男の『魔女』

 類がいなくなった教室。

 騒がしい人間がいなくなったことで、『魔女』は一息つく。

 早く、この場を離れなければならない。見つかりたくない相手に見つかってしまう。

 今すぐに姿を消せる様に準備をしていると、教室の扉が開いた。最小限の音が『魔女』の耳に入る。


「忘れ物したのか?」


 何も言わずに入って来るのは、彼女ぐらいだ。大方、忘れ物でもして戻って来たんだろう。

 『魔女』は振り向いて扉を見る。

 だが、そこに立っていたのは彼女ではなかった。違う、会いたくない人間だった。


「やあやあ、『魔女』殿! こんな所に姿があったとは……。」

「お前っ……!」

「政府からの徴兵に応じず、逢瀬を交わしていたのかい。」


 会いたくない相手、それはこの大学が教授を務めている男だった。

 男が専攻するのは『魔女』の事について。『魔女』の成り立ちから、その生態、解剖、『魔女』の全てについてを研究するのが、男が力を入れている事だ。

 『魔女』の生態だけでなく、魔法が使えるというその力を見越し、生体兵器としての研究も含まれる。

 彼女たち『魔女』が両想い、かつ両想いの相手が死なない限り不死身である事、魔法が使える事は、どんな兵器よりも強い兵器だ。心が通じ合った相手を殺さない限りは死なない生き物ほど、融通が効くものはない。

 この世界は日本に似た世界。だが、戦争は近くにあり、その最前線に恋が実らずに不死身となってしまった『魔女』が立つ。多くの人間を守る為に、少数の突然変異が立ち向かわなければならない。

 彼もその1人だ。だから逃げていた。逃げた場所で、奇しくも類と出会ってしまった。


「その言い方、虫唾が走る。やめろ、気持ち悪い。」

「そんな事を言うのかい? 俺に向かって、そんな事を──、」


 男が大股で『魔女』に近づく。ガタイのいい体は威圧感を与えるが、『魔女』は男見上げて睨みつける。

 藤色の瞳は類に対して細めた時の冷たさとは全く違う。その瞳は、殺意を含んだ刃だった。

 男も負けじと『魔女』を見下ろす。

 男は男で、未知の力を持つ『魔女』に唯一言う事を聞かせ、従わせる手段を持っている。だから、巨大で恐怖と言える力を持つ彼を恐れない。

 彼の顎を強く掴む。頬が凹み、唇は上下共に突き出て、端正な顔が変顔に変わる。


、殺しちゃうよ?」


 淡々と告げる男の最終で、最大威力を繰り出す言葉。『魔女』は瞬時に1人の姿を思い浮かべる。

 煩いほどに明るく、落ち込んだ事も分かる程に表情が表に出やすい女の子。もう、年齢にして女の子という言葉が使えないのかもしれない。

 自分が『魔女』であっても、逆に興味を示して話し掛けてくる子。何処が抜けてて、慌ただしく忙しないあの子。

 初めて会った時から、幼い女の子の時から変わらない女の子。そして──、


「政府と協力しているから、彼女と接点なくとも色んな事ででっち上げれる。警察に捕まる様なありもしない事を上げれるし、死刑にだって出来る。」

「…………めろ……。」

「それとも、男達に犯さして精神をボロボロにしようか! 俺はあんな地味で、体型もそそらないから勃たないけど、そういうのが大好きな奴らもいるし、」

「止めろって言ってんだろ!!!!!」


 藤色が煌々と光る。

 唱えている訳でもなく、彼の顎を掴んでいた男の手が指先から瞬時に凍っていく。怒りと共に発露したのは、彼の魔法だった。

 氷が割れる様な音がする。そんな音と共に凍結は肩まで進んでいく。


「類に手を出してみろ、テメェを生かさず殺さずのまま拷問にかけてやる。」

「そ、そんな事をしていいのか!? そんな事をすれば、君の大切なあの子は死ぬ──」


 男が言い終わる前に、口を前方から掴まれる。頬に下顎骨に、彼の指が強くくい込んでいく。細身な彼からは予想などされそうもない握力が、男に対して繰り出されている。

 今度は男が変な顔に変えられる番だ。

 彼の顔は息を飲むほどに表情がなかった。淡々と冷めた目が男を覗きんで見つめる。


「類が死ぬ前に、お前ら人間皆殺しだ。」


 簡単に行えるのが、『魔女』という存在だ。そんな大きな力を持った存在が彼らだ。

 恋に見出されて、恋に生かされ、恋に死ななければならない。

 男から手を離す。凍った腕はそのまま、溶かすまでのサービスなどしない。


「お望みどおり、行ってやる。」

「わ、分かった! 分かったから、凍った腕をどうにか!!」


 諦めがついたような脱力感のある声で男に言い捨てる。

 彼女を脅しで使う。その真意が分からない。それが彼にとっての唯一な怒りに触れた。


──『魔女』は恋をして、恋で狂う。


 『魔女』である彼も当然、

 冷めた藤色が鋭い物になる。男が顔を引き攣らせて、苦労の果てに彼に差し出した凍った腕を見せる。それを彼は見ていた。


「え、腕……が、俺の腕がああああああああぁぁぁ!!!!!!」


 パキッと音がする。凍った腕は教室の床に転がり、男の前に綺麗な氷の膜に包まれた肘上までの腕を見せる。

 痛みはない。凍っているお陰で感覚は麻痺している。それが救いだ。凍っていない状態であれば、腕が無くなる痛みは計り知れない。

 彼は蹴りの姿勢をとっていた。

 男の凍った腕を蹴り抉ったのだ。氷に包まれた腕は簡単に割れた。


「お前……お前!!!! こんな事をして、許されると思ってるのか!!!!」

「それはこっちのセリフだ。『魔女』に向かって、脅しを使うとか何なの?」


 腕が復活しない様に、踏み潰して粉々にする。


「狂ってる!! 本当にお前らは狂ってる!!!!」

「狂ってて当然だろ。それが『魔女』だ。」


 恋は人を惑わせる。それは『魔女』だから、で片付ける事は出来ない。普通の多くの人間でも狂える。

 自分以外に仲の良い異性がいる。愛してくれなくて、影で馬鹿にされる事もある。

 嫉妬して、愛されていなくて、悔しくて、愛おしくて自分だけのものにしたくて、でもそれは誰も望んでいない事で。


「俺、お前みたいな最低な人間は嫌いだ。殺してしまいたい程に大嫌いだ。」


 脅しとしてだとしても、彼女をそういう目に合わせると口にするその汚い口が嫌いだ。触れるかもしれない腕が嫌いだ。もはや、同じ空気を吸っている事すらも気に食わない。

 嫉妬では無い。大切な存在を自分のせいで出された事がないよりも許せないのだ。


──────


 満月が大きく輝く深夜。月を背景に、彼は箒で空を飛んでいた。

 彼は魔法で窓の鍵を開ける。箒から窓の枠に飛び乗り、部屋へと侵入を果たす。

 しっかりと靴を脱ぎ、布団へと近づき、跪く。

 この部屋の主が寝ている。藤色の瞳が優しく細められる。


「類。」


 名前を呼び、そっと顔に掛る髪の毛を指で払う。その微かな感覚が深い眠りに誘われている彼女の寝返りを誘発させる。

 むにゃむにゃと気が抜けそうな、無防備な彼女に思わず彼の顔が綻んでしまう。

 不法侵入、しかも深夜に女性の部屋である。これを犯罪と言わずしてなんという。やってはいけない事だと理解しつつ、要件を済ませる為に行動を起こす。


「暫く、アンタに会えなくなるよ。見つかっちまって、戦場に行く事になった。」


 優しい手つきで前髪に触れる。


「大丈夫。俺は不死身の『魔女』だ。暫くしたら、またアンタの前に現れるよ。」


 触れていた前髪が全て払われ、顕になる額。

 彼はその額に自分の額を合わせた。


「俺も狂ってるって話したよな。何処が狂っているのか、話はしてねぇよな。」


 苦笑を滲ませて、彼は口を開く。


「俺の狂っている所は、1人の人間しか愛せない所なんだよ。1人の人間にしか恋に落ちれない。それが俺の恋狂い。」


 他の誰でもない、その人でなければ嫌なんだ。他の『魔女』のように、時間を掛けて別の人間に恋に落ちて、振られてを繰り返せたらこんな苦しい思いも、巻き込む事もない。

 他の人間を好きになろうとした。だが、吐いてしまった。気持ちが悪く、悪寒が走って、胃の中の物を全て口から出してしまった。

 自分の心も体も、ただ1人しか受け付けなくなっていた。

 こんなに苦しい事はない。こんなにイカれた事はない。

 人は誰しも複数を好きになる。時間差で、1人だけをずっと好きでいる事など有り得ることではない。

 だが、彼は1人しか愛せない事に気がついてしまった。1人しか目に入れたくない事に笑ってしまった。

 かつ、納得もしていた。

 『魔女』になる前は、恋は気持ちの悪い物だと彼の中で分類されていた。それは彼の家族のせいだった。

 母親は1人の男性に恋に落ち、『魔女』になった。『魔女』になった母親はどうしても好きになった人を手に入れたくて、その好きな人の好きな人に魔法で成り代わった。だが、彼を身篭った頃、魔法が解けて母親を罵倒し、何処かへ行ってしまった。

 その後の母親は狂って、狂い、彼を愛おしい好きな人に重ね、彼をその人として愛そうと手を出てきた。

 それだけならまだしも、彼の半分を作る事になる母親の好きな人は、上司の妻と相思相愛になり『魔女』となった。だが、今度は上司の妻が彼に落ちてしまう。

 恋で狂い、彼の成り立ちは狂ったもので作られていた。

 だから嫌いだった。恋なんて、したくないと思った。関係の無い自分が誕生し、自分の人生は産まれる前から狂って壊れている。

 怖かった。母親も、遺伝子としての父親も全員が恋で狂った。盲目になり、正常な判断が出来なくなっていた。自分も同じ事になるのではないか、そう思うと怖かった。

 俺は今度は誰の人生を壊すのだろうか。成長して、精神が物事の理解が出来る程になると、人との接触を断つ事を頑張った。

 人と必要以上に関わらなければ、恋なんてしなくて済む。遺伝と『魔女』は関係ないが、ここまで『魔女』に囲まれたのなら、自分もなるしかないと思わずにはいられない。

 人を避けて、遠ざける毎日の中に彼女が現れた。

 お節介で、ヘラヘラとした笑顔を浮かべて近寄ってくる。わざと冷たくて酷い言葉を言い放って、遠ざける様にした。

 だが、彼女は泣いて嫌いだ!! と帰っても、数日空けた後に近寄ってくる。泣き虫なのに、タフな精神に呆れてしまった。唖然として、いつの間にか隣にいることを許してしまった。

 煩い筈なのに、その煩さが無いとどうにも落ち着かない体になっていた。彼女の声が、笑顔が見れないと、心配する心になっていた。寄り添いたいと、隣にいたいと思う様になっていた。


──恋に落ちていた藤色に瞳が染まった


「俺がいない間の事、また聞かせて、類。何度でも、何百年、何千年掛けても話を聞くから。」


 後、彼女と何度巡り会えるのだろうか。後何度、世界を巻き戻せば良いのだろうか。

 『魔女』もただの人間も関係なく、兵器として使われる存在でも、重い感情をぶつけてくるメンヘラでもなく、安心して隣にいる為には何度、初めまして、を繰り返せば良いのだろうか。


「好きだよ、類。」


 両想いだと認知してなければ、『魔女』は不老不死だ。死なない。死ぬ事は絶対に許されない。

 だから、この気持ちはまだ秘密だ。彼の周りが落ち着いた時、彼女とゆっくりといられるようになった時、この重たくて狂った想いを伝えよう。

 もし、眼中にもないのなら、眼中に入る様に頑張ればいい。

 まだ、彼女の気持ちは聞けない。


 額を離し、彼女から離れる。

 名残惜しそうに、一瞥をしてから窓に靴を履いた足を掛ける。

 再び、痛みと息苦しい世界に行かなければならない。二度と使われたくなかった。それでも『魔女』だから仕方がない。

 恋に狂う我々は、安心して自分の死を一緒に受け入れてくれる相手を探す前に、世界を整えなければならない。


「おやすみ。元気で。」


 彼は窓に掛けた足を蹴る。

 その姿は、月の中に溶けて消えてしまった。

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魔女は叫ぶ 岩清水 @iwasimizu

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