p12.とおる君との閑話

「ヴァージル・チチェスター様についてですか?」


「そう。知ってることを教えてくれない?」


 翌日、王太子執務室にて。

 私はとおる君と二人で、のんびりと課題に勤しんでいた。うん、仕事ではなく課題。王太子としてやらなきゃならない最低限の仕事は終わったのだ。

 この課題がクリアできたら、やる仕事も増えるわけだけれど。鬼だ、執政官あの人


 なので、ヒマつぶしに聞いてみる。とおる君も、すっかり私への恐怖心が薄れているみたいで、けっこう雑談に応じてくれるのよ。

 より強い恐怖は目の前の猛獣への危機感を薄れさせてくれるのね。めっちゃ役に立つ、ツィーグラー伯爵。鬼と執政官の兼業をやってのけるなんて。こんな采配をやってのけた宰相って、やっぱり有能だわ。


 さてさて、それはさておき聞かせて貰おうじゃないの。わりとボッチ気味の平民文官に、どれほどの情報が行っているのか。


「うーん、とは言いましても、嫡男のグルヴェル様は知ってても、次男のヴァージル様には関わりがないのでさっぱり」


 とおる君は申し訳なさそうに首を振った。

 むしろ嫡男のグルヴェルには関わりがあるのか。たしか父親とは違う部署で働いていることぐらいしかわからないよ。


「噂でもいいのよ」


 知りたいのはヴァージルの情報だ。吐けー、とおる君ー。


「そもそも、ご自身の婚約者なのですから、一番ご存じでは」


 はぐらかす気かー。いやいや、確かにそう思うだろうけど、アレは一般的な婚約者とは違うのですよ。


「わたくし、ヴァージルとはあまり会わないのよ」


「え、週一で呼びつけるって噂は?」


 そんな噂があったのか。違うよ。


「週に一度は顔を見せるか手紙を書く契約なのに、守らなかったのよね、彼」


 それでも来ないし。婚約の契約書読んだときに驚いたもんよ。


「婚約内容だったのか……」


 おののくとおる君。そうなのよー、彼、契約不履行なの。履行したくなくなる気持ちもわかるけど。でもね?


「ここひと月半ほど、音沙汰なくてよ!」


 自慢するように言うと、とおる君は息を吐き出した。


「ああ……それで噂でもいいから聞きたいと……」


「最近でなくてもいいわ。教えてちょうだい」


 さぁさぁ、教えなさい!

 私が好奇心いっぱいに身を乗り出すと、諦めたようにとおる君が、あくまで噂ですよ、と話し始めた。


「んー……、実はチチェスター侯爵は嫡男よりも次男の方を可愛がっているそうですね」


「あら、そうなの?」


 ふつう、家を継ぐ嫡男と、そのスペアである次男なら、後継である嫡男の方を優先しそうなものだけれど。

 それは、『第一王女』と婚約したからなのかしら? それとも前から?


「姿に代々のチチェスター家の特徴を強く受け継いでいるからだとか。嫡男の方は、髪が奥さまのを受け継いだので」


「ふぅん?」


 と、いうことは、小さな頃から? 私と婚約する前からのことなのね。ふぅん?


「まぁ、仕事は嫡男の方が早く正確なので、周囲の評判は彼の方がいいですけどね」


 椅子の背面に深くもたれかける、とおる君。『仕事』での評判は兄の方が良い、と。じゃあ性格なかみは? ……彼の兄だものね、期待はしない。やめておこ。

 でも、そうね、それなら……


「でも、侯爵はヴァージル様の方を気に入っているのでしょう?」


「そうらしいですね」


「なぜ、『我儘王女』の婚約者にしたのかしら」


 ジセの評判は、10歳には広がっていた。婚約したのは12歳。もっと早くから候補はいたはずなのに、政治的観点から彼の家になったわけだけれど、あまり気に入らない長男とお気に入りの次男なら、気に入らない方を人身御供にしない?

 とおる君は、背もたれに預けていた体を、今度は机に預ける。その表情は気まずそう。


「……言っても怒りません?」


 え? 怒るようなこと言うの? 勇気あるわね、平民よ。

 私は覚悟した。


「……何?」


「『腐っても第一王位継承者』」


「言うわね」


 なるほど、ほんそれ。

 私はにやりとした。

 侯爵は自分のお気に入りを、王配にしたかった。確かにそれなら納得だけど、それにしては蔑ろにしすぎよ。なに考えてるのかしら。


「……ホントに怒らないんですね。『癇癪姫』はどこに行ったんですか?」


 びっくりした顔のとおる君に、なによそれと笑う私。『癇癪姫』も私の別名なのよね。うーん、じゃあ、あれ言ってみる?


「よーく寝たからかしら。近頃頭痛がしないの」


 これ、実は本当。ジセリアーナってば、偏頭痛持ちだったの。常にずーっと、なんとなく痛いから、痛みには慣れっこなんだけど、妙なイライラは貯まっていくのよね。

 すると、とおる君がこんなことを言った。


「ああ、子供の癇癪の理由が、ひどい偏頭痛のせいだった、っていう例があるらしいですね。なるほど」


「あら、こういうことにも詳しいの?」


 医療にも通じてるとは、びっくり。けれども、とおる君は慌てて手を振った。


「いやいや、どこかの雑談で聞いたぐらいのことですよ! 子持ちの下官……誰だったかな? 娘さんが、けっこうな癇癪もちで困ってて。どこか悪いんじゃないかとツテで治療院に連れていったら、頭痛が酷かったのがわかったって。治したらとてもいい子になったそうですよ」


 3歳ぐらいの女の子らしいですけど、とすごいピンポイントな例だけど、こちらでも知られているものなのね。ジセは連れていかれなかったのかしら? ああ、侍医がいるわね。頭なんか診られたことなかったわ。なるほど。

 それはさておき。


「そんなことより、他に何かないの?」


 興味がなくなったように、次を促す。次というか、話を戻したんだけど。

 すると、とおる君はおそるおそると私に寄ってきた。


「……それで怒らないなら、ありますよ」


「何かしら」


 周りを確かめるとおる君。これは相当な極秘情報なのね。私は喉をならし、開いた扇を顔に寄せた。

 やがて、声を潜めて囁かれた言葉に、私は目を剥く。


「ヴァージル様の本命は、リスティナ殿下だっていう」


「まぁ!」


 知 っ て る 。


 え? でもそれ言っちゃう? 当事者に言っちゃう? 意外と胆が座ってるのね、とおる君。それともそれだけ気を許してくれたのかしら。

 嬉しいけど、もう少し警戒しようよ。


「ジセリアーナ殿下にお会いに行くために通りがかった庭園で一目惚れしたのだとか」


「まぁまぁ!」


 ものすっごい真剣な顔で私に伝えてくれるとおる君。しかしそんな設定なのか。

 私は扇で顔を隠しながら、まるで他人のコイバナでも聞くような、ウキウキした表情をして続きを聞いた。いや、もう実際アレは他人だけどね。


「でも、ジセリアーナ様と婚約しているので、思いを伝えられないらしい……とか」


「まぁまぁ、うふふ」


 め っ ち ゃ 口 説 い て た や ん 。

 言わない、言わないけどね。何? 純愛気取りなの? それは引く。

 ニコニコしながら内心引いた。

 でもなるほどね。ヴァージル様の心がすっかりジセから離れて、リスティナに向かっているのは下っぱにまで知られた公然の秘密なのか。

 ちょっとそれは……噂の内容から考えて……まぁいいわ。後で確認しましょう。


 そんな風に考えていると、もさもさの黒髪の向こうから、じっと見られていた。


「ホントに怒らないんですね」


 え? もしかして、さすがに怒られるだろうと踏んでいた?

 話したのはワザとか、このやろう。まぁいい情報だったけど。


 お礼にいいこと教えてあげる。


「ええ、近々婚約破棄してやる予定ですから」


「え゛。」


 固まるとおる君。ざまぁ見なさい、ふふふ。私を驚かすか、焦らすか、しようとした罰なんだから。

 やっぱりからかいがいがあるわ。ニコニコ。


「ああ、内緒にしててね。ここだけの話」


「は……はい。もちろん」


 大変なことを聞いてしまった、って顔ね。真面目そうだけど、迂闊さがあるから、きっとこっそり広めてくれるわよね?


 すると、とおる君はまさかの突っ込んだ話を入れてきた。


「……ちなみに、なんで」


 あら、聞いちゃう?

 それ聞いちゃうのね、へぇ、やっぱりもしかして、あの怯えは演技だった? ふぅん?


「飽きたわ」


「……」


「……」


「殿下が言うと冗談に聞こえないんですけど」


 うふふ、当たり前でしょう。目の前にいるのは誰?

 ジセリアーナ・フィア・ダビィスレイアよ。


「冗談じゃないわよ。婚約者をバカにして放置して浮気するヤツなんて、いい加減飽きるに決まってるでしょ」


 そんなのこっちから捨ててやるに決まってるわ。


「浮気ですか?」


「証拠は王に提出済よ?」


「婚約破棄、秒読みじゃないですか!!」


 今度こそ大変なことを聞いてしまった、という青い顔をしたとおる君は、思わず叫んだ己の口を慌てて塞いだ。


 それに向かって私は笑顔で一本指を立てた。


「ええ、だから、内緒にしておいてちょうだい」


 青い顔で、頭を縦に振るとおる君。いいのよ、逆にこっそり広めなさい。

 ……通じてない気もするわね。

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