「パウダーパール」

蛙鮫

「パウダーパール」

 晴れた休日の昼下がり。多くの人間が同乗する電車内で、背中を丸めて端の座席で腰掛けていた。目的地に近づくほど、肺腑から込み上がってくる謎の緊張感を押し殺すためだ。


 ふと視線を上にあげると、車内には杖をついた老人、小学校低学年くらいの子供、スーツ姿の男性など、様々な乗客がひしめき合っていた。


 気怠げに眺めていると、ある一点に視線が吸い寄せられる。そこには一人の女学生が座っていた。おそらく部活帰りか、土曜授業の帰りであろうか。その顔色には疲労の表情が見えた。だが重要なのは彼女ではなく、その傍らにいる『奴』の存在だ。突然だが、世の中というものは変化するものだ。


 環境、経済、文化や流行もそうだろう。しかし流行とはいうものは、実に恐ろしい。何が恐ろしいかというと、知らぬ間に訪れるからである。もちろんその予兆に気付く者もいる。


 しかしそれはごく一部だ。民衆は知らぬ間に遭遇し、掌握されているのである。特に最近だと『奴』が良い例だ。ある日、突如『奴』は現れた。情報に寄れば、どうやら熱帯の国から来日してきたらしい。流行の速度は凄まじく、パンデミックさながらだ。SNS、メディアの影響で若年層を中心に爆発的に広まった。


 特に多くの女性陣は一瞬にして虜となった。眼前に映る少女も、おそらく例外ではないだろう。脳内で一人、思考を巡らせていると、電車が止まった。車内にアナウンスが響いて、意識が覚醒。窓から駅の表札を確認すると、目的地の最寄り駅だった。少し重くなった腰を上げて、足早に車両を出る。


 ホームには車内以上に多くの人間で混み合っていた。人波に飲まれないように、掻き分けながら駅の階段をゆっくりと降りていく。駅の改札を潜ると、雲ひとつない澄み切ったライトブルーの空が出迎えてくれた。時折、頬をなでる風が心地よい。腕を大きく広げて、新鮮な空気を目一杯、肺に送り込む。


 僕が今回、この地に足を運んだのは『奴』のアジトに行き、接触するためだ。実際のところ、僕には『奴』の良さが理解できない。他国から来たものなら他にもあるはずなのになぜ、若者達から熱狂的に支持を獲得しているのか? その真相を知るため、『奴』の拠点が多く密集しているという繁華街に足を運ぶことに決めた。


 仮説だが、この人気の理由はおそらく著名人による情報拡散が原因ではないだろうか。『奴』を好評して、それが多感な年頃である若年層の心に火をつけた。火の粉は風に乗り、空を越え、辺り一面に引火。それがこの現状だろう。休日ということもあり若者の姿が多く見受けられた。そして、当然と言わんばかりに傍らには『奴』がいた。


 それもそのはず。都市部や繁華街などで『奴』のアジトが、あちらこちらに存在している。もはや奴らの巣窟といっても過言ではない。『奴』と同行している若者達の表情はどれも幸せそうだ。少なくとも不快感を交えていない。おそらく『奴』のような流行りの存在というものは言わば、その時代や時期を彩る象徴のような存在なのかもしれない。彼らにとって年老いた際、若かりし頃を思い返すための必要材料になるのだろう。輝かしい思い出の一ページとして。ならば、あの若者達は今の時代を彩る一つの絵の具のような存在なのかもしれない。


 当然、本人達はそのような思考で日々を過ごしているとは限らない。仮にそれが真実だとすれば僕は巷の若者よりも、世界観が狭い人間だ。しかし人間というものは、自分で納得しないと救われない生き物だ。根底にある自我は、容易に外部の思想を受け入れはしない。だから自分なりに理解して、解決の糸口を見つけるのだ。僕が理解するために、どう言った選択をすべきか思いつくのに時間はかからなかった。


 物事に関心を抱く者と無関心な者。前者と後者では価値観の差は天と地ほど離れている。問題は前者が後者に変貌しようとするその一歩の重みである。人それぞれだが、謎の境界線がそこには存在する。もちろん、知らぬまま過ごすのも悪いわけではない。自分のいつも通り、あり触れた平凡な日常が続くだけだ。


 もし後者を選んだなら、境界線を踏み越えた時に、拠り所のない肝が冷えるほどの不安感に駆られるだろう。しかし、外に出たという経験は当人の中で残り続ける。ならその経験こそが『奴』にためらいを持つ今の僕には必要なのではないか? 


 そう思った時、暗雲に包まれた心中に光明が差し込んだ気がした。御託はいい。触れてみろ。考えるな、感じろ。


 自問自答を行なっているうちに、『奴』が滞在する拠点の一つが見えた。拠点としている建物の表側にはでかでかと『奴』の名前が表記されていた。その付近にまるで蟻の軍勢のように若者達がぞろぞろと並び、長蛇の列が出来ていた。目に映る壮観な光景に辟易しそうになったが、僕も列に入る事にした。


 緊張感と謎の圧迫感を感じ、気を紛らわそうとイヤホンを取り出し、音楽を流す。おそらく試合前のスポーツや格闘技の選手は同じ気分なのだろう。だから楽曲に耳を傾けて、己の中にある闘争心ややる気を向上させているんだ。


 列が徐々に短くなっていくのを感じながら、胸の鼓動を押し殺して前進する。

 一歩、また一歩と約束の瞬間が近づくほど、心臓の鼓動が重くはっきりと脈打ち、足取りは雪原に足元が沈んでいくように遅くなる。


 そして、ついに僕の一つ前に立っていた人が立ち去った。イヤホン外した時、鼓膜に外界の音が一気になだれ込む。若い女性がカウンター越しから屈託のない笑顔で出迎えてくれた。多幸感とともに緊迫感が重くのしかかる。彼女の後ろで幾千単位の『奴』が待ち構えていた。一抹の不安が頭をよぎり、踵を返そうと思った。


 しかし、それではここまで葛藤した意味がなくなり、また境界線の内側に逆戻りだ。それに目の前に映る木漏れ日のような優しい笑顔を無下には出来るほど、肝が据わっていなかった。渾身の勇気を振り絞り、喉から声をひねり出した。




「すみません、タピオカ一つください」

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「パウダーパール」 蛙鮫 @Imori1998

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