後編 五月朔日

 よく晴れた日だった。

 十郎太は粥と漬物だけの朝餉を済ましていると、既に食べ終えていた客達が慌ただしく旅籠を出て行った。


「今日は何かあるのか?」


 十郎太は、女将と思われる四十路過ぎの女中を捕まえて訊いた。


「何かって、玉粕様は何も知らないのかい?」


 忙しそうに働く女中が足を止めて、目を丸くした。


「知らんも何も、私は昨日初めて来たばかりなのだ。祭りがあるんなら教えてくれないかね?」

「祭り? ああ、祭りですよ。五年に一度の」

「へぇ、どこで?」

「そりゃ、城下のあちこちで。あたしもその準備で忙しいんですから、玉粕様も出掛けるなら早く出て行ってくださいまし」


 女中に急き立てられるように旅籠を出ると、十郎太は暫く町人地を練り歩いた。


(さて、どうするか?)


 今夜は賭場にでも顔を出そうと決めていた。裏には様々な情報が入るものである。明らかに、この藩の様子はおかしい。何かを隠している風がある。先程も茶屋に入ったが、何も答えようとはしなかった。

 堅気カタギが無理なら、やくざにでも訊くしかない。賭場のような場所では、時として貴重な情報源となる事がある。

 町人地でも大店が軒を連ねる紺屋町こんやまちに入った時、十郎太はその異様さに目を奪われた。

 商家という商家が戸を固く閉じ、門扉には〔憐み札〕と記した護符のようなものを張り付けているのだ。


(魔除けの類だろうか?)


 もうすぐ正午だというのに、人通りは無い。死んだ町のようになっている。


「誰かいないか?」


 十郎太は試しに叫んでみた。しかし、返事は無い。

 紺屋町を抜けると、〔憐み札〕を貼っている家とそうでない家が入り混じるようになった。貼ってない家は、戸板に釘打ちをして固く締めきっている。


「神部藩でお前の身に起きた事、見た事、聞いた事を報告せよ」


 ふと、若狭守の言葉が頭を過った。

 この事を言っていたのか。いいだろう。何かあるのか、見届けてやる。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 けたたましい法螺貝が鳴ったのは、陽が中天を迎えた頃だった。

 町の各所に設けられた火の見櫓の上で、足軽装束の武士が法螺貝を吹いている。それはひとしきり続いて、途切れた。


「驚きましたかな?」


 祭りの始まりを知らせる合図だろうか? と、困惑する十郎太に町人の老爺が声を掛けてきた。朗らかな笑みを浮かべた、好々爺である。


「ああ。あの法螺貝は何の合図なんだ?」


 と、振り向いたその時だった。

 突き出された白い光。包丁だった。


「貴様」


 十郎太は、老爺の腕を掴んだ。


「何をしやがる」

「儂は武士を殺すんじゃ」

「何」


 十郎太は、掴んだ腕を捻り上げと投げ飛ばした。老爺が地面に転がる。右腕は、明らかに逆の方向に向いていた。


「武士を殺すとは、どういう事だ?」


 老爺は立ち上がると、懐から左手で匕首ドスを引き抜いた。

 十郎太も咄嗟に、腰の一刀を抜き放った。泉州丸阿弥せんしゅうまるあみ。反りが少なく、幅広の剛直な業物である。


「うるせぇ、殺すんじゃぁ」


 老爺が絶叫した。しかし、老爺は駆ける事もなく地に伏した。

 老爺の背中には矢が二本も突き刺さっていたのだ。


「どういう事だ、これは」


 弓を構えた男女が、道の先に立っていた。しかし、その矢は十郎太にも放たれた。

 二つ泉州丸阿弥で叩き落すと、三矢目が来る前に、十郎太は駆け出していた。

 大通りを曲がり、小径こみちを抜けた。


(どういう事だ。どうして襲って来る)


 すると、方々から悲鳴が聞こえてきた。

 鳴き声。呻き声。慈悲を乞う、命乞いの声。

 理解が出来なかった。何故襲って来るのか? 俺が何をしたというのか?

 大通りに出ると、幾つもの死体が転がり、方々で殺し合いが演じられていた。身分の上下は無い。得物も刀や槍、弓、包丁や斧など様々だ。あちらこちらで、人が人を殺している。

 若狭守は、これを探って来いと言いたかったのか。困惑する十郎太は、背中に熱いものを感じた。

 振り向く。若い女が脇差を手に立っていた。傷は咄嗟に躱したので、薄皮を一枚斬られたぐらいだ。


「お前は」


 初日に十郎太が話を聞いた、あの旅籠の娘だったのだ。


「糞、これはどういうつもりだ」

「どうもこうもないわ。これが祭りなのよ」


 女が脇差を突き出してくる。相対すと、その斬撃は幼稚なものだった。

 脇差を払い、刀背みねで首筋を打った。


「旦那、十郎太の旦那」


 名を呼ばれた。声をする方へ顔を向けると、職人風の男が町屋の陰から顔を出していた。


「こっち、こっちでございやす」


 忙しく手招きをする。信じられるのか? と疑ったが、御庭番としての本名を知っているという事が、十郎太の足をそちらへ向けさせた。


「誰だ、お前っ……」

「静かに」


 息を整えながら十郎太は訊いたが、その口を男が塞いだ。

 視線を通りの方へ向けると、馬に跨った甲冑武者が駆けてきて、旅籠の娘を槍で突き上げた。女ははらわたを撒き散らしながら宙を舞い、地面に叩きつけられた。


「お見事」


 後から続いた騎馬武者が言った。総勢で五騎ほどだ。

 甲冑武者は、顔すら面頬で隠していて表情は見えない。しかし、口々では


「畜生は死ね」

「穢れは死によって浄められる」


と、わけのわからない事を喚いている。

 それから騎馬武者は、殺し合う町人達をひとしきり掃討すると、別の方向へ駆け去った。


「あれは誠忠組せいちゅうぐみという、馬廻組の子弟で結成されたもんで、まぁ手っ取り早く言えば、武士以外は人間じゃねぇと思っている輩でございやす」

「味方ではないのか?」 

「へぇ。まぁ、狩りを楽しんでいる気分なんでしょう。あっしも襲われかけましたよ」


 と、その男は十郎太に竹筒を差し出した。背が低く、笑うと前歯が剥き出しになる異相だった。どことなく鼠のように見える。

 十郎太は奪い取って、喉に流し込んだ。冷たい水だった。


「あっしは猿田彦さるたひこという、ちんけな密偵でございまして」


 鼠顔に名前は猿田彦。明らかに偽名だ。怪しいが、それは自分も同じである。


「何故、俺の名を知っている? いや、これは何なのだ」

「そう戸惑うのも無理はございやせんね。あっしは小笠原様に頼まれて、十郎太様をお助けするように先に神部島に入っていたのでございやすよ」

「すると、御庭番か?」

「みたいなもんです」


 会話をしている間にも、方々では悲鳴や絶叫が聞こえる。


「それはわかった。しかし、これはどういう事だ?」

生類不憐しょうるいふあわれみの令でございやすよ」

「生類……綱吉公のか」

「あれは憐れむもので、これは憐れまず」

「だから、どういう事なのだ」

「五年に一度、如何なる罪も許される祭りでございざいやす」


 猿田彦の話は信じ難いものだった。

 神部藩が定めた、五年に一度の祭り。五月朔日の正午から三日の正午まで、如何なる罪を犯しても許される祭り。


「旦那の泊まった旅籠、人が一杯だったでしょ?」


 十郎太は首肯し、五軒目でやっと泊れたと告げた。


「あれ、全員人殺しをしたい奴らですぜ」

「本当かよ」

「まぁ、そんな事をしたくもなる、酷い藩なのですよ此処は」


 神部藩は苛政かせいを重ね、一揆が頻発する藩だった。その度に武力で鎮圧してきたが、そのせいで商業・農業が大きく後退し、藩はますます貧しくなった。

 そこで先代藩主が定めたのが、如何なる罪を犯しても許される、〔生類不憐みの令〕だった。これによって、領民の不満は藩庁ではなく、隣人に向いた。五年の間に標的にする相手を探し、この祭りで殺し犯し奪うのだ。

 ただ、〔生類不憐みの令〕には幾つかの掟がある。


・十五歳以下の子供を襲ってはならない。

・武家地・寺社に踏み込んではならない(ただし、参加は自由)。

・銃火器、火薬の使用、火付けは行ってはならない。

・藩庁に二十両を払い、〔憐み札〕を貼った家屋に浸入してはならない。

・〔生類不憐みの令〕について、当日以外で口に出してはならない。

・掟を破った者は、親族を含めて死罪。


「これで領民の不満を発散させるものというのか?」

「へぇ、左様で」

「藩士達は何をしているのだ? 斯様なものを見て見ぬ振りか?」


 すると、猿田彦は首を横にした。


「見ておりやすよ。見て楽しんでいるんです。武家地には見物台が設けられておりましてね。藩主様がわざわざこの為に帰国するぐらいですよ。中には参加する者もいますが」


 あまりの怒りに、十郎太は拳を壁に打ち付けた。


「とりあえず、あっしのねぐらへ行きやしょう。〔憐み札〕を貼っておりますから、三日間生き延びる事が出来るかと」

「悪い……」

「しかし、そこまでが骨ですぜ。駆け抜けながら、襲って来る者を殺さなきゃならねぇですから」


 生き残る為には、殺すしかないのだろう。

 何という地獄なのだ。十郎太は、腸が煮えくり返る思いだった。

 こんな祭りを定めた神部藩にも。何も知らせずに地獄へ放り込んだ若狭守にも。


「じゃ、行きやしょうか」


 猿田彦が先に通りへ飛び出した。

 いつの間に長脇差ながどすを抜き払っていて、襲って来る町人を二人斬り倒した。確かに凄腕だ。

 続いて十郎太も飛び出した。血臭と、死体が垂れ流した糞尿が立ち込める、酷いものだった。


「さぁ、こっちですぜ」


 と、言った猿田彦の足が止まった。


「こいつはやべぇですねぇ」


 色を失い苦笑するしかない猿田彦の言葉に、十郎太も頷いて応えた。


「ああ、逃げるしかないな」


 砂塵舞う大通りの道の先。そこには、無数の竹槍を掲げた百姓達が押し寄せて来たのだった。


〔了〕

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生類『不』憐みの令 筑前助広 @chikuzen

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