白球と思い出

都築 或

第1話

 野球が嫌いだ。

声を出さないと怒られるし。

夏は暑いし、冬は寒いし、何より下手を打つと殴られる。

 小学校の時に安易な気持ちで始めて辞め時を見誤ってしまった結果がこれだ。殆ど毎日のように練習があり時間的にも体力的にもキツかった。


キャッチボールをしてノックを受けてペアを組んでトスバッティングをする。

 練習メニューは気怠いルーティンワークとして心に重くのしかかる。

 「オナシャース!」

知らなければ何を言っているのか聞き取れるのか怪しいような掛け声をあげてノックを受けていく。

ノック中にエラーするとグラウンドを一周する決まりだった。

「シャース」

自分の番が来て声をあげる。

打たれた打球は自身の右側。

悪くない反応ができたが歩数が合わず飛び込むか、踏み込むかで一瞬悩んで飛び込んだ。

ボールがグラブからはじかれる。

「オーイ!走ってこい!」

監督がバットを振り上げたバットをこちらに向けて叫ぶ。

「あんぐらい捕れよ」

落としたボールを処理して一塁手に投げると正二塁手の中口に声をかけられた。

僕は補欠であまり人付き合いの上手いほうではなかった。レギュラーになれたとしたらチームメイトの態度も変わるのだろうか。

中口に対してアハハと曖昧な笑みを返して、グラウンドの端にグラブを置いて走りだすとピッチング練習をしている成瀬圭が目に入った。

傍らには休日はコーチとして指導に来ている父親(成瀬コーチ)が立っている。

 一球一球投げるたびにグラブの乾いた気持ちのいい音が響く。彼は小学校からの仲で、また気取らない性格に対して好感があった。

走っていると煩雑な思考が頭をよぎってくる。

『やらされている』練習に意味はあるのかだとかいっそのこと辞めてしまおうかとかその場合内申点の影響はどうなのだろうかとか。

ふとあとどのくらい野球を続けるのだろうかということの思い至った。

平日が一日四時間、休日が八時間の練習として三年の夏まであと一年だ。

週に36時間が月に4回として12ヶ月で……。

大体1700時間か。

膨大過ぎてうまく時間が沸かない。でもこうして走っている間も一秒、また一秒と減っていてるのだななんて考えているとグラウンドを一周し終える。

こんな思考もすぐに忘れてしまうんだろうなと思いながら僕は再びノックに戻った。


笠野がバットを振り回しながらスイングする『サイクロン打法』などと呼称する謎の打法でトスバッティングをしている。

ペアを組んでいる鹿野島が意味ねえよそれとへらへらしながらボールをトスしていく。

一番騒いでいるペアはここだが、監督が練習から離れた時は割とみんなふざけ出す。

あんな感じでもボールはそれなりに飛んでいるからすごいよなとすこし離れた位置にいる鹿野島達を見ながらスイングするとボテボテの打球を打ってしまう。僕はあまり打撃が得意ではなかった。変な方向に飛ばすと危ないので集中しないとなと思う。

隣では成瀬が黙々とトスバッティングを続けている。時折足を開く大きさを変えたりグリップの握りを調整して試行錯誤している様子がうかがえる。

 本当に真剣にやっているといえるのは成瀬くらいだろうな思う。

 僕は練習にふざけたりはしないがあくまでそれは万が一にも怒られたくないという保身的な理由だった。

でもこんなに真剣に練習している成瀬がチーム内で圧倒的に上手いかといたらそうではなかった。

成瀬は入部時からピッチャーをやっていたが数か月前頃からピンチの時にプレッシャーで崩れやすくなり最近は二番手に甘んじていたし、バッティングに関しても四番を打っているのは笠野だった。

そもそもうちのチームはそれなりに強くて県下でもベスト16程度なら何度か進出経験があったし、たとえ多少ふざけていたとしても圧倒的な練習量があることが前提だはあったが、練習に対する態度と結果が直接結びつかないことに才能の残酷さを感じた。

 僕は彼らから更に数段下手なわけだし。

 まあ特別頑張っているわけではないのだから当然かと思いバットを振る。

 ボテボテのゴロだった。



 教室で笠野を含む男女グループが談笑している。

中心にいたのは宮古舞。所謂クラスのマドンナというやつだった。傍目に見ても美人で騒がしいのだからクラスの中心にいないはずがなかった。

彼らはよくわからない内輪ネタを話したり誰かを馬鹿にしたりで盛り上がっている。つまりはコミュニティの維持をさせることを至上にしたような振る舞い。

そんなことをしていても宮古の顔はきれいだと感じるし、ふとした時に見てしまうのだから顔がいいということはすごいことなのだと思う。

誰の顔が最もいいかという話ならおそらくクラスの八割は宮古だというはずで僕もそうだと思っていたが、異性として最も魅力的だと感じるのはだれかという話なら僕の意見は違った。

村里灯はいつも教室で本を読んでいる。今読んでいるのは村上春樹だ。

彼女は華奢でクラスの中心人物という風ではなかったが目元が整っていて可愛らしい外見をしていた。

僕はそもそも友人も多いほうではなかったし女の子と話すのが恥ずかしかったけれど本の話がしたいこともあってそのうち彼女に声をかけたりして出来たらいいなと考えていた。

 「杉崎、これわかる?」

そんなことをぼんやり考えているとノートを持った成瀬に声をかけられた。課題で分からないことがあるらしかった。

「えっと、これはここをこうしたらいいよ」

すこし思案の末答えると成瀬は納得したのかサンキュとお礼を言った。

「このクラスで休み時間のたびに本読んでるのお前と村里くらいだよな」

何の前触れもなく村里の名前が出されて焦る、なにか感づかれているのだろうか。

「なんだよ急に」

「いや、何となく」

「そっか……。そういえば今日の練習って何やるか聞いてる?」

 少し強引な気もするが何となくに何となくを重ねたわけだし取り繕えはしたと思う。

「今日はバッティング中心にやるってさ」

 成瀬がノートを丸めて素振りをしながら言った。

「そっか」

そう返しながら、バッティングなら運動量が少なくて楽だなと思った。




 今日は練習試合の日だ。

 「今日の練習試合だが~」

試合前に監督が今日の目標なりを話している。

 スターティングメンバーではなかったが練習試合なので僕も出る機会があると思う。

しかしミスをすると怒られるので正直出たくない気持ちもあった。

試合中は練習をしなくてもいいのはいいところだったが。


試合前に素振りでもしておくかと考えてバット屠っていると成瀬コーチから声をかけられた。

「もう少し下半身意識したほうがいいな。少し体重が前に乗り過ぎてる。」

 アドバイス通りにするとスイングが良くなったのを感じた。

「ありがとうございます」

「いいよいいよ。そういえば圭が最近色気づいてさ、なんかあった?」

「知らないですよ、なんですか急に」

 「そっか。あっ、ロジンバッグって原料何か知ってる?松ヤニ以外の」

傍に置いてあった滑り止めのロジンバッグが目に入ったのか質問を投げてくる。色気づくからの連想か。化粧品っぽいと思えなくもない。

「えっと、松ヤニ以外は炭酸カルシウムが80%と石油樹脂が5%とかでしたっけ滑り止めは松ヤニなんですけどそれだけだとべたつくので。」

 「おー、すげ。割合まで覚えてんのか。なんか将来凄い発明でもしてそうだよな。」

 「……なんですかそれ」

 周りに聞かれていないのか気になった。

不意に照れてしまったのが恥ずかしかったから。

僕は素振りを続けた。


 試合は成瀬が好投して1-1のまま5回になった。

僕は途中出場して守備機会が二度、どちらも問題なくこなした。

このまま無難に終わらないかなと思っているとチャンスで打順が回ってきた。

「杉崎!打ったら勝ち越しやぞ!」

ベンチからの声が響く。

バッティングの失敗はまだ嫌味を言われる程度で済む。どっちにしろやるしかないなと覚悟を決めて打席に入る。

ワンアウトランナー二塁。深めのヒットで一点入る場面だ。

一球目、外に外れた低めの球。見送ってボール。

今までの投球から慎重なタイプだという印象は受けていた。

だけど一球外すということはそのままカウントを悪くすることだ。おそらく次は入れてくる。

そしてこの状況で打たせたいのは左方向への強いゴロか、凡フライ。

パスボールを避けるために低めは多用しないはず。

だから狙うのは。

キィンという金属音が響く。

少しタイミングが遅れながらも右中間へ打ちかえす。

「おっしゃ、走れ走れ」

歓声に押されるように走って二塁に滑り込んだ。

送球がよく少し危なかったがセーフ。その間にランナーはホームに帰ってベンチに迎えられている。

「杉崎、ガッツポーズ!」

普段あまり打たない僕が打ったのが面白かったのかベンチが変な騒ぎ方をしている。

スライディングで付いた砂をはらう。

そしてベンチに向かって控えめなガッツポーズをした。悪い気はしなかった。

試合はその回更に僕がホームまで返り3-1で勝利した。



 教室にて。

今日も教室の中心は宮古だ。下着が見えそうな体勢で机に座っている。

 「俺この間ハットトリック決めてさ」

宮古グループのサッカー部が話している。

活躍したらかっこいいのだと気が付いて、先日の試合を思い出し誇らしい気持ちになった。あんな露骨に自慢話をする胆力はないが。

当の宮古は「えっ、ハットリくん?」と聞き返していた。ちょっと面白かった。

ふと村里のほうを見る。

今日も村上春樹を読んでいた。

彼女と話すために少し前にノルウェイの森を読んだ、あの内容についてうまく女子と話せるだろうか。

村里さんも村上春樹読むの?村里さんも村上春樹読むの?

何度か頭の中で言いたいセリフを暗唱して、拳をぎゅっと握り立ち上がろうとしたとき。

「えっ、成瀬君も春樹読むの?」

村里の声がした。

見ると成瀬と村上春樹について話しているようだった。

会話は自然と盛り上がっている。

成瀬は普段本など読まなかったはずだ。

そこから演繹的にひとつの事実にたどり着いたときには握った拳はほどけていた。

会話に混ざろうとは考えられなかった。




 最後の夏。

中学最後となる大会、成瀬が調子を取り戻し再びエースとして活躍をしていた事もあってそれなりに勝ち進んでいた。

しかし本当に勝ち進み続けて全国一になれるなどと考えているメンバーはいるのだろうか。成瀬でさえ県大会優勝くらいの目標だろうなと思った。

僕はこれが終われば引退出来るなんてことさえ考えていたわけだが。

地区大会決勝、以前に勝ったことのある若干格下の相手だった。

 序盤に二点を先制するがその後3回に一点、4回に二点を入れられ、こちらに点が入る気配はなかった。

 フォアボールから打たれての失点なこともあり成瀬も集中を保てているとは言い難くたびたび制球が乱れて今後の試合展開を不安にさせた。

ベンチには敗戦ムードが漂っていた。

、所謂思い出出場のためだろうか。僕含め何人かのメンバーがアップをするように言われていた。

最終回。代打で出た鹿野島がツーベースヒットを打って空気は一変した。

ツーアウトランナー二塁。

声援も緊張感も最高潮に達していた。

「杉崎、代走行くぞ」

 監督から指示をされ返事をした。

ミスは許されない場面だ。

ワンヒットでホームに帰れば同点。まだ望みがつながる。ツーアウトのためフライ気味の打球でも迷わずスタートが切れる場面だ。

鹿野島にナイスバッチと声をかけてハイタッチして交代する。普段はふざけている鹿野島も真剣な顔をしていた。

「牽制気をつけろよ」

 「おう」

 浅いヒットでもホームインを狙うため積極的な走塁をしなければならないが牽制球に刺されては元も子もない、難しい塩梅だ。

ベースから離れてリードをしていく。

投球動作に入った瞬間にリードを広げ、打った瞬間にスタートを切らなくてはならない。

ピッチャーが動いた。くるりと回り牽制球を投げる。

少しリードを大きめにとっていたが牽制球には備えていたため滑りこんでセーフ。思ったより余裕がなかったため少しひやりとした。

流石にこんなミスは許されない。

砂を払い、セカンドがボールをピッチャーに返したのを見届けて、再びリードをしていく。

リード、リード。

一球目。ボール球。

キャッチャーミットに収まったのを確認して二塁に戻る。

これだけの動作なのに緊張で心臓の音が聞こえてくるのを感じる。

二球目。金属音。スタートを切る。

「ファール」

審判の声が響く。帰塁する。

ワンボールワンストライク。整ったカウントだ。

牽制球も頭に入れながらリードをしていく。ワンヒットでホームに帰る。そう思いながら。

三球目の前にピッチャーが牽制動作に入るがタイミングが合わなかったためボールは投げられない。

そして三球目の投球動作に入った。

リードを広げる。金属音。スタートを切る。

打球は外野に上がった。振り返れないため細かい位置はわからないが見えないがおそらく落ちればホームインを狙える位置だ。

走れ。走れ。

歓声すら遠く、ただその一念のみだった。

三塁のランナーコーチは当然進めと手をまわして示しており三塁を蹴った。キャッチャーの構えるホームベースに向かう。

走れ。走れ。

頭にあるのはそれのみだ。地面をける感触と心臓の鼓動がやたらと鮮明に感じられた。

自身のすべてが走るという行為に捧げられている感触。

向かう先のホームベースで構えていたキャッチャーが立ち上がった。そしてピッチャーのほうへ歩いていく。

 「アウト、ゲームセット」

青空に審判の声が響いた。

僕はそのままの勢いでホームベースを駆け抜け、空を見上げた。


試合終了の挨拶を終えベンチから撤収する。

球場外の木陰に各メンバーのバッグや野球用具が広がる。

監督が最後の試合について、月並みな感想を言った。頭に入ってこなかった。

次の試合が交流のある隣の中学だったこともあり観ていくかそのまま帰るかで現地解散という流れになった。

広がった荷物の中を歩く。

笠野がめちゃくちゃ泣いていた。意外だった。

 ……あんなにやめたかったのに。

 どうして少し悔しいんだろうか。

 僕は帽子を深くかぶりなおした。




 「ああ~、やっと実験終わったわ~。」

 所属ゼミでの実験が一区切りついて、解放された気分で友人たちと歩く。

大学生然とした程々に派手な外見のグループだ。

 大学はほどほどの偏差値の理系学部に進んだ。理系科目は他人と同程度の努力でそれなりの結果が出せた、なんて理由が主だったけれど。

 実験漬けの日々大変だったが昔、研究向いているよと言われたことが心の支えになっている気がする。

 「おっ、バッティングセンターあんじゃん。ちょっとやってこうぜ」

 里中が言った。最近ゼミで仲良くなった奴だ。

 「俺、昔やってたんだよね」

 「え意外やん」

 「まあ補欠だったんだけどさ」

 あまり誇らしいような思い出ではないため言い訳のように付け加える。彼は茶化すようなことを言ってこないのでやりやすかった。

 久しぶりだなと思いながら打席に入る。

何度か素振りをしながら、隣の打席に投げている機会を見てタイミングを計っておく。

自分の打席の機会にコインを入れる。

機械音とともにボールが放たれる。

すっと引き上げた足を下半身の動きを意識しつつ下ろしてバットを振りぬいた。

 白球は金属音とともに青空に吸い込まれていき、しかしネットに当たってポトリと落ちる。

 振り切った左腕が程よく脱力しバットがカラカラと地を擦る。

 「なんだ、楽しいじゃん」

 そんな呟きさえ白球ともに青空へ消えていくように感じた。

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白球と思い出 都築 或 @Aru_Tsuzuki

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