのまま、帰途についた。


 思えば、このとき和来は。

 既に自分の顛末を、予期していたのだと思う。


 翌日。

 彼女は塾にやってこなかった。

 もとから出席率が高いわけでもなかったから、気まぐれだと思っていたが、その翌日、さらに翌日も顔を出さないとなると、心配にもなった。

 メールもグループチャットも返信なし。

 既読もつかないまま、一週間が過ぎて。


 そして私は、彼女が死んだことをネットで知った。


 事故に巻き込まれたのだと言うことになっていた。

 建設途中のビルから資材が落下して、彼女は下敷きになったのだと。


 ただ、奇妙なこともあって。

 どうやら和来は、私と別れてすぐに事故に巻き込まれたらしいのだけれど、その時間は資材なんて吊していなかったと建築会社側が説明しているらしいのだ。

 それに、そのビルは彼女の家とはまったく見当違いの方向にあって、どうして彼女がそんな時間に、そんな場所を訪ねたのか不明だというのである。


 警察は調査中という書き込みと。

 これは陰謀に違いないと騒ぎ立てるものたちと。

 そんな時間に出歩いた和来が悪いとはやし立てるものたちが、ネットでは楽しげに会話をしていて。


 私は、というと。

 その謎を理解できないほど、取り乱していた。


 自分でもどうしてこんなに精神が失調しているのか解らないと言った有様で、ものにあたり両親にあたり学校は休み、食事も喉を通らず、一週間ほとんど眠れない夜を過ごした。


 そうしてはじめて、自分にとって彼女が、こんなにも大切な人間だったと気がついたのだ。


 人が人を好きになるのに理由などいらないとはよく聞くが、なんてことはない。私はいつの間にか、和来ひじりに心酔し依存するほど、好意を寄せていたのである。

 いやいや、いつの間にかですらない。

 あー、まったくざまあないと、自嘲する気力すらない私は、日に日に弱っていった。


 入院こそしなかったけれど、それは医者にかかれば精神への加療が必要になると考えた両親が、世間体を気にしたからと言う理由の方が大きかった。


 なるほど、確かに失敗し間違えれば、こんなにも惨めな思いをする。怖がっていたのも事実だろう。

 和来は次で成功すればいいのだと言ったが、次なんてものはない。

 私の世界は、こんなにもズタボロになってしまったし、いまなら理解もできる。


 ──世界なんて、滅べばいいのにと願う気持ちを。


 そうやって、希死念慮の虜となって日々を過ごしていたある日、宅配便が届いた。

 手のひらほどの包みで、開くとなにもプリントされていない缶詰と、一通の封筒が収められていた。


 封筒は匿名で、私ははじめ、ぼんやりとそれらを眺めているだけだったが、あるとき電流に打たれたように封筒を手に取った。


 わざわざ匿名で、私に手紙を贈ってくるような人間はいない。

 そう、たったひとり、和来ひじりを除いて。


 封筒の中身に目を通し、私は言葉を失った。

 書かれていた内容は酷く抽象的で、同時に荒唐無稽なものだった。


 和来には人間の意識の向きを変える力があって、それで世界を変革しようとしていたらしい。

 けれど、だんだんとその力は彼女の制御を外れ、思っただけで周囲を動かしてしまうほど強くなってしまったのだという。

 結果として、和来は。


 自分のエゴで世界を滅ぼすか。

 それとも、自分が世界に殺されるかを選択することになったのだというのだ。


 彼女がどうなったのかは私の知るとおりだが、手紙の中でも和来はこのことを予測していた。

 そうして、手紙の最後は、このように締めくくられていた。




『親愛なる友人へ


 墨名はきっとサンタを信じていないだろうけど、それでもプレゼントを贈ります。

 ……たぶん墨名は、この力であたしを好きになってしまったのだと思うから。

 これが、一番の栄養になると信じて。

 せめてもの罪滅ぼしに変えて。


 一時、あなたのトモダチだった誰かより』




 読み終えるなり、私は缶詰に飛びついた。

 衰弱した私の手は、うまく缶詰を開けられず「かち、かち」とプルタブを鳴らす。

 それでも必死に引っ張って、蓋の部分を開け放つ。

 指を切るかも知れないなんて、考えもしなかった。


 プシュッと音を立てて開いた缶詰に、指を突っ込み、中身を引きずり出す。

 それは、丁寧に折りたたまれた紙切れで──


『メリークリスマス&ハッピーバースデイ! 誰にも束縛されないアナタ、誕生おめでとう!』


 たった。

 たったそれだけのことが、書かれていた。


「なによ、これ……」


 本当に、なんだろうかこれは。


「役立たず」


 こんなものでは、お腹はいっぱいにならない。


「ぅ」


 けれど。

 けれど、ああ、どうしてだろう。


「うう」


 こんなにも、胸が一杯で。


「ううう……!」


 ぼとぼとと両目から零れる大粒の涙が、缶詰の中身をぬらしていく。

 いつのまにか私はおこりがかかったように震え、滂沱の涙をこぼしていて。


 彼女の言葉が蘇る。


『それは人生で一番つらい冬の夜、北風みたいに吹き付けてくる寒いものなんだけど。でも、すごくあったかい物なんだよ』


 言葉通りの、贈り物。

 すっかり夜になった外では、キャロルや鈴の音が響く。


 今日は、クリスマスイブ。

 聖夜の前夜で。

 私の。


 海塚墨名の、誕生日だった。


「ほんとう、頭はいいのにバカなんだから……」


 私はサンタクロースを夢見るほど子どもじゃないし。

 奇跡を信じるほど世界を崇拝してもいない。


 それでも今日だけは。

 私は、何かに祈りたくてしかたがなかった。


 どこか遠くで、彼女の笑う声が、聞こえたような気がした。


『誰も、明日に怯える必要なんてないんだよ?』


 なにも解決しない中、なにもかもがあやふやな中。

 けれども私は、親友を想い、一心に祈る。


 今日だけは、誰もが同じ方向を向いているのだと、そう信じたくて。

 もうこの世にいない彼女に、こう伝えたくて。


 和来、私はね。

 

「あんたに洗脳される前から、あんたが好きだったのよ?」


 遅すぎた告白は、いつの間にか降り出した雪に埋もれて消えていく。

 私の泣きじゃくる声も、同じように。



 優しい白色に、塗りつぶされていくのだった──

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