第二話


「皆さま、まずはお疲れさまでした。どなたさまも締切に遅れることなく提出してくださり、感謝いたします」


 翌日。秋の太陽が王宮の黄瓦に降り注ぐ昼下がり。

 ほう家、りゅう家、かい家の仕立屋たちは、初日に説明を受けた大部屋に集合していた。


 前に立ち、説明をするのは礼部のせい官吏と彼の部下二人だ。

 さらに部屋の隅には、王の華燭の儀の総監である白影はくえいと、部下である悠修ゆうしゅうが控えている。


「今朝、皆さま方が提出された図案は、すぐさま主上と貴妃にお渡しし、お目を通していただきました。結果、全ての図案に了承をいただけましたことを、ここに報告いたします」


 朗報を受け、部屋のあちこちから安堵の息がもれた。

 図案を提出したはいいが、場合によっては手直しを命じられたり、失格になってしまう可能性もあるのだ。皆それぞれ緊張していたに違いない。


「さて、では図案をお返しいたします。まずは柳家のものから」


 礼部の青年の一人が、数枚の紙を成官吏に手渡した。

「少々派手すぎるきらいはあるものの、豪華な衣装が出来上がりそうで楽しみだと主上はおっしゃられていましたよ」

 王からの言伝とともに、圭蘭けいらんに図案が戻される。

「あら、実際に衣裳ができあがれば、派手すぎるくらいのほうがよかったと思っていただけますわ。だって貴妃の衣裳ですもの」


 圭蘭はなぜかこちらに視線をくれながら、白影の元へと向かった。

「ごきげんよう、白影さま。お顔を拝見できて嬉しいですわ」

 その顔に浮かべるのは極上の笑みだ。

 やがて彼女は、部下とともに部屋から去っていく。


「続いて櫂家。わりとよく見るような形であるため、もっと工夫をこらして欲しいと貴妃はおっしゃられていました。それから肩掛けの刺繍の柄がお好みだとも」

 今度は櫂家の代表者の手に図案が返された。


「お言葉を励みにし、必ずや貴妃がお気に召されるものを作らせていただきます」

 そう言って頭を下げるのは、二十八歳になる物静かそうな女人――櫂彩佳さいかだ。

 王都で長らく衣装業を営んできた櫂家と彼女の存在を、莉璃は以前から知っていた。


 櫂家はどのような図案を提出したのだろう?

 見たいけれど、それは叶わない。もどかしくてやきもきしていると、彩佳が声をかけてくる。

「ここからが本番ですもの。お互いがんばりましょうね」

「ええ。できあがった衣装を拝見させていただくのを楽しみにしておりますわ」


 彩佳は二人の部下と共に大部屋をあとにした。


「では最後に鳳家。主上も貴妃もこちらの図案を褒めておられましたが、何か違うような気がする、ともおっしゃられていました。素晴らしい図案だが、はたしてこれが貴妃に似合うのか、と」

「え……」


 その時、莉璃は頭を鉄槌で殴られたかのような衝撃を受けた。

 王と貴妃が口にした、『何か違う』『貴妃に似合うのか』との言葉。

 それはかつて、月華館の客から言われたことのある文句だったのだ。


 ここでもそれを聞くことになるのかと、愕然とする。

 今回の図案こそ、莉璃の自信作だったのに。今度こそ母のような衣裳を、自分も作れると思っていたのに。


「そんな……なぜですの? 主上と貴妃はほかに何かおっしゃられていませんでしたか!?」

「いえ、ほかには。ただ、このままでは鳳家の衣裳は選ばないかもしれない、と」

「そんな……!」


 動揺を隠しきれずに、上襦じょうじゅの胸元をきつく握りしめる。成官吏から告げられた王の言葉が、莉璃の頭の中をぐるぐると駆け巡る。


 やがて莉璃の手に、数枚の図案が戻ってきた。

「ですが、素晴らしい図案だと、そうおっしゃられていたことは確かですよ」


 けれど最終的に選んでもらえなけれな意味がない。

 花嫁に袖をとおしてもらえばければ、衣裳としては失敗作なのだ。


 ――なぜなの……。今度こそ、と思ったのに。


 覚束ない足取りで、大部屋の出入口へ向かって歩き出す。

 ふと顔を上げれば、扉の側に立つ白影が、無表情のままこちらを眺めている。

 ばつが悪くなって、慌てて視線をそらした。

 彼の前を素通りし、莉璃は逃げるように部屋をあとにしたのだ。

 


 *   *   *



 生まれて初めて花嫁衣装を目にした時の感動を、莉璃は今でも覚えている。

 それはおよそ十一年前のこと。莉璃が六歳になったばかりの秋のことだった。


 その前年、鳳家の財政はいよいよ傾き、見かねた母が月華館を開業させた。

 もともと母は衣裳作りを趣味としていたらしく、仕立ての経験がある女人を雇いはしたものの、ほぼ独学で月華館を切り盛りしていたのだ。


 そして運命のその日。

 六歳になり、月華館の仕事場への入室を許された莉璃は、大きな人形に飾りつけてあった衣装を一目見た瞬間、心を奪われた。


 金糸銀糸の縫い取りがされた豪華な上衣下裳じょういかしょうに、胸下に締められた金の帯。

 繊細な刺繍が刺されたかすみの肩掛けは、まるで仙女のものかと疑うほどに美しかった。

 人形の頭には鳳冠ほうかんとかんざしが。首や耳まわりを飾るのは、金銀で作られた頸鏈けいれん耳環じかんだ。それらはきらきらと輝いていて、莉璃の目にまぶしく映った。


『きれいね、母さま。真っ赤でとってもきれいでどきどきするわ……!』


 十一年前のあの日、興奮して頬を赤らめた莉璃に、母は聞いてきた。

『あなたも女の子だもの。いつかこんな服を着てみたいでしょう?』と。


 しかしその時、莉璃は、『ううん』と首を横に振ったのを覚えている。

『着るよりも、莉璃もこれを作りたいわ。母さまと一緒にこれを作る!』


 幼いながらも、その時すでに、莉璃は心に決めていたのだ。

 大人になったら、この深紅の衣裳を自分の手で作ろう、と。母のように花嫁衣装の仕立屋となり、花嫁たちの幸せを彩る手伝いをしよう、と。


 ――懐かしい。それから衣装作りの勉強をするようになって……。


 母が亡くなった際には、悲しみのあまりに呆然とした日々を送った莉璃だったが、月華館の存続だけは、すぐに父に願った。

『わたくしが継ぐから、どうか店をたたまないで』と。『必ず繁盛させてみせますわ』と。


 その後の二年間は、まさに全力を尽くして仕事と向き合った。

 今だって日々、努力と失敗の連続。何かにつけて勉強する毎日だ。


 ――そうよ。何も今に始まったことじゃないわ。


 うまくいかないのも、厳しい評価を客から下されることも、初めてのことではない。

 せいいっぱい努力して良い結果を得られないのなら、さらに頑張るしかないのだと、王宮の作業部屋の中、莉璃は大きな息を吐く。

 自分が今すべきことは、仕切り直して前に進むこと。

 ここで立ち止まり、時間を無駄にしている場合ではないのだ。


 それでも莉璃の気分は滅入ったまま、いまだ浮上しようとしない。

 今度こそ、と思った。かつての母の衣裳に似た、月華館ならではの素晴らしい案ができあがったのだ、と。

 だからこそ負った傷はひどく深かった。


「莉璃さま、あまり落ち込まずに、気を取り直してください」

 作業台のはす向かいに座る零真れいしんは、神妙な顔つきをしていた。


「まだ時間はあります。ここから手直しもできましょう」

「ええ……たしかにそうね。ありがとう」

 ばつが悪くなってしまい、慌てて声を明るくする。


 昼過ぎに図案の了承が出たあと、莉璃と零真はただちに作業部屋に戻り、さっそく型紙の製作を開始した。

 衣装作りには順序がある。

 まずは型紙を製作し、それに合わせて布の裁断をする。そして刺繍を刺したのちに各部の生地を縫い合わせ、立体的な形にするのだ。


「衣裳の手直しだけれど、刺繍の柄の入れ方と帯の意匠、肩掛けの形を変えてみようと思うの。上衣下裳の形はこのままで」

「ではやはり上衣下裳の型紙は明日までに製作しましょう。そうすれば莉璃さまが図案の手直しをしている間に、私が布の裁断をできます」


 それなら予定が大幅に狂うことはないだろう。


「ならばまずはこれを確認してもらえるかしら。袖の型紙よ」

「では莉璃さまはこちらの型紙を確認してください。くんの部分になります」


 零真に数枚の紙を手渡すと同時に、扇形に広がった大きな紙を受け取った。

 それには細かな字で、数字がいつくも書き入れられている。

 王都の仕立屋で長らく働いていた零真は、刺繍や衣裳の縫製をするお針子だ。

 しかし型紙の製作にも精通しているため、今回は彼と手分けして進める予定になっていた。


「あなたのほうは完璧だわ。これなら図案の印象に近い、綺麗な線が出るのではないかしら」

「よかったです」

「わたくしのほうはどう? 肩から二の腕にかけて、少し絞ってみたのだけれど」

「そうですね……これだと少々窮屈かもしれません」

「これから華燭の儀に向けてお忙しくなるもの。貴妃もきっと少しお痩せになってしまわれると思うの。だからあえてそうしてみたのだけれど」

「ですがあまり絞るのは危うい気がします。脇の部分を少し下げたらどうでしょう?」

 二人は貴妃の体の寸法を見ながら、細部の調整を行っていく。


「上衣の生地は薄手のものを使うつもりよ。やや透け感があるような。それにゆとりがあるより、多少窮屈なほうが美しく見えるわ」

「それでしたら、この位置にしたらどうでしょう?」

「そうね……たしかにこのくらいがちょうどいいかもしれないわね」

 納得して、莉璃は型紙に修正線を書き入れた。


 日頃着る衣装と花嫁衣装には、大きく異なる部分がある。

 まず着用時が結婚という、女人の環境が大きく変わる時だということ。

 そして着用前は華燭の儀の準備で慌ただしく、心身共に疲れ切っているということだ。


 華燭の儀の当日、花嫁は採寸時より痩せていることが多い。

 もちろん応急的に調整をすることは可能だが、どうせならよりよい状態で着用してもらいたいと莉璃は考えていた。


「袖と裙はこれでいいとして……」

「そうしましたら莉璃さまは礼部に行ってきてください。上身頃は私が担当させていただきます」


 言われて時計を見れば、時刻はすでに申の刻の終。

 そろそろ日が沈み始める頃だった。


「いけない。型紙に夢中で忘れていたわ」

 このあと、礼部の成官吏と約束があるのだ。


「宝飾品の図案はそちらにございます。どうぞお気を付けて行ってきてください」


 零真から手渡された紙の束を手に、莉璃は作業部屋をあとにした。

 これから向かうのは外廷にある礼部。そして宝飾関係の職人――『王家の花』の称号を持つ、この国一腕のいい彫金師の仕事場だった。

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