第13話



 突然現れた秦広王と赤髪のおじさんは僕の様子を目にすると、真面目な顔をしてボソボソと何やら話し込んでいる様子だった。

正直バツが悪い。知り合いにこんな姿を見られた事にも居心地が悪いし、それに二人がどんなやりとりをしているかもどうにも気になって仕方がなかった。

 と、どこからか『じゃあね』なんて声が聞こえてきそうな、さながらネイティブアメリカンかよ、『ハーオ』ってか! なんてツッコミを入れたくなるような身振りを見せて秦広王は少し遠くに見える宮殿の方へ、赤髪のおじさんは僕の方へと歩みを進めてきた。

 しかしなんだ、このおじさんの威圧感。彼の身体がすごく大きいのもあるけれど、自分の父親や学校の先生達なんかとは全く違う、まるで城壁みたいに重厚なその様に安心感と恐怖心のどちらの感情も抱いてしまった。

 何よりも僕にそれを感じさせたのは彼の笑顔だ。

 以前に会った時も感じたのだ。彼の浮かべる表情は全てを包み込む様で、自分の中にある何もかもを話してしまわないといけない様な感覚にかられる。

 あの世でそんな風に感じる人なんて、きっと一人だけだろう。最初は秦広王がその人なんだと勘違いしたけれど、今改めてこの人を見て思う。


 間違いなく、この赤髪のおじさんは『あの人』だって。


 だからだろうか。『何かあったの?』と尋ねられた瞬間、僕は隠し事が出来ずこれまでの事の全てを話していた。


「なるほどねー、めぐりの所から逃げてきちゃったんだね」

「……」

 一頻り話し終えると、長い溜息の後で彼は呆れ顔でそう呟いた。

 おじさんがめぐり様の事を呼び捨てにした事がどうにも気がかりだったけど、ズバリと事実を指摘する彼に僕は言い返す事ができなかった。

「瑠璃ちゃんも鈍感さんだねぇ。君を逃がしちゃうなんて。現世に行って、耄碌しちゃったのかな?」

 瑠璃さんが鈍感? 耄碌してしまった? 何言ってるんだよ、確かにおかしくて変態な人だけど、あんなにも優しい良い人なんだ。自分の出来る唯一の事から逃げ出した僕に対して、普段通りに接してくれた人なんだ!

「違います! いや……そうじゃないんです」

 自分でも驚いてしまうくらいに、おじさんが語った瑠璃さんの堕落を大声で否定する。

 いやいや、違うよ。別に瑠璃さんが好きって訳じゃない。ただやっぱりムッとしてしまうではないか。自分に近しい人が根拠もない言いがかりをつけられているんだから。


 僕の様子に一瞬驚いた表情を見せたおじさんだったが、次の瞬間には今まで以上の笑顔を浮かべる。

「ん、だろうね」

「え?」

「瑠璃ちゃんはミスをしたわけじゃない。君が頼んで、見逃してもらったんでしょ。あの子変態さんだけど、ちゃんと優しい娘さんだからねぇ」

 なんて良い笑顔なんだろうと、少し感心してしまうくらいのその表情。

 本当に瑠璃さんがかばわれた事が嬉しかったんだろう。まるで我が事の様に嬉々とすおじさんはとても印象的だった。


「なんでそんなに確信を持てるんですか?」

「そりゃね。あの子の事は随分と前から知ってて、どうゆう人となりをしているかは理解しているつもりだよ。あの子は人の痛みを真摯に受け止める事の出来る、素晴らしい女の子だよ」

「何か、敵わないですね」

「そりゃ、君より何万……いやどれくらいだったか数えるのも嫌になるくらいに長くここで過ごしてるからねぇ。キャリアが違うもの」

 ふふんと胸を張るおじさん。少し顔を赤らめているのは言わないでおいてあげよう。焦った彼の顔も見たい気もしたけど、言わぬが花って言葉もあるくらいだしね。

「そうですね……いいなぁ」

「ん、どうしたんだい?」

 穏やかに笑う彼のを見ていると、自然とそう呟いている自分がいた。こんな風に人に対して羨望を口にする事なんて、今ままでなかったのに、彼の前では隠したり偽ったりする事ができようもなかった。

 ふとそう思うと、また一つ気持ちが楽になっていた。


「何でも知ってて、何でも分かって……何でも出来て。凄く、凄く羨ましいです」

 でもどうゆう事だろう。楽になったはずの自分の感情は、それを口にした途端に重苦しい靄に包まれていく。僕はとうの昔に知っていたじゃないか。この言葉が彼を侮辱するに等しいものだって。

 しかしそんな思いが浅はかだって思い知らされた。

 その笑顔と、そしてこう口にされるまでは。

「それは違うよ」

 きっぱりとした否定で、彼は僕の言葉に切り返す。

「知っている事が増えたとしても、万物を知り得る訳じゃないよ」

 それは僕を諭す言葉だったけど、まるで自分にも言い聞かせているんじゃないだろうかと感じられるほどに、深く深く響いてくる。

「一人の心を見透かせたとしても、それは決して万人のものではない」

 そう、だった。確かに僕もそれは身に沁みてわかっていたつもりだった。あの時、あの男性の魂を見る直前まではそれを理解していたつもりでいた。

 しかし今はどうだ。

 思い込んでいたのは自分。付け上がっていたのは僕一人。思わず拳を握りしめ、強く力を込めていく。


「どれだけ経験を積んだとしても、苦手な物は絶対にあるし、出来ない事は次々に出てくる物なんだよ」

 それじゃどれだけ頑張ったって意味ないじゃないか! という言葉が喉元を通り掛かり、音に出来ないままに終わってしまう。でもそんな事は誰にだって当たり前の事じゃないか。それに折り合いをつけながら誰しもが今を生きているんだから。

 でも生き物は、否……人という存在はきっとそれを受け入れる事は出来ない。きっとそうゆう風に出来てしまっているから。僕だって、飲み込む事が出来ないから悔しいのだ。目の前のこの人が羨ましくて、声を上げるのを必死に堪えている。

 きっと彼から見れば僕は余程矮小に見える事だろう。しかしそれも結局は浅はかなマイナス思考の一つに過ぎない。


「君だって、これからどんどん出来る事が増えてくる。人の気持ちが分かってくる。そして、知らない事を、もっと知っていける」

 その笑顔は翳らない。僕がどれだけ恨めしく彼を見ても、するりとかわしてしまうのだ。


「でも……僕、逃げ出しました」

 しかし僕の弱音は相変わらず止まらなくて、

「自分が唯一出来る事から目を背けました」

 この世界で得た力を拒絶して、自分にならばどうにか助ける事が出来るかもしれない人たちから目を背けてしまって、

「見る事を……知る事を怖いって思いました」

 それでも自分が可愛いから、諦める事が不甲斐ないからこうやって涙を流しているんだ。それでも臥せったままでは、足元を見つめるだけでは何も解決する事がないという事が分かりきっているから、だからおじさんから視線を逸らし、遠く広がるあの世の風景を見つめた。

 でもそんな感傷に浸る間もなく、言葉は返される。


「何言ってるんだい?」

 それは惚けたような、でも突き刺すようなそんな言葉。


「……何をって?」

「知らない物を知ろうとするんだよね? そんなの怖いに決まってるじゃないか」

「……」

「そりゃ怖いよ。わたしだって怖いさ。わたしの場合で言うと、知らない人の前に立って、その人生について、善悪の判断を下すんだ。判決を下す時はいつもブルブル震えているよ。その人に真っ向から憎悪を向けられて、そして今にも泣き出しそうな顔で見つめられるんだからね」

「……はい」

「怖がる事は誰にだって出来るんだ。何もしないでいる事だって、誰にだって出来ることなんだんだ」

「誰にでも、出来る」

「そう。そして『怖い』に立ち向かう事だって、誰にでも出来るんだよ」

 おじさんの語る言葉はあまりに綺麗に聞こえた。まるでそれは理想の生き方だ。

 全てを克服し、現状を打開し続けそして死しても自分を取り巻く現状に疑問を感じて、ここでできる事を為し続けた男だから、こんなにも説得力を持って語る事が出来るんだろう。

 だってこの人は……

「……それは貴方が」


「ーー私が、『閻魔大王』だからだって言いたいのかな?」


 本当に味気なくそれは語られてしまった。多分僕の中ではすごく衝撃的な事実のはずだったんだが、こんなにあっさりと言われてしまってはどうにも気がそがれてしまう。

しかし良い意味で身体の力が抜けた気がする。しかしあまりに強く拳を握りすぎていたせいで、爪が掌に刺さり、血がにじんでしまっていた。


「……えぇ。そうです。あなたは特別な人なんだって、そう思います」

「ははは、そうだねー。よく色んな人に言われるよ。そうついさっき秦広王にも言われたかなぁ」

「ならやっぱり、貴方が特別なんじゃないですか?」

 そうだよ。だから理想通りの生き方を口にしても、なんの嫌味も感じないんだ。

 でも同時に僕と閻魔さまとの間に大きな隔たりがあることも実感することが出来た。きっとこの人は迷っても、決して間違った判断を下すことはない。僕は……何にも決められなくて立ち尽くすだけなんだ。

 そんな僕の浮かべる表情は、彼にはどんな風に見えていたのだろう。少しため息まじりに閻魔さまはこう呟いて頭を抱えた。


「もー君も秦広王と同じ口なのかー。ちょっとめんどくさいよ」

「めんどくさいって……」

「一回ミスしたらそれでおしまいって思ってるタイプだよねぇ」

「……ひ、否定出来ません」

 そうだ。一度躓いた後、僕は何も出来なくなってしまった。何をするのも怖くなって、結局逃げ出してしまった。

 それでどうしたかったんだろう。

 あぁ、そうか。どうしたいか分からないんだ。失敗してしまったことが恥ずかしくて、どうにかしようとしてまた失敗してしまって、何もかもが怖くなってしまって。

 もう失敗したくない。惨めな思いはしたくない。

 曖昧でボヤけた中で、それだけはハッキリとしていた。

 でも僕の考えなんてとうの昔に理解しているのだろう、ふっと笑みを浮かべて閻魔さまはこう語りかけてくる。

「そんな事ないんだよ? そりゃ同じミスはしちゃダメだけど、少しずつでも良いから前に進めるように努力していけば良いんだ。今の君は『怖い』を克服すればいいんだよ」

 それが生きているものに許された最大の権利なのだと、そう付け加えながら彼は言葉を結んだ。


「……克服する」

 背筋がピンとする感覚というのは、こういうことのことを言うのだろう。まるで先生に語りかけられているようなそんな気分になってしまう。

 あぁ、でもどこか居残って怒られている感じがするのもきっと気のせいじゃないはずだ。そう思うとまた俯いて、彼を正面から見ることが出来ない。

 こちらを向け! と大声で叱責されるのを覚悟しながらグッと瞼を閉じるのだが、どれだけ待ってもそんな響きは僕の耳には届いてこない。

 それどころか届いたのはうっとりしたようなため息。てっきり呆れられたのだと、そう覚悟していたのに、あまりのギャップに顔を上げて閻魔様の表情見やる。


 浮かべていたのは響いた嘆息とは違い、儚げなものを目にした時に浮かべるそんな表情。

 彼は僕が背にした三途の河の対岸の、秦広王の宮殿への途上に目を向けていた。そんなに気になるものが通ったんだろうか。そんな疑問が頭をよぎった次の瞬間、絞り出すように、その情景を噛みしめるように、この世界で王と呼ばれる人こうが呟く。


「道幸くん……あれ、見てよ」

「……あれって」


 それはまるで虹みたいだと、最初に目にした瞬間そう感じられた。それでも一つ一つがハッキリ違うものだと分かる光の群れ。

 息を呑んでその光景を見つめていると、閻魔さまはゆっくりと僕の隣まで歩を進め、視線は対岸に向けたままこう続けた。


「あれは魂の光だよ」

「魂の……光」

「そうさ。いや、遠くからだとね、あんな風に見えるんだよ。宮殿の近くでは現世での形に戻ってしまうけど、本来魂は様々な色をを湛えた光の塊に見えるんだ。綺麗だろ。現世では善人だの悪人だのとそんな下らないことばかりみんなは口にしているけど、ここではそんなこと全くと言っていいほどに関係ないんだよね。だって、本来は全てが清浄で、煌びでいて儚いものなんだから」

あまりに筆舌に尽くしがたいものなんだと、閻魔さまは苦笑いを浮かべていた。

それでも彼のその表情を目にしてしまえば、本当に僕に伝えたい事は一つだと理解することができた。


「本当に、綺麗だ……」

あぁ、自分が憎い。

この感嘆をその一言だけで済ませてしまう自分が憎いよ。しかしその美しさの前では僕の感情なんて全てが関係なくて、そして全てを飲み込めてしまえる。

しばし魂の光の連なりに見とれていると、ふふふと笑う声が一つ。

同じように対岸の光景に見惚れていたはずの閻魔さまが、こちらを見て微笑んでいるじゃないですか。


「道幸くんさ、肩ひじ張らずにリラックスして物事を見れば良いんだよ」

「……リラックスですか?」

「ただどうしても君は、自分の中で溜め込んでしまう性格だからね……うん、何とも君らしいよ」

「それ、絶対に褒めてないでしょ?」

「褒めてないよ。うん、全体に褒めてない。でも……君にとっては、この言葉が丁度いいんだよ」

 ちょっと足りないくらいで良い。それを自分で必死にどうにかして補っていく。

 きっと、わたしと一緒でねと付け足しながら、閻魔さまは笑顔を作った。


その言葉にやっぱり自分の現状の全てを飲み込む事は出来なくて、きっと僕は未だに理解できていない不可解そうな表情を浮かべているでしょう。

でも与えられた言葉は僕の奥の方にじんわりと染み渡って行って。

 あぁ、そうか。良いんだ。今のままで良いのだ。これまでみたいに自分がどうにかしないといけないだなんて、バカみたいに我を貫くんじゃなくて、ありのままで良いんだ。

 

「……なんだか、少しスッキリしたかなって、そう思います」


何の強がりでもなく、知らないうちに僕はそう呟いていました。


「そっか。良かっ…たよ。こんなおじさんの話聞いてくれて、立ち直ってくれたんなら、それはそれで嬉しいよ」

「ありがとうございます……なんか本当にカッコ悪くて、本当すいません」

 別に良いよとニコリと笑顔を浮かべる閻魔さま。そう言ってまた彼は対岸の光の群集に視線を戻した。

 さっき見ていた時とはどこか違うように感じました。

 そうだ。ただ綺麗なだけじゃなくてその光たちはどこか悲しい。

 その光たちは確かに少し前に自分の生を終えてこの場所に流れ着いてしまったのだ。だから誰しもが後悔や後ろ髪を引かれる気持ちを持っているのでしょう。

 悲しみを裡に秘めていたとしてもそれでも少しずつでも前に進んでいくから、だから僕たちの目には美しく見えるんだ。

 あぁ、なんて自分勝手な解釈なのだろうか。こんな風に美しさに理由をつけないとそれを飲み込むことの出来ない僕はやっぱりどこかおかしいのかもしれません。

 そんなことを頭で巡らせながら幾度目かのため息を吐き出した頃、思い出したように閻魔さまがこう呟く。

「そうだ。道幸くんに一つ言葉をあげよう」

「魔法の言葉、ですか?」

「違うよ。そりゃ君たちから見れば、ここの風景や私の存在ってのはファンタジーそのものだけど、そんなに凄い魔法の言葉なんて、あげたくても持ち合わせはないからね」

「……ははは」

「これは私がずっと心に大事にしまっていた言葉だよ。私が心の支えにして、常にこう在りたいと、この言葉通りになろうと思っていたんだ」

「……お願いしても、いいですか?」

 コホンと咳払い一つ。その所作だけで、この言葉が彼にとってどれだけ大事なものなのかを理解できる気がしました。

 だから僕もその言葉を、固唾を飲んで待ちわびます。


「其は広大無辺の大慈大悲にて凡てを包み込み、導かんとする者。六道を輪廻す衆生を救う者。願わくば、汝のその魂が『あの人』に……いや、これ以上は無粋だろうね。言わないでおく事にするよ」


 でも正直に言ってしまいましょう。この時の僕にはその言葉の意味が全くと言って良いほどに理解できていませんでした。

 いつ理解できるのかも分からないくらいに、その言葉は含蓄に富んでいたのですから。


「あんまりよく分かりませんけど……」

「分からなくて良いんだ。その人生の果てに知る事が出来れば良いんだ」

「なんか、すぐにでも知る事が出来そうな気がするんですが」

「まだまだ知る事なんてないよ。君、今の所死んじゃう予定はないから」

 それも冗談に聞こえないところがこの人が閻魔大王たる所以なのでしょう。

 以前秦広王から百歳生きるだなんて聞かされた事があったけど、閻魔さまが口にすると、何倍も信憑性を感じる事が出来ました。

「あぁ、やっぱり魂の光は綺麗だなぁ。悲しくなるくらい、美しい色だよ」

 そんな風に語る閻魔さまを尻目に、心の中でからかってしまった秦広王に謝罪をしつつ、意趣返しというわけではないが、ただニコリと笑って返す。

 それが彼の何かに響いたのだろうか、満足げに語り始める。

「僕はね、君の事好きだよ。本当に、若い頃の私そっくりだから」

「ホント、どんだけ自分の事好きなんですか、閻魔さま」

「あ、笑ったね。うん、君の笑顔はやっぱり素敵だよ」

「昔の自分に似てるから?」

「ははは、オチ言われちゃったか。あぁ、お迎えが来てるね」

 そこまで口にして僕の後ろの方を見やる閻魔さま。

 あぁ、そうかもう来ちゃったのか。後ろを振り返りつつ、そう独り言ちます。

「……ホントだ。そろそろ行かないといけませんね」

 何メートルか先、目に入ったのは小さな少女の姿。

 ここまで急いで来たのでしょうか。その人物が肩で息をする様子が見て取れました。

 覚悟がいる。この少女と言葉を交わすには覚悟がいる。でも十分すぎるくらいに嘆いて、悔いたからもうそんなこと気にすることなんてないのだ。

 さぁ、一歩を踏み出す時だ。

「行くのかい? 道幸くん」

 と、歩き始めた僕の背に投げかけられる声。でもその声に決して振り返ることはしない。

 もう停滞したまま無為に時間を過ごすことはしたくないから。

 きっと彼もそれを分かってくれたのでしょう。僕の返答を待たずに彼はすぐにこうつぶやきます。

「次は元気な君に会えるのを期待してるよ」

 どこか皮肉にも似たその言葉。でもきっと僕を励ましてくれているのであろうその言葉に笑みをこらえることも出来きませんでした。

 一頻り笑った後、ため息まじりに僕はこう返します。

「閻魔さま……あの世で元気も何もないと思うんですけど」

「あ、そりゃそうだね。ごめんごめん」

「また会いましょう、閻魔さま」

「またね、道幸くん。君が、凡てを包み込む者にならん事を…… 『あの人』と同じモノになる事を心の底から祈っているからね」


 きっと僕たちはこれから先、言葉を交わすことは叶わないだろう。

 それこそ僕がこの命の一片までを使い果たし、再び一つの魂としてここに現れない限り、閻魔大王と語ることは出来ないのでしょう。


 でも今はそんな先の問題をウダウダと考えるのは止めにしてしまおう。

 だって今は目の前に飛びっきりの問題が横たわっているんだから。


 そう。僕は話をしなくてはならない。

「……帰ろ、錬」

 か細い声で、震えたまま僕に声をかけるこの少女と。

「めぐり、様」

 決して会いたくはなかった。会うのが嫌で、彼女から逃げ出してここまで逃げてきたのですから。でも今はそんな後ろ暗い気持ちはどこにもない。

 ただどうしても知らなければならないことがあった。


「……そう、ですね。色々、聞きたい事もあるので」

「そうね、我も貴方に話さなくてはならない事が沢山あるわ」

「とりあえずは屋敷に戻りましょう。瑠璃もずっと待ってくれているから」

 

 それから僕たちは互いに言葉を交わすことなく、並んで歩いてめぐり様の宮殿を目指した。

 走ってきた道をこんな風に戻っていくのもおかしな気持ちになるが、この沈黙がどうしてもいただけない。

 それにしても彼女の浮かべるこの表情はどうだ。

 悲しみにくれているような、何か決意を秘めているようなそんな表情。

 それがどうしても居心地が悪くて、見ないふりをしたまま足を進め続ける。

 そんな風に悶々と考えていると思いの外早く、めぐり様の宮殿の庭まで戻ってくることが出来た。

 そこには言わずもがな、あの人が待っているわけで……。

「あぁん、やっと帰ってきてくださった! もう瑠璃、寂しくて寂しくて!」

「ゴメンね、心配かけちゃったかな?」

 僕の姿が見えるやいなや目にも止まらぬの速さで僕のそばに駆け寄ってくる瑠璃さん。

 その速さたるや忠犬かくや……いやいや、僕は一体何を考えているんだか。

 バツが悪くなってしまったのを隠すために自分の頰を掻こうと手が伸びてしまう。

 そんな時だった。瑠璃さんの細い指が僕の手に優しく触れたのは。


「る、りさん……」

「……良い表情です」

 吐息を感じることの出来る距離。優し気にこちらを見つめる彼女に見とれて……ってちょっと待て!

 これは彼女の常套手段だ! こんな風に人のこと油断させておいて、突飛もないことをするのが彼女の心情なのです。

 うっとりとした表情。そのまま僕の頰に触れる瑠璃さんは、おそらく彼女のパーソナルな部分を知らない人だったらすぐに落とされてしまうんじゃないだろうか。

 それくらいに彼女は、人心を掌握するのに長けているのです。


「いやいや、意味深な台詞呟きながら、頬をさするな!」

 しかし、しかし! 僕は騙されません。彼女の手を振り払いながら、そう口にします。

 するとどうだろう。

 いつもの意地悪な笑顔ではなく、いつか母親に向けられたものと同じ慈愛の笑みでこちらを見つめる瑠璃さん。

 あぁ、ダメだって。そうゆうのがドキッとさせられてしまうんだから。

 と、そんな僕の気持ちを察してくれたんだろうか、すぐにいつものニヤリとしたからかう時の表情になり、

「そしてお言葉もレベルアップしてるわん!」

 だなんて、そう呟いた。

「……ホント、ダメだよこの人」

 嘘だよ。本当は感謝しているんだよ。

 でも素直に感謝の言葉を伝えるには、今は恥かしすぎるから、このまま顔をそらしたままでいようと思う。

 そして視線を動かした先で、ヤキモキしている少女の姿が目に入った。


 この屋敷の主人。次代の閻魔大王さまであらせられるめぐりさまが、頰を膨らませて立ってらっしゃるじゃないですか。

 あぁ得心がいった。瑠璃さん、僕をからかうふりして、めぐりさまを放置プレイして楽しんでいらっしゃるのである。

 だからこんなにも僕の時はあっさりと手を引いたのだ。

 これもいつもの事、それがはっきりとこちらにも分かるかのように、大げさにため息をつきながら、ズイと僕と瑠璃さんの間に割って入るめぐりさま。


 胸を張り、あの世の為政者たらんとする表情でこう告げます。

「瑠璃、少し真面目な話をするわ。少し外しなさい」

「無理です」

 はい、始まりました。瑠璃さんフィールド。

「……ん? もう一度言います。少し席を外しなさい」

「無理です」

「あ、主の言葉に従えないって言うの! 何で……何でそんな意地悪言うの!」

「そうですよーたまには主様に口答えして、折檻いただきたいなぁなんてー」

「うー意地悪だよぉ。ひどいよぉ」

「……は?」

 二言三言のやりとりで涙目って……思わず二人のやりとりにそんな無粋な言葉を吐いてしまいました。

 いや、めぐりさま弱すぎでしょ? 自分の思い通りにならなかったらベソかいちゃうって、見た目通りの女の子じゃないですか。

 しかし自分も瑠璃さんフィールドの被害を受けた事があるだけに、少しめぐりさまに同情を禁じ得ないのです。

 もうこの辺にしてあげればいいんじゃないかと瑠璃さんの方を向くのですが、浮かべているわけですよ、意地悪な表情。

「あぁん! やっぱり主様の泣き顔も最高です! 虐められるだけじゃなくて、虐めたくなるんですよねぇ。たまにやるとすんごく感じちゃうんですよね、ホント最高! やっぱりめぐり様がナンバーワンでし! あ、かんじゃった」

「いや、ホント凄くわざとっぽいよ?」

 なんだかすごく不穏な言葉もあったような気がするけど、なんだかんだでこの人、めぐりさまが気負っているのを察して、おチャラけた態度を取っているのでしょう。

 でもこれじゃ話が進まない事も事実。

 そろそろこんな茶番も終わらせなければなりません。

「瑠璃さん、一応場を和ませようとしてくれてるんならありがたいんだけど、そろそろ黙れ……!」

 出来る限り怒気を込めて、ニヤニヤする彼女の肩に手を置きます。

「ヤベ……冗談抜きで怖いんですけど」

「いや、普段からこんなもんでしょ? いつもは貴方、箍が外れて暴走ばっかりしてるから気付いてないだけですから。まぁでも本当に嬉しかったですよ。ありがとうございます」

「ご主人サマ……デレるのは、二人の時にしてくれないと困りますよぉー」

「……はい、黙ってくださいねー。貴方の主様泣いちゃってるんで、とりあえずそれをどうにかしてくださいねー」

 そうです。今は瑠璃さんのペースに乗せられていては本当に話が進みません。

「めぐりさまも! いつまで瑠璃さんのペースに乗せられてんですか!」

 思わず八つ当たり気味に声を荒げてしまって、少し後悔してしまいます。

 ビクリと体を震わせた後、顔をふせてしまうめぐりさま。彼女の弱い部分は数分のやりとりで実感していたはずなのに、自分も箍が外れたら何するかわからない人間だ。


 しかし得てして、重要なワードというものはその人が弱気になってしまった時に口にされるものだなんて、確か以前コウヘイが言っていたのですが、


「……怒ってるよぉ。自分勝手しちゃったから。我が会いたいって思ったから……我が錬を殺してしまったようなモノだけど、そんなに怒るなんてぇ」


 不意にめぐりさまから零れた言葉は、それは僕にとって本当に知らなくてはならない事だったのです。 


「……やっぱりか」

 これまでの一つ一つを思い出せばおかしな事なんて沢山あった。

 それを言葉にするのは難しいかもしれない。

 しかし閻魔さまと秦広王が言っていたのだ。

 『道幸 錬』に起こったものは異常なものだと。

 それでも彼らの計らい? 何かは今の所判断する材料はないけれど、僕は現世に帰還することができた。

 しかし問題はそこからだ。

 あまりに速かったのだ。めぐりさまが瑠璃さんを僕のところに寄越すのが。

 異常な事態を引き起こした者を再び引っ張り出そうとするなんて、何かしらの意図がない限りはしないはずなのです。

 それでもめぐりさまはそれを行った。

 秦広王や十王たちの名前を出してまで、僕に都合の良い事実を刷り込もうとしたのだ。

 ならば知らなくてはならないじゃないか。

 なんで時間が経過してしまえばバレてしまう嘘をついてまで僕を、『道幸 錬』を側に置こうとしたのかを。


 自分でも分かるくらいに頭の中が混乱してしまっています。それが完全に顔に出てしまっているのでしょう。

 額に汗が滲み彼女が焦っていることを露わに、時折漏れる声からは絶望している様子が簡単に見て取れた。

 不安そうな表情でこちらを覗き込み、めぐりさまは当たり障りのない言葉を必死に探している様子でした。

「い、今の……聞いた?」

「うん、バッチリ聞いちゃいましたよ、めぐり様」

「ちょっと詳しく聞いても良いですか? 元々ここに戻ってきたのも、それについて聞くつもりだったんで」

「……嫌いに、ならない?」

「あー今は何にも言えませんけど、多分嫌いにはならないと思いますよ」

「……やぁ……いやぁ!」

「ご主人サマ、それ、逆効果」

「は? 何言ってんの?」

「嫌いになっちゃ……やなのぉ」

「ほら。めぐり様って、こうゆうお人なんです」


 『こうゆう人』、つまり予定外のことにはてんで弱い人……とでも言うのでしょうか。

「あぁ……なるほどな」

 そしてこんなにも動揺するのはつまり、僕に嫌われたくないという気持ちが一番強いからなんだろう。

 しかしここまで彼女が動揺するだなんて考えもしていなかったのです。

 そこで少しでも助けを乞おうと瑠璃さんに視線を向けるわけなのですが、

「現世では確か『めんどくさかわいい』という言葉があるらしいですけど、めぐり様ってまさにそれだと思うんですよね。気位が高い割に、実は打たれ弱いしヘタレだし。でもそうゆう所も可愛いの要因なんですよねぇー! あぁん、やっぱりめぐり様がナンバー……ブヘッ!」

 と、満面の笑みで嬉々としてめぐりさまの状態を語っていらっしゃるではないですか。

 思わず正面から彼女の両の頬を左右に引っ張り上げていました。僕は満面の笑みを浮かべたまま、彼女に努めて優しく語りかけます。


「前にも同じやり取りをしたと思うんだよね。うるさい、黙れ」

「ひゃ、ヒャイ……シュミマヘン」


 閑話休題。って、まだ何も始まってはいないんですが、とりあえずこれで瑠璃さんも悪ふざけはやめてくれるでしょう。

 咳払いを一つ、改めてめぐりさまを見据え彼女に問いかけます。


「めぐり様、嫌いにはならないと思うので、とりあえず聞かせてください。何でこんな風になっちゃったのか。僕には知る権利があるはずです」

「……うん。わ、かった……」


 そうして、僕はこの事件の総てを知る事になった。


 何故死ぬ事になってしまったのか。そして蘇った末に分不相応な、不器用な力を得てしまったのかを。


 僕は、僕も知らなかった自分自身を知る事となっていく。


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