第四話

「ではありがとうございました。またお時間をいただくことになるかと思いますが、その際はどうぞよろしくお願いいたします」

「こちらこそ。衣装のためだもの。時間を気にせずいくらでも来てちょうだいね」


 莉璃りり零真れいしんが貴妃の元を去ったのは、彼女を訪ねてから四刻後のことだった。


「莉璃さま……あの絵、度肝を抜かれましたね」

「ええ……まさかあれほどまでとは思わなかったわ」

 二人は動揺を消化できぬまま、並んで廊を歩き始める。


 あのあと、貴妃は花の絵を描き直してくれたのだが、できあがったのはどうみても蛇にしか思えない代物だった。

 さらにその次にできあがったのは人面犬。三度目にいたっては呪いの手紙のようなものとなってしまい、その場にいた誰もが絶句した。


 そのため方法を変更することにした。貴妃に花の特徴を語ってもらい、莉璃が絵に起こすことにしたのだ。

 するとできあがったのは、君子蘭くんしらんによく似た花片を持つ大輪の花の絵だった。


「ですがこれで一安心ですね。莉璃さまが刺繍の図案を描いてくだされば、私も作業にとりかかれます」

「衣装のおおよその形は今夜中にまとめるつもりだから、刺繍の柄は明日には完成するわ。そうしたら柄の清書を零真にお願いするわね」


 作業の手順を考えながら、頭の中でおおよその予定を組み上げていく。

 図案の提出は八日後。衣装の完成はおよそ四十日後。のんびりしている暇はなかった。


「部屋に戻ったらさっそく始めましょう」

 そう言って顔を上げた時、前方に人影があることに気がついた。

 りゅう家の圭蘭けいらんだ。

 これから貴妃を訪ねるのか、部下を引きつれ、こちらにやってくる。


「あら莉璃姫、こんにちは」

 すれ違う間際、圭蘭が足を止めた。「こんにちは」と、莉璃も立ち止まる。

 てっきり睨み付けられるものだと思っていたが、彼女はにこやかに微笑んでいた。

 先日の態度とはえらく違う。なぜ? と、戸惑わずにはいられない。


そう貴妃のところに行っていたのかしら」

「ええ。刺繍の図案のご相談に」

「たしか昨日も訪ねたと聞いたけれど。昼と夕方と二度、二刻と四刻ほどだったとか」

「用がありましたから」


 当たりさわりなく応えながら、莉璃は違和感を感じていた。

 昨日は圭蘭やかい家も貴妃を訪ねたらしいが、順は莉璃より前だったはずだ。いったい誰に莉璃の行動を聞いたのだろう?


「用? いそいそと何度も訪ねるような用が本当にあったというの?」

「ございましたけれど、それが何か?」

「ずいぶん熱心だから感心してしまって。どのような用かは知らないけど、白影はくえいさまだけじゃなく貴妃にも取り入ろうとするなんて、素晴らしく卑しいのね。これだから貧乏貴族は嫌だわ。まったく、恥ずかしくないのかしら」

 彼女は頬に手をあて、背後の部下たちを「ねえ?」と振り返る。

 圭蘭は明らかに莉璃をばかにしている。


「人聞きの悪いことをおっしゃらないでくださいませ。わたくしは衣装のためにそうしているだけよ」

「口ではどうとでも言えるわ。あなた、蒼貴妃や主上に取り入るために今回、王宮に来たんでしょう?」


 あまりに突拍子もない考えに、一瞬、頭の中が真っ白になった。

 

「白影さまの前でわたくしのことを非難していたけれど、聞いてあきれるわね。あなたこそ衣裳をダシにしているくせに」


 その時、莉璃の頭の中で、またしても何かがぷちんと弾けた。


「いいかげんになさい、柳圭蘭。聞いてあきれるのはこっちだわ」


 怒りは堰を切ったようにあふれ出した。

「いったい何だと言うの? わたくしの何が気に入らないの? どうせならはっきりおっしゃってくださる?」


 自分自身に非があるのなら疎まれてもしかたがないが、そうでないなら徹底的に戦う。莉璃だとて、理不尽な嫌がらせに黙っていられるほど事なかれ主義ではないのだ。


「それともわたくしが白影さまと婚約しているから? だからなのね?」

「うるさいわね。こんなところでぎゃあぎゃあわめいて恥ずかしく――」

「ないわ」


 そんなことはもうどうでもよかった。


「圭蘭姫、この際だから言わせてもらうわ。あなたと白影さまの問題はわたくしには何の関係もないわ。わたくしが強要してあの方と婚約したわけではないもの。司家側から申し込まれて進んでいる話よ。だからどうにかしたいのならあの方に直接言ってちょうだい。面倒だからわたくしにあたらないで」


 今日、女官たちからの嫉妬の眼差しを、嫌というほどこの身に受けた。

 意図的に聞こえるように発せられた陰口や、莉璃を評価する言葉。それらをわずらわしいと感じたし、ばかばかしいとも思った。


 そして結局、どうでもいいことだと思い至った。

 なぜなら自分にはすべきこと――貴妃の花嫁衣装を作るという仕事があるからだ。


「以前にも言ったけれど、わたくしはここに衣裳を作りにきたの。それ以外のことに興味はないし、あなたに絡まれるのも正直、煩わしくてしかたがないわ。だからわたくしのことは放っておいて。いくら陰口を叩こうとも、白影さまを誘おうともかまわないから、あなたの好きにしてちょうだい」


 息継ぎもせずに言い放ち、「では失礼するわ」と、踵を返す。

 だが早足で歩き出した直後、圭蘭の悔しそうな声が追ってきた。

「なによ、貧乏貴族がえらそうに……今に目にもの見せてやるわ! わたくしに楯突いたことを後悔させてやるんだから!」


 振り返らなくてもわかった。

 彼女が鬼のような形相で、莉璃を睨んでいるということは。

「府庫にも通っているようだけど、みんな噂してるわよ! どうせ高価な図譜でも盗んで売ってるんだろう、って。だって鳳家はそれほどに貧乏だもの!」


 ばかばかしい。莉璃は足を止める。

「わたくしは貴妃に喜んでいただけるような衣裳を作りたいだけよ」


 そう。尊敬する母がそうしていたように、衣装で花嫁を笑顔にしたいだけ。

 ただそれだけなのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る