第4話「やりきれない思いのままで」

 帰りの電車が、長く感じられた。

 見てはいけない女子の涙を見たような気がしていた。

 荻原は大きなため息をついて真紅の座席に崩れるようにもたれると、小刻みに揺れる窓ガラスに頭を預けて、目線を周りにめぐらした。

 荻原以外にも乗客はちらほらいた。どの人もスマホの画面に目を向けている。同じ車両に東尾高校の学生はいなかった。いたら困るというわけではなかったが、どうしても気にしてしまっていた。

 一年生の頃はよく一緒の電車になった啓吾も、二年になって文理選択が分かれると、あまり一緒に帰ることはなくなった。こうして下校時刻を過ぎてまで自主練をしていれば、さらに会うことが少なくなった。

 荻原の入った文系クラスとは違い、理系クラス、特に啓吾が入った特別進学コースは補修が多い。テスト前や模試の前後になると、幻の八限目が現れる。そのあとから部活となると、練習時間は一時間削れる計算になる。女か部活か問われたら、自分よりも部活中毒な啓吾にとったら当然の選択をするだろう。ただ、

「ものの言い方、だよな」

 荻原は口からこぼれるようにつぶやいた。バスケ部の自分より五センチ大きい一八四センチ。スポーツ優秀で勉強もできる。顔も整ってまさにいいとこ尽くめなのに、堅物なのがキズの親友のことを思いながら、荻原はスマホをクラックスのポケットから取り出した。いつもなら気づいたら開いているアプリのゲームも、今日は開く気が起きなかった。

 結局、あの後練習に集中できず、五本連続でシュートを外して気持ちが折れた荻原は、片付けも早々に帰路についた。

 早瀬の去り際のことがば、萩原の頭でこだまし、涙を溜めて潤んだ瞳を鮮明にフラッシュバックさせた。どう言葉をかけてあげたら正解だったのか、萩原は考え続けていた。

 剽軽な野口や河合だったらきっと、冗談のひとつでも簡単に言って、空気の読めない感じでフォローするんだろうか。それとも、見ていなかったと誤魔化せばよかったのか。

 そんなことを考えていると、電車はいつの間にか荻原が降りるべき駅に到着していた。唸るような警笛でやっと気が付いた荻原は、あわてて電車を降りる羽目になった。車両とのわずかな段差にバランスを崩しそうになり、バタバタと腕を振る荻原の後ろから、聞き覚えのある太い声が振りかけられた。

「あ……」

 荻原は声の主を見上げると、言葉を失ってうろたえてしまった。

「どうした、悟」

 どうにかバランスを整えた荻原の目の前に、大きな弓を抱えてこちらを見下ろす啓吾の姿があった。

「いや、そのさ……。気づいたら駅で……」

 荻原は少し恥ずかしがるように目をそむけた。

「お前、たまにバスケ部っぽくないことするよな」

「……うるせえな」

 真顔で言う啓吾から目をそむけたまま、荻原は言った。こんな顔をしていても、啓吾は冗談を言ったつもりなのだろう。それを理解するのに、どれだけかかったっけ。頭の片隅でそんなことを考えながら、荻原は改札へ歩き出した。

「部活か」

 そう聞く啓吾の言葉に、先ほどまで考えていたことを思い出して、荻原はどういえばいいのか一瞬迷った。

「……自主練。啓吾は?」

 普通に言い返したつもりでも、どこかぎこちなく話しているように思ってしまう。

「そんな感じだ。練習量が足らなさ過ぎてやばいんだ」

 こっちの気持ちを知ってか知らずか、普通にこたえられる啓吾が少しうらやましかった。

「試合、やばそうか」

「相当」

 蛍光灯に照らされた啓吾の目が少し険しく光る。本当にタイミングが悪かったな。なんせ、

「体育祭中も八限目、あったんだろ」

「あれはきつかったな。ただでさえ体育祭準備で部活時間が削られてんのに、八限目とか。やってらんねえよ」

 部活ができないことがストレスだったのは、荻原も同じだった。それゆえに、啓吾の立場も理解できなくはなかった。

「まじでお前、部活人間だな」

 荻原は皮肉交じりに啓吾の腹を軽くつついた。あまり体力を必要としない弓道部のイメージからかけ離れて、啓吾の肉付きはまるで無駄のない陸上部か格闘技部だ。

「いやいや、お前も一緒だろ、悟」

 啓吾は薄い笑みをこぼして、荻原の肩を軽くたたいた。

「まぁ……」

 早瀬の姿が急に思い出されて、萩原は口をつぐんだ。

 二人は黙って、駐輪場に伸びる歩道を歩いた。

「試合が終わったら、中間テストだな」

 口を開いたのは啓吾だった。

「ああ、そんな時期か」

「そろそろ進路も考えないとな」

「まだ早くないか?啓吾は本当に真面目だなぁ」

「すまん、嘘だ。」

「お前、真面目な顔して冗談言うなよ」

 薄く笑った啓吾に、つられて笑ってしまった。

「はーあ。はじめは二人とも学年三百番台だったのにな」

「悟はまだ下から数えた方が早いか?」

「違うし!特進クラスが調子に乗るなよ!」

 荻原はおれおれと啓吾の腹をつつきまわる。いつの間にか、ぎこちなかったのを忘れていた。

「ほんとにそれで塾通ってないとか、嘘つくなよ」

「嘘じゃねえよ」

 啓吾は薄く笑って、駐輪場に止めた自転車に鍵を刺した。車輪を止めていたロックがカタンと音を立てて外れる。弓を持っているのを見て思うが、どうしてこんな長いものをもって自転車に乗れるのか、荻原は不思議になる。

「そういえばさあ、弓、どうして持ち帰んの。練習とかできなくね」

 荻原は歩きながら、弓を乗せたハンドルを押す啓吾に問いかけた。

「いや、練習とかじゃなくて、メンテナンス。部活の時は練習したいから。メンテナンスすると半日は使えないし。試合近いし」

 そういえば中学の時、試合が近くなるといつも弓を持って帰っているような気がした。最近は一緒に帰る機会も少なくて忘れていた。

「がんばれよ、試合」

「ああ、ありがとう。お前もな、悟」

 荻原はそう声をかけられ、丁字路を曲がる啓吾と別れた。

 家までの10分ほどの道を、荻原は一人歩いた。

 結局、早瀬のことは遠回しにも聞くことができなかった。

 別に啓吾にたいして怒っているわけではなかった。別に自分が怒ったからと言って、何がどうなることでもない。自分には関係ない。

 そんな思いとは裏腹に、自分の心は悶々とした感情でいっぱいになっている。明日からどうやって早瀬と接すればいいんだろう。荻原はそんなことを考えながら、クラックスのポケットから家のカギを取り出した。家まではもう少しあったが、落ち着かない気持ちをどうにか隠したかった。

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メタセコイアの木の下で 河原四郎 @kappa04

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