ハウマッチ?

 やっと見つけたのかもしれない。俺はその手紙を読んで「こいつだ!」と直感した。

 いつだってバカなことをしでかすヤツは、本当のバカじゃない。イノベーターみたいな自分の能力に自惚れた本物のバカだ。

 朽ちたライブラリーで見つけたそいつの著書には、こう書き残してあった。


 妻が「共産圏は命の値段が安い」と言っていた。

 パンデミックによるロックダウンでマンションを封鎖して、中で餓死しようが病死しようが全体が無事なら構わない。国のために勝ち目のない戦争に駆り出されて戦場で死んだとしても、遺族には「行方不明」とだけ通知されて終わり。

 民主主義ではそんなことが起き得ない。民意で選ばれた代表者が全体の幸福を考えた政策で社会が作られ、国家間での争いも協定に基づき平和裏のうちに解決される

 では民主主義では命の値段は高いのだろうか? いや、それも違う。

 ネームバリューと顔で選ばれた政治家が党利党略の目的で制定した法律や、実業家や経済界の人間が見栄と金のために作った常識、官僚たちの出世と縄張り争いのせいで形骸化した行政の仕組み。

 そんなものの狭間で{ruby:有耶無耶{うやむや}}のうちに死んでいった人々は多い。見て見ぬふりをされ行き倒れた貧困者、あらゆる行政の人間にたらい回しにされて命が尽きた社会的弱者。

 彼らに命の値段はあっただろうか? いや、ないだろう。惜しまれもせずにこの世を去っていったからだ。

 では、この世に生きる全ての人々の命にすべからく値段をつけるにはどうしたら良いのか?

 値段とはその物の価値のこと。命の価値。つまり一度しかない命を売り物にするにはどうすべきだろうか?

 まず命の価値とは何か。それは即ち、その人物が社会に及ぼす影響力のことだ。

 発言内容にインパクトがあって社会の様々な層に問題提起をする人物。創造性のある仕組みを考え、ゼロから一を生み出す人物。

 突き詰めて言ってしまえば、人は頭脳さえあればいいということになる。

 必要な組織や部署にその脳を持つ人物を配置できれば世界はもっと良くなる。それは即ち商品だ。

 しかしそれでは派遣社員や期間工と同じではないか。

 だが脳を常にバックアップしておき、肉体がなくなったら別人の脳にバックアップからダウンロードして戻せるようにすれば、劣化せず常に最高のパフォーマンスを提供できる商品になるのだ。

 だとして「依り代」はどうする? それはヒトクローンを培養して保管しておけばいい。

 これならエネルギーがなくなるまで、実質的には太陽が燃え尽きる五十億年後まで不死が実現できる。

 普遍的な価値を持つ命。誰もが命を大切にできる未来がそこにやってくるのだ。

 安っぽいSFのギミックだと笑う者もいるだろう。そんなことは問題にすらならない。

 目的はすべからく全人類の命に価値を与え、不当に死んだり奪われたりしない「大切な命」のありがたみを人類に与えることだ。


 俺は笑った。

 こいつはやる前から言い訳していたのだ。安っぽいSFのギミックではないだと? ふざけるな!

 確信した。俺をこんな目に会わせたのはこいつだったと。

 こんな{ruby:譫言{うわごと}}を誰が信じる? 場末の酒場ですら喋ったところで鼻で笑われて終わりだ。

 しかし世界にとって不幸だったのは、こいつがただの一市民じゃなく世界で有数の資産家だったことだ。

 だからこいつは有り余る金をありとあらゆる研究者にばら撒き、イノベーションを起こさせた。

 誰もが脳のバックアップなど地球が消滅するまでにできないと言っていた。しかしこいつは脳の電気信号を解明させるのではなく、瞬間的に全電気活動のスナップショットを取る術を編み出させて脳のバックアップを取ることに成功した。

 じゃあヒトクローンは? 国家が倫理的問題により法律で罰した技術をどうやって実現させたのか?

 それはもっと簡単だった。アフリカの小さな国を国家ごと買い取ったからだ。自分がトップになった国で倫理観を無視して好き放題やって、どの人種にも当てはまらない肌と目の色をしたヒトクローンを作り出してしまった。

 そいつの野望は成功したかに見えた。結果、どうなったかって?

 幸せな未来がやってきたのか?

 違う。

 確かに命に値段はついた。それはエンターテイメントとしての値段だ。

 死んでも蘇られる。つまり「残機」がある。そんな人々を集めてのバトルロワイヤルは金になった。

 殺しても殺されても蘇ることでチャラになる。後腐れのない殺人が楽しめる。地下コロシアムが無数に生まれ、その賭け金は世界を動かすほどになってしまい、各国の政府は規制も意味がないと考えて直轄の事業にして国庫が潤った。

 命の値段は「死というエンターテイメントの料金」になった。

 自殺現場を見せて金を稼ぐ者も現れた。死に方でランクが決まり、派手な死に方、とんでもない死に方をした人は富豪と肩を並べるほど儲けた。

 自分を殺させて金を得る者もいた。「{ruby:売命{ばいめい}}」と呼ばれ、特に若い少年少女の売命にはかなりの値段がつき、それで金を得てから次の人生の資金を得る方法こそスタンダードだともてはやされるようになった。

 痛くない死に方、簡単な死に方。気持ちのいい死に方のマニュアルができていく。

 誰もが死を恐れなくなった。死を恐れないからこそのアイデアや生き方も生まれた。

 人類の新しいステージが生まれたかに見えた。

 しかし狂乱期はそれで終わったのだ。

 死のない世界。それは即ち終わりのない世界だった。金を稼いで全てのことをやり尽くした先にあったのは虚無だけだ。

 そうして一人、また一人と脳データのバックアップを止めて、本当の死を受け入れていった。

 生き残ったのは死を恐れる者だけの世界。死を恐れず冒険心とイノベーションに満ち溢れた人々とその血はすべからく狂乱期の終わりに散っていったのだ。

 残された人々は争いを避け競争から遠ざかり、安定のうちに脳データをバックアップせず人生を全うした。

 天国があるのなら、この本の著者は高笑いしただろう。俺の言った通り、世の中は良くなっただろう? って。

 結果的に争いはなくなった。

 それは果たして幸せだったのか? いや、違う!

 死の先にあるものを知ってしまい、今の命にすがりついてばかりの人間しかいない社会は、チャレンジもイノベーションも起こさなくなったからだ。

 そんなことは誰でも容易に想像がつく。じゃあどうなったのか?

 衰退したんだよ。死んだ先にあるのが「何をやっても満足できない」絶望しかないと死ったらどうだ?

 死ぬまで平々凡々として生きるだけだ。

 恋人を持とう。家族を作ろう。子孫を残そう。

 そんなことすらやらずに生きていった。

 女性は出産のリスクや子育ての負担を理由に子供を産まなくなった。男性は家庭を持つことのデメリットを重視し孤独を選んだ。

 もう分かっただろ?

 次々と死んでいったホモ・サピエンスの最後の一人が俺なんだよ。

 人類最後の男だ。

 既に維持管理できなくなったヒトクローンの製造機なんて壊れていて機能しないし、脳データのバックアップマシンは発電所が動いていないから起動すらしていない。

 正真正銘最後の人になっちまったんだ!

 俺が消えたらこの宇宙の片隅でほんの一瞬だけ栄えたヒトという生き物が絶滅することになる。

 ははは。笑えるだろ? 笑ってくれよ。

 笑ってもらうためにこの手紙を書いたんだからな。

 さて、これを読んだヤツに質問だ。

 最後の人間。

 俺の命はいくらなんだ?

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