捨てられなかったプライド

須戸

わたしです

 たった5文字が言えなかった。「わたしです」の5文字が。


 小学生の頃、女子の間では有名な猫のキャラクターが大好きな友人がいた。彼女はグッズを集めていて、学校行事でバザーが開かれた際、わたしがたまたま家にあったそのキャラクターのポーチを持って行ったら、「かわいいー、それちょうだい」と言ってきた。キャラクターといっても当時はアニメになっていた訳でもなく、わたし自身はそれほど興味がなかったため出品する予定のものであった。だが、喜んでくれる人の元へ行くのならバザーでなくても良いかと思い、あっさりと彼女に受け渡した。


 だが、どうだろう。あれからいくつもの月日が経ち、成人した今。小学生時代は全く興味のなかったキャラクターに、どういうわけかはまってしまった。


 きっかけはコンビニだった。季節によって商品が入れ替わるデザートコーナー。去年の秋頃偶然目に入ったのが、そのキャラクターをモチーフとしたケーキだった。

 つぶらな瞳。白い肌。向かって右側の耳に付けられた赤いリボン。見た瞬間、吸い込まれそうになった。恋に落ちた瞬間を「体の中に電気が走った」と表現する場面をたまに見かけるが、まさにそれだった。「期間限定」という言葉にも釣られて衝動買いしたケーキは甘く、優しい食感だった。


 それからというものの、外出すれば必ず、そのキャラクターが視界に入るようになった。スーパーに行けばパッケージに彼女がデザインされたお菓子が並び、書店に行けば彼女が表紙に載っている、とある有名人の言葉を紹介する本が棚に置かれていた。100円ショップにいたっては、「キャラクター関連商品」が置かれる棚全体に、文房具やキーホルダー、ちょっとした小物といった、彼女のグッズが溢れていた。


 それらを見かけるたびに、「欲しい」と思った。しかし、なかなか手を出せない。

 というのも、彼女は「女子小学生の好きなもの」であるという固定観念から抜け出せないからだ。ケーキのときは衝動によって買えたものの、他の商品を購入するには勇気が必要だった。


 とはいえ、欲しいものは欲しい。だから、お菓子は他の食料品を購入するついでのように、別の商品と共にカゴに入れた。本は「有名人の言葉が書かれたものだから大丈夫」という謎の気概を持ってレジに向かい、店員に怪訝そうな視線を向けられた、気がした。100円ショップの商品は、「娘にあげるもの」のつもりで、少しずつ入手した。実際は、娘なんてわたしにはいないし、いつも1人で買い物をしているので、店員には気付かれているかもしれないが。


 45周年を迎えた今年、彼女の活動は幅を広げた。40周年を迎えたアニメや平成を象徴するであろうアニメ、その他諸々とのコラボが発表され、それに伴い新しいグッズも続々と発売された。また、キャラクター総選挙では1位に輝き、ネットの一部では盛り上がりを見せた。一方、わたしは人目を気にして、他の客が少ない時間帯を見計らい、期間限定の景品が入った、デパートのクレーンゲームに挑戦するといった生活を続けた。


 ここまで読んだあなたはお気付きかもしれないが、実際の彼女は「女子小学生の好きなもの」ではない。本当は、幅広い世代に人気なのだ。芸能人をはじめ、彼女のことが好きだと公言している大人の女性は結構いる。また、関連グッズをたくさん持っているという理由で世界記録に認定された方はわたしよりずっと年上で、しかも男性だ。去年から配信されている動画も、憶測だが女子小学生以外の視聴者はわたし以外にもいるだろう。


 だから、グッズくらい欲しいのなら堂々と買えば良いと考えるかもしれない。それでも、小学生の頃の友人の印象が強く、わたしは未だに「女子小学生の好きなもの」という誤った固定観念から抜け出せないのだ。


 そもそも、関連グッズの中でわたしが最も好きなもの、それ自体が、その友人との想い出の品なのだ。修学旅行で京都に行ったとき、同じ班だったわたしたちは、記念におそろいのものを買おうという話になった。そしてとある神社で「かわいいー、これにしよう」と言われたのが、その神社でしか売られていないご当地限定である、そのキャラクターのお守りだったのだ。


 そのキャラクターにはまって以降、そのお守りをわたしは、鞄の中に忍ばせていた。お守りだけあって持ち歩いていると支えになってくれそうだったが、鞄の外側に付けるのは恥ずかしかった。


 ある日、仕事が終わり帰宅するために乗った電車の中で、暇潰しにとスマホを取り出そうとしてふと気付いた。お守りがない。慌てて鞄の中を漁ってみたものの、見つからなかった。


「ねえ、なんか落ちてるよ」

「ほんとだ」

 会話が耳に入り、視線を向けた先にいたのはカップルらしき男女だった。「ほんとだ」と答えた男性が拾い上げたものを見て、目をみはった。わたしのお守りだった。鞄の中に入れていたはずなのに、いつの間にか外に、こぼれ落ちてしまっていたのだ。


「きみ、これ落とした?」

 男性が話しかけたのは、近くの席に座っていた、小学生くらいの女の子だった。女の子は首を横に振り、自分の持ち物ではないことを伝えた。

 その後の男性の言動には驚かされた。

「これ落としたの、どなたですか?」

 あろうことかお守りを高く掲げ、車内で大声を張り上げたのだった。


「わたしです」

 そう返事をして彼のもとへ行けば、返してもらえたかもしれない。しかし、できなかった。善意からなのかもしれないが、何しろ彼は大声で質問を投げかけてきたのだ。周囲から向けられる目が気になり、近付くことさえかなわなかった。


 くだらないプライドのために葛藤していると、電車は次の駅に到着した。

「どうするこれ、駅員さんに渡す?」

「誰も取りに来ないってことは、持ち主もいらないんじゃない?」

 そう話しながら、男女は降りて行った。車内から目で追うと、男性はわたしのお守りを、ごみ箱に捨てていた。しかもちょうどごみの回収中で、お守りの入った袋はごみ箱から取り出され、そのまま運ばれて行った。わたしは絶望した。


 あのとき周囲の反応など気にせずたった5文字、「わたしです」とさえ言っていれば、今もお守りは手元にあったはずだ。

 現在では置かれているかどうかさえ定かでない、大好きなキャラクターの、ご当地限定レアグッズ。小学生時代の友人との想い出が詰まっていた宝物。

 大切なものをなくしました。

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捨てられなかったプライド 須戸 @su-do

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