あなたが笑っていてくれるなら

@uruu

名も無き男の独奏曲(アリア)

第1話 誰も知らない嫌われ者



 「全員、大人しくしろ! 部屋の奥に移動し、両手を頭の上で組んでひざまずけ! 抵抗すれば命は無いぞ!」

 

 男の野太い怒号がタイル張りの大部屋に木霊していった。

 

 そこはとある軍事基地の工廠こうしょう、その一階にある解体室。想生獣ガルディアンズという特殊な生物の解体を行う場所は現在、武装した集団によって占拠されていた。

 

 作業員たちは集団のいきなりの登場に驚き、まともに動けないでいる。そんな彼らに小銃を突き付けて、強引に部屋の隅へと追いやっていく武装兵たち。

 

 「いやああああああああああああああ?!」

 

 だが、銃口を向けられた女性作業員が突然、思い出したかのように発狂する。鈍く光る銃身が動揺で揺れる彼女の心を解き放ったのか。金切り声を上げて、部屋の出入口へと駆け出した。

 


 そして、銃声。 


 

 放たれた無慈悲の弾丸は、泣き喚く女性の頭を貫き、脳漿のうしょうをぶちまけながら壁にめり込んだ。

 女性からもはや声は生まれない。銃声の残響音が響く中、頭から床に崩れ落ち、ビクンビクンと痙攣を続けるのみである。それを生命の証だと思う者は、誰一人としていないだろう。

 

 「「「「「うわあああああああああああああああ?!?!?!」」」」」

 「うるせえぞ! お前たちもああなりたいのか?!」

 

 仲間の死を目の当たりにした作業員たちは一斉に悲鳴を上げ、武装兵が彼らの足元に威嚇射撃をし、それを黙らせる。

 鼻を衝く硝煙の臭いが一層、強まり、抗いようの無い絶望感が辺りに立ち込める。

 

 (一体、どうしてこんなことに……?)

 

 めくりめく変化していく状況を前にして、現場の監督者であるマルク=サンクリングの脳裏で、事件の始まりが走馬灯のように駆け巡っていった。

 

 

 ――発端は昨夜にさかのぼる。

 

 

 に派遣されていた物資調達隊から、大型の想生獣の討伐と、その遺体を回収することに成功した、という報告を受けた。軍部は工廠に想生獣の受け入れ態勢を整えるように指示し、マルクは部下たちに呼びかけ、夜のうちに解体室の準備を完了させた。


 そして、翌日の昼前。帰還した部隊から引き取った想生獣を解体室へと移し、マルク監視下の許、解体が始まる。

 

 今回の戦利品は『火堕禍ひだかぎゅう』という、楕円形のフォルムと長い縮れ毛が特徴的な牛の怪獣である。解体するにはまず、全身の毛を剃り、切開して内臓を取り出さなければならない。その後、頭部、胴体の右半身とついの左半分、各手足に分割し、それぞれで作業を行う。

 

 手順を確認し、作業員総出で剃毛を開始する。火堕禍牛の毛は可燃性を持ち、手頃な着火剤として使用できる貴重な素材だ。隅々まで綺麗に剃り落とし、掃除機で全て回収した後、3人がかりで操作する大型のカッターで腹を切り開いていく。

 

 そして、その傷口に作業員が手を突っ込んだ時だった。

 

 刃物の切っ先が、作業員の首に突き刺さる。それは躊躇いなく横に走り、彼の頭部を見事にね飛ばした。

 

 首の断面から血飛沫を舞い上げる作業員のむくろが、乗っていた作業台から床に落下して派手な音を上げる。

 

 ありえない展開に誰もが言葉を失い、身動きすらも忘れた静寂の中、火堕禍牛の腹が内側からさらに大きく切り開かれた。そこから一斉に飛び出してきたのは、防護服に身を包んだ大量の武装集団。


 彼らは瞬く間に解体室に散らばり、獲物である小銃を掲げて叫んだ。

 

 「全員、大人しくしろ! 部屋の奥に移動し、両手を頭の上で組んで跪け! 抵抗すれば命は無いぞ!」

 

 

 ――そして、現在に至る。

 


 「なんなんだお前たちは?!」

 

 マルクは作業台の上から全体を見下ろしている人物に声を掛けた。声からして男性であること以外の素性は定かではないが、先ほどから集団に指示を出しているのは彼なので、おそらく、この集団のリーダーなのだろう、と判断したからだ。

 

 男は部下の手を借りながら防護服を脱ぎ捨て、改めてマルクを見下ろす。長い黒髪を後頭部で束ねた、右の頬に傷を持つ見た目。帯刀していることから、作業員の首を切り落としたのは彼のようだ。

 

 傷の男は刀を抜き、その切っ先をマルクに差し向ける。

 

 「貴様に名乗る筋合いは無い。黙って我々の指示に従ってもらおう。でなければ、そこの女と同じ結末を迎えることになるぞ?」

 「くっ……」

 

 傷の男の言葉を受けて、マルクの視線は出入口の前にある女性の死体に注がれた。すでに痙攣も尽きて、ただの肉塊と成り果てたそのもの。今朝に会った時には、次の休日に友人と出かける計画について楽しく喋っていたはずなのに。

 

 目の前の現実と、それを拒絶したい気持ちがせめぎ合い、マルクの思考は全く纏まらない。その間に傷の男は部下の大半を引き連れて、女性の遺体を跨ぎ、出入口をくぐっていった。

 

 数秒も経たないうちに悲鳴と銃声がドアの向こうから響いてくる。こうなるともはや、部屋の外に逃げ出すこともできない。

 

 「全員、両手を頭の後ろで組んで跪け! 下手な事をすれば命は無いぞ!」

 

 後を任された5人の武装兵が同じ命令を繰り返す。

 

 「みんな彼らの言う通りにするんだ! 決して反抗しないように!」

 

 今は大人しく命令に従うことが最善だ。いち早く現状を理解したマルクは周囲に呼びかけた。その声は、未だ混乱の渦に囚われていた作業員たちの迷いを消し去り、速やかに部屋の奥への移動を開始する。

 

 これで当面の安全は確保される。連中の目的は知らないが、リーダーが何の執着も無くこの場を離れているのだ。少なくとも目的はここにはなく、それ故、彼らが率先して自分たちに危害を加える可能性は、今のところは無いだろう。

 

 そう考え、マルクは胸の中で密かに安堵する。

 

 だが、

 

 「うわあああああああああああっっっ!!!」

 

 抵抗するなと言ったのに。

 作業員の1人が武装兵を突き飛ばし、出入口へと一目散に駆け出していったのだ。

 

 その男の名は、ルナサノミヤビ。無口な上に不愛想で人付き合いが悪く、そのくせ人類の希望であるには矢鱈やたらと楯突く問題児。どこを取っても褒めるところの無い、この基地どころか、フロントーラ全ての人間からうとまれている鼻摘はなつまみ者である。

 

 そいつが今、出入口のドアを開けて外へと出てしまった。

 

 「あのバカ……っ!」

 「動くな!」

 

 思わず身を乗り出したマルクに、武装兵が銃口を向ける。その傍らでは、別の兵が耳に付けたイヤリング型のインカムでどこかに連絡を取っていた。逃げ出したミヤビの処遇について話しているのだろう。

 

 中の武装兵が追いかけるのか。もしくは、外の武装兵が待ち構えるのか。

 いずれにせよ、命令に逆らったミヤビに明日は無い。

 

 (……まあ、自業自得だな)

 

 仲が良かった女性作業員には同情すれど、嫌われ者を憐れむ心など、あいにく持ち合わせていなかった。

 

 


 ――――――――――

 

 

 

 「待てやくそガキャぁっ!」

 

 そして今、解体室の外にいた2人組の武装兵に見つかったミヤビは工廠の中を必死に逃げ回っていた。

 工廠の一階は仕切りに囲まれた個人用の作業スペースがいくつも並んでおり、それが入り組んだ通路を形成している。その迷路のような通路を巧みに利用し、追跡者の銃撃をうまくかわしていくミヤビ。

 

 しかし、捕まるのは時間の問題だった。2人組は左右の通路から連動して動き、ミヤビを奥へ奥へと誘導していく。やがて、ミヤビは工廠の最奥にある部屋に追い詰められてしまった。

 

 そこは、個人用作業スペースよりもかなり広い作業部屋。奥の壁沿いに大きな作業台があり、その周囲には機械の部品かただのゴミかよく分からないようなものが大量に積まれていた。


 部屋に逃げ込んだミヤビは急いでドアの鍵を閉め、対角線の隅へと寄りすがる。

 

 「おらあ!」

 

 しかし、無情にもドアは容易く蹴り破られ、男たちの侵入を許してしまった。

 

 床に散乱する部品を蹴り飛ばしながら歩き、2人組はミヤビの前まで迫る。

 

 「手間かけさせやがってくそガキが。逆らったら命はねえ、って分かってるよなあ?」

 「ひいぃっ」

 

 その内、片方の髭面の男がミヤビの眉間に銃口を向けた。

 

 「――ええ。無事に捕まえました。……はい。すぐに処分して持ち場に戻ります」

 

 そして、その後ろではもう片方のスキンヘッドの男が、イヤリング型のインカムで連絡を取っていた。会話の内容から察するに、ミヤビを見逃す選択肢は無いようだ。髭面の男の顔に野生的な笑みが宿る。

 

 「ったく、馬鹿なガキだぜ。大人しくしてりゃあ命までは取らなかったのに。余計な事をして無駄死にだ。ははっ、ザマぁねえ」

 「や、やめっ、殺さないで……」

 「ああ? だったら逃げ出してんじゃねえよ! なんだ? ヒーローにでもなりたかったのか? 勇ましく飛び出してきてよ。仲間を助けるために、自ら危険な行動を買って出るみたいな。そんな勇者様の真似事でもしたかったのか? なあ?」

 「うああああぁぁ……っ」

 

 髭面の男はミヤビの眉間に銃口を押し付けて、さらにグリグリと強くじった。それにミヤビがか細い悲鳴を上げると、男の笑みはますます濃くなっていく。

 

 「おい、いつまでも遊んでないで殺すならさっさと殺せ。趣味が悪いぞ」

 

 スキンヘッドの男は呆れるように嘆息し、踵を返してドアへと歩き出した。「へーへー」と髭面の男は生返事をし、ミヤビに顔を戻して最後の笑みを見せる。

 

 「じゃあな、くそガキ。所詮、お前のような力の無いガキには誰かを助けるどころか、自分の命すら守ることはできない。せーぜーあの世で後悔するんだな」

 

 そして、髭面の男は銃の引き金を絞り――

 


 「ぐぼおっ?!」


 

 撃針が雷管を叩く寸前、鈍い衝撃が腹にめり込んで床に膝をついた。

 

 (――何が起こった?!)

 

 髭面の男は急いで視線を落とす。自分の腹部に突き立てられる、青い棒状の何か。それはミヤビの右手から伸びたものだった。

 

 「き、きさ――」

 「ふっ!」

 

 ミヤビは青い棒を引き、それを一気に振り上げる。棒の先端が髭面の男の顎を的確に捉え、彼はそのまま仰向けになって床に倒れた。


 「オルダー?」

 

 異変に気付いたスキンヘッドの男が振り返る。

 だが、その時にはもう、しゃがみ込んだ状態から、猫科の猛獣のように飛び上がったミヤビが目の前まで迫っていた。

 スキンヘッドの男は咄嗟に小銃を構えるが、すでにミヤビの体は銃口よりも内側に肉薄にくはくしている。当然、慌てて撃った弾は壁に吸い込まれるだけで、スピードに体重を乗せて振るった青い棒の一撃を顔面に喰らい、彼は壁に叩きつけられた。

 

 「なっ、オースティン?!」

 

 壁にもたれながらズルズルと倒れていく仲間を見て、髭面の男――オルダーが思わず声を上げる。ほんの数秒前まで、確実に自分たちが追い込んでいたのに。それが今や完全に立場が逆転していた。

 

 「なにが……どうなってやがる……」

 

 状況がまるで読み取れないオルダーの視界を青き閃光がかすめる。それは、ミヤビが操る青い棒のまたたき。身長とほぼ同じくらいの長さのものだが、よく見ると単なる棒ではなく、一辺が5センチ程度の立方体がいくつも繋ぎ合わさったじょうであることが分かる。

 

 ミヤビは右手首を軸にして円を描き、その青い杖を背中に構えて、静かにオルダーへと振り返った。

 

 次は自分の番だ――電撃的な恐怖がオルダーの脊髄と脳を貫く。

 

 オルダーは立ち上がろうと試みた。だが、顎を打たれたことによる脳へのダメージと、見事な不意打ちによる腹へのダメージが深刻で、なかなか足が言うことを聞かない。傍の作業台にしがみつき、それを頼りになんとか立つのがやっとだった。

 

 それをミヤビは見過ごさない。走り出しつつ右手を横に大振りし、青い杖をオルダーに見舞う。


 すかさずオルダーは小銃を盾にしてそれを受け止めた。

 

 「がはっ?!」

 

 ところが、次の瞬間には、オルダーは再び床に倒れ込んでいた。

 確かに青い杖は防いだはずだった。しかし、青い杖は小銃に当たった瞬間、それを軸にグリンと折れ曲がり、遠心力を持ってオルダーの顎を再び殴り飛ばしたのだ。

 

 さらに、青い杖はタコの足のように曲がり、倒れたオルダーの首に絡みつく。そして、それはきつく締まり、気道どころか首そのものを千切り取らんばかりに圧迫を始めた。

 

 「か、か、かああっ。なんっ、これ……はあ?!」

 「ただの杖かと思ったか? 残念だったな」

 「かあ――。いぎ、ぃぎがぁ。や、め……ぇ……!」

 「お前の命を尊重する理由は無い。いいから黙って死んでろ」

 

 ゴキン。

 

 オルダーの背中を踏みつけ、杖を引っ張ると同時に足に力を込める。鈍い音がしたかと思うと、オルダーの首がありえないほどに、全身が大きく跳ねた後、彼は微動だにしなくなった。

 

 「ふう」

 

 一息ついてミヤビは青い杖の握っている部分を振る。すると、オルダーの首に巻かれていた部分が自動的に解け、杖は元の真っ直ぐな形に戻った。

 


 カチャ、と、背後からの音。



 ミヤビが後ろに目をやると、床に倒れたオースティンが壁に背中を預けた体勢で、彼に小銃を向けていた。

 

 「お前は……いったい、何者だ……?」

 

 流れ落ちる鼻血を拭いもせず、オースティンはミヤビに問いかける。

 それに対し、ミヤビはすました顔でオースティンを見つめるのみ。

 

 「答えろ! お前は何者なんだ?! この工廠で働くルーククラスじゃないのか?!」

 「……ルーク級だよ、おっしゃる通り。単なる一般作業員だ。この武器だって俺が自作したんだぜ? ああ、そうだ。ここは俺の作業部屋なんだよ」

 

 ミヤビはしたり顔をして、青い杖を悠長に掲げる。

 

 「これは『ルイワンダ』って言ってな。内部に特殊な糸を仕込んでいて、自由に伸び縮みし、自分の手足のように操ることができるんだ。よくできてるだろ?」

 「そんなことはどうでも――」

 「それでな」

 

 オースティンの言葉を強引に遮り、ミヤビはルイワンダを形成する立方体の一つを指で挟んで見せ付けた。それは他とは違い、なぜか青白く発光している。

 

 「これは『キューブ』って言ってな、中には『機雷きらいクラゲ』っていう想生獣の組織片が入ってる。機雷クラゲって知ってるか? 衝撃を与えると爆発する特性を持つ生物だ」

 「ばく、はつ?」

 「そう。ほら、この辺りだけ光ってるだろ? さっきお前をぶん殴った部分なんだよ。その衝撃で爆発の準備が整ったんだ。ルイワンダから取り外せば、すぐにでも爆発する。……そんな風にな」

 「は?」

 

 指を差すミヤビの視線を追い、オースティンはゆっくりと視線を落とした。

 壁に凭れるオースティンの腹の上には、青白く輝く一つのキューブ。

 

 「ああああ――っ!」

 

 気付いた時には手遅れだった。オースティンの叫び声は青白い光の炸裂と共に押し寄せる爆発音に掻き消され、血飛沫が混じった粉塵がうっすらと立ち込める中、残ったのは腹を抉られた死体のみ。

 

 「……ふう。ギリギリだったな」

 

 隠れていた作業台の影から立ち上がり、ミヤビはひしゃげたドアの方を見遣った。部屋の外からは男たちの荒ぶる声が聞こえてくる。一分もしないうちに、この部屋は爆発音を聞きつけた武装兵によって埋め尽くされるだろう。

 

 「さて……行くか」

 

 作業台の上に置かれた手甲を腕に装着すると、ミヤビは部屋の窓から屋外に出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

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