第32話 外伝 ???之章②

「あんた、馬鹿なの? いいえ、知ってたわ。あんたは馬鹿! 私を呼び出しといて、この惨状はいったいぜんたいどういうつもり?」


 薄っすらと靄の立ち込める早朝。秋葉原に聳えるタワーマンションの一室に、黒一色のロリータファッションで身を包んだ美少女の怒声が響いた。

 この惨状、それは足の踏み場も無いほどに散らかったこの部屋を指しての事だろう。


「そもそも今何時だと思ってるのよ。時間の概念が無いあんたと違って、私は常識的な世界で生きてるのよ」


「そうは言うがね、真理嬢」


 その捲し立てるような罵声に男が静かに口を開く。


「今は朝の九時、常識的な人間ならとっくに活動を始めていてもおかしくない時間だろう」


「知らないわよ、私の常識では今はまだ布団の中よ。はぁ、言い訳する男は嫌われるわよ。あんた友達なんでしょ? 少しは貫之の馬鹿を見習いなさい。それと」


 紅茶くらい出したらどう? と真理。ソファーで足を組み肩を竦めるその様は、どちらがこの部屋の主か、判断を難しくしていた。


「今、湯を沸かす。だが期待せんでくれ。あの紅茶馬鹿と違って、俺の家には黄色い箱に入ったティーバッグしか置いていない」


 そう言って広めのダイニングキッチンに向かう男、黒野旧作が、眠そうな目を擦る。


「それと真理嬢、あんたが言う通り、俺に昼とか夜とか一般的な時間の概念は無い。さっきまで原稿の締切りに追われていて、正直眠いんだ。だから、そう大声を出さんでくれないか」


「だから知らないっていってるでしょ、あんたの事情なんて。私の都合で訪ねてきた訳じゃないんだから」


 綾川真理、黒野旧作。あの一件以来、この二人は度々顔を合わせた。そして会う度に罵り合った。犬猿の仲、というやつだ。


 コトン、と旧作が真理の前にティーカップを置く。リプトンのイエローラベル、以前に貫之が置いていったものだ。

 ちなみに旧作は紅茶を飲まない。だから自分の前にはインスタント珈琲の入ったマグカップを置いた。


「ティーバッグくらい取りなさいよね、全く。それで」


 それを摘まみ出しながら真理が旧作に視線を向ける。


「そろそろ本題に入ってくれるかしら」


 そして、その声は俄に緊張感を帯びていた。



「神託を受けた」


 それは唐突だった。マグカップに口をつけながら、旧作が視線を落とす。


「あの時もそうだった。あの一件、俺は東京駅の地下街で首都解放戦線リベレイションフロントトキオを組織し、後鳥羽院と共に戦ったんだが」


 真理と旧作、それに貫之を加えた三人の間では、所謂霧の四日間と呼ばれた詠人との戦いについて、あの一件、あの事件という言葉で認識を共有していた。


「何故俺が東京駅に出向いたか。それは神託を受けたからだ。俺は作家だからな、突如アイデアが空から降りてくる事がある。その感覚と似ているといえば似ているのだが……ともかく、誰かに呼ばれた気がしたんだ」


「呼ばれた……それは後鳥羽院かしら?」


「わからん。が、今思えばそうかも知れんな。だとすると、今再び俺を呼ぶのも奴なのか」


 感傷と郷愁、そんな表情を滲ませて旧作が腕を組む。


「実際、奴とは気が合ってな。やり方が間違っていたと貫之には咎められたが、今でもシンパシーを感じているところはある」


「それで、どんな内容なのよ、それ」


 ふむ、と一つ頷きを返す旧作。そうしてゆっくりと語り出す。


「それが、よくわからんのだ。確かにあの時と同じ、俺を呼ぶ声が聴こえた。助けを呼ぶ声だ。だが、何をすればいいのか、何処へ行けばいいのか、それがわからん。それで……」


「私を呼んだ、という事かしら」


 もう一度、ふむ、と旧作。その仕草を受けて真理が肩を竦めた。


「呆れた! そんなあやふやな感覚でこんな朝っぱらから私を呼んだっていうの? 迷惑甚だしいわ。全く、これだから作家っていうのは。頭の中がお花畑なんじゃないの?」


 でも……


 そう言って真理は懐から一枚の手紙を取り出す。


「概ね当たっているわよ、その感覚。神託、だったかしら。まあ、何でもいいけど。とにかくそれを読みなさい」


 旧作が、ぽいと投げ出された手紙に目を向ける。そこには丁寧な文字でたった一文。


「真理へ。こちらは大丈夫だから来ないでちょうだい……何だ、これは?」


「見ての通り、手紙よ。差出人の名前は無い。だけど、心当たりは一つだけね」


 ――――持統天皇エンプレス ジトウ


 真理と旧作の声がシンクロする。


「そう、持統天皇。あんたの話で、より確信が深まった。この場合、来いというのと来るなというのは同義ね」


 真理の言葉に、旧作も頷く。


「こちら、というのが何処を指しているのか。やはりわからないんだな、真理嬢。それで、この手紙はいつ?」


「あんたから呼び出される少し前よ。これがなければ来なかったわ」


 わざわざまずい紅茶を飲みにね、と真理。


「それであんた、貫之には連絡しなかったの? どう考えても、あの一件絡みでしょ」


「そういう真理嬢は奴と連絡を取らなかったのか? いや、俺の方は連絡しようとしたさ。だが昨日から連絡がつかなくてな」


 困った、と言わんばかりの旧作に、真理も頷く。


「そう。こんな時に貫之は何処に行ったのかしら。全く、肝心な時に役に立たないわね。まあ、いいわ。何れにしても動かなくてはいけないようね」


「真理嬢、あんたの相棒は来るなと言っているんじゃないのかね?」


「同じだって言ってるじゃない。解りなさいよ、それくらい。あんた、小説家でしょ」


「ふむ、これは一本取られたな。そうだな、つまらない事を言った。それで、どうするんだ? 何かあてはあるのか?」


「無いわ。これから探すのよ。貫之の事も気になるしね。どうする? あんた、一緒に来る?」


 ふぅむ、そう言って旧作は空になったマグカップを片付け始めた。


「俺も一緒に行こう。人手は多い方が良い。仕事も一段落したし、それに……」


 自分達を呼んでいるのが後鳥羽院や持統天皇、かつての詠人達だったとして、その目的がわからない。

 万が一、またあの時のように後鳥羽院と持統天皇が対立していたならば……


 いや、今は考えるのを止そう。そう思い、旧作は吐きかけた言葉を飲み込んだ。ともかく、目的の場所に行ってみないと始まらないのだ。それがどんな場所かはわからなくとも。


「貫之の事は、やはり俺も気になる」


 それは旧作の偽らざる本音だった。もしも貫之が危機に直面しているならば、自分は借りを返さねばならない。

 たとえ、かつて同じ高みを目指し、今再び自分を必要としているであろう後鳥羽院と行く道を違える事になったとしても。

 それが黒野旧作の矜持だった。


「はん、一人前に覚悟だけはあるようね。なら急ぐわよ。準備しなさい!」


 そして覚悟を胸に秘めて望むのは真理も同じだった。だからこそ、旧作の思いを感じとり、その同行を認めたのだ。


「準備は出来ている。一人でも行くつもりだったからな。だが真理嬢よ、当ては無いと言ったがどうするつもりだ?」


「確かに確実な手段は無いわ。だけどあんたと違っていくつかの情報はある。おそらく、辿り着くまでにそう時間はかからない」


 ここ、ここ、それにここ。と、真理が懐から取り出した地図に指を落とす。それに応えて、なるほどな、と旧作。



 はたしてその日、綾川真理と黒野旧作の二人は東京から姿を消した。







 








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