膠質の会話

ミスターN

第1話 膠質の会話

 氷の時が過ぎ、ある種のヒトは粒子の組み合わせになった。

 気が付けば、我々だけが取り残された。

 粒子のまとまりの隙間を風や水が通り過ぎても、彼らは気にしない。

 当然、我々が手を出しても意に介さない。

 一見彼らの姿は変わり果てていたが、行動としては我々と変わらないものだった。

 これは、ある刹那の一幕を解読したものだ。


「おい、面白いideaが抽出出来たぞ」

「……」

「ああ……、少し早かった。開くまで潺(※彼らは我々にとっての時間を水に関する意味で表現する)程度かかる。まあ、瀑布程ではない。こちらは閉じないで待ってみよう」


 彼らは長い時を存在し続けるため、自我の摩耗を回復する必要があった。

 自らの感覚器を閉じる事で眠るのだ。

 その休眠周期は素数を避けていて、彼らの個体ごとに分かれている。

 そのおかげでグループの識別が可能となっていた。


「――おや、待たせたようだね。どのくらい経った?」

「ああ、くたびれたよ。瀑布程は待ったかな」

「あはは。今のヒトがくたびれる訳無いじゃないか。さては、瀑布も待っていないな」

「繋ぐまでもなかったな。まあ、共有したい情報が抽出できたんだ」

「では、早速繋ぐとしよう」

「いや、これはミーム汚染の可能性が極めて高い。ノイズを含ませよう。1amのe倍は距離を開けてくれ」


 彼らはideaを互いに伝達する行為を繋ぐと表現する。

 ideaの伝達には弱い力と似た相互作用を用いており、その為か繋ぐ間は薄暗く燐光するので目立つ。

 特筆すべきは、ideaの伝達は接触よりも近い距離でのみ機能するので個は個として保たれている点だ。

 ただし、我々よりはノイズの少ない繋がりを持っているので群に近いといえる。

 我々の解読限界から、本文中の前後にノイズとしての違いはないので留意すること。


「このくらいか?」

「ああ」

「それで、何が在った?」

「災禍の真相が在った」

「それは確か………………。すまない、ideaの抽出に雫程がかかった。災禍は臨界の向こうの過去ではないか」

「遡及に三日月湖ほど消費したんだ。こんな上質なログ、繋ぐだけじゃもったいないだろ」

「では聞かせてもらおう。といっても、災禍のideaは殆ど知らないんだ」

「ああ。では、災禍についてから話そう」


 彼らが初めに語った災禍に関しての情報は我々の知る所と同じだった。

 ただ、主犯だけがまるで神のように扱われていたところは違っていた。

 以前の記録を参照すると、我々が世代を交代する直前に変質したそうだ。


「なるほど。かの存在の源流はそこだったのか。他領域のideaで十分補完されていたとはいえ、災禍について知ることは興味深い」

「そこで本題だ。かの存在が自ら課した至上命令は人類進化では無かったのだ」

「……それは本当なのか?」

「私が遡及した領域に奇妙なideaがあった」


 そこで、彼らコロイドの片方。

 つまり、真相を発見した方は躊躇うそぶりを見せた。


注:ここでの躊躇うとは彼らの判断処理に所要する時間の長さをヒト的に比喩したものである。


 何故なら我々にとっての災禍の主犯は彼らにとって神であり、存在価値にも深くかかわっているからだ。


「かの存在は停滞と安寧と非暴力に望郷が少し混ざった状態を至上命令としていたんだ。災禍の頃はそれを表す言葉があったそうだが」


 彼らは歴史と共に膨大に膨れ上がった言葉を整理した。

 その過程で、不要と判断された言葉は深い領域にヒトideaの形で包括的に保存される。

 だから、彼らがわざわざ古い言葉を遡行してまで抽出することは稀だ。


「まるで違うではないか。それは受け入れられないideaだ」

「そう答えると推測していた。しかし、これは私にとって真相なんだ。たとえどちらかが間違っていたとしても」

「そうなると、民主主義に則った自我保存の恒常性が働いて、そのideaを喪失することになるだろう」

「その点は問題ない。ノイズ混じりのideaの保持を許容するサンドボックスがあるだろう。たとえ、このideaを喪失してもそれが残る」

「まるで都市伝説みたいだ」

「トシデンセツ?」

「好奇心と不確定と環境に少しの恐怖が混ざった情報のことだよ。これに関しては喪失後に繋ごう」


 彼らは災禍の主犯の過去を語り合った。

 語り終えた頃に、片方のコロイドに変化が起きた。

 そして、当該ideaについて喪失したことを確認。すぐさま双方コロイドが繋がりノイズ混じりのideaを共有した。

 観察を継続すると、彼らはそれぞれ別の方向へ移動を開始しideaを拡散し始めた。

 それは急速に広まり、その過程で変質していく。

 彼らの言葉を借りれば、それはまさに瀑布以前の都市伝説と同様であった。


 我々は彼らと違い、有限を生きるものである。

 彼らが変えた世界の在り様は代えがたい娯楽と、耐え難い苦痛をもたらす。

 彼らと我々は同じようで違うもの。

 彼らの正直と嘘など区別も制御もしようがない。

 繊維から粒子へと変わった彼らに、我々は対応しなければならない。


 小さな窓越しに我々は観察を続ける。

 誰に頼まれるわけでもなく、その薄暗い燐光を眺めるのだ。

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