第二章 第18話 大東亜共栄圏

 京子は腕を組んで天井を見つめる。タイムスリップする前に、ぼくらがいた世界では存在しなかった彼女の家のソファにふんぞり返って。


「今いるこの世界はさ、きみ…永井が元々いた世界とほとんど変わらないよね」

天井を見つめたまま彼女がつぶやいた。ひとごとみたいに。

「どこが?親も自分も存在してないんだけど??」

「パラレルワールドって、無限の可能性の世界があるわけよ。日本列島がないとか、私たちの家がないとか、それこそ地球がないとか、無限に可能性はあるでしょ」


 ほとんどぼくを無視するように京子は話した。それはそうだろうという気もするが、これはそういうスケールの科学実験とかではないのだ。自分の家があるかないかは大問題だ。


「それはいいよ。とにかく、ぼくは自分の家がある世界に帰りたいだけだよ」


「もう一回、試してみようか」京子の口調は全く変わらなかった。

「また過去に戻って、もう一回帰ってくるってこと?」

「ううん、タイムマシンは5分前とか、5分後にもセットできる。何度か繰り返せば、元に戻ると思う」

本当ならずいぶんありがたい話だ。京子は話をつづけた。


「いまの世界前の世界と違うのって、ちょっとしたことだと思うの。十数年前、競馬で賭けて、お金を得て、また戻っただけ。そこから何かが派生して、いまの世界になってる。だったら、『元の世界』からほとんど変わらない今からだったら、すぐに見分けがつかない世界に戻れると思う」


 なんだかゴチャゴチャ言っているが、はっきりいってぼくに選択肢はない。この女と喧嘩別れしたら最後、家もない世界におっぽり出されて終わりだ。

「わかった。すぐやろう」そう答えて、立ち上がろうとしたとき、京子がぼくを見た。


「もう一つ。永井はさ、ここに家がないって言っているけど、私の家はある。ミホノブルボンだっけ?競馬で稼いだ金もある。しばらくならこの家に泊めてもいいし、アパートも借りられると思う。ここで暮らしてみる気はない?」


 静かな口調で、彼女はそういった。

「嫌だね」

 一瞬だけ考えて、ぼくは答えた。


 江上京子はうなずいて立ち上がり、ぼくらは再びタイムマシンに乗った。


「2007年10月4日13時15分」

これが前回の出発時刻だと狭い筒……タイムマシンの中、前席の京子はいった。

「この5分後に戻るようにセットするから」

「過去のぼくらが消えたところに、いまのぼくらが到着すると」

「そういうこと。予定通りいけばね」

ダメだったら、またやり直せばいいと京子はいった。


「じゃあ行こうか」そういって京子は薬を飲んだ。



 軽い吐き気があって、ぼくはゆっくり目を覚ました。もう一度頭の中を整理する。今度も前席に京子はいなかった。ハッチを開けて外に出る。


「遅かったね」

京子はタイムマシンにもたれかかるようにしていた。

「どう、成功した?」そうぼくは訊いた。

「私も今出てきたところだから。とりあえず、私の家はあるみたい」

「ぼくの家はあるかねえ……」

「行ってみるしかないね。私も行こうか?」

「いいよ、とりあえず見てくる」そう答えた。

「あのさ、さっきでわかったと思うんだけど」京子はこっちを見ずに話す。「微妙に世界は変わってる可能性はあるわけよ。家がないとかでなくとも。だから、もし微妙な違いなら、適当に話を合わせて世界に適応しちゃった方がいいと思う」

 ずいぶん無責任な話だと思うが、もはやどうしようもないのだ。ここで喧嘩しても仕方ない。

「まあとりあえず家に帰るけど、勝手にタイムマシンでどっか行かないでね」これだけは釘を刺しておかないといけない。

「心配しないで。一人だと片道切符になるっていったでしょ」



 テクテクと家に帰る。街並みは元のままだ……と思う。が、考えてみると、住宅街のどの家がどういう家だったかなんて、ほとんど細部は覚えていないのだ。なんとなく見覚えがあるな程度の話である。疑い始めると違うような気もするし、同じような気もする。


 家に着いて、慎重を期してインターホンを鳴らす。どたどた音がして、ドアが開く。

「なんでピンポン鳴らしたの。鍵かかってないのに」

見覚えがあるどころでない母親の顔で、ぼくはホッとしてちょっと泣きそうになってしまった。

「いやあ……」適当に流して家に入り、いつものソファにどっかと座る。すべて見覚えがある。ここは我が家だ。麦茶を飲んで昼寝をしよう。京子のことは忘れてゆっくり寝よう。


「キンロードーイン、もう終わったの?」

母親が僕に何か言っているが、聞き取れなかった。

「はあ?」

「だから勤労動員、今日は帰りが早いねって」

めちゃめちゃ不穏な気配が漂いだしたのはこの瞬間だ。


 黙って狭いリビングダイニングの中を見渡す。台所の冷蔵庫には見慣れた朝日新聞のカレンダーが掛けてある。


 10月の日にちが並ぶカレンダー。その左上には2667年とあった。2007年ではなく。10月10日に体育の日があり、10月23日にも祝日がある。


「新皇誕生日」とそこには書かれていた。

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