名探偵薬

田中大牙(タイガーたなか)

名探偵薬

 アルファ博士の家を探偵のベータ氏が訪れた。

「博士、例のものはできましたか」

「おお君か。できとるよ。入りたまえ」

 ベータ氏を研究室に招き入れると、アルファ博士はさっそくビンに入った薬を取り出した。

「頼まれていただ。一口飲めば頭が回り、二口飲めばたちまち名探偵。天才の私にかかればこのようなものは一日もあればあっという間さ」

「博士、頼んでからもう三ヶ月経ちますが……」

「うるさいな。昨日ようやくヒントを発見して、そこから一日で作りあげたんだから間違ってはおらんよ。まあ試してみよう」

 アルファ博士がコップに液状の薬を注ぎ、そして茶色の液体で割り始めた。

「さあ飲みたまえ」

 渡されたコップの中の液体をベータ氏はぐいと一気に飲んだ。

「なかなか独特な味わいですね」

「うむ。飲みやすいようにな、グアバ茶で割ってある」

「なぜグアバ茶なんです?」

「亡くなった妻が好きでな。嫌いかね?」

「さあ。初めて飲みましたから。でもあまり好きな味ではないですね」

「だろうな。私もそうだ。思えばそういう点でも妻とはそりがあわなかった……それはともかくとして、なにか変わりは感じられるかね?」

「いえ。まだなにも。そんなにすぐ効果が現われるものなんですか?」

「薬は即効性だ。効き目はたちまち強烈に現われる。君のようなぼんくら探偵が、あっという間に名探偵に変わるくらいにな」

「博士、そのぼんくらというのはやめてくれませんか。博士から見たらぼくなんかたしかに無能でしょうが、さすがにいい気分じゃない。そりゃ昔はぼくも自分のことを頭のいい方だと思ってましたがね」

「まあまあ。だがそんな君が名探偵薬を作ってほしいというのはなかなかのアイデアだと思ったよ。だからすぐに制作にとりかかったのだ」

「ほめられてるのか、けなされてるのか……しかし効き目はそんなに簡単に分かるものなんですか?」

「うむ。私にはすぐ分かるんだよ」

 そうアルファ博士が話しているところ、しだいにベータ氏の顔つきが変わってきた。

「薬の効果が出てきたな。ベータ君。私についてなにか推理できることはあるかね」

「推理といっても……なにをどうすればいいのか……」

「そうだな。君と私のここ数年のつきあいについて思い返してみればいい」

「つきあいといっても……では博士について考えてみましょう。アルファ博士。今年五〇歳。非常な天才で、独自の発明をしているがそれを世に発表はしていない。ぼくと博士が知り合ったのは数年前。奥さんのお茶会に招かれたりとつきあいをはじめた。しかしある日突然奥さんが倒れて亡くなる。博士は資産家だった奥さんの遺産を受け取り、以後悠々自適に研究を……」

 そこでベータ氏は急に黙り込んだ。いまベータ氏の頭の中ではさまざまな出来事と情報が急速に結びつきあっていた。

 やがて、ベータ氏の顔がゆがんだ。そして大きな声をあげた。

「ああ、なんということだ。ぼくはいままで気づかなかった。!」

 ベータ氏は悲痛な叫びをあげた。思いもよらなかった真実に目を見開いた。

「博士は奥さんを殺して、なに食わぬ顔でいままでぼくと接してきていた。博士は何度もぼくの前で自分の犯行をほのめかしていたりもしたが、ぼくはそれに気づくことはなかった」

「ブラボー! 効果が出てるな。たいしたものだよ。ぼんくら探偵の君がようやくそれに気づくとはな」

「そうか。だから博士はこの事実に気づかないぼくのことをぼんくら呼ばわりしていたのか……博士、つまり博士は遺産目当てで奥さんの命をうばったわけなのですね」

「うむ、まあそのとおりだ。だが君のせいでもあるのだぜ」

「ぼくのせい……?」

「はっきりいえば探偵である君と出会ったからさ。出会った頃の君は才気ある探偵といった感じで自信ありげだった。知恵比べのつもりだったのさ。妻の死に不審な点を見つけるか期待していたのだが、君は驚くほどなにも疑問を持たなかった。あのときはおおいに失望したよ」

「そ、そんなばかな……」

「たしかに君はばかだ。そして元がばかだから、私の薬の力でもそこまではわからないというわけか」

 アルファ博士が冷たくいいはなった。

「しかし、このことに気づいたからには、博士はぼくをただではおかないはず……」

「察しがいいなベータ君。そのとおりだよ」

 そのとき、突如ベータ氏が胸をかきむしり始めた。

「く、苦しい。これはいったい……」

「うむ。名探偵薬といっしょに、毒薬を混ぜておいのだ。遅効性の毒でな、時間差で効き目が現われるようにしておいた。グアバ茶の味でわからなかったろう。妻もこの毒で殺したのさ」

 ベータ氏が悶え苦しみ、床に倒れ伏した。

「ぼ、ぼくを殺してどうするんです。ぶじ逃げきれると思ってるんですか」

「なにをいってるんだ君は。薬の効き目がもう切れたのか。実際妻の死は不審に思われていないじゃないか。なにも問題はないよ」

 そして博士は薬の入ったビンを取り出した。

「それに名探偵薬があるからな。名探偵は名犯人。逆も然り。これがあれば犯行を隠ぺいするのはたやすいこと。私の科学の知識に名探偵の知恵が備われば恐れるものはなにもない……おっとダイイングメッセージを残そうとしても無理だぞ」

 だがアルファ博士の言葉もベータ氏の耳にはもはや届いていなかった。

「博士……はか……せ……」

 死ぬ間際のうめきをあげながら、やがてベータ氏の意識は無くなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

名探偵薬 田中大牙(タイガーたなか) @taiga_tanaka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ