何度でもあなたを愛す~吸血鬼と彼を愛した彼女の話~

睦月

第1話

明け方の5時過ぎ。


 俺は目を覚ますと自分の隣で小さく寝息を立てている美鈴の髪をそっと撫でた。

 もう誰も愛さないとあの時誓ったのに。

 いつか全てを失うくらいなら、もう愛なんていらない。

 そう言って彼女の亡骸を抱きしめたのに、どうして俺はまた人を愛してしまったの。

 人を愛してしまえば、いつか自分の手で殺してしまう。

 それが分かっていてどうして俺はあの時、美鈴の愛を受け入れてしまったのだろう。




 美鈴の細くて白い首筋に着いた二つの赤い噛み痕に触れ「ごめん」小さく呟くと、彼女がゆっくりと目を覚まし「慶」俺の名前を呼んだ。


「おはよ。起こしたか?」


「ううん」


 小さく首を横に振ると美鈴は俺に体を寄せギュッと抱きついてきた。


「慶、何処にも行かないでね」


「どうした?」


「慶が何処かへ行っちゃう夢みたの。あたしを一人置いて消えちゃう夢」


 俺の思いに気付いたかのような美鈴の言葉に俺は黙り込んだ。


「どうして何も言ってくれないの?ずっと一緒にいるって言ってくれないの?」


「ずっと一緒にいたら、いつか俺はお前を殺してしまう。

 もう愛する人を死なせたくないんだ。だから......」


 すると俺の言葉を遮るように唇を強く押し当てる美鈴。


「あたしは慶を失うくらいなら死んでも構わないよ。

 だって慶を失ったら、あたしは生きていけなもの。

 あたしが、あたしを殺すだけ。

 ねぇ 慶お願いだから、あたしから離れていかないで。

 あたしは慶に愛されたまま死にたいの」


俺にしがみ付き小さく震える美鈴の肩。

どうして俺は人間に生まれて来なかったのだろう。

どうして俺は人の血を吸わなければ生きていけないのだろう。

俺が美鈴を愛さなければ、こんな思いはしなかったはずなのに......どうして。



 200年以上前 俺には愛している人がいた。

 彼女を愛した時俺の体は彼女の血しか受け付けなくなり、俺は自分が生きていくために彼女の血を吸い続けた。


「どうせあと僅かな命。病に命を奪われるくらいなら、いっそあなたの為に死にたい」


 泣きながら懇願する彼女の思いを断ることが出来ず、俺は生きていく為に血を与えられ続けた。

 そして彼女を愛して1年が過ぎた6月。

 シトシトと雨が降る夜、彼女は俺の腕の中で息絶えた。

 幸せそうな笑みを最後に見せて。

 それからは誰の事も愛さず、ただ一人静かにこの命が途絶えることを待つ日々。

 1000年の時がただただ過ぎ去るのを俺は待っていた。自分の命が尽きるその時を。

 それなのにある日突然俺の前に現れた美鈴に一瞬で心を奪われ、俺の体はまた愛する人の血しか受け付けなくなってしまった。


 自分が生きていけるギリギリの量の血を、少しだけ分けて貰う。

 同じ人から2度貰う事はせず、俺の記憶も消しさる。

 そうやってひっそりと生きてきたのに......。

 それなのに、どうして俺は同じ過ちを繰り返すのか。


 初めて美鈴に触れた時、忘れていた温もりを思い出した。

 愛しい人と肌を合わせた時の優しい気持ちと幸せな時間。

 そしてそれを失うことの怖さ。

 もう離れよう......美鈴の為に。自分の為に。

 今まで何度そう思ったかわからないのに、俺は愛しい人の温もりを手放せない。

 彼女を愛する日々は幸せな筈なのに、俺は迷い苦しみながら生きている。



 美鈴と愛し合うその時だけ、俺は彼女から少しだけ命を分けて貰う。

 俺が生きて行く為に必要なギリギリの量の血液。

 それでも確実に彼女の命を縮めてしまう愛の行為。

 透けるような白い美鈴の肌がピンク色に色づいて、高揚を抑えきれない彼女の声が甘く零れる。

 互いの思いを確認するようにゆっくりと愛し合い彼女の中に自分の愛を解き放つ時、俺は彼女の首に牙を立てて命を永らえる。

 美鈴が意識を飛ばす瞬間、少しでも痛みを味合わせないその時に......。


 愛し合った後美鈴はいつも深い眠りにつき、少しずつ意識が戻り始めるとうわ言の様に俺の名前を呼ぶ。


「......け......い」


「ここにいるよ。俺はここにいる」


 俺の言葉にゆっくりと目を開けると、美鈴は安心したような笑みを漏らす。

 こんなにも愛しい人を、もうすぐ失ってしまうなんて。

 溢れ出しそうな涙を隠し背中を向けると「あたしが死んでも自分を責めないでね」美鈴がそう口にした。


「慶は1000年もの時を生きる人だから、永遠の愛なんて望めない。

 ずっとあたしだけを愛してなんて言えない。

 だけどあたしの命が尽きる時、慶へのあたしの愛は永遠になるんだよ。

 慶に愛されて永遠の愛を手にするあたしは幸せだから、自分の事を責めないで」


「なんで......なんで、そんなにまで俺の事」


「あたしね、ずっと、ずっと慶の事愛してたよ。

 生まれるよりも、ずっと、ずっと前から。

 あたしは慶を愛する為に、慶に愛される為に生れて来たんだから」


「生まれるよりも前から?」


「ねぇ 慶、いつになったら気付いてくれるの?」


「......?」


「あたしの事、忘れちゃったの?」


「美鈴?」


「あたしの本当の名前は、すずだよ」


 その名前を聞いた瞬間、俺の心臓は一瞬時を刻む事を忘れた。


「お前、何言ってんだよ」


「あたし言ったでしょ?生まれ変わってもあなたの事を愛するって!

 あたしちゃんと生まれ変わって慶に会いに来たんだよ」


 200年前俺が愛し死なせてしまった女性の名前は「すず」

 自分は彼女の生まれ変わりだと言って美鈴は一生懸命に説明し始めた。


「慶に初めて会った時、やっと会えたって思ったの。

 だけど、どうしてかは分からなかった。

 でも慶に愛される度に、抱かれる度に少しずつ思い出していったの。

 あたしは今も、昔も、ずっと慶だけを愛しているよ」


「......すず?」


 俺の頬を暖かい涙が伝い零れ落ちる。


「そうだよ。信じてくれる?」


 背中を向けたまま小さく頷くと、美鈴がそっと背中に頬を寄せた。


「ねぇ 慶?」甘くささやく様な声。


「ん?」


「どうしてあたしは吸血鬼にならないの?

 吸血鬼に血を吸われると、吸われた人も吸血鬼になるんでしょ?」


「あれは物語だよ。

 吸われた人全員が吸血鬼になったら、この世界は吸血鬼だらけになるだろ?」


「残念だな......。あたしも吸血鬼になれたらいいのに」


「どうして?」


「そうしたら慶と1000年の時を一緒に過ごせるんだよ。

 永い、永い時間、慶と愛し合えるもん」


「......そうだな」


 溢れ出した涙を気付かれない為に、俺はその一言を呟くのが精一杯だった。




 甘く解けるような時間の中で切りがない程抱き合って、最後の時間を互いの胸に刻み付ける。


「ねぇ 慶、もっとぎゅっとして」


 自分の死期が近いことを悟っているのか、ここ数日美鈴は俺から体を離したがらない。


「こうか?」


 腕に力を入れて問いかけると「もっと」小さな声で彼女が答える。


「これ以上抱きしめたら苦しいだろ?」


「苦しくてもいいの。もっとぎゅ~ってして」


 子供のように甘える美鈴を強く抱きしめながら俺は瞳を閉じた。

 日に日に透明感が増していく彼女がまた明日も目覚めることを願いながら......。



 次の日の朝目覚めると美鈴が黙って俺の顔を見つめていた。


「おはよう」


 ホッとした気持ちで囁くと「ねぇ 慶、抱いて」彼女はそう口にした。


「そんなの無理だよ」


「お願い、もう時間がないの」


 やっぱり分かっているんだな。


「それなら尚更無理は出来ないよ。俺は少しでも長くお前と一緒にいたい」


「あたし言ったでしょ。慶に愛されたまま死にたいって。だからお願い」


 どこまでも俺の愛を求める美鈴。

 お前の思いに応える事が、俺にとってどれだけ残酷な事か分かっているのだろうか。

 愛し合った後どうなるのかなんて考えなくても分かってる。

 だけど俺は彼女の最後の願いを聞きいれ、その白い首筋にそっと唇を寄せた。

 力なく俺を抱きしめる腕と、微かに零れる美鈴の吐息。

 きっと、これが最後。

 そう思うと俺は涙を抑えることなど出来なかった。

 瞳を閉じたままの美鈴にくちづけると「慶のキスしょっぱいよ」って彼女が微かに微笑んだ。


「そんなことないよ」


 否定しながらも、美鈴の頬の上に俺の涙が零れ落ちる。


「慶、お願いだから泣かないで。あたしは幸せだから。

 あなたの腕の中で死ねる。それだけで幸せだから。

 ごめんね。最後まで我がまま言って」


「我がままなんかじゃないよ」


「もうひとつ我がまま言っていい?」


「何?」


「もう一度だけ、あたしの血を吸って」


「......分かった、後でね。今はもう少しだけお前を抱かせてて」


「うん。約束だよ」


 きっと俺がここ数日、美鈴の血を吸っていないことを気にかけていたのだろう。

 最後まで俺のことを思う彼女の優しさが胸に痛い。


「慶、ごめんね。あなたの事悲しませて。

 ずっとそばにいてあげられなくて、ごめんね」


「何でお前が謝るんだよ。謝るのは俺の方なのに......。

 俺がお前を愛さなければ、お前はもっと生きられた筈なのに。ごめんな。美鈴」


「慶、愛してるよ。

 そしてまた生まれ変わっても慶を愛するって誓うよ。

 だからあたしを待っててね。

 きっと、きっと慶の所に帰ってくるから」


「あぁ、俺もきっとお前を見つけ出すよ。

 何処にいても、どんな名前になっていても、きっと「すず」を見つけるよ」


「......うん。やくそく......ね」


 美鈴がそっと差し出した小指に俺の小指を絡めると、彼女の手が力尽きてベッドに沈んだ。


「美鈴?......美鈴? 

 目を開けてくれよ。美鈴!!!」


 力なく横たわる彼女の体を強く抱きしめ、俺は何度も彼女の名前を叫んだ。

 けれどそのまま美鈴が目を覚ます事はなく、彼女は俺の腕の中で永い眠りに就いた。

 本当にこれでよかったのだろうか。本当に彼女は幸せだったのだろうか。

 俺は涙を拭う事も出来ず、出る訳もない答えを探した。

 段々と冷たくなっていく美鈴の体を抱きしめ、俺は最後の約束を果たそうと彼女の首に唇を押し当てた。

 これで俺も楽になれる。やっと、彼女と同じ世界に行ける。


 俺たち吸血鬼は血を吸わなければ生きていけない。

 自殺しようと血を吸う事を拒んだとしても、体がそれを拒絶し理性を失って貪るように血を求める。

 俺たちが自ら命を絶てるたった一つの方法は、心から愛する人の亡骸の血を吸う事。

 だから俺はあえて美鈴と約束を交わしたのだ。

 彼女と一緒に永遠の眠りにつく為に。

 本当はすずを失った時に、こうすれば良かったんだ。

 唇が触れた彼女の肌も、喉を過ぎていく血ももう熱を持たない。

 いつもより少ししょっぱい味のする美鈴の血を飲み干すと、俺は彼女と体を重ね合わせて目を閉じた。

 これで命を失えば、俺が心から彼女を愛していた証になる。



 ねぇ すず、お前は俺に永遠の愛なんて望めないと言ったね。

 だけど、俺にとってお前への愛は永遠だったよ。

 俺が生きてきた300年と云う時の中で、本当に愛したのは「すず(美鈴)」お前だけだった。

 そしてきっとこれからもお前だけだよ。

 次この世に生を受ける時は、絶対に人間に生まれ変わってお前を探し出して見せるから。

 その時は俺の人生の全ての時間を捧げてお前を愛するよ。



 体の奥が燃えるように熱く苦しいけれど、俺の心は穏やかで少しの後悔も感じていなかった。

 今はただ愛する人をこの手に抱きしめて、深い深い眠りに就きたい。



 ねぇ すず、今度こそきっとお前を幸せにするからね。




おわり

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