暗い食卓

 忠志は四畳半の自室に入り、血塗れの服を着替えて、ベッドの上で横になった。少し休もうと思って目を閉じても、不安がどんどん膨らんで、眠くなるどころか逆に目が冴える。頭も心も漠然とした焦りに支配されていて、堪らなく不快だった。

 はたと脱いだ血塗れの服をどうしようかと彼は考えたが、大量の血が染み込んでいる上に、穴まで開いているとなると、もう捨てるしかないと結論付ける。服を捨てるという行為が、死んだ宗道を放置して帰った行為と重なって、酷く彼の気分を落ち込ませた。


 忠志は横になったまま、鬱々とした気持ちで自問自答を始める。


(宗道を殺したのは誰だ?)

(それは間違いなくリラ星人だ)

(どうして殺した?)

(同じリラ星人の裏切り者を処分する為に――)

(巻き込まれた? 流れ弾が当たった? 本当か? 最初から一緒に殺すつもりだったんじゃないのか? 都合の悪い事実が広まらないように……)

(どうしてオレを殺さなかった? 死んだと思っていたから?)

(だったら、新理は――)


 彼の想像は悪い方へ、悪い方へと膨らむ。ここで寝ている場合ではないと、また心が焦り出す。だが、不用意に外出すると、今度こそ殺されるのではないかと恐ろしくなり、思い止まる。自分が死ぬだけならまだ良いが、母や周りの人まで巻き込んでしまう事にならないか、それが怖かった。これ以上誰かが死んだらと想像するだけで、彼は動悸が激しくなり、泣きたくなる。


(……どうしてオレは生きていたんだろう)


 無力感と虚無感に襲われ、忠志は自分の存在に疑問を抱いた。自分が生きている理由が分からないのだ。それは心理的な問題ではなく、純粋に物理的な問題だ。撃たれたのは宗道と同じなのに、どうして自分は傷口が完全に塞がって、普通に行動できる様になるまで回復していたのか、よく考えなくてもおかしい。


(超能力に目覚めたとか?)


 ついに忠志は現実逃避を始めた。死に瀕して不可思議な力に目覚めるというのは、ではよくある展開だ。もし超能力があったら、今の自分に何ができるかを忠志は考える。

 そして彼は真っ先に圧倒的な科学力を持つリラ星人を倒せないかという事を思い付いた。宗道の仇を討ち、日本に、世界に平和を取り戻すのだ。怒りのままに憎いリラ星人を――……と、そこまで空想して、途端に虚しくなる。現実の彼は狭い部屋で恐怖に震えている意気地なしに過ぎない。


 その内に太陽が沈み切り、室内が暗くなって来た。部屋の時計は先月から止まっているため、正確な時間は分からないが、そろそろ公務員である父が帰宅する頃。

 しかし、忠志は今は誰とも顔を合わせたくなかった。食欲も全く無い。



 それから数分して、忠志の両親は揃って帰宅した。静まり返った家の中、忠志は玄関からの物音で両親の帰宅を察していたが、出迎える気力はなかった。

 両親にあれこれ事情を聞かれても、どう答えれば良いのか、ありのままを話したとして信じてもらえるのか、彼には分からない。明日か明後日には、警察にも説明しなければならない。それがプレッシャーとなって忠志の精神を蝕み、事件の当事者としての義務も何もかも放り出して、引き籠もっていたい気持ちにさせていた。


 塞ぎ込んでいる忠志の部屋に向かって、足音が近付いて来る。床をしっかり踏み締める力強い足運びは、彼の父親だ。忠志の父は部屋のドアを軽くノックして、中の忠志に話しかけた。


「忠志、ご飯だぞ」


 傷心中の息子に配慮して、父は優しく言う。それに対して息子の返事は、無気力で冷淡。


「いらない。腹減ってない」

「食べなくても良いから、とにかく出て来なさい。話をしよう」


 忠志は何も言いたくなかったが、ここで閉じ籠もっているのにも限度がある事を認めて、とぼとぼ部屋を出た。

 父は忠志を出迎え、彼の背に片手を添えて、一緒にキッチンまで移動する。


 味気ない非常食が並ぶ食卓の上で、電灯代わりのキャンドルがオレンジ色に揺らめく。もう何か月も、このような侘しい食事だ。これまでは家族の団欒が、その侘しさを補っていたが、今日は違う。全員席に着いた後、食事に手を付ける前に、忠志の父は神妙な顔をして息子に言った。


「大体の事は母さんから聞いた。しばらくは外出を控えて、家の中にいなさい。後の事は警察に任せよう」


 俯き加減の忠志は無言で小さく頷いた。少しの間を置いて、再び父は口を開く。


「それで、体は大丈夫なのか? 撃たれて血塗れだったって聞いたけど……」


 忠志は再び無言で頷いた。また少しの間を置いて、父は尋ねる。


「浮島で何をしていたんだ?」


 忠志は少し顔を上げ、父の目を見詰めて答えた。とにかく見たまま、聞いたままの真実を語るつもりだった。


「リラ星人と話してた。白いロボットのパイロットで……。あの大きな宇宙船にいるのとは、違うリラ星人だって」


 父は息子の話に驚いて目を見張る。


「違うリラ星人?」

「そうだよ。このままだと地球は滅ぼされるって言ってた。その事を日本の人たちに伝えて欲しいって」


 忠志の両親は信じられないといった表情で、お互いの顔を見合った。その後、父が真面目な顔で忠志に言う。


「忠志、その事は誰にも言うんじゃないぞ」


 元より忠志は他の誰かに話すつもりはなかった。いきなり誰かに言っても、信じてもらえないと思っていた。ただ、両親なら自分の話を信じて、真剣に考えてくれるかも知れないと期待していた。彼は目を逸らさず両親に問う。


「……それで、どうするんだ?」

「どうするって……」


 両親は同時に困惑した声で呟き、また二人で顔を見合わせる。忠志はいら立って、はっきり告げた。


「このままだと地球はリラ星人に滅ぼされる。それを知ってしまったから、ムネは殺されたんだ。俺も……。どうにかしないと本当に地球が……」


 両親は何も答えなかった。きっと両親には何もできないと、忠志は悟った。彼の両親は一般人だから。そして、彼自身も何もできない。

 忠志の頭の中で、様々な感情と情景が巡る。宗道が死んだ時のショック、自分が撃たれた時の恐怖、幼馴染三人での会話、落ちる白いロボット、白いロボットと戦っていた赤い翼の何か、新理の怯えた顔、漂着したリラ星人、そして目の前で困惑している両親。


(もう嫌だ! もうダメだ! オレには何もできないんだ!)


 忠志は気が狂いそうになり、「あぁ」と絶望の声を漏らすと、その場から逃げ出して、自分の部屋に閉じ籠もった。

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