ドブネズミ連合

 私は幼い頃、曽祖父からとある三日間の話を長々と、何度にも分けて聞いたのだが、そのいくつもの話を重ねて整理してこの三日間の様子をこのように想像する。それは奇妙で恐ろしく、そしてどこか美しい話である。

 曽祖父は名を晴之助と言った。特徴のないごく普通の青年であったらしい。彼にはナツという妹がいたが、彼女は重い病気にかかっており、山奥の病院で眠っていたのだそうだ。彼女は危篤であった。その頃はもう末期であり、月に数度目を覚ますほかは、昏睡状態で、心臓も数分に一度動くきりの弱り切った状態だった。晴之助はある理由からそのとき家を出て、ナツのいるその山へ向かった。山を地道に歩くほか、その病院へ行く方法はなかった。髪が汗に濡れる暑さであったらしい。けれど首筋や額もすぐに山の影の涼しい風に冷やされた。

 曽祖父は家の長男であった。けれども彼が言うに、彼は小さい頃からなんとも出来が悪く、それで家の中でも次男やそれに続く弟たちの方が発言力を持ち、彼はそこに居場所をつくれなかった。そんな彼に唯一尊敬をもって接してくれたのが、その妹ナツだったのだ。しかしナツは病気に罹り、山奥へ追いやられた。そしてもう回復が望めないとはっきりしたからだ。後は短い余命余生をそこでゆっくりやってくれと、半ば家族から捨てられたようなものだ。病院に着くと曽祖父は妹の横で何時間も彼女を見守ったという。

 するとナツが目を覚まして曽祖父に気づいた。彼女は「ああ、お兄ちゃん」と微笑んだ。まるで天使のような柔らかい笑顔であったという。「ナツ。何か欲しいものはないか」と曽祖父は聞いた。彼女は「久しぶり晴ちゃん」と彼の手を握り、「海が見たい」と言った。

「わかった海を取ってくるよ」と曽祖父は言い、病室を出た。できるだけ早く海を持ってこようと思ったのだ。

 しかし、彼に海そのものは思い浮かぶのだが、どうやって病院まで運べばいいのかわからなかった。彼には知識も知恵もないのだ。彼は病院中を、知識を求めて歩き回った。

 この病院は普通の病院ではない。心理病院であった。ここには世間から奇人やら気狂いと呼ばれているものが集まった。ナツはそうではなかったのだが、家族にとってはどこでも良かったのである。

 全裸で廊下を歩く人や、人形に囲まれて喋り続ける少女や、侍の格好をした人がいた。その中で彼は、庭に出たときに見つけた胸を地面につけ花を眺めている人にこう話しかけた。

「綺麗な花だね」

「はな? ちがう違う。これを花なんて言ってはいけない」と相手は顔をひん曲げて喋る。

「なんと言うの」

「これは、見たまえ。美しいだろ。君は何だ、初めてみる」

「晴之助です」

「ちがう。きみは君だ」

「海をここまでもってきたいのですが、どうすればいいかわかりますか」

「うむ、確か僕は知識グループに所属していた。古い昔さ。『ドブネズミ連合』といったね。連れてゆこう」

 しかし、ちょうどそこを通りかかった医者が彼らを止めた。

「君、ナツさんのお兄さんだね。彼さっきなんて言った?」

「ドブネズミ連合というところに、案内してくれるそうです」

「ああ、やっぱりそう言ったんだね。確かに昔、そういうグループはあったが、今はもうないはずだよ」

 しかしそのとき、もう遠くまで歩いてしまっている案内人が「こっちだよ、君」と曽祖父を呼んだ。曽祖父は医者が止めるのを無視して、そちらへついて行ったそうだ。

 二人がついたのはある酒屋だった。看板には「大東亜共栄軒」とある。店主に聞くと、確かに古い昔そういうグループがあったらしいが、今はないと答えた。けれどそこには今でも数人の知識や知恵を好む人が集まった。

 目深帽子と呼ばれている男がいた。まぶかに帽子をかむった男だ。「僕から言わせればね、常識は疑うなということさ」と彼は言う。「人間が何のために常識を作ったと思うんだい」

「考えてことないが、考えないでも困らない」とジーパンが言う。「俺たちは常識の中に生まれたからな、そんなことよりも、目の前の女をどうするかが問題だ。俺には生活がある。だから商売はしなきゃいけない」

「でも常識は故意に作られているかもしれません」次は丸メガネが発言する。「でしたらやはりその枠組みから抜けなければ。この世界は大きな組織の思うがままになっているのです。私たちは常に操られているんだ」

「しかしな」と目深帽子。「そう言う話をしているんじゃないんだ。資本やら政府の話じゃない。俺と、社会の話だ。つまり、個々人にはそれぞれ別の世界があるのさ。それは幼児期に形成されるが、みんな違う。けれどバラバラだと厄介なんで、常識を作るんだ。そいつの世界では服を着るのが当たり前だが、そいつの世界では裸が当たり前。こう言うときは多数決みたいな社会念力で何が常識かを決めるわけだが、結果はその世界によってちがう。服を着るのが常識の民族もあれば、服を着ない民族もある。自分の世界に忠実に生きれば、社会とはずれるわけで、そういう奴はあの病院行きだな。だが——」

 議論は、この店の店主の怒号によって閉ざされた。店主は常に雇っている少年を殴りつけ、怒鳴りつけた。少年はつまらないことで賃金を減らされ、無理な仕事を押し付けられ、頭にたんこぶを作られた。

 そんな店に入ってきた曽祖父は彼らに海の運び方を聞いた。

「海は運べねえ」ジーパンが言った。「妹を運ぶべきだな」

「でも、いろんな薬が常に体にいっていて、それが途絶えると死んじゃうんです」

「じゃあ諦めるほかない」目深帽子は言った。「が、いい方法がある。早く動くんだ。出来るだけ早く海まで動けば、それだけ妹さんの命は長く続くだろう」

 花の人は酒を一口飲んで倒れていた。ジーパンが彼を掴んで外へ放り出す。

「君はひょっとして、ドブネズミ連合を探しにやってきたのかい」丸メガネが曽祖父に聞いた。

「うん」

「僕の兄が昔所属していたよ。それで僕もここへくるようになったのさ」

「そのドブネズミ連合って、一体何なの」

「シンバ連盟に対抗して作られたのさ。と言っても規模も知名度も月とすっぽん、どころか太陽とネズミ。そう、まさに太陽とドブネズミさ」

「どう言うこと」

「つまり、シンバ連盟は宇宙規模のだったのさ。対して、ドブネズミ連合はこの酒屋のみの活動」

 シンバ連盟が何かということも、私は曽祖父に聞いたことがある。創立されたのは曽祖父の生まれる少し前。ンドジャメイレレ・ヌン。通称ヌン氏が宇宙を総統するためにそれぞれの星に支部を作り、広げていった組織で、当時地球にもその支部はあったらしい。

「けれど、ドブネズミ連合は自然消滅した。リーダーが消えたんだ。煙のようにね」

 曽祖父は酒場を出て病院へ帰った。妹は病室で寝ていた。彼はその横の空いたベッドを借りて、そこに眠ることになった。次の日、友人から手紙が届いたそうである。そこにはお別れの挨拶があった。理由は地球を出ていくからだった。手紙の中に、その友人がシンバ連盟の支部会員であることが書いてあったという。

 妹が目を覚さないので、彼は病院内を歩いた。昨日の花の人が、高価そうな服をきちんと着込んで歩いていた。

「僕は花のように生きるけれど、別にこれがモットーというわけではない。自然だ」

「昨日は大丈夫だった?」

 すると花の人はその場に座り込んだ。そして、

「いいものとか、悪いものとか。そんなこと考えたこともない。なぜかって、そういう存在の仕方をしているものはないんだよ。勝手に決めるなと言いたいね」

「僕は今からまた酒屋にいくけれど、君はいい?」

「ふん。これを持て」

 花の人が差し出したのは、宝石だった。

「いいの」

「それはただのそれだ」

 花の人は腹を抱えて笑った。

 曽祖父はそれを妹の枕元に置き、酒屋へ向かった。

 酒屋は何やら騒がしかった。まず、店主が太った男に対して必死に頭を下げていた。丸メガネに何があったかと聞くと、「あの人はこの店の資金の出資者だね。見てみたまえ、あの店主の少年を見るニヤケ面を。非常に精神分裂的だね。気味が悪いや」

 少年は対して真顔であった。太った男が店を去って少しして、店主は呻き声を響かせた。

「どうしたんだ」と笑いながらジーパンが聞く。

「この店はもう終わりだ」すると店主は突然少年を抱きしめた。「いままですまんかった。申し訳なかった。ずっとかわいそうだと思っていたんだ」

 少年は店主から離れると、彼を蹴飛ばして店のお金を手にいっぱい掴むと、一目散に駆け出て行った。「もっと持って行け! もっと持って行くんだ!」と店主は叫んだ。

 それをみて、店に入り浸っている者たちは腹を抱えて笑ったそうである。そこに目深帽子が店の中へ音を立てて入って来た。彼は顔の半分しか見えないのだが、それでも焦っているのが分かるくらい、尋常を失っていた。

「大変だ」すると周りのものが今あったことを彼に伝えた。すると彼は言った。「この店がなくなる? それどころではないぞ。地球が亡くなっちまう。さあ、ドブネズミ連合の再結成だ」

 このとき何が起こっていたかというと、あのヌン氏が地球を壊すことに決定したらしい。壊すのは地球だけではない。その他二つの星もこめて合計三つ。宇宙から生命の住む星が消えるのだ。

 理由は今ではよく知られているが、こういうことである。

 ヌン氏がいうには、宇宙に生命体が増えすぎている。これは宇宙開闢以来の危機である。宇宙には定まったエネルギー量があり、空間エネルギーや時間エネルギー、その他がそれらを分け合っているのだが、このエネルギーを生命体に使いすぎている現在、相対的に宇宙に満ちる空間エネルギーや時間エネルギーが減り、そのエネルギーが十分な時は宇宙は拡がり続け時が進み続けるが、十分なエネルギーに達しないと、宇宙は収縮、そして時間退行を始める。だから、生命体を間引かなくてはならない。その星に三つが挙げられた。グリム星、術星、そして人星つまり地球である。

 地球人は地球が他の星と三つ合わせて衝突する、つい前日にそのことを知らされたのだ。各国の政府や王など、様々なところで混乱が生じたのは有名である。

「ヌン氏は今でも活動しているのかい」と酒屋の一人がいった。

「実際にあの頃のヌン氏が生きているのかはわからない。だがあれは人そのものではない、二代目がいたっておかしくない。あれは上層思想そのものなんだ」

 曽祖父は太ポケットの中から友人から来た手紙を出してみた。するとそれを横目に見た丸メガネがその手紙に注目する。「ちょっと貸してくれ」と彼が曽祖父から手紙を奪うと、そこに書いてある事柄を読みこう言った。

「待ってくれ、まだ終わったわけじゃないらしい」

 酒屋が静まり返った。

「ええっと、ここに書いてあるのは、これら三つの星はそれぞれの公転、また銀河的移動を少しずつ変え、ある一点で衝突するようにされたが、決して確率的に高いわけではない。つまり、それほどまでにヌン氏の力が強いわけではないので、ぶつかればぶつかるが、ぶつからなければぶつからない。もし何事もなければ、別の方法を模索する」

「何だそれ」声が上がった。「結局運頼みか」酒屋は再び混沌に陥った。

 それから曽祖父は酒場を抜け出し、病院の先生の部屋へいき、海までの行き方を聞いたのだそうだ。それは山を一つ越えればよい。一応そこまでの道は整備されたあるので、その通りに一本道を進めばいいと聞いた。

 病室へ戻ると、妹のナツは目を覚ましていた。ナツの体調はとてもよく優れ、それから一晩、曽祖父は妹と話し合ったらしい。それは実家の近況や、曽祖父の軍人になるという夢の話や、ナツとの思い出の話であった。

 次の日もナツは元気であった。曽祖父は妹に「どの海を見たいか」と聞き「夜の海がいい」と答えたので、「今夜にでも行こう」という事になった。

 それから体を休めるために暖かいお茶だけを置いてナツを一人にし、その間曽祖父は酒屋にいく事にした。しかし、店にはもう誰もいなかった。ただポツンと目深帽子だけが座っていて、彼はこう言った。

「この国の政府は逃げなかったらしいね。自分たちだけで逃げることもできたが、事実そういう道を選んだ国もある。……我々ドブネズミ連合は……この国の霊性をこのまま消させはしない。向かうはあの高台のロケットだ。シンバ連盟支部会員に紙を渡す。これは我々の魂さ」

「僕は今日海に行く事に決めたよ」

「ああ、気をつけた前。バイクをやろう。バイクには乗れるか」

「バイクなんて聞いたこともないよ。何なの、それは」

「店の前に倒れていただろう。ペダルというのを漕いで、走るより早く先に進む乗り物さ」

 その日いちにち曽祖父は自転車を乗る練習をしたらしい。そして夜になり、彼は妹を迎えに病室へ行った。妹はとても元気であった。彼らは妹の腕や胸から伸びる幾つものチューブや電気プラグを抜き、病室を抜け出した。

 そして曽祖父は妹に自転車を見せた。

「すごい、晴ちゃん。これは何、とても未来的だわ」

「バイクというんだ。ここに乗って」

 そして二人は自転車に乗り、山道を進んだ。しかし、すぐにナツの力は弱まった。曽祖父の背中に回す腕の輪が解けてくるのだ。曽祖父は一度自転車を止め、脱いだシャツで妹と自分の体をくくると、また一生懸命走り出した。

 そしてついに二人は山を越え、海に到着したのだった。曽祖父は自転車を止め、シャツをほどき、ぐったりと意識を失う妹を見た。彼女を抱え上げて、防波堤を越えると、砂浜まで歩いた。実は、もう曽祖父の妹は死んでいたのだった。けれど、海を見たいという彼女の最後の願いを叶えるべく、曽祖父は砂浜に彼女を座らせて、自分もその隣に座った。

 すると同時に空から低い響きが聞こえて来た。海の波が揺れた。グリム星と術星が近づいているのだ。

 しかし、それらの星は地球とは衝突しなかった。グリム星と術星、二つの星は地球から見える夜空の中で、音もなくぶつかり、無限の光となって砕け散った。海が反射してキラキラと光った。三十分も後に地球に音が届くまで、それらは夜空に輝き続け、崩れて燃えた。曽祖父は砂浜に妹と二人で座り、ずっとそのままその光景を眺めたのだという。

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トコトコ掌編集 戸 琴子 @kinoko4kirai

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