彼女と二人で夜の街

「じゃあ僕は先に帰るよ」


 晶馬さんは、諭吉様を一枚置いて席を立つ。


「え、こんなにかかってないですよ?」


 せいぜい注文したのは、晶馬さんがアイスコーヒー、玲音がオレンジジュースだけで、とてもじゃないけど諭吉の出番ではない。

 むしろ野口で事足りる程度だ。


「余ったら二人で使っていいよ。社会人の懐をあまり舐めないでね?」

「流石は次期社長候補……」

「ハハハ、そんなにおだてないでくれよ」


 晶馬さんは輝く白い歯を見せて、ニコッと笑う。

 そして手を振りながら出て行ってしまった。

 暗い夜道を歩く銀髪壁眼の青年に、道行く人も目で追っている。

 中身さえ知らなければ、とんでもないイケメンだからな。


「やっとどっか行ったね」


 しかし、玲音は辛辣だった。


「おい、助けてもらったんだし、別にいいだろ」

「君がもっと助けてくれたらよかったのにな」

「無茶言うなよ」


 あの状況であいつとやり合うのは無理だろ。


「ていうか!」


 玲音は思い出したかのように言った。


「君、なんでやり返さないの!?」

「はぁ?」

「なんで、やられてやり返さないの? 私のこと心配して庇ってくれたのはわかるけど、普通男だったらやり返したくなるでしょ」

「いや、ならん」

「なんでよ」


 俺は玲音に会う前から自分の心の中で思っていたことを言った。


「俺は諦めの陰キャだからな。何やったって無駄なんだよ」

「カッコつけて言わないで」

「……」


 別にカッコつけたわけじゃないんだけどな。

 特に喧嘩慣れもしてないし、第一殴らせて気がすむんならそれでいいだろう。

 しかも、もし反撃に及んだとして。

 倍になって返ってきたら死んでしまう。

 後になって仲間を寄越してリンチに合うのも嫌だ。


「ただ、あいつは軽く見過ぎてたな」


 あそこまで理性というものが欠けているとは思わなかった。

 八十年代のヤンキーでも女には手を出さないだろうし、最低な人間だ。


「次会った時は本気で殺されそうだな」


 つい他人事みたいになってしまったが、怖すぎてまともに考えれない。


「その時は返り討ちにしてね?」

「できふかっ!」


 くそっ、腫れた頰の裏を噛んでまともに喋れない。

 今になって腫れてきやがった。

 ていうかなんだこいつ。

 可愛子ぶりやがって。

 しかも、こんな状況でふざけてる場合じゃないのに、そのぶりっ子が様になるのがうざい。

 なんで可愛いんだよ。


「でもさ」


 そんなことを考えていると、玲音は言った。


「助けてくれてありがとう。カッコよかったよ」


 少し上目遣いに、微笑みながら。

 天使だ。

 目の前に天使がいる。

 そう錯覚するほど、玲音は可愛かった。

 こんな彼女を守るための怪我なら、惜しむこともないだろう。

 口の痛みも今ならそう思える。


「まぁただ、その後のやられようは無様だったけど」

「感動をぶち壊すんじゃねえよ!」


 やはり、玲音は玲音だった。



 ---



 そうして、喫茶店を出た午後八時頃。

 車の多い表通りを歩く制服カップル。


「なんかリア充みたいだな」

「何言ってるの? そうじゃん」


 そう言われると、そうだな。

 彼女連れて夜の街歩くなんて、リア充の所業だ。

 俺もこのまま陽キャグループ入りか。

 うぉえ、ヘドが出る。


「ねぇ、これから行かない?」

「どこにだよ」


 すると玲音は目を輝かせて言った。


「Love Hotel!」

「嫌だ!」


 俺は断固として反対した。


「お前、ホテルで何する気だよ!?」

「何って、思春期の男女が夜を共にするって、アレしかないでしょ」

「待て! まだ早い!」

「早くないよ? フィンランドだと、中学生の時点で卒業してる子多いんだって」

「それは虚偽の情報だ!」


 中坊がほとんど童卒だって言うのか?

 なんだその国は。

 恨めしい。


「って本当に連れてくんなよ!」


 歩いていると、本当にラブホ通りに突入しそうだったのでくるりと背中を向ける。


「あれ? 依織くん緊張してる?」

「そういう問題じゃねえ!」

「じゃあ何?」


 そう言うと、玲音はスカートの裾を少し上げた。

 中のパンツが見えそうで、見えない。


「私と、エッチ、したくないの?」


 玲音は色っぽく、そう聞いてくる。

 しかし。

 俺はここまで十七年間も、童貞を守ってきたんだ。

 辛い日もあった。

 だけど耐えてきたんだ。

 それを、今日で諦める?

 十七年の血と涙が滲むディフェンスを、こんなところでやめてしまっていいのか?

 答えはノーだ。


「いや、ダメだ。まだ早い」


 まだだ。

 付き合い始めて一ヶ月でそこまでいってしまったら、ダメな気がする。

 もはや恋人じゃなくて、セフレだろう。

 すると、玲音は大笑いした。


「どうした?」

「いや、あんまりにも童貞くさかったから」

「お前だって処女だろうが!?」


 道行くおじさん達にギョロリと見られる。


「あと一ヶ月。せめてあと一ヶ月は待ってくれ。そうじゃないと、そうじゃないと心の準備が……」

「ねぇ」


 玲音が耳元でそっと囁く。


「気持ち悪いよ?」

「……」


 俺は無言でその場を後にした。


「ちょっと待ってよー」



 ---



「でさ、デートの話なんだけど」

「そういえばそんな話だったな」


 そうだ。

 もともとこの話のために屋上に呼ばれたんだった。

 ラブホ街から抜け出し、帰りルートに入ると、周りの人も少なくなる。

 その代わり明かりはなくて暗い。

 ただ、あまり緊張せず、自然体で入られてこっちの方が俺は好きだ。


「デートコースはお任せしてもいいかな?」

「いや、そもそも俺行くなんて言ってないけど」

「え? 行ってくれないの?」

「だって体全体が痛すぎてなぁ……」


 とてもじゃないけどデートしている身体ではない。

 デートコースは病院巡りとかならどうだろうか。


「えー、でも言ったよね?」

「何が?」

「今度埋め合わせするって」

「あ」


 思い出した。

 二人でカラオケに行った時だ。

 あの日、自分の気持ちに違和感を覚えて抜け出したんだ。

 その埋め合わせをいつかするって約束した気がする。


「だから、今回はお願い」

「うーん」


 そう言われると断れないな。

 前回は百パーセント俺が悪かったし、ここで断ると人間として最低な気がする。


「わかったよ、考えとく」


 俺はそう答えると、しばらく無言で歩いた。

 しかしそんな中、ふと気になる。

 通りにある公園に目がいったのだ。


「あの公園」

「どうかしたの?」


 俺は玲音の声を無視して走って公園へ向かった。

 何故か、行かなければいけない気がしたのだ。

 そして、公園に入って気づいた。


「ここって……」


 どうやら、ここは。

 小学生の頃、俺がよく遊んでいたあの公園だった。

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