散花


大学三年次、春、ぼくは夜桜を見ようと思った。


そのころは、バイトの後、独り、中心市街で過ごすのが好きだった。

イヤホンを挿していた。自分で作った、誰に聴かせるでもない曲を、ほとんどブランケット症候群のようにして聴いていた。

取り憑かれていたのだった。


松本城の正門前に立札があった。

「光の回廊は夜六時半から」

余裕があったので四柱神社を参拝した。鈴緒を揺さぶり、真に思うことを祈祷すべきだったかも知れない、ぼくの脳内には邪な選択肢があり、果たして両親と姉の、健康を祈祷した。

大学を辞めたい。そのようなことを、他人に、仮に、人間でなくとも、知られたくなかった。


又イヤホンを挿す。「終わり」という曲が流れている。たかだか二十秒を繰り返している。

ああ、ぼくは終わりなんだね、ぼくは終わりなんだ。

無ではない、死でもない、終わり。


千歳橋のコンビニで酒を買った。

日が傾き始め、松本城へ。

満開であった。花より人間のほうが多かった。新宿バスタの中のようにごった返していた。

独りで訪れている人間というのはおよそ見当たらなかった。


月見櫓で鼓笛隊がなにやら演奏していた。地上には木のベンチが設けられて在った。ぼくは暫くそこへ座って、やはり「終わり」を聴いていた。

酒を飲み、どうしてか疲弊していた。


寒い。四月なのに、冬桜を見ているようだ。寒いし、空腹だ。

なにをしに、こんなところまで来てしまったのだ。

なんのために、こんな悲壮に満ちた曲を作り、聴いているのだ。


座ったままの体勢でぼくは眠った。春眠と言うにはあまりにも短い眠りであった。

目覚めたとき、周りの風景はなにも変わっていなかった。

スマホの電池が切れて、「終わり」は聴こえなくなっていた。

代わりに鼓笛隊の音楽が聴こえてきた。

知らない曲だったが、近くに座っていた老人たちが、なにがしという曲だね、と、刹那の感動を分かち合う風だった。

ぼくは冷えた身体をさすりながら足早に城を去った。


数日後、花は散っていた。散った花を雨が流していった。茶色く日焼けして、しおれていた。あれほど愛でていた人間たちが、それを踏んづけて歩いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る