第5話 傍の木にはさえずる小鳥

フィリオの出自はわからない。盗賊のもとでこき使われていたようだが、死んでもいいというほどその扱いはひどかった。


彼女の話から5歳だろうと推測されたが栄養状態も悪く、成長も同じ頃の少女に比べても小さかったほどだ。ベルグリフォンが初見で3歳だと判断してしまっても仕方がないほど小さかった。もちろん教育を受けているわけでもないので、読み書きどころかしゃべることも難しかった。


ベルグリフォンが盗賊たちを倒して、副隊長のフェンバック・デルタに命じて救護院に運び込まれた時も高熱を出して生死をさまよっていたらしい。

3か月後に連れてこられた時には、栄養状態も回復していたが、それでも本調子ではなく旅の疲れもあったのか引き合わされてすぐにまた寝込んでしまったほどだ。


結果的に養子を拒否するつもりだったのが、絆されていた。

そもそも子供に弱い自分には断れるほどの強さはない。

副隊長もそれを見越していたのだろう。養子縁組の書類を突き付けられたが、そこにはばっちり見慣れた自身の名前が記入されていた。

そういうのは文書偽造という犯罪だと弱弱しく抗議してみたが無駄だった。


フィリオというのはフェンバックが男の子だと思ってつけてしまったのだが、書類にはっきりと明記されているので変更することも難しい。

フィリオ自身も頓着した様子がなく、そのままになった。


渋々始まった彼女との生活は思いのほか、楽だった。

盗賊団でも小間使いのようなことをしていたらしく何でも一人でこなした。

だが問題は隊舎に住んでいたベルグリフォンの部屋にはベッドが一つしかないことだ。結果的に夜は一緒に寝ることになった。

風呂も共同浴場に向かうが、男湯に連れ込んだため、抵抗がなくなった。

大雑把に育てたせいか、異性に対して壁がない少女に育った。

それが良くなかったのかもしれない。

問題は彼女が10歳になったときに起こった。


街の私塾に通っていたフィリオがそこの教師にいたずらをされたのだ。

体を触られただけで、別の生徒が気づいて助けを呼んでくれたため、体は傷つくことはなかったが、少女の心はひどく傷ついたようだった。

フィリオはもともと整った顔立ちをしている。小さな顔には低すぎない鼻と可愛らしい口が並ぶ。瞳は宝石のような菫色だ。見ているだけで微笑ましい気持ちにもなる。

だが、成長するにつれて愛らしさの中に綺麗さが混じり始め一種の妖しい美を纏っていた。

だからといって手を出した大人が許されるわけもない。だが、相手は貴族の出だったらしく悪いのはフィリオだと決めつけられた。大人を誘う悪い子供というわけだ。


一方的な批難に、警備隊とはいえ元傭兵に碌な権限はなかった。

できることといえば人を斬ること、暗殺することだ。

いっそ亡き者にしてしまえば話は簡単だった。けれど、それをすれば彼女の名誉は回復されないままだ。

貴族や金持ちと聞くと彼女が嫌な顔をするようになったのもこの頃だ。

挙句の果てには貴族が養女に迎えたいとまで言い出した。目的など明白で引き受けるわけにもいかない。

押し問答をしている間に、書類を整えられ養い子を引き渡すことになっていた。

それを覆したのはフィリオ自身だった。相手の悪事を暴き、颯爽と事件を解決してみせた。

まだ10歳の少女が、だ。しかも読み書きも満足にできなかった少女が、だ。大隊長と副隊長が裏で動いてくれていたようだったが、それにしても見事だった。

不甲斐ない養い親で申し訳なく思いつつ、ベルグリフォンは彼女の強い心に惹かれたのも確かだ。


不正を正し、意志を貫ける不屈の精神に、かっこいいと純粋に思った。

だからこそ、これからは彼女の意思を尊重しようと強く誓った。

それがひいては彼女を守ることにもなるのだと信じて。


そうして12年が経って、王命で娘を結婚させなければならないだなんて、誰が想像できただろう。



#####



「お父さん、明日にはもう討伐に行くの?」


ベルグリフォンが横になっていたベッドにもぐりこみながら、フィリオが不思議そうに問いかけてくる。

隊舎の狭い部屋を出て、一軒家を借りて住んでいるが結局部屋は広くなっても、一つのベッドで眠るようになってしまった。


フィリオが嫌がったからだ。


隊員など誰に言ってもおかしいと騒がれるけれど、これが日常で当たり前になっている。

そもそも養い子の恰好はズボンにシャツといった自分と変わらないパジャマ姿。ピンク色のおかしな雰囲気もない。

たとえパジャマの隙間から豊満なけしからん膨らみが覗いていたとしても。

育ての親としては目を瞑るだけだ。


「さすがに明日は無理だろうな。12隊の報告も聞いていないし。明後日にするよ」

「ふふ、みんなすごく飲んでたから。明日は仕事にならないんじゃない?」


夕方から始まった宴会は、ベルグリフォンがフィリオと一緒に連れて帰ってきた9時を過ぎても盛り上がっていた。


「一応、釘はさしてきたんだが。あいつら、人の言うこときかないからな…」


自身の威厳が足りないせいか、部下が特殊なせいか、誰も飲みすぎるな、明日に響かせるなとの忠告に頷かなかった。

かけ布団からぴょこんと顔を出したフィリオが枕を引き寄せながら、ふふふと笑う。


「みんなお酒飲んだらものすごく面白いよね」

「馬鹿なだけだからな。あんまり飲んでる男には近づくなよ」


服を脱いでの筋肉自慢に、腕相撲による力自慢。泣き上戸に笑い上戸にからみ酒に、13隊の面々は騒々しい。皆酒乱の大酒飲みばかりだ。新人だけは大人しいものだが。

まあ、13隊だけに限った話でもないが。


「はーい、わかってますって」

「あのな、フィリオ」

「ん? なあに?」


向けられた視線が少しとろんとしている。

宴会の準備で忙しかったのか、いつもよりも随分と眠そうだ。

わざわざ討伐前に話すことでもないか。だが一方で討伐の間にフィリオは成人を迎えてしまう。親から話を通すならば、成人前にしなければならないが、できればその日はギリギリまで延ばしたい。

それに縁談なのだから、頭がすっきりしているときの方がいいはずだ。

言い訳するように、心の中でつぶやく。


「いや、なんでもない。火を消すぞ」

「うん。おやすみ」

「おやすみ」


彼女のすっかり大きくなった頭をゆっくりと撫でて、傍のテーブルに置いてあったろうそくの火を消した。

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