第7話 前触れのない恋愛イベントは恐いです

「先輩……そこは……」


 艶かしい声を出して身をよじる穂希。荒い息づかいで赤面した表情をしている。

 端から見れば一発アウト。俺が社会的に殺される。

 だが、俺は悪くない。むしろ、俺は被害者の立場に近いと思う。

 今俺は、穂希の腕を掴んで支えているのだ。

 穂希は必死に手を伸ばし、棚と棚の間に落ちたスマホを取ろうとしている。

 俺のスマホの充電が切れた今、穂希のスマホだけが頼みの綱だ。何としても頑張ってもらわなくては。

 ところで、どうしてこうなっているのか気になるかな? では、少し話そう。

 あれは、三十分前の事……。





「では、今日はお開きにするよー。これからも頑張ってね」


 たまちゃんの挨拶で今日の部活、もといケーキパーティーが締め括られた。

 各自が荷物を持って部室を出ていく。


「さよならー」

「はい、さよならー」

「じゃ、私は職員室に戻るから、気を付けてね」


 最後に残った俺に向けて、たまちゃんが心配の声をかけてくれる。

 四月下旬とはいえ、六時にもなると外は薄暗くなる。調子に乗る高校生が事故を起こしやすい時期だ。

 俺も荷物を持ち、部室を出ようとする。

 だが、何を思ったか引き返した。


「確か……墨液が少なかったな……」


 明日にすればいいものを。そのせいで、後々えらい目に遭うというのに……。

 過去を悔やんでも、現在は変えられない。

 部活で使う墨液入れに入れる墨を、準備室に取りに行く。

 重い段ボールを机に置き、開封。これまた重い墨液を取り出す。


「……先輩? 何してるんです?」

「うわぁっ! ……って、穂希ちゃんか……」


 入り口から顔を覗かせていたのは、一年生の松下 穂希だった。いきなりだったので驚いてしまう。


「何してるんです?」

「墨液の補充。少なくなってたと思って」

「そうなんですね! 手伝います」


 荷物を持ったまま準備室に入ってくる。

 二人で墨液の容器を開封していると、人の気配がした。


「あれ? 誰もいない……鍵かけなくちゃ」


――ガチャッ!


 ……ちょい待った。今、たまちゃん何してくれた?

 ひきつった笑みで穂希と顔を見合わせる。

 そして慌てて、入り口へと駆け出した。案の定、鍵がかけられていた。


「やってくれたなあの人は!!」

「せ……先輩落ち着いて! 電話です電話!」


 確かにそうだと思い、急いで携帯を取り出す。

 パスワードを入力してネットを開く。

 J高校の電話番号を確認し、電話画面を開く。番号を急いで入力していく。

 打ち終わるまであと二つ。そんな時だった。

 悲しい音と共に、画面が暗転した。液晶画面には、凍りついた俺と穂希の顔。


「そうだ……昨日充電忘れてた……」

「そうですか……どうします?」

「……洒落にならねぇ! ごめん穂希ちゃん、お願いしていい?」


 穂希がスマホを取り出す。スリープを解除して電話画面を開くも、手を滑らせて棚の隙間に落としてしまった。

 流れる無言の時間。


「……ごめんなさい先輩!!」

「だ……大丈夫……伸ばして取ろう」


 そこで、穂希の腕を掴み、穂希がスマホを取るという構図が完成した。

 そして話は、冒頭に戻ってくる。






「先輩……もう……体勢が……」

「よーし分かった。キツいことさせてるのは申し訳ないけど、誤解を生む発言は控えてくれないかな!?」


 自分のために保険をかけると、穂希から合図があった。

 どうやら確保に成功したらしい。

 彼女の細い腕に力を込めて、引き戻す。

 功績に感極まって、穂希と手を握りあって喜びを爆発させた。早速、電話をかけよう!

 ……と思っていたのが、三分前。

 俺と穂希が床でうちひしがれていた。傍らには、黒い画面のスマホが二つ。

 穂希のスマホも……充電が切れた。

 密室空間で女子と二人きり。それも後輩。

 このシチュエーションに憧れる世の若者諸君! 現実はアニメのように甘くはない!

 だって今、すごい気まずいもん! 何話していいか分からないもん!


「本当にごめんなさい…! ごめんなさい先輩…!」


 穂希が必死に謝ってくるが、これは仕方ない。

 その内、いつまでも帰ってこない俺たちを心配して家族が連絡してくれるだろう。

 今は気長に待つしかない。

 しばらくすると、穂希が俺に近づいてきた。


「先輩……今日はその……すいません」

「いいって。元はといえば、悪いの俺だし」


 そうだよ。いきなり墨液を補充しようとした俺に一方的な非がある。

 穂希がさらに顔を近づけてくる。近い近い!


「先輩……その……」


 お約束展開が迫る。そんなとき、ドアが開いた。


「あっ! やっぱりいたの? 靴箱に靴があるからおかしいなーって」


 たまちゃんが笑いながら扉を開けてくれる。

 お約束展開は無かったものの、これで助かった。それでも、言いたいことはある。

 たまちゃんに向かって、二人で詰め寄った。


「「先生! 次からは確認してください!」」

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