第27話 外伝 ハルコ之章②

 日本の首都、東京。人、モノ、金、あらゆる意味に於いて中心であるこの街は、突如降り注いだ厄災から僅か一月足らずで既に日常を取り戻しつつあった。

 僕は新宿で電車を降りて、場所に足を向ける。にょっきりとゴジラが顔を出す、シネマズ新宿。あの時の傷跡はもう無い。


「天智天皇が囚われていた街。ここから始まったのかも知れないな」


 スーツ姿のサラリーマンが行き交う中、僕は溜息と共にそのビルを見上げた。

 昼間の新宿は無感情な人形が速足で行き交うビジネス街。それが夜になると一転、感情を剥き出しにした人々が獣の咆哮をあげる。なんとも変わった街だ。


「崇徳天皇、新宿の支配者、か」


 僕がこの街を歩く事は殆ど無い。今日だって特別ここで何かがある訳ではなかった。ハルコさんとの待ち合わせは赤坂見附、ただこの街を、この場所を、もう一度見ておきたかっただけだ。そして……


 ――――一度で十分。


 やっぱり僕に混沌カオスは似合わないのかも知れない。そんな事を思いながら、僕は再び駅へと向かった。



 山手線を時計回りに遠回りして、次に降りたのは池袋。持統天皇がもたらした整然たる秩序はもはや無く、代わりに雑然とした秩序が戻っていて。

 それでも秩序には違いない。


詠人召喚サモン! 蝉丸……」


 なんて言ってみても、蝉丸さんは現れる筈も無く。あの術は移動に便利だったな、なんて今更のように思う。


「ちょっと、何言ってるのよ。恥ずかしいわね!」


 その代わりに僕の目の前に颯爽と姿を見せたのは、漆黒に身を包んだ美少女、真理だった。

 相変わらず全身黒のゴシックロリータファッション。見慣れた筈のその衣装も、日常にあっては妙に浮いている。僕の事より、真理の方こそ恥ずかしくないのかしら。


「やあ、真理。久しぶりだね、呼び出してごめんね」


 だけど僕はその事には触れない。君子危うきには近寄らず、ってね。


「構わないわ。それよりも珍しいわね、あなたの方から呼び出すなんて。何? 人肌が恋しくなったの?」


 うん、その台詞だけ聞いていればドキリとするシチュエーションなんだけど……止めてくれないかな、金属バットのようなその傘で素振りするの。


「まあ、ね。あれから一月、ちょっとした同窓会みたいなものだよ。僕と真理、それとマチコでラスボスを倒しに行くのさ」


「!? あなた、まだ何か隠してた訳?」


 そう言って驚いた素振りを見せる真理。いや、真面目にとられても困るんだけど。


「あは、何も隠してないよ。ごめん、冗談。あの事件でちょっと手を貸してくれた上司に飲みに誘われてさ。彼女、ちょっと酒に強くて、僕一人じゃ心許ない。それで皆を誘ったって訳さ。あ、真理はお酒飲めるのかい?」


 飲めるわよ! と彼女。その後に続いた、少しだけ、という小さな声はさらりと風に消えた。



 二人でぶらりと池袋の街を巡った僕達は、お茶汲み係ティーメイカーの本懐とばかりにお勧めのカフェで紅茶を楽しんだ後、再び山手線に乗る。


「ふぅん、美味しかったわ。でもあなたの淹れた紅茶の方が上ね。また気が向いたら飲みに行ってあげるわ。感謝しなさい」


「……」


「そうね、ケーキも用意しておいて構わない。一緒に食べてあげるから感謝しなさい」


 何故僕が感謝しなければならないのか。そんな、言葉に出来ない疑問ばかりが飛来する中、無事到着したのは秋場所。ここでもう一人、合流する事になっている。


「げっ、まさかとは思うけど、あいつも連れていくつもり!?」


 そう、。聞くところによると真理は事件以来、あいつと度々つるんでいるらしい。さっきは口に出しそびれたけど、僕の友人、黒野旧作きゅうちゃんその人である。


「真理はきゅうちゃんと随分仲良くなったみたいだね」


「馬鹿言わないで! あいつと仲良く出来る人間なんてそういるもんじゃないわ。あんたくらいよ」


 おっと、どうやら僕の勘違いだったらしい。それにしてもきゅうちゃん、真理にいったい何をしたんだ?


「何もしてないわよ。言動が気に食わないだけ!」


 ふむ、心の声が漏れていたか。しかし、気に食わないだけ! って。きゅうちゃんは真理の事を気に入ってたみたいだけど。


「やめてよ! 紅茶の嗜みがあるだけ、あんたの方がまだましよ」


 あれ? ただ漏れだぞ、心の声よ。と、そうこうしているうちに、僕達は黒野旧作の住むマンションの前で。


「やあ、来たか、一般人よ! さあ入ってくれたまえ」


 そう言って僕達を出迎えてくれたのは、黒いセーターにニット帽のきゅうちゃんだった。……って、何故お前まで黒い!


「はんっ、何よその暗い服装は。お通夜じょないんだから。こっちまで気分が暗くなるわ」


 と、真理。でも君にだけは言われたくないと思うよ、うん。


「相変わらずのツンデレさんだな、真理嬢は。少し散らかってはいるが、楽にしてくれ」


 普通、こういう場合は綺麗に片付いているものだが、流石はきゅうちゃん。その言葉の通りに散らかっている。

 若手の売れっ子作家だけあって、言葉の使い方が正確なのだ。


「汚い部屋ね」


 そう言ってぽよんとソファーに身を沈める真理。こちらも言葉は正確らしい。遠慮は無いけど。


 僕は窓から外の様子を眺める。日常を取り戻した街。秋葉原駅から続く大通りでは、何やらパフォーマンスに興じる人も見える。高層ビルにはアニメのイラスト。これがこの街の日常なのだ。


 そう言えば、お世話になったあの場所はどうなったのだろう。


「あそこはもう無い。今はただのメイドカフェだ」


「ええ、館の主ももう居ないわ」


 あの場所、邪札の館。二人の話では、そこは元のカフェに戻ったらしい。まるで最初からそうであったように。


 ……変わったのか。それとも、変わらなかったのか。


「何よ、貫之まで暗い顔して。ほら、あんたのせいよ、旧作、しっかりしなさい」


「なに、あいつは元々暗い顔が似合う男だ。友達だって俺くらいのものだろう。気にするな」


 なんだか酷い事を言われている。うん、まあそれほど外れてはいないけれど。でも……

 この街が、東京が、あの事件を経て何も変わっていなくても、僕は変わったような気がする。

 仕事を辞めたとかじゃなくて、心が、少し強くなった。蝉丸さんの分、不比等の分、少しだけ。



 しばらくの間、きゅうちゃんの部屋で寛いだ僕達は、また駅へと向かう。次は東京駅、きゅうちゃんもあれ以来足を運んでいないらしい。


「何となく、気が引けて、な」


 短く言葉を切って、きゅうちゃんが肩を竦める。詠人の力を知って尚、共存の道を歩もうとしたきゅうちゃん。相手を利用してやろうという腹づもりだったのだろうが、それはお互い様だった。


 そしてここにはもう一人、元凶とも言える人物がいて。


「この地下街も元の通り。ここもただの喫煙所だ」


 白で彩られた研究所のような場所はもう無い。そこに居た車椅子の男も。


「なによ。感傷に浸ってるわけ? らしくないわね」


 真理が僕に向けて、にやりと唇を歪める。しかしそう言う彼女も、その目もとには薄っすらと哀愁を湛えていた。






 


 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る