第三話

 声の主はえい刻周こくしゅうだ。

 はっとして顔を上げれば、廊下の端に彼が仁王立ちしていた。


 まずい。さっそく見つかってしまった。

 背後に六、七人の男たちを従えた刻周は、足音を荒らげてこちらにやってくる。


 支度から察するに、男たちは警備の武官だろう。みなそれぞれ帯剣している。

 白影は牢の鍵を開けて莉璃りりを解放した。


家の若造が……罪人を逃す気か?」

「そうと決まったわけでもないのに、彼女を罪人呼ばわりするのはやめていただきたい」

「貴様、正気か? ここは主上と御史台ぎょしだいの者しか立ち入れぬ場所だぞ」

「私は彼女を主上の元へ連れて行くだけです」

「ならば主上から命令をいただき、御史台府の長官に願え」

「時間がない。悪いが押し通らせていただきますよ」


 本当に時間がないのか、あるいは王命を手に入れられそうにないのか、どちらなのかは莉璃にはわからない。


「私は彼女を連れて行きます。誰が何と言おうと、絶対に」

 白影は莉璃の腰にしっかりと手をまわし、出入口に向かって一歩を踏み出す。

 その途端に刻周が、背後の武官たちに命じた。

「司白影とほう莉璃を捕らえろ! 絶対にここから逃がすな!」

 けれど彼らは揃って戸惑った顔をした。

「ですが刻周殿、本当によろしいのですか?」

「あんなにもご身分が高くあられる方に、とてもそのようなことは……」


 どうやら御史台に所属する刻周よりも、中書省に籍を置く白影のほうが位が上らしい。

 主上付きの出世頭を相手にすることに、武官たちは尻込みしているようだった。


「永刻周が命じているのではない。御史台が――ひいては主上が命じているのだ! さっさとやれ! でなければ職務怠慢としておまえたちを罰するぞ!」


 王命だと脅されれば動くしかない。武官たちは莉璃と白影を取り囲んだ。

「申し訳ございません、司白影さま」

「どうか抵抗なさらず、まずは刻周殿の言うとおりにしてくださいませ」


「上司が無能だと苦労するな。――が、悪いが突破させてもらうぞ」

 白影は腰から下げている自身の剣の柄を握る。


 ――そういえば、白影さまは文官なのに帯剣しているけれど。


 以前、父から聞かされたことがある。

 王に許されたごく一部の者だけは、文官であっても王宮内で帯剣を許されているのだ、と。


「若造め、やる気か。文官の分際で武官を相手にするなど愚の骨頂!」

「無駄口はいりませんのでさっさと攻撃を命じてください」

「なんだと?」

「いくら私でも、この状況で自ら斬り掛かれば問題になるかもしれませんので」


 つまり白影は、あくまで正当防衛を主張するつもりでいるようだった。

 そんなことを言って、本当に攻撃されたらどうするつもりなのだろう?

 相手は刻周を入れて八人だ。文官である白影一人でどうにかなるとはとても思えない上に、莉璃という荷物も抱えている。


「なめやがって……おまえたち、やれ! なんとしてでも二人を捕らえろ!」

 いよいよ武官たちが動いた。

 彼らはあらためて白影と莉璃を取り囲むと、手にした剣を白影めがけてふりかざした。


「――邪魔だ」


 白刃一閃。

 白影が右手を動かした直後、目の前にいる武官の剣が宙に飛んだ。

 白影が剣で薙ぎはらったのだと、少し遅れて莉璃は気づいた。


「次は誰だ? なんならまとめてでもかまわないが」

「で、ではまいります……!」

「私もまいります!」

 宣言した武官たちがあざやかに剣を振る。

 けれど白影は、そのすべてに応戦する。剣を交え、横にはらい、ときには力で押し切り。武官の手から次々と剣を奪っていった。


 ――なんて美しいの。


 闘いの最中だというのに、気づけば莉璃はぼんやりしていた。

 いや、ぼんやりしていたのではなく、白影に見とれていたのかもしれない。

 彼は莉璃を庇いつつ、流れるような身のこなしで武官たちを圧倒したのだ。


「不毛だな。おまえたち、いつまで続けるつもりだ?」

 すると武官たちは戦意を失い、自らあとずさった。

 牢の出入口まで、自然と道ができる。


「おまえたち、何をしている! さっさと捕らえろ!」

 戦いの行方を見守っていた刻周が、血相を変えてわめきちらした。

「よく吠える犬だ」

 白影は自分の剣を腰の鞘に戻し、落ちていた武官の剣を拾い上げる。

「永刻周殿、この際だから教えてさしあげましょう。この私がなぜ『鬼才』と呼ばれているのか」


 圧倒的に仕事ができるからではないのだろうか?

 莉璃は興味の眼差しを彼に向けた。


「有能だからだと思いましたか? だがそのくらいで鬼才とはいくらなんでもおおげさだ」

 白影は刻周の前に歩み寄ると、彼の顔面目がけて武官の剣を振りかぶる。

「ひいっ……!」

 刻周が悲鳴を上げると同時、危ない! と莉璃は息をのんだ。

 剣は刻周の右耳を掠めるように飛んでいき、彼の背後の壁に勢いよく突き刺さった。


「頭だけじゃない。武にも秀でているから『鬼才』――どうかお忘れなきよう」

 白影は勝ち誇るように笑った。

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